第563話 脱出の説得

統一歴九十九年五月七日、夜 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



「ともかく、コイツは起こさない方が良い。

 でも俺はこの森から出たいんだ。

 出口が分かってるなら案内してくれ。」


 エイー・ルメオは突然昏睡こんすい状態に陥ったレルヒェの診断を下すと、どうやらレルヒェ同様に昏睡してしまう危険性はなさそうなクレーエとエンテの二人に頼んだ。だが二人はチラっと互いに顔を見合わせると、困ったように苦笑いを浮かべる。


「いやぁ旦那、俺らも旦那ドミヌスの力にはなりてぇが、コイツを起こさずにってなると難しいや。

 明日まで何とか待てねぇんですかい?」


 代表してクレーエがポリポリと頭を掻きながら言うと、エイーはムズがるように地団駄を踏んで懇願し始める。


「ダメなんだって!

 急がなきゃいけないんだ!緊急事態なんだ!

 さっきも言ったが、この森にはトレントがいる。

 トレント共は俺を探していて襲い掛かって来るんだ。

 今、ナイスがトレントたちを引き付けて逃げ回りながら時間を稼いでくれているんだ!ナイスが持ちこたえている間に、早く仲間と合流して助けに行かなきゃ、ナイスが捕まっちまう!!」


 しかし二人は《木の精霊トレント》が襲って来るなどと言われても納得できない。そんなものは二人にとって御伽噺おとぎばなしの存在でしかないのだ。


「そうは言われてもねぇ…

 さっきも言ったがコイツをここに一人にしておくわけにも行かねぇし…」


「運ぼう!」


「「運ぶ!?」」


 愚図ぐずるクレーエにエイーが提案すると二人は信じられないとでも言いたげに訊き返した。


「そうだ、俺も手伝う!

 お前たちだってここに居たら襲われちゃうかもしれないぞ!?」


「まっ、まっ、まっ、待ってくだせぇ旦那!」


 大の大人が両手を使わなければ乗り越えなられないような太い木の根が地面を埋め尽くしている森の中を、意識を完全に失った成人男性を担いで運ぼうというのである。簡単な話ではない。クレーエは当然反対した。


「何だ!?」


「何だじゃないですよ、マジですか旦那?

 見てください、この森の風景を!

 こんなまたいで歩くことすら出来そうにねぇ木の根でいっぱいなんですぜ!?

 こんなトコ、手ぶらで歩くだけでも大変だってぇのに、こんな眠っちまった男を眠らせたまま運ぶなんて正気の沙汰さたじゃありませんよ!」


「お前たちトレントに襲われたいのか!?

 こんなところに居たらお前たちだって夜明け前に死ぬぞ!」


 またトレントだよ…クレーエはうんざりした表情を隠しきれなかった。


「コイツ運んで逃げろって言うんならご命令に従いましょう。

 でもね、旦那。考えてみてくださいよ。

 エッチラオッチラ、木の根を乗り越え、コイツを木の根越しに渡しながら進むんですよ?

 ましてやこんな真っ暗な中だ。

 松明たいまつ片手にできるこっちゃねぇし、松明が無けりゃ文字通り一寸先は闇…足元もろくに見えねぇし、うっかり落として怪我させちまうかも…!?」


 クレーエが何とか諦めさせようと言い訳を始めると、エイーはムッとした表情を見せ、クレーエを思わずギョッとさせた。


 ヤバい、怒らせたか?


 エイーは言葉を途切れさせてしまったクレーエにワンドを突きつけ、呪文を唱える。


「ナイト・アイ!」


「えっ!?あ…おおっ!?」


 クレーエの視界が突然明るくなり、さっきまで見えなかった焚火の光の届かないところまで急に見えるようになってしまった。何やら困惑しているクレーエの様子を不気味そうに眺めていたエンテにも、エイーは続けざまに同じ魔法をかける。


「ナイト・アイ!」


「え!?…あ、おおおっ!?」


 しくも二人は全く同じ反応を示した。


「暗視魔法だ、これで闇も見通せるだろ!?」


 クレーエとエンテは気まずそうに顔を見合わせた。


 ヤバい…断る理由が…


 エンテはもう諦めたような様子だったが、クレーエは必死に頭を回転させて断る理由を探した。


「いや、あ、あの…こりゃありがたいんですが…」


「まだ、何かあるのか!?」


「いや…はい、そう、わかりました。分かりましたとも!

 でもね旦那。」


 まだしつこく駄々を捏ねようとするクレーエをエイーはジロッと上目遣いに睨みつける。クレーエはその視線にしどろもどろになりながらも続けた。


「俺らはコイツを担いで逃げますとも、ご命令通り、こんな魔法までかけていただいたんですからね。

 ええ、やってみせます。

 でもね旦那、もう一度考えてください。

 お急ぎになるんでしょう!?

 でもこの跨いで通るのも難しい木の根をいくつも乗り越えていかなきゃいけねぇんですよ?

 しかも俺らぁコイツを運びながらだ。

 言っちゃ悪いが、どんだけ急いだって普通に歩くより遅くなっちまいますよ。

 しますよ?

 ええ、しないなんてもう言いません。

 ちゃんとご命令通り、コイツを運んで行きます。

 でもね、本当にお急ぎになるんでしたら、俺らぁ置いて御一人で行かれた方が早いんじゃないですかね?」


 冷や汗をかきながらクレーエが言うと、エイーはクレーエを睨みながら無言のまましばらく考えた。愛想笑いを作るクレーエの表情筋が疲れて痙攣をおこしそうになったころ、エイーは「うん」と納得したような声を喉奥から漏らす。


「わかった。確かにその通りだ。」


 二人はホォッと思わず安堵のため息をつく。


「じゃあどっちへ行けばいい?」


「アッチでさ!」


 クレーエが待ってましたとばかりに指差すと、エンテが驚き慌てて打ち消した。


「お、おいクレーエの旦那、何言ってんだ!?

 コッチだよ!俺らぁコッチから来たんだろ!?」


 そう言いながらエンテが指差した方向は全く別の方向だった。今度はクレーエが驚き反論し始める。


「何言ってんだエンテさんよ!

 俺らぁコッチの木の根を乗り越えてココに来たんだろ!?」

「そうだけど、その前にあそこの木の根をこっちからこう乗り越えて来ただろ?」

「バカ言っちゃいけねぇよ、そっちはルメオの旦那が来た方じゃねぇか!?

 そっちは森の奥の方向だぜ?」

「いやいや、ルメオの旦那はアッチから来たんだ!

 ほら、木の根の上の苔が剥がれてるじゃないか!?」

「何言ってんだ、あれはルメオの旦那が来る時に乗り越えた痕だろ!?

 俺らはそっちの幹の向こうからこう回ってそこの木の根を乗り越えてココに来たんだ。」


「待て待て待て待て!待て二人とも!!」


 言い合いを始めてしまった二人をエイーが制止する。


「お前たち、どっちから来たんだ?」


「アッチです!」

「コッチでさ!」


 二人ともさっきと違う方向を指差した。だが、二人ともその表情は真剣そのもので、エイーを揶揄からかったり冗談を言っているようには思えない。エイーは片手で顔を覆い、フゥーーッと盛大なため息をつきながら俯いた。


「なっ、お前何言ってんだ!?」

「そっちこそ何でそっちに何だよ!?」

「お前目が見えなかったからって勘違いしてんじゃねぇか!?」

「そんなことねぇよ!

 俺ぁ山での生活は長ぇんだ!間違えやしねぇよ!!」


 今度は二人はドイツ語で言い合いを始めてしまう。ドイツ語はわからないエイーには二人が何を言っているのか理解できなかったが、そのまま言い合いを続けさせても不毛なだけであると言う点だけは確かだった。


「ストーップ!!」


 二人は英語は分からなかったが、英語のストップ【Stop】とドイツ語のシュトップ【Stopp】が似ていたせいかエイーが止めに入ったことには気づいたらしい。ややモヤモヤが残ってはいるようだが二人は同時に口を閉ざし、エイーの方を気まずげに見た。


「だ、旦那、俺らぁそのぉ…」

「ああ、旦那を困らせる気は…」


「いい!わかってる。」


 言い訳を始める二人をエイーは黙らせ、続けた。


「どうやら、お前たちも《森の精霊ドライアド》の魔法で迷子にされてしまっているようだな…」


「「どらいあど?」」


 二人は揃って眉を寄せて訊き返した。

 ドライアドは英語でもドイツ語でも表記は Dryade であり発音も似ているので二人はエイーが言ったドライアドが森の精霊を指していること自体は理解していた。が、トレントに引き続き御伽噺おとぎばなしにしか出てこない精霊エレメンタルの名前が出てきたことで驚いただけだった。しかし、エイーはドライアドの意味が分からなかったのかと思い、ラテン語での発音を必死に思い出そうとする。


「ああ、えーっと、ラテン語だとえーっと…ドライアス?ドライアデース?」


「いやいや、旦那、《森の精霊ドライエイド》は知ってまさ。

 あの、《森の精霊ドライエイド》ですかい?

 さっきまで《木の精霊トレント》だって言ってませんでしたかい?」


 話がおかしな方向へズレ始めたと思ったクレーエは苦笑いを浮かべ、首を振りながら問いただした。


 こりゃひょっとして、ルメオの旦那の頭がおかしくなっちまったか?

 だとしたらさすがに付いていけねぇぜ…


 クレーエの態度から不信を感じ取ったエイーは頑是がんぜない子供がムキになって我儘わがままを言う時のように両手を上下に振って抗議する。


「《森の精霊ドライアド》がトレントどもを率いて俺を追わせてるんだよ!」


 やれやれ、コイツぁ…クレーエが顔を引きつらせ、エイーに見切りをつけようと考え始めたその時、彼らの近くの木々が風もないのに急にざわめきはじめた。

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