第1133話 アイゼンファウスト家の晩餐会
統一歴九十九年五月十一日、夕 ‐
食卓に並ぶのはメルヒオール自身が所有する農場、牧場、養殖場で獲れた産品を始め、メルヒオールお抱えの御用商人が属州外から取り寄せた山海の珍味。酒杯を満たすのはメルヒオールの所有する醸造所で作られたワインにビール。
ワインの原料はメルヒオールがアルトリウシア領内に所有する果樹園で獲れた山ブドウの一種だ。ここアルトリウシアは一年を通して雨が多く、湿気が多いため通常のワインの原料となるブドウはほとんど育たない。しかし、レーマ人にとってもキリスト教徒であるランツクネヒト族にとってもワインは特別な飲み物だ。アルトリウシアへの入植がはじまった当初からブドウの栽培は幾度となく試みられてはいたのだが、環境に適応できないブドウの栽培はそのたびに失敗を繰り返す。そしてブドウの栽培はやはり難しいと断念しはじめたころ、現在では子爵家の御用商人となっているリーボー商会が湿気の強い環境でも育つ山ブドウの品種を見つけ、その苗木を持ち込んできたのだった。
見た目こそブドウと似通ってはいるが酸味が強く、渋く、生で食べるとエグミさえある果実で、当初はそれでワインを作ることを怪しむ向きもあった。しかし他にアルトリウシアの気候に適した品種のブドウは存在せず、醸造すれば一応ワインにはなるので現在ではアルトリウシアの果樹園でワイン用に栽培されているのはこの山ブドウだけになっている。
この山ブドウで作られるワインは酸味と渋味が強く、甘みが弱いのが特徴だ。残念ながらシロップのように甘いワインを極上とするレーマ人にとってもランツクネヒト族にとっても好みではない。しかし、ワインに蜂蜜やハーブやスパイスを加えて味や香りを調整するのがヴァーチャリア世界では当たり前であることもあって、アルトリウシアで算出する唯一のワインとして地元では愛されている。なお、最近ではワインにする前に果肉を酒で煮て渋抜きすることで酸味と甘みの強いワインが作れることが判明し、生産量を伸ばしつつある。ちなみに、
メルヒオールの食卓で出されるワインはもちろん、渋抜きした果肉を使って作られた甘酸っぱいワインにスパイスを大胆に効かせた甘酸っぱ辛いワインだ。メルヒオール自身は実は甘いワインが好きではなかったためにスパイスで辛みを足したものだったが、効かせすぎたせいか好き嫌いが分かれる代物になっている。もちろん、メルヒオールの前でスパイスワインを真っ向から否定する無謀な客はいなかったため、メルヒオール自身はこの味付けに疑問を抱いてはいなかった。もっとも、メルヒオール自身は客を招いての晩餐会ではなく、自分だけで飲むならワインではなくビールを選ぶのが常だった。彼は酸っぱい味をあまり好んでいなかったのだ。
「
給仕長の誇らしげな声が響くと、招待客たちからオオッとどよめきにも似た歓声が上がる。そして実際に給仕が食卓にメインディッシュを並べ始めると、目の前に出された皿を目にした主賓であるベネディクト牧師が「おほほっ」と嬉しそうに声を漏らした。出されたフリカデレはベネディクトの好物だったのだ。それを見てメルヒオールの妻マーヤが嬉しそうに身を乗り出す。
「牧師様が大層お気に召したとお聞きして用意させましたの。
是非、ご堪能くださいな。」
「これはこれは、お
ベネディクトは古くからティトゥス教会で担当牧師を務めていただけあってメルヒオールともマーヤとも付き合いは長い。特にメルヒオールは侯爵家がアルビオンニウムから避難してくるまではアルトリウシアのキリスト教徒の中で最も高位の貴族であっただけあって、互いの好みも癖もよく承知している間柄だ。ベネディクトはアルトリウシアで最高位のキリスト教聖職者であり、メルヒオールはアルトリウシアで最大のキリスト教の庇護者であったのだから、両者の関係が浅いわけはない。それでもベネディクトの好みを最近になって知ったかのようにマーヤが言ったのは、ベネディクト自身フリカデレを気に入ったのが最近のことだったからである。
フリカデレは日本人も大好きなハンバーグの原型となった肉料理だ。挽肉に
丹念に挽いた肉に摩り下ろした生玉葱とおろし
リンゴソース自体は珍しいものでは無いが、フリカデレに組み合わされることはあまりない。バターを溶かしたフライパンで
「んん~~~っ」
一口頬張ったベネディクトは満面の笑みを浮かべ、満足そうに堪能すると、それを見ていたマーヤも満足そうに胸をなでおろした。その横でどこか浮かない顔のメルヒオールも無造作にフリカデレにフォークを突きさし、口へと運ぶ。
実を言うとメルヒオールと教会の関係はここしばらくの間ギクシャクしていた。メルヒオール自身は実は信心深い方ではなく、むしろ教会も宗教家も昔から
メルヒオールの長男メルヒオール・
アルビオンニウムに留学していた
期待をかけていた長男の裏切りにメルヒオールはショックを受け、その原因の一端を教会に求めた。一応、マーヤをはじめ周囲のとりなしでベネディクトやレーマ教会に対して過度に否定的な態度をとることはなくなっていたが、メルヒオールのベネディクトや教会に対する懐疑心は解消されていない。それはアルビオンニウムから避難してきた侯爵家と共にマティアス司祭が赴任してきても変わらなかった。メルヒオールが次男カスパルの教育をレーマ正教会とは関係ない異教の聖貴族ルクレティウスに委ねているのも、そこに理由がある。
「お気に召されたようで良かったわ。
私もフリカデレは素晴らしい料理だと思いますの。だって色々な種類のお肉を混ぜることで、それぞれの魅力が引き出されて美味しくなるんですもの。
人もそうではありませんか?
いろいろな人が一緒になって、初めて国がまとまるんですわ。」
今日のフリカデレには合い挽肉が使われていた。それをうまいこと人間関係に例えようというのだろう。マーヤは夫メルヒオールとベネディクトやレーマ正教会との仲を取りなそうと懸命であった。
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