宴の翌朝

第172話 見知らぬ部屋

統一歴九十九年四月十七日、早朝 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 ヴホッ・・・オホッオホッ・・・


 自分の咳で目が覚めた。わずかにまぶたを開けると、日の出前の薄青い光が目に飛び込んでくる。


 んー・・・もう朝?

 誰だい、こんな早くから窓なんか開けちまってるのは・・・


 全身が気怠けだるくて、けど温かくて、柔らかい感じ・・・フワフワの寝床。・・・ん?・・・こんな寝床どこかにあったっけ?

 こんなに気持ちのいい目覚めなんて初めてかも知れないねえ・・・ひょっとして天国なんじゃないかしら?


 どこでもいいや、もっと寝ていたい。


 オホッ、オホッ・・・


 ああ、でも起きなきゃ。フェリキシムスがお腹空かせてるわ・・・そうだ、フェリキシムスにオッパイあげなきゃ。きっと薬も切れてるよ・・・あぁ、アタイも飲まなきゃだね。



 リュキスカがノソッと頭だけ起こして見回すと・・・知らない部屋だった。


 あれ・・・ここはどこだい?


 

 やたらだだっ広くて、壁どころか床も天井も真っ白・・・家の中の割に明るいと思ったら天井近くに採光用の窓が開いており、そこから外の光が差し込んでいる。

 壁際にはいかにも高そうな・・・多分、リュキスカがどれだけ頑張ってもこのうちの一つを買えるかどうかという値段の付きそうな家具や調度品が並んでおり、リュキスカ自身もまるで雲を思わせるようなフワフワな寝心地のベッドの上で、やはり信じられないくらいふんわりと柔らかい毛布を被っている。


 え?・・・ホントにここどこだい?

 あそっか、アタイはあの上級貴族パトリキに連れ出されて・・・



 周囲を見回すために両腕を使って本格的に上体を起こしたところで内股に違和感を覚え、ようやく昨夜の事を思い出した。



 あらヤダ、昨夜ゆんべ出されたモンが出てきちまったよ・・・

 あーあー、また随分出してくれたねぇ・・・何か拭くもの・・・


 リュキスカはベッドの脇に置かれた台の上に水差しウルケウス角杯リュトンと共に布巾スダリオが畳んで重ねて置かれているのを見つけると、股間から流れ出たモノが垂れてベッドや毛布を汚さないように身体を引きずるように這ってベッド脇に向かう。そして布巾を一枚とるとパッと広げた。

 やたらキレイでホントにこれでをふき取っていいものなのかどうか一瞬迷ったが、「まいっか」と自分の内股をぬぐった。


 オホッ・・オホッ・・・


 咳止めの薬の効果が切れているのか、咳がとまらない。

 粗方キレイにふき取って、使用済みの布巾をどうしようか考える。


 うーん・・・元の所に戻すのはナシだよね?


 結局放り投げた。

 とりあえずリュキスカは息子にオッパイをあげるために急いで帰らねばならない。

 

 床に脚を降ろすとフワッとした感触があり、見下ろせばそこには緻密な模様が編みこまれた分厚い赤い絨毯が敷かれていた。一瞬、驚いて思わず足を引っ込めてしまう。改めて足を降ろすと、絨毯の毛の中に柔らかく足が吸い込まれていき、ようやく足の裏に確かな感触を得た時には、足の親指は絨毯の毛先よりも少し深いところまで沈み込んでいる。


 絨毯の向こう側に広がる大理石の床には、リュキスカが昨日着ていた筈の薄絹のトゥニカと腰紐、上履きソレア、そして踊り子サルタトリクス用の黒い革製のパンツスブリガークルムが乱雑に脱ぎ捨てられていた。


「あ、あれ・・・!?」


 立ち上がろうとしたが脚に上手く力が入らず、リュキスカは思わずよろけて床にへたり込んでしまった。


「あたた・・・

 ア、アタイとしたことが、一晩ヤっただけで腰抜かしちまうなんて情けないじゃないか。二年近くブランクあったせいかね?」


 幸い、非常識に分厚い絨毯のおかげで痛みはあまり感じずに済んだ。

 リュキスカはよいしょっと掛け声をかけて改めて立ち上がり、脱ぎ捨てられた自分の衣類のところまで多少よたつきながら歩いた。


 リュキスカの黒革のスブリガークルムは見た目は横を紐で結ぶタイプのビキニパンツそのものだ。踊る際に腰回りのプロポーションと動きをより引き立てるように選んだ物で私生活用ではない。だから汚したくない。

 一応、内股のはきれいに拭き取ったけど、また出てくるかもしれないと考えると今コレを直接履きたいとは思わない。


 何かでもあればいいんだけど・・・今使った布巾はちょっと大きすぎるしなぁ・・・一回どこかで洗えればいいんだけど・・・


 部屋を見回すが、水差しはあるけどらしき物が見当たらない。

 本当はあるのだが、木製の椅子をかたどったケースに入っていて。蓋を開けると穴が開いていて、その穴の下にリュキスカが知っている陶器のを入れるような形態をしていたため、リュキスカにはそれがごく普通の腰掛けにしか見えず、だとは見抜けなかった



 しばらく考えた末にリュキスカはトゥニカだけ着てノーパンで帰る事にした。リュウイチに抱えられたまま店を出てからそんなに長く移動した覚えはない。この部屋に見覚えは無いがおそらく『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』からそんなに離れていない筈だ。外に出ればすぐに見慣れた街並みが見付かるはずだし、今の早い時間帯なら人目につかずに帰れるだろう。


 トゥニカを拾い上げると銀貨が転がり落ちる。


「あっと、いけない、いけない。」


 昨日の稼ぎのデナリウス銀貨六枚。慌てて拾い集めて確認する。

 手の中の銀貨の輝きを見てると思わず頬が緩んでくる。


「えへへ」


 リュキスカはそれをベッド脇の台の上に置くと、頭からトゥニカを被り、腰紐を巻いて結ぶ。そして改めて銀貨を手に取り、黒革パンツに包んだ。



 上履きソレアは・・・来るときはおきゃくさんに抱えられてたから地面には付いてないけど、元々コレって店で履く用だから少し泥が付いてんだよねぇ・・・どうしよう?



 上履きソレアを履くかどうか悩んだが、ひとまずココから出て外の様子を見て考える事にした。下が石畳なら裸足で帰ってもいいし、砂利敷きなら上履きソレアを履いて帰ろう。

 リュキスカは黒革パンツと上履きソレアを持って部屋のドアを開けた。


「はあっ!?ヴッ・・ヴホッ・・オホオホッ」


 やけに重々しい扉を開けるとそこには見た事もないような庭園ペリステュリウムが広がっていた。リュキスカは驚いて息を吸った瞬間、その刺激で咳き込んでしまう。


 ええ、何で部屋のすぐ外にこんな立派な庭園ペリスティリウムがあるんだい?

 『満月亭』の近くにこんな立派な庭園ペリスティリウムのある御屋敷ドムスがあるなんて聞いたことないよ!?


 咳き込みながら後ろにヨタつき、尻餅をついてしまう。

 咳が治まってから改めて部屋の外を見るが、やはりそこには先ほど見た立派な庭園ペリスティリウムが間違いなく広がっていた。



 違う・・・ここは『満月亭』の近くなんかじゃない・・・

 『満月亭』の近くにこんな広い場所なんてあるわけない・・・

 いや、ひょっとしてあのお兄さんが魔法で作った!?



 リュキスカは途中で転びそうになりながら慌ててベッドへ戻った。そして、最後の最後でベッドの上で転んでしまう。



「あたっ!

 ね、ちょっ、ちょっとお兄さん!ねぇお兄さんってば!!

 ちょいと起きとくれよ!!ねぇ!!」


 リュキスカは必至でリュウイチを揺すって起こそうとするが一向に起きる気配が無い。


「冗談じゃないよ、アタイにゃ可愛いフェリキシムスが待ってんだ。

 帰んなきゃいけないんだよぉ!!」


 何をやっても起きそうにないリュウイチを見て軽い絶望感に襲われたリュキスカは、数秒無言のままリュウイチを見下ろした後、意を決してベッドから降りて立ち上がった。


 こうなれば自力で帰るしかない!


 リュキスカは部屋から外へ出た。

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