第1249話 精霊のお告げ

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



「どうかなさいましたかお嬢様ドミナ?」


「《地の精霊アース・エレメンタル》様のお告げです。

 すぐに伯爵公子閣下とセルウィウスカウデクス殿をお呼びして!

 あとリウィウスさんたちも!」


 まだ晩餐ケーナも半ばだというのに食堂から出て来たルクレティアの姿に驚いた専属侍女のクロエリアが尋ねると、ルクレティアは急いた様子で命じた。


「だったらリウィウスとっつぁんたちは俺が……」


 ルクレティアの命令を聞いてルクレティアと共に食堂から出て来たカルスがすかさず提案する。割と凡庸なところの多いカルスとは思えぬ積極性だったが、実のところその提案の動機は必ずしも積極的なものではなかった。

 ただでさえ若くて経験に乏しいカルスにとって貴人の護衛という仕事はイマイチ勝手がわからない。それなのに当番だからということで一人でルクレティアのそばに控えているわけだが、果たして自分が本当にちゃんと仕事が出来ているかどうか自信が持てないでいた。ルクレティアのことを嫌っていたり苦手としていたりするわけではないが、しかしルクレティアと二人きりにされたりすると困るので、少しでも奴隷仲間で軍隊時代から付き合いのあるリウィウスやヨウィアヌスに頼りたかったのだ。

 ルクレティアの傍から離れたい……そういうカルスの気持ちに気づいていたわけではなかったし、気づいていたからと言って判断が変わることも無いのだが,クロエリアはカルスの提案を即座に却下する。


「いえ、私が行きますからアナタはお嬢様ドミナを御守りください!」


 カルスは無言のまま残念そうにクロエリアの後ろ姿を見送った。


 御守りしろって言われても……


 困惑するカルスの様子にルクレティアは気づかない。ルクレティアはルクレティアで自分のことでイッパイイッパイになっていたからだ。


 ハーフエルフが迫っている……ルクレティアが《地の精霊》から聞かされた“お告げ”とはそれだった。あんな奴らはどうということはない……《地の精霊》はこれまで幾度いくどとなく『勇者団』ブレーブスのことをそう評しているしそれは事実なのであろうが、しかしルクレティアの中で『勇者団』は明確な脅威の対象になっていた。

 『勇者団』はアルビオンニウムではケレース神殿テンプルム・ケレースの玄関前で《地の精霊》と戦いながら、背後から《地の精霊》にも気付かれることなくファドを侵入させ、ルクレティアとヴァナディーズに肉薄していたし、ブルグトアドルフでも奇襲を成功させ、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団兵レギオナリウスに少なからぬ損害を与えたのみならず、指揮官のカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子にも瀕死の重傷を負わせている。特に野戦病院と化したブルグトアドルフの教会で目の当たりにした惨状はまだ記憶に新しく、あの惨状を引き起こした『勇者団』という存在に対し、ルクレティアは恐怖に近い感情を抱くようになっていたのだ。


 このブルグスにも人はたくさんいるのに……

 こんな逃げ場も無いところでまた戦が起きたら今度は何人の人たちが犠牲になるか……

 いっそ《暗黒騎士リュウイチ》様の……《地の精霊アース・エレメンタル》様の御力を存分に使えればいいのに……


 むろん、ルクレティアもそれが出来ないことは分かっているし、すぐに頭を振ってそんなよこしまな考えを振り払う。しかし焦燥と懊悩おうのうの時間はそれほど長く続かなかった。カエソーも護衛隊長のセルウィウスもすぐに駆け付けたからだ。


 廊下こんなところで!?


 暗い廊下の真ん中でソワソワしながら待つルクエティアを見つけたカエソーらが抱いた感想はそれだった。上級貴族パトリキの一人娘が、しかも聖女サクラになった高貴を極める貴婦人が明るく居心地の良い部屋の中ではなく、護衛のホブゴブリン奴隷が一人付いているとはいえ誰が通るかもわからぬ廊下で震えながら待っているなどよほどのことがあったに違いない……この世界ヴァーチャリアの人間が今のルクレティアを見れば誰だってそう思うだろう。

 これはルクレティアが取り乱して我を忘れてしまっていたこともあったし、ルクレティアの様子から事の緊急性を過大評価してクロエリアがルクレティアをどこかの控室に誘導することなくカエソーらを呼びに行ったことも理由だったし、さらに言えば貴族文化にまったく理解のない護衛のカルスがルクレティアをどこかの控室へ案内しなければならないと思いつくことが出来なかったことも理由だった。


ルクレティアスパルタカシア様!?」


 最初に駆け付けたセルウィウスが驚いて駆け寄ると、それからさして間を置かずにカエソーが現れ、やはり同じように驚いて駆け寄る。セルウィウスはカエソーに気づくとすぐに脇へ避けた。


「閣下!」


「《地の精霊アース・エレメンタル》様からお告げがあったと伺いましたが!?」


「そうなんです!

 実は……」


 ルクレティアが何かを言おうとするのをカエソーは両手でルクレティアの肩を掴んで手近な空き部屋へと押した。


「まずはどこか適当な部屋で伺いましょう!」


 建屋全体に床暖房ハイコポーストが効いているので廊下でも寒くは無いが、さすがにいつ誰に聞かれるともわからぬ状況で《地の精霊》からのお告げについて話をするわけにはいかない。

 カエソーが突然ルクレティアに掴みかかったことでその場にいた全員が驚き目を剥いたが、カエソーの言葉に押されるようにそうだそうだとその部屋へと雪崩れ込んだ。

 貴族たちは暗くて何も見えない部屋に入ると、その先に何があるか分からないので入ってすぐのところで立ち止まり、そこでたむろする。すぐにクロエリアや他の侍女たちが慌てて灯りを手に貴族たちの脇を抜け、壁際の燭台へと火を灯していく。次第に部屋の中が明るくなり、ようやく人心地つけるようになると、カエソーはルクレティアを部屋に置かれていた椅子へと座らせた。そのうちリウィウスとヨウィアヌスが戻り、入れ替わるように灯りを点け終えた侍女たちがクロエリアを残して退出する。侍女たちの退出に合わせ、セルウィウスが部下たちに部屋の前で見張りに立つように命じて扉が閉められると、残されたのは《暗黒騎士リュウイチ》降臨の秘密を共有する者たちだけとなった。


「さあ、それでは伺いましょうかルクレティア様?」


 緊張をやや解いたカエソーが促すと、先ほどよりは幾分落ち着きを取り戻したらしいルクレティアが胸に手を当てて小さく深呼吸して答える。


「はい閣下、お騒がせして申し訳ありません。


 《地の精霊アース・エレメンタル》様、お出ましください」


 カエソーに礼を言ったルクレティアがわざわざ立ち上がって呼びかけると、ルクレティアの目の前に緑色に輝く半透明の小人の姿が浮かび上がった。

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