第1248話 取り残されたもう一人

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ グナエウス砦ブルグス・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ふぅぅぅぅ~~~~~~っ……


 何かをこらえるように重々しく息を吐き出し、柔らかく煮込まれた羊肉を口へ入れる。見ているだけなら熱い肉に息を吹きかけて冷ましているように見えなくも無いが、まとっている雰囲気は到底御馳走をたのしむという風ではなかった。明らかに怒りを、失望を、押し殺している。


 何で俺がこんな風に一人で放置されなきゃいけないんだ……


 カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子が中座した結果、一人で食堂に取り残されたペイトウィン・ホエールキング二世はその身分にそぐわない理不尽な扱いに苛立いらだちを隠せないでいた。それでも表情や立ち居振る舞いだけは何とか取りつくろっているのはさすが貴族様といったところだろうか。いや、そもそも感情を制御しきれていない時点でやはり彼は未熟なのだ。軍人が緊急の用となれば、たとえ相手が一国の王であろうと予定を変更しなければならなくなるくらい当然だ。それなのに客分である自分が放り出されたことにこうまで心を乱しているのだ。それだけならまだしも、こうして鼻息荒くして周囲に自分は怒ってるんだぞと示して威圧しようとしているのだから子供としか言いようがあるまい。


「もう少しおいしそうに召し上がってはいかがですかな、ペイトウィン・ホエールキング様?」


 食卓から少し離れたところに立ち、ペイトウィンを見下ろす偉丈夫が呆れたように文句をつける。言わずと知れたペイトウィンの見張り役グルグリウスだ。人間のようななりをしているが、その正体はグレーター・ガーゴイル……ペイトウィンが感情を爆発させず、こうして表面上だけでも大人しく取り繕って食事を続けているのは、カエソーが退室した後もグルグリウスが残っているからに過ぎない。どうしても太刀打ちできない相手には、さしものペイトウィンと言えども大人しくせざるを得ないのだろう。


「おいしいさ!

 おいしそうに食べてるように見えないか?」


 肉の塊を飲み込んだペイトウィンは毅然とした様子を気取って答える。だが、その声色にはアリアリと不満の色に染まっていた。


「とてもおいしそうには見えませんな。

 むしろ、不味いものを我慢して食べてやってるんだとでも言いたそうです」


 太刀打ちできない相手がかたわらで見ているからこそ感情を爆発させることが出来ないペイトウィンとは逆に、今のペイトウィンならどうとでもあしらえるグルグリウスの方はまるで遠慮が無い。挑発的ともいえるグルグリウスの指摘にペイトウィンは反発するかと思われたが、ペイトウィンはフンッと鼻を鳴らし胸を反らせた。


「まあ俺の舌を満足させるには少々粗末すぎるのは事実だからな。

 だが別に不味いと思ってるわけではないぞ、本当だ。

 何故ならコレは、少なくともお前が昨日俺に食わせたものにくらべれば格段にマシなんだからな」


 そう言うと皿にスプーンを突っ込んで羊肉の塊を掬うと、顔の前まで持ち上げる。


「うん、実際かなり美味いぞ。

 こんな辺境ではどんなゲテモノを食わされるか分かったもんじゃないと心配したが、思っていたよりずっとマシだ。

 お前が昨日持ってきたモノに比べれば味の芸術品と言って良いだろうな」


 そして肉を頬張り、咀嚼そしゃくしながら「あー美味い美味い」とわざとらしく称賛の言葉を繰り返す。とても本心から言っているようには聞こえない。壁際で控えている給仕たちは困ったようにわずかに眉をひそめ、溜息を噛み殺している。貴族に仕える召使たち、特に貴族たちと直接接する上級使用人アッパー・サーヴァントは通常、人前で個人的感情を表に出さないように徹底的に教育されているものだ。それなのにそのような反応を思わずしてしまうのだから、ペイトウィンの態度や嫌味がどれほど無礼で人を失望させるものであるかは明らかであろう。もっとも、この部屋にいる給仕はサウマンディウス家に仕えるカエソーお抱えの使用人であるため、カエソーが用意させた料理に対する無礼と共にカエソーが中座してしまったことに対する後ろめたさも背景にあったのかもしれない。


「それはようございました」


 グルグリウスはペイトウィンの嫌味など気にする様子も無く答える。


「だとすれば軍団兵レギオナリウスの配給食を御用意した甲斐がありました」


 それを聞いたペイトウィンは両拳でドンッとテーブルに叩き、グルグリウスをにらみつけた。無駄にプライドの高いペイトウィンは自分が軽んじられることに堪えられない。カエソーが自分を置いて中座したことだけでも腹に据えかねていたのに、グルグリウスが昨夜の夕食は意図して粗末なものを用意したというのだ。


「お前、昨日のアレはやっぱりワザとだったんだな!

 何の嫌がらせだ!?」


 貴族はたっとばれうやまわれるべき存在。まして高貴なゲーマーの血を引く聖貴族ならばなおのこと。それを不当に軽んじるなど罪悪以外の何物でもない。そして罪悪に立ち向かいこれを攻撃するのは正義の行い! 人間は自らの正義を確信する時、忍耐を忘れるのである。ペイトウィンはグルグリウスの自らへの悪意を確信した時、貴族らしい顔を取り繕うのを止めたのだった。

 しかしグルグリウスがそれでひるむわけもない。今や力関係は逆転しているのだ。ペイトウィンが激昂したところでグルグリウスから見れば子犬がキャンキャン吠えているのと大差ない。


「嫌がらせだなどととんでもない!」


「白々しいぞ!

 嫌がらせじゃなきゃ何だって言うんだ!?」


 とぼけるグルグリウスに対し、ペイトウィンは指を突き付けて追及の構えを崩さない。


「アレは軍団兵レギオナリウスの配給食、軍団兵レギオナリウスは毎日アレを食べます」


「それがどうした!?」


「ですが庶民の中ではあれはまだ贅沢な方なのです。

 軍団兵レギオナリウスはとにかく体力を消耗しますからね、味はともかく量は庶民の普段の食事の倍近いでしょう」


「だからそれがどうした!?

 俺は貴族だぞ!

 それもハーフエルフ、貴族の中でも最上位の聖貴族だ!

 その俺にあんなものを出して、どういうつもりだ!?」


「経験ですよ」


「経験だと!?

 なんのことだ?」


「人間は一つ経験を積むと一つ賢くなれるのです。

 貴方様もあれを召し上がられたことで、貴族が庶民に比べてどれだけ贅沢をしているかよくお分かりになられたでしょう?」


「余計な御世話だ!」


 ペイトウィンは大きな声を出しながらテーブルを両手で叩き、立ち上がった。


「そんなこと俺がいつ頼んだ!?

 貴族の食事が贅沢なことぐらい知ってるさ!!

 それがどうした、当たり前の事だろ!?

 貴族は贅沢をしなきゃいけないんだぞ!!」


 人々の理想を体現するのは貴族に課せられた使命なのである。人々が贅沢をしたいと望み、御馳走を夢見るならば、贅沢をし、御馳走を食べて人々の理想を体現してみせなければならない。そして、人間は贅沢を望むものなのだ。常に今よりも豊かな生活を夢見るものなのだ。だから貴族は贅沢をしなければならないのだ。

 ペイトウィンに限らず、この世界ヴァーチャリアの王侯貴族の多くはそうした教育を受けている。ましてペイトウィンは世界で最も多くの聖遺物アイテムを相続した聖貴族……ペイトウィンを取り巻く親戚たちにとって、ペイトウィンを贅沢漬けにすることは彼から財産を巻き上げ、聖遺物を吐き出させるために必要不可欠だったのだから、ペイトウィンは特にそうした教育を徹底して受けていたといえる。当然、ペイトウィンが自らの贅沢に疑問など持つはずもない。むしろ、そこから誰にも教わらないのに「このまま聖遺物アイテムを無駄にし続けたら全てを失う」と気づき、贅沢はしつつも肝心な聖遺物は出し渋ることを覚えた彼は多少なりとも聡明であると評して差し支えあるまい。


「言い方が悪かったかもしれませんな」


 激昂するペイトウィンにグルグリウスは困ったように笑って見せた。


「聖貴族はいづれ世界を、世の人々を発展へと導く存在……

 ならば、これから導いていく人々の今の実態を知っておくのは必要なことでしょう」


「だから余計な御世話だと言っている!」


 ペイトウィンはドスンと椅子に腰を下ろし、腕組みしてふんぞり返った。


「お前は俺がムセイオンの外のことなど何にも知らないと思ってるようだが、俺たちは今回の旅で色々見聞を広めたんだ。

 NPCどもの事だってファドが色々教えてくれたぞ」


「ファド?」


「ああ、『勇者団俺たち』の仲間だ。

 ケントルムの貧民街で生まれ育ったから俺たちの知らないことを色々知ってるんだ。

 お前なんかよりずっと役に立ってくれたし、ずっとたくさん教えてくれたぞ?

 だからお前のものの役にも立たない御説教なんか聞く必要なんかないんだ。

 くだらないで意地悪するのはやめるんだな」


 最後にヘンッと笑って見せる。相手のすることを無駄だと断定し、役立たずと存在意義から否定し、自尊心を傷つける……それはペイトウィンが相手より優位に立つための常套手段じょうとうしゅだんだった。何かを押し付け、ありがたがらせようとするをしてくる相手には最も効果的なやり方だったといえる。しかしグルグリウスには通用しなかった。何故ならグルグリウスはこれまでペイトウィンの前に現れた信用できないNPCたちと違い、別にペイトウィンに取り入ろうなんて微塵も考えていなかったからだ。グルグリウスはフフッと小気味よさげに笑い、ペイトウィンはそれをジロッと睨み上げる。


「ですが全く役に立たなかったわけではありませんな」


「何だと?」


「庶民の食事を知ったおかげでこの御馳走を美味しいと思えたでしょう?

 現に貴方様は先ほど『美味い美味い』とおっしゃった。

 いやぁ~お役に立てて良かった良かった」


 嬉しそうに笑うグルグリウスの顔はペイトウィンには嘲っているようにも見え、ペイトウィンは思わずギリッと歯をきしらせた。

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