第250話 補給物資の第一便

統一歴九十九年四月二十一日、昼 ‐ エックハヴン/アルトリウシア



 エッケ島は周囲およそ十五マイル(約二十八キロメートル)ほどの南北に長い島であり、大南洋オケアヌム・メリディアヌムに面した西側とトゥーレ水道に面する北側の全てと、アルトリウシア湾に面する東側の大部分が断崖絶壁に囲われており、唯一なだらかになっているのは南側のみ。そしてそのアルトリウシア湾側に船を乗り付けるのにちょうどよい入り江があった。その入り江は漁師たちが荒天の際の避難場所として時折利用しており、岸壁の近くには漁師小屋が立てられ、非公式ながらエックハヴンと呼ばれている。

 エックハヴンは西から北西までをエッケ島の陸に、北から北東までをエッケ島から岬のように突き出た岩山に囲われているため、天候が荒れる際に吹く強い西風を防ぐことのできる天然の良港ではあったが、いかんせん広さが限られていた。


 その狭い入り江に一隻の貨物船クナールが入港してくる。舳先にはセーヘイムのブッカ、パーヴァリの姿があった。ヘルマンニの子・サムエルサムエル・ヘルマンニソンの幼馴染で今や右腕として活躍している彼は、腰に剣をいているがロリカなどは一切身に着けておらず、商人のような恰好をしていた。船を操る他の船乗りたちも、見れば同じように商人や水夫に偽装した水兵たちばかりであり、見る人が見れば海賊かと見間違えたとしてもおかしくはないだろう。


「おいおい、こりゃあどこに着けりゃいいんだ?」


 入り江はいっぱいだった。ほぼ真ん中に『バランベル』号がその巨体を右へ傾けた状態で居座っており、船着き場はハン支援軍アウクシリア・ハンによって奪われた大型や中型の貨物船クナールで埋め尽くされている。船着き場に着けきれなかった貨物船クナールが二隻ばかり『バランベル』号に寄り添うように停泊しており、それらと船着き場に隣接する砂浜との間を小さな革船コラクルが往復して何かを運んでいた。

 とてもではないがこれではパーヴァリたちが乗って来た貨物船クナールを乗り付けることなどできそうもない。貨物船クナールは同じ規模の軍船ロングシップに比べて喫水が深く、砂浜に直接乗り上げるには向いてなかった。まして、今日パーヴァリたちが乗って来た貨物船クナールは準大型の船で喫水が半ピルム(約九十三センチ)近くある。平均身長が五ぺス(約一・五メートル)で泳ぎの得意なブッカにとって苦になる水深ではないが、重たい荷物を運ぶのはさすがに無理だ。中には濡らしてはならない穀物などもあるからだ。


「おーい」


 おかから聞こえてくる声の方を見ると、一人のゴブリン兵が声を張り上げていた。


「お前たちは何だ!?

 ここは今やハン支援軍アウクシリア・ハンの土地だぞ!

 用のない者は帰れ!!」


 やれやれ、「ハン支援軍アウクシリア・ハンの土地」だとよ、偉そうに…


 ゾワゾワするような不快感を覚えながらパーヴァリは大声で叫び返した。


侯爵夫人マルキオニッサからハン支援軍アウクシリア・ハンへの補給物資を持ってきた!

 ぇれってえんならこのままぇるぞ!!」


 パーヴァリの返事を聞いてゴブリン兵は慌てだした。


「待て!今場所を開ける!」


「早くしろ!

 俺らが風に流されてぇっちまう前になぁ!!」


 エックハヴンの入り江の西側は陸ではあるがなだらかな地形のため、西風は若干弱まる程度で完全に防いではくれない。エックハヴンの西側だけ防風林があって入り江に入ってしまえば風はなくなるが、パーヴァリがいる辺りは結構強い西風が吹いていて実際船は東へ流されそうになっていた。

 慌てて船着き場の方へ走っていたゴブリン兵を見てパーヴァリはため息をつきながら指示をだす。


「おう、錨を降ろせ。船は風に立てるぞ。

 このままだとホントに流されっちまう。」


「もう帰っちまってもいいんじゃねぇか?」

「そうだ、アイツ等が受け入れ準備してねぇのが悪ぃや」


「そういうわけにも行くめぇよ。

 親父さんヘルマンニも言ってたろ?

 この補給物資は人質のためでもあんだからよ。」


 不平を言う部下たちをさとしながら、パーヴァリは船首を風上に向けさせた。ハン族が船着き場を占領している貨物船クナールをモタつきながら移動させ、パーヴァリたちが接舷できるようにしてくれたのは結局半時間ちかくも経った後のことだった。

 革船コラクルがパーヴァリたちの船に近づき乗船の許可を求めてきた。


「水先案内人だ。乗船の許可を貰いたい。」


「乗船を許可する…って、おいおいちょっと待ちなよ!

 そっちの兵隊さん達まで許可した覚えはねぇぜ。いってぇ何なんだい?」


 水先案内人はブッカだった。おそらく捕らえられて協力させられている船乗りだろうが、何故か水先案内人以外のホブゴブリンとゴブリン兵が乗り込んで来ようとしたため、パーヴァリは慌てて阻止した。

 乗船を阻まれたホブゴブリンはやや不快そうな表情は浮かべたものの、落ち着いた様子でパーヴァリに向かって名乗りはじめた。


「私はハン支援軍アウクシリア・ハン軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムで補給を担当しているモードゥだ。荷物を改めたい。」


「そりゃどうも、しかし荷物の点検だってぇなら接舷してからでいいんじゃないですかい?」


「接舷しても点検が終わるまで荷下ろしできんぞ。

 だったら今のうちに点検した方がお前たちも早く帰れるんじゃないのか?

 何か都合の悪い物でも積んでいるのでないのなら、大人しく私を乗せた方がお互いのためだぞ?」


「いえ、そういうことでしたらどうぞ。」


「副官も乗せたいが構わんかね?」


「いえ、かまいやせん。」


 ブッカの水先案内人とモードゥを名乗るホブゴブリンとゴブリン兵の三人が船に乗り込むと、彼らが乗って来た革船コラクルは岸へと戻っていった。モードゥはパーヴァリから積み荷のリストを受け取ると真面目に一項目ごとにチェック作業を始めたが、助手だというゴブリン兵はモードゥには付き従わず水先案内人の傍から離れなかった。


 余計なことをしゃべらせないように見張ってるわけか…あわよくば一つでも話を聞きたかったが、やめといた方がよさそうだな。


 船は水先案内人の指示で『バランベル』号の右脇を通過し、入り江の最奥にある船着き場へと進んでいく。『バランベル』号の船体は明らかに着底し右へ傾いているが、右から見る分には全く船体に異常はなく、帆柱マストが一本折れて失われている他に異常らしい異常は見られない。櫂は邪魔にならないように収納されているようだし、見れば大砲も載ってないようだった。


 壊れてるのは左側か?大砲を降ろしてるって事は、この船はもう放棄するつもりなのか?


 操船の指揮を水先案内人に任せたパーヴァリが思わず『バランベル』号を凝視していると、突然声をかけられた。


「何だ、『バランベル』号に興味があるのか?」


 思わずビクッと驚くパーヴァリが振り返るとモードゥがどこか笑いをかみ殺すような、あるいは何かを疑っているかのような微妙な表情をして立っていた。


「え、ああ…いや、アッシぁ『バランベル』号ってのをこんな間近で見たことなんざ無かったもんで…すいやせん。」


「いや、かまわんよ。

 これが沈んでいる事はいずれわかることだ。

 修理するには船大工を呼ぶしかないからな、隠してもしょうがない、」


修理なおすんですか?」


「我らハン支援軍アウクシリア・ハン皇帝陛下インペラートルからたまわった船だからな。

 沈んだからって簡単に放棄するわけにはいかんのだ。」


「なるほど…コイツぁどこが壊れたんですか?」


「うむ、船底からの水漏れが止まらなくなったのだ。

 我々で修理は試みたのだが、どうにもできなかった。」


 そりゃそうだろ…とパーヴァリは心の中で舌を出す。おおかた浅瀬に乗り上げた際に水密処理コーキングが駄目になったんだ。大型の外洋帆船なら荷物を降ろして船体を軽くするだけ軽くしておいて、船体を故意に横転させて船底を修理することもできなくはないが、『バランベル』号はガレアス船だ。櫂を突き出すための窓が水線近くに開けられているため横転させるとそこから浸水して沈んでしまう。だから船を浜に上げて修理するほかない。

 だが、『バランベル』号ほどの巨船を浜にのし上げるとしたら相当な労力がいる。多くのロープをくくり付けて浜まで伸ばし、それを数百人で引っ張り上げるのだ。人数はもしかしたら足りてるかもしれないが、相当な量のロープが要る。今のハン族にはそれだけで一大事業だろう。

 そして何よりもまずいことに『バランベル』号は砂浜と平行に、入り江奥を向いて着底していた。浜に乗り上げさせようと思ったら九十度方向転換させなければならないが、バランベルは沈んで海底に船底が着いてしまっているのでそれも至難の業だろう。彼らは砂浜に向かって突進しなければならなかったのに、無理に船着き場に着けようとした結果、最悪の状態に陥ってしまっていたのだった。


「まあ、それはともかく補給物資の方は大丈夫だな。」


「へっ、もうチェック終わったんですかい?」


「ああ、あとは接舷し次第、ウチの兵どもが荷揚げを行う。」


「アッシらぁ手伝わなくていいんで?」


「うむ、お前たちは船から岸に荷物を降ろすだけでよい。そこから先は我々でやる。」


 パーヴァリは荷物を運ぶついでに、補給物資の集積所の位置とエックハヴンから集積所までの地形を調べるつもりだった。手伝わせてもらえないとそれができない。それじゃ何のために水兵たちを商人や水夫に化けさせてここまで来たんだかわからない。


「お前たちは荷物を降ろし終わったら帰ってよい。

 ただ、侯爵夫人マルキオニッサへの手紙を預かってほしい。」


「て、手紙でやすか!?」


「ああ、必要な補給物資のリストと船大工の派遣要請だな。

 あと、先のイェルナク殿がされた約束についての返事だと聞いている。」


「はあ、そりゃ手紙を預かるのぁ船乗りにとっちゃ当たり前なこって」


「うむ、頼むぞ。

 それはそうと、こんな話を聞いたことはないか?」


 モードゥはニヤッとしながらパーヴァリに顔を寄せ、小声で話し始めた。

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