第1231話 魔物呼びの笛(2)

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス街道/西山地ヴェストリヒバーグ



「無理だな」


 ふと思いついたことをそのまま口にしてしまったスワッグだったが、ティフは即座に否定すると笛を胸元へ仕舞い始めた。その声には少し馬鹿にしたような響きがあり、スワッグは己の軽卒な発言を後悔する。


「あれだけ強い精霊エレメンタルじゃまず効かないよ。

 てか、会話が出来るモンスターじゃまず効かない。

 ママんとこのベヒモスだって、『魔除けの笛アゲインスト・モンスター・ホイッスル』は効かないんだ。

 『魔物呼びの笛モンスター・コール・ホイッスル』には反応するけど……」


 ベヒモスは家畜化された草食の魔獣だ。野生のベヒモスの中には凶暴なのも居るが、飼いならされたベヒモスは従順で大人しい。ベヒモスの乳は魔法薬ポーションの原料にもなるため、フローリアが所有するダンジョン前の村では多数のベヒモスを飼っていた。ティフは放牧されていたベヒモスをチョット脅してやろうと悪戯で『魔物除けの笛』を吹いたことがあったが、耳をちょっと動かす程度で目だった反応は示さず、ただ黙々と草を食べ続けていた。あまりに無反応なので『魔物除けの笛』の効果を疑ったほどだ。実際、『魔物除けの笛』に限らず魔物を寄せ付けない類の魔法や魔導具は効果を確認しづらい。魔物との遭遇エンカウントの割合に目立った差があるか、実際に笛の音を聞いて魔物が逃げて行ってくれるなら「効果がある」と実感することも出来るのだろうが、そういうことはないからだ。

 魔物との遭遇率は決して一定ではない。ダンジョンの中でさえ出会わない時はほとんど遭遇しないし、遭遇する時は誰かが『魔物呼びの笛』でも吹いているんじゃないかと疑いたくなるくらい遭遇する。『魔物除けの笛』を吹いても遭遇する時は遭遇してしまうし、遭遇しなくなったとしても偶々遭遇しなくなったのか笛の効果なのかは判然としないからだ。

 それに一度遭遇した魔物は笛の音を聞いたからと言って逃げてはくれない。凶暴な魔物ならば笛を吹こうが何をしようが遭遇すれば襲い掛かって来るし、大人しい魔物も笛の音で逃げるわけではない。不快そうな態度を示すだけで、場合によっては不快な音を立てる使用者を襲おうとする場合もある。遭遇してから笛を使うとむしろ逆効果になってしまうことがあるのだ。

 このため『魔物除けの笛』の効果について所有者たちの正直な評価は半信半疑といったところである。借りて使うなどした所有者以外の評価によれば「確かに効果はあった」「効果はあったと思う」などと肯定的なものが多いが、おそらくプラセボ効果とかプラシーボ効果とか呼ばれる類のものだろう。


 対して『魔物呼びの笛』については分かりやすく、効果はあると誰もが信じている。効果が実に分かりやすいからだ。水槽に数匹のスライムを入れて近くで『魔物呼びの笛』を吹く実験をすると、明らかに笛の方へ一斉に動き出すのだ。ダンジョンでも『魔物呼びの笛』を吹くと、主に下等なモンスターが中心だが、笛の音の届く範囲にいるモンスターが一斉に接近しはじめるのだから効果は疑いようがない。


「それって、餌の時間に『魔物呼びの笛』を吹いてるからですよね?」


 ティフの話にスワッグは思わず苦笑した。

 フローリアのダンジョン前の村では、放牧したベヒモスを集めるために『魔物呼びの笛』を使っていたのだ。それならその音が鳴れば餌の時間だと学習するだろうし、ベヒモス以外の普通の家畜でも反応するようになるだろう。いわゆる条件反射というやつだ。ちなみに村はフローリアの眷属の強力なモンスターが守っているので、ベヒモスを集めるために『魔物呼びの笛』を吹いたせいで村の周辺からモンスターが寄ってきたとしても村が危なくなるということは無い。


「でもお前だって『魔物呼びの笛コイツ』の効果は知ってるだろ?」


「ええ、もちろん」


 少しムキになったようなティフにスワッグは大きく首肯する。


ティフブルーボール様が笛を吹いてくださったおかげで、レベル上げで随分助かりました!」


 フローリアのダンジョンでの訓練の際、本当は使うなと言われているのだがティフは『魔物呼びの笛』でモンスターとの遭遇率をあげ、訓練の効率をあげていた。スワッグも何度かその恩恵にあずかっている。


「だろ?

 モンスターを狩るにはコイツが役に立つんだよ」


 ティフはスワッグの答えに満足すると機嫌を良くした。が、スワッグの顔に浮かんでいるのは苦笑いである。スワッグが『魔物呼びの笛』の恩恵にあずかったのは事実だが、それが良くないことであることはスワッグも理解していたからだ。


 ムセイオンの聖貴族たちは定期的にフローリアのダンジョンでモンスター狩りをして戦闘経験を積んでいる。ダンジョンはフローリアによって管理されており、聖貴族たちが訓練する範囲には危険なモンスターは存在しない。よって、『魔物呼びの笛』を吹いたところで危険な目に合うことはあまりないのだが、フローリアは『魔物呼びの笛』を使うのを禁じていた。

 訓練用に管理されているということは、そこに存在するモンスターは自然発生したものではなくフローリアが用意したものだ。訓練する聖貴族の実力や人数に合わせてモンスターの質や数を調整している。それは実際にはフローリアの眷属たちがする仕事なわけだが、それなりに大変な労力を投入しなければならない点は変わらない。にもかかわらず一人の聖貴族が『魔物呼びの笛』を使って用意したモンスターを独占しては、他の聖貴族の訓練に支障が出る。『魔物呼びの笛』を使用するのは、フローリアの訓練計画を台無しにしかねない不正行為なのだ。

 スワッグはそのことを理解しているし、実際に後で訓練が十分できなかった他の聖貴族からの苦情も耳にしていたので正直言って後ろめたい気持ちを禁じ得なかった。本来ならティフに注意すべきことなのだろうが、ヒトのスワッグにはハーフエルフのティフにあまり強くは言うことはできない。ましてティフはスワッグたちに良かれと思ってやっているので、その気持ちと今後の関係を考えると余計に言い出しにくかった。

 ティフも納得してくれそうなことならスワッグにも言えるのだが、ティフは訓練で『魔物呼びの笛』を使って訓練効率をあげて自分が強くなれば他の聖貴族が弱いままでも自分が守ってやれるようになれるし、モンスターを狩りまくればフローリアも次からモンスターを多めに用意してくれるようになるから問題ないと信じ込んでいた。そのティフに『魔物呼びの笛』を使うなと言えば、間違いなくスワッグは疎まれるようになるだろう。

 ハーフエルフと親交を持つのはヒトの聖貴族にとって重要なことだ。せっかく親交を持つことができたティフの不興を買い、それでいて得るべきものが無いのであれば、たとえ最終的にはティフのためになると分かっていることでも言うわけにはいかない。スワッグも他の聖貴族たちの不平不満は理解してはいたが、それよりもティフの機嫌の方を優先せざるをえなかった。

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