第1313話 状況確認

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 ホブゴブリンたちが一斉にうめき声をあげる。二人の百人隊長ケントゥリオのみならず、奴隷にすぎないリウィウスさえもが面白くなさそうに口をへの字に曲げているのだから、この事態がどれくらい厄介なものかは明白だ。

 アルトリウシアはただでさえエッケ島に立て籠った叛乱軍、ハン支援軍アウクシリア・ハンの残党への対応と被災住民の救済と復旧復興という問題を抱えている。それはもはや領主領民一丸となっての大事業と言っていいだろう。それを《暗黒騎士リュウイチ》の存在の秘匿と世話とを並行して行わねばならない。

 リュウイチについてはまだ良い。幸い温厚かつ善良な性格で侯爵家、子爵家の両領主に対して非常に協力的で今までも我儘わがままらしい我儘を言ったことが無い。勝手にマニウス要塞カストルム・マニから抜け出して夜の街へ女を買いに行き、結果的にリュキスカを攫って来てしまったことはあったが、逆に言えばその程度の事しかしていないのだ。誰かを傷つけたり何かを壊したりといったことは、アルトリウシアに来てからは一度もないし、むしろ膨大な量の資金や魔法薬ポーションを融資し、少しでもアルトリウシアの復旧復興に資するようにと気を使ってくれている。暴力や暴言といった悪意とは全く無縁の存在であるかのように振る舞い続ける様は、世界中のゲイマーを単騎で駆逐した《暗黒騎士ダーク・ナイト》のイメージと重なる部分を見つけることが困難なほどだ。

 しかし、だからと言って安心できるわけではない。悪意はなくとも彼の持っている力が《暗黒騎士》のものである点はまったく揺るがせようのない事実なのだ。そしてリュウイチは彼らの見たところ、善意に基づいてその力を使うことに躊躇ためらう様子がない。

 それが只の人間が持つ性質であれば、それは称賛されるべき美徳であろう。だが強大過ぎる力は如何に善意に基づこうとも不用意に使えば必ず弊害を生じさせるののなのだ。象はただ普通に当たり前のセックスするだけでも、足元の蟻たちは地獄のような大量虐殺に見舞われるのである。象の足元の蟻にすぎない彼らにとって、たとえ純粋な善意であろうとも象に不用意に力を振るわれてはかなわない。実際、リュウイチがアルトリウシアの復旧復興に役立つようにと融資した膨大な銀貨は、アルビオンニア属州のみならず帝国南部全域に無視できないインフレを引き起こしつつあった。


 そのリュウイチが居るアルトリウシアに、《暗黒騎士ダーク・ナイト》に父を殺された子供たちが接近しているのである。しかも彼らはその殺されたはずの父を降臨術によって蘇らせようとしているのだ。アルトリウシアに来た彼らが《暗黒騎士リュウイチ》の存在に気づいた時に何が起こるか……できればそんな想像はしたくもないというのが、彼らアルトリウシアのホブゴブリンたちの本音だった。


「事態は我々が想定しているより深刻かもしれん。

 『勇者団』ブレーブスにはなるべく穏便に投降してもらいたかった。

 だからこそティフブルーボール様にも一度お帰りいただき、『勇者団お仲間』にレーマ軍への投降を打診してもらうつもりだったのだ。

 『勇者団彼ら』がアルビオンニア各地に広がっているというのなら、捕まえるのも簡単ではないからな」


 アルビオンニア属州はレーマ帝国の属州としてはかなり狭い方である。しかし、これから本格的な冬にはいることを考えると、捜索活動は難しくならざるを得ないだろう。アルトリウシアは世界的に見ても有数の豪雪地帯だし、ライムント地方以東の地域は積雪こそ少ないが冷え込みが厳しく、日中でも気温が氷点を下回る日々が続くのだ。毎年少なからぬ凍死者を地元住民の中から出すような地域では雪が無くとも都市間の交通も滞りがちにならざるを得ず、まして各地の備蓄食料をアルトリウシア救済のために供出してしまっている状況では、下手に部隊を動かしただけでその土地で飢餓を生じさせてしまいかねない。

 そうなると本格的な捜索は春まで休止せざるを得なくなるだろう。カエソーはティフに如何にも簡単に捕まえられるようなことを言ったが、実際はそれほど簡単なことではないのだった。


「今からでも追いかけますか?」


 セルウィウス・カウデクスが神妙な顔つきで尋ねる。アルトリウシア軍団の百人隊長としては、やはり逸る気持ちがあるのだろう。今からでもティフを取り押さえれば、『勇者団』のアルトリウシア侵入を抑制できるかもしれない。だがカエソーは首を振った。


「いや、そうすればティフブルーボール様は捕まえられるかもしれないが、他に逃げられる公算が大きいように思う。

 今はまだ、ティフブルーボール様がこちらの意図を『勇者団仲間』に伝えてくれる可能性がある。

 西に行ったとしても、アルトリウシアへ入る手前でダイアウルフを探しているであろう仲間と合流し、そのままブルグトアドルフかアルビオンニウムへ行ってくれる可能性はまだ残されているのだ」


 もしカエソーの言った通りになればむしろ万々歳だ。『勇者団』がアルビオンニウムにいるであろうサウマンディア軍団長レガトゥス・レギオニス・サウマンディイアッピウス・ウァレリウス・サウマンディウスを訪ねて行ってくれれば、アルトリウシア侵入を防ぐことができたことになる。カエソーとしては現状ではそれが一番いい。

 もしも今からグルグリウスを差し向けて無理やりティフを捕まえれば、カエソーは間違いなくティフに憎まれることになるだろう。そんなことになれば、ムセイオンの聖貴族を……特にハーフエルフをサウマンディアで懐柔し、サウマンディアの女をあてがってゲイマーガメルの血筋をサウマンディアに誘致する企みはご破算になてしまうに違いない。それは避けねばならない。


「ですがそれでは『勇者団』ブレーブスがアルトリウシアへ来てしまいます!

 せめてそれを防ぐための手立てを……」


「それを考えたいからこの場を設けたのだ」


 セルウィウスが追いすがると、セルウィウスが言いたいことを全て言い終わる前にカエソーは口を挟んで黙らせた。


「貴様の懸念は私も承知しているつもりだ。

 彼ら『勇者団』ブレーブスに《暗黒騎士リュウイチ》様の存在を知られるわけにはいかん!

 それで彼らが《暗黒騎士リュウイチ》様に良からぬ考えを抱き、それを実行に移せば被害はアルトリウシアのみに留まるまい。

 我らサウマンディアだってただでは済まんのだからな」


 事態を対岸の火事としてとらえているわけではない……カエソーがそう主張するとセルウィウスは押し黙った。セルウィウスとカエソーのやり取りを心配そうに見ていたもう一人のホブゴブリン百人隊長が、躊躇ためらいがちに尋ねた。


「で、ではどうしましょうか?

 このまま放置すれば、最悪の場合明日には『勇者団』ブレーブスがアルトリウシアに来てしまいます」


 ティフは仲間が既にダイアウルフを探していると言っていた……ティフは実際に西へ向かったのだから、『勇者団』メンバーがグナエウス砦より西側へ行っているのは間違いない。だがアルトリウシアまで行ってしまっているかどうかは断定できない。『勇者団』がダイアウルフを探しているという状況が文字通り山の中を探していることを意味しているのかもしれないし、それともダイアウルフ捜索の計画が始まっているというだけで現実には下準備を始めたばかりという状況かもしれない。もしも前者ならティフがアルトリウシアまで行く可能性は無いだろうが、後者だった場合はこのままアルトリウシアまで直行してしまう危険性は充分に考えられた。


 アルトリウシアからグナエウス砦ブルグス・グナエイまで、レーマ軍の行軍速度でほぼ丸一日だ。レーマ軍の行軍速度は歩兵でもほぼランニングと言って良い速度である。通常であれば朝、陣営を引き払って半日かけて行軍し、陣地を構築してから宿営するため、一日の移動距離は十~十二マイルミーレ(約十九キロ~二十二キロ)といったところだが、移動先が既に構築済みの施設である場合、陣地を構築する必要が無いため更に移動距離を伸ばすことができる。グナエウス砦とマニウス要塞であれば、出発地も目的地もどちらも構築済みの永久陣地であるため軍の移動距離は最大化される。グナエウス砦~マニウス要塞間であれば、その道のりは約二十二マイル(四十キロ)といったところだ。

 この二十二マイルと言う距離は奇しくも騎馬の活動半径でもあった。馬も生き物なので速く走ればそれだけ早く疲れる。一日に移動できる距離には限界があり、人を乗せた騎馬ならば一日の活動半径は二十二マイル進んで二十二マイル帰って来る……だいたい二十二マイルぐらいが限度だったのだ。

 ティフたちが今日、どこからどういうルートでグナエウス砦まで来たのかは分からない。だが、仮にシュバルツゼーブルグあたりから来たのだとしたら、ティフの乗馬は朝までにアルトリウシアへたどり着けるだけの体力は残されていると見ていいだろう。百人隊長の予想は、最悪を想定するという意味においては適切なものであった。


 カエソーは自らの顎をさすりながら唸り、しばらく考えてから左隣のグルグリウスを見た。


「グルグリウス殿、今一度私に雇われてはくださいませんか?」

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