第1314話 希望的観測

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 伺うように仕事を打診するカエソーを顔は正面に向けたまま目だけで見下ろしながらグルグリウスは口元に手を当てた。人差し指の臭いを確かめるように上唇を一撫でし、そのまま綺麗に整えられた髭を蓄えた顎をさする。


「ふーむ……もちろんやぶさかではありません。

 ですが、《地の精霊アース・エレメンタル》の御都合もございますので……」


「おお、それはそうです!」


 グルグリウスが用心深く態度を保留すると、カエソーはほがらかに笑って見せる。


「詳しいことを説明もせずに仕事を請け負ってほしいなど、快諾される方がおかしいというものですな」


 カエソーが冗談のように言うと、百人隊長ケントゥリオたちも釣られた様に笑みを浮かべた。もっとも、その笑みはどこか引きつっている。彼らはまだグルグリウスというモンスターをどこまで信用していいのか決めかねていたのだ。

 今の彼らの目の前に居るグルグリウスは見た目こそ人間だが、彼らはインプからグレーター・ガーゴイルに進化した瞬間を目の当たりにしており、彼らにとってはその時の恐ろし気な印象こそがグルグリウスの本性なのである。何かの拍子にその逆鱗に触れることでもあれば、間違いなく命はないだろう。そんな相手にこうも気安く話しかけ、都合のいいように利用しようとするカエソーに彼らは何とも言いようのない不気味さを感じ始めていた。


「先ほどの話で既に御察しとは思いますが、我々としては『勇者団』ブレーブスにアルトリウシアに行ってほしくは無いのです」


「今から行って捕まえろと……そういうわけでもないのでしょう?」


 口元にあてていた手を降ろしたグルグリウスが小首をかしげるように尋ねると、カエソーは傍から見ても大袈裟に首を縦に振ってみせた。


「その通り!

 ティフブルーボール様には是非、『勇者団』ブレーブスの他のメンバーを集めていただき、自発的な投降をしてもらえるのが最良なのです」


「しかし、吾輩わがはいの見たところ、あの様子では難しいように思われますな」


 ティフは降臨術を全く諦めていない。カエソーに対して交渉はお互いに譲歩して妥協点を探るものだとか言っていたが、グルグリウスの見たところティフもレーマ側が納得しそうな譲歩らしい譲歩を示していなかった。


「たしかに、ティフブルーボール様の様子を見る限りはそうかもしれません」


 口ではグルグリウスの指摘に同意しながら、カエソーは首を横に振った。


「しかし、『勇者団』ブレーブスも一枚岩と言うわけではありません」


「と言いますと?」


ティフブルーボール様もおっしゃっておられたでしょう。

 彼は指導者ではあっても独裁者ではないと、重要なことは話し合って決めると」


ティフブルーボール様以外のメンバーは投降して来ることが期待できるのですか?」


 尋ねるグルグリウスは少し困った様な表情を作った。確かに集団を形成する構成員の全員が一つに強固に団結しているとは限らない。だが、彼らは一つの共通した目的を達成するために行動する集団であり、その目的を諦めろと言われて指導者が諦めてないのに構成員が諦めてくると期待するのは、少なくとも何か具体的な根拠があってのことでないのなら楽観的過ぎると言っていいだろう。


 ティフブルーボール様のあまりの頑迷さを前に、都合のいい考えに逃げ始めているのではないか?


 困難過ぎる目標を前に、現実から目を逸らしてしまうのは珍しいことではない。暗闇の中では進むべき道を照らす光が必要なように、困難の中を歩むには希望が必要だ。だが、心が弱っていると時、今の困苦に堪えて目標へ進み続けるための理由でははなく、逃げることを正当化してくれる理由の方に希望を見出してしまうことがある。それが人をして信じたいものを信じ、見たいものを見ようとする傾向となって現れる。

 グルグリウスの目に映るカエソーは、ティフの余りの頑固さから問題の解決への希望を見失い、信じたい可能性を検証もせずに信じ込もうとしているように見えるのだ。


「グルグリウス殿がそれを言うのですか?」


 カエソーは勘ぐるグルグリウスを逆に笑って見せた。グルグリウスはカエソーが何を言おうとしているか分からず困惑し、小さく首を振るが、カエソーは悪戯っぽく続けた。


「エイー・ルメオ様を単独で投降させようとなさっておいでなのに?」


「ああ!」


 グルグリウスは意表を突かれた様に小さく笑い、声を漏らした。

 たしかにグルグリウスはエイーを単独投降させようとする《森の精霊ドライアド》の企みに加担し、カエソーにも協力を求めている。しかし、エイー本人に今のところ投降の意思はない。むしろレーマ軍に一人で立ち向かおうとしているくらいだ。そのエイーを投降させようというのは《森の精霊》の願望であり、グルグリウスとクレーエがそれに協力状態だ。《森の精霊》はエイーを『勇者団悪い友達』から切り離し、仲良く平和な関係を築きたいと願っているようだが、グルグリウスは本音ではおそらく難しいだろうと考えている。


「しかし、エイールメオ様以外に単独投降の可能性のある方がいらっしゃるのですか?

 具体的根拠のない希望は夢想と替わりません」


 あくまでも冷徹なグルグリウスの指摘にカエソーは困ったように頭を掻いた。


「確かに具体的に誰かと言うのはありません。

 ですが、既に捕えられたメークミーサンドウィッチ様やナイスジェーク様から話を伺った限りでは、どうやら『勇者団』ブレーブスの中でもハーフエルフ様とヒトの聖貴族の間では意識に乖離があるようなのです」


 グルグリウスは背伸びするようにわずかに仰け反り、口元に手をやって髭を撫でつつ目を細めた。グルグリウスにしても『勇者団』のメンバー全員を知っているわけではない。会ったことがあるのはティフとペイトウィン、そしてエイーとメークミーとナイスの五人だけだ。メークミーとナイスは確かにティフほど熱心ではなさそうだった。むしろ消極的にすら見えた。だがペイトウィンに付き添いながら必死でグルグリウスの追跡から逃げようとしていたエイーは随分と積極的だったように思う。


 メークミーサンドウィッチ様とナイスジェーク様が消極的なのは、おそらく虜囚の身になったせいではないのか?


 夢破れた者が急に無気力になるのは珍しいことではない。仲間から切り離され、武器を取り上げられた彼らが意気消沈して消極的になっているのを、ヒトのメンバー全体の現象としてとらえて種族間で意識の乖離があるとしているのなら、あまりにも軽率だ。


吾輩わがはいにはそれが期待できるとは思えませんな」


 グルグリウスが残念そうに首を振ると、カエソーは特に怒るでもなく苦笑いを浮かべた。


「まあ、そうかもしれません」


 おや、諦めるのか?


 グルグリウスが意外に思っていると、カエソーは寂しそうな表情を浮かべて続ける。


「ですが、私は彼らの自主的な投降を最後まで待ちたいと思うのです」


 そうでなければ、捕まえた後の『勇者団』とサウマンディウス家との関係に悪影響がある……とまではカエソーも口にしない。この場にはアルトリウシア側の将兵が同席しており、その目の前でそれを言えばカエソーがアルトリウシアやアルビオンニアを犠牲にしてサウマンディアの利益を追求していると思われては、サウマンディアとアルビオンニアの関係に水を差すことになる。

 

「ですが、だからといって彼らのアルトリウシア行きまで許すことはできません」


 カエソーは『勇者団』を捕まえない理由から離れ、話を主題へと切り替えた。

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