ブレーブスの反省会

第695話 シュバルツァー川の朝

統一歴九十九年五月八日、朝 - シュバルツァー川ブルグトアドルフ上流/アルビオンニウム



 東山地オストリヒバーグ西山地ヴェストリヒバーグに東西から挟まれたライムント地方は盆地の様な気候だ。一般に晴れやすくて雨は少ない。夏は熱気がこもって暑くなり、雷を伴う夕立ちも他の地域に比べると多いかもしれない。逆に冬は非常に冷え込む。冬を間近に控えた晩秋ともなると朝晩の冷え込みはかなりなもので、季節的にはいつしもが降り始めてもおかしくはない。それが川沿いともなれば、冷え込みは一層強まる。風に攪拌かくはんでもされない限り、冷気は低いところへ低いところへと流れるものであり、その地域で最も低い位置を流れる川に必然的に集中するからだ。冬場に遭難した時、あるいはキャンプする時に川辺を避けた方が良いとされるのはそれが理由である。寒さによって体力を奪われてしまうからだ。どうしても冬場の川辺で野営するのであれば、寒さへの対策に万全を期す必要があり、衣類を着込むなど寒さ対策が十分採れないのであれば、一晩中焚火を焚くなどして眠らないように気を付けねばならない。人間、寝ている間は体温が低下してしまうため、そのような状況でうっかり寝ると容易に凍死してしまうからである。


「ふぅ~~~~っ」


 河原で一晩中焚き続けた焚火たきびの炎を凝視しながら、男が真っ白な溜息を盛大に吐き出す。クレーエは結局、昨夜は一睡もできなかった。

 ブルグトアドルフの森でティフ・ブルーボールらに付き添わされて《森の精霊ドライアド》とのありがたい対面を果たし、ひと悶着もんちゃくした後で意気消沈したスモル・ソイボーイと魔力欠乏におちいり、ろくに立ち上がることもできなくなったスタフ・ヌーブを引き連れて帰ってきた後、クレーエは彼らが寝ている間中ずっと火の番をさせられたのだ。レルヒェは寝たままだったし、ペトミー・フーマンの面倒を見ていた筈のエンテも何故か寝ており、他に代わりを務める人間は居なかったのだから仕方ない。


 パチッ、パンッ!


 追加の薪として放り込んだ流木が燃え始め、激しくぜる。その音に気付いたのだろう、クレーエのすぐ近くで寝ていたレルヒェがビクッと動き、のそのそと起き出してきた。


「ん……あ、あれ……?」


「おう、起きたのか?」


 寝ぼけまなこをこすりながら辺りを見回すレルヒェに、クレーエは特に何の感情も籠っていない声をかける。クレーエの声に気付いたレルヒェはクレーエを見上げ、そしてようやく昨夜の記憶が甦ってきたのであろう、急激に目を丸くしてババッと毛布代わりに掛けられていた外套を跳ね飛ばして起き上がる。


クレーエの旦那ヘル・クレーエ

 あれ、ここは!?」


「シュバルツァー川の河原だ。

 ブルグトアドルフとは森を挟んで反対側あたりだな。」


「え!?……あれ?俺!…えっ!?」


 冷静に、いや無感情に焚火を見つめ続けるクレーエとは対照的に、レルヒェは混乱しているようだった。飛び起き、立ち上がり、自分の身体をまさぐり、頭を掻く。


「あれ……俺は確か森の中で……そうだ、何かが近づいてきて……あれ!?

 思い出せない‥‥‥記憶が無いぞ!?!?!?」


「お前は寝ちまったんだよ、レルヒェ」


「寝た!?あの状況で!?」


 信じられない……まさに「そう顔に書いてある」と言って良い表情だ。


「ああ……ほら、スタミナ・ポーション飲んだろ?」


「あ、ああ……飲んだぜ?」


「ありゃあ、偽物なんだってよ。」


「偽物!?」


「ああ、あれは飲むと疲れを感じなくなるポーションなんだそうだ。

 お前、あれ飲んだら無理にでも寝ろって言われたのに、寝ずにバクチやってやがったろ?」


「あ!?……あ、ウッ、ウンッ……ま、まあ、ちょっと……」


「それでお前の身体に疲れが溜まっちまってたのさ。

 だけど偽スタミナ・ポーションのせいでお前は疲れを感じなかった。

 それで、ポーションの効き目が切れた途端にそれまで溜まってきた疲れが一気に出てきて、そのまま寝ちまったのさ。」


 クレーエの説明にレルヒェは唖然とする。


「ルメオの旦那の話じゃあ、下手すりゃ二、三日は寝たまま起きねぇかもってことだったがなぁ、気分はどうだ?」


 この時初めてクレーエはレルヒェの顔を見た。レルヒェはクレーエのその、今までと何か違う表情に異質なものを感じてドキリとし、ドギマギしながら答える。


「え、あ、ああ……なんか、すっきりした感じだ。

 いや、寒いけど……」


「眠気はもう無いか?」


 クレーエの言葉は気遣うようではあったが、表情に優しさは微塵みじんもない。むしろ何か獲物を観察するような冷たい感じだった。その視線を目の当たりにして一瞬、怖気おぞけに身を震わせたレルヒェは少し引きつった愛想笑いを浮かべながら咄嗟とっさに言いつくろう。


「え?……ああ、もう大丈夫だ。

 いやホント、平気。」


「ホントか?

 数日分の疲れだ、下手すりゃ今日の夕方か明日ぐらいまで寝続けるんじゃねえかって話だったんだがな?

 眠気がとれてねぇんなら無理に動くな。

 中途半端な状態で起きだすと、またいつ突然寝ちまうか分かんねぇそうだからよ。」


 クレーエが脅すように言うと、レルヒェは少し目を丸くしてけ反り、それから少し考えて答えた。


「いや、ホントに大丈夫だ。

 眠いっつーか、何か、むしろ寝過ぎた感じ?

 ああ、それより腹が減ったよ。」


「‥‥‥ふーん‥‥‥ならいいか、腹が減ったならそこにキツネの肉がある。食っていいぞ。」


「キツネの肉!?

 キツネなんか食えんのかい?」


「さあな、先に川で顔を洗ってこい。」


 やぶ睨みにレルヒェを観察したクレーエは、どうやら大丈夫そうだと納得すると川を指示さししめした。レルヒェは「う、うん」と戸惑いながらも答えると、おぼつかない足取りで河原の丸い石に足を取られながら川の方へと小走りに駆けて行く。


 ふぅ~~~、どうやら大丈夫そうだな。


 川の方へ走っていくレルヒェの後ろ姿を見送ったクレーエは再び焚火に視線を戻し、その場に腰かけた。


「うひょぉー--っ冷てぇー-っ!!」


 バシャバシャと派手な水音でシュバルツァー川のせせらぎの調べをかき乱すとともに、野暮やぼったい男の無粋な悲鳴が河川敷に響き渡る。その騒ぎによって、もう一人の男も目を覚ました。


「んっ、んん~~~っ……う、寒っ!」


 ふぅぅ~~~~っ


 もぞもぞとエンテが起き出す気配に、クレーエは溜息を吐く。


 ああクソ、この間抜け共を使って盗賊どもをまた集めなきゃいけねぇのか……


「あ、あれ……クレーエの旦那ヘル・クレーエかい?

 あ~~~、いつの間にか寝ちまった‥‥‥あれ、フーマンの旦那ヘル・フーマンは!?」


 起き出したエンテはあたりを見回し、自分が昨夜留守番中に寝てしまった事に気付くとバツが悪そうに頭を掻いた。


ならもう行っちまったよ。

 朝早くにな。」


「おう、エンテ!アンタも起きたのか!?」


 クレーエがエンテの質問に答えている間にレルヒェが濡れた顔をぬぐい、手をズボンにこすりつけながら戻って来る。


おはようグーテン・モーゲンレルヒェ……アンタ、もう大丈夫なのかい?」


「ああ、おかげさんでもうバッチリさ。」


 ふぅぅ~~~~っ


 能天気な二人の会話を余所に、クレーエが再び溜息をつくと、二人はクレーエの雰囲気に只ならぬものを感じ、思わず口をつぐむ。


「だ、旦那?」


 エンテと顔を見合わせてからレルヒェが恐る恐るクレーエに声をかけてきた。


「ん?」


「……どうか、したのかい?」


 クレーエのご機嫌を伺うレルヒェに応えず、クレーエは薪を一つ掴んで火に投げ込む。無反応なクレーエにレルヒェとエンテはゴクリと固唾かたずを飲み込んだが、先ほど放り込んだ薪がパチパチと爆ぜながら燃え始めるのを見とどけたクレーエはフッと短く息を吐くと口を開いた。


「いや、夜通し火の番をしてたからな。疲れて眠いんだ。

 お前たち、起きたんならちょうどいい。俺ぁこれからひと眠りするから、そっちの二人が起きたら起こしてくれ。」


 そう言うとクレーエは何故か腰に剣のように差していた木の枝を抜き、その場でゴロッと横になると、抜き取った木の枝を片手で大事そうに抱え込み、もう片方の腕で腕枕をして目を閉じる。


「二人って?」


 レルヒェがそう言って見回すと、エンテが「アイツ等さ」と指を差した。その先には見覚えのある男が二人、並んで寝かされていた。二人とも盗賊団の一員だった。

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