第135話 食後の談話

 統一歴九十九年四月十四日、夕 - ティトゥス要塞ルキウス邸/アルトリウシア



 一同は食堂トリクリニウムへと移動した。

 とは言っても今日の晩餐はテーブルを囲んだ臥台に横たわって食べるレーマ式ではなく、椅子に座って食べるランツクネヒト風料理である。これはせっかくアルビオンニアに来たのだからというアントニウスのリクエストを反映したものであった。


 一皿目は前菜として定番のハムシンケン

 塩気が強くスパイスを効かせた燻製ハムをスライスし、それに薄くスライスして水に晒してアク抜きした多量のタマネギを合わせてある。食べやすいようにあらかじめタマネギをハムで包んで爪楊枝で刺して止めてあった。

 二皿目はソーセージヴルストの盛り合わせで、粗挽きソーセージヴァイスヴルスト白ソーセージブラートヴルストに、一度洗って白ワインで茹でたザワークラウトが添えてある。

 ハムもソーセージヴルストももちろん侯爵家所有の農場でお抱えの職人によって作られた逸品だった。



 三皿目はタマネギのスープツヴィーベル・ズッペ


 四皿目にスライスした黒パン。


 五皿目が「アルトリウシア・ロッヒェン」。

 聞きなれない料理名に興味を持ったアントニウスが質問する。


「ロッヒェンとは何ですか?」


「ロッヒェン【Rochen】とはドイツ語でエイバトゥイデアの事ですわ。」


 エルネスティーネの答えにカエソーとアントニウスは驚きの声をあげた。


「「エイバトゥイデア!?」」


「はい、平べったくて海底を這うように泳ぐフライパンみたいな魚です。

 エルネスティーネもアルトリウシアに越してくるまでは食べたことありませんでしたわ。でも、アルトリウシア湾では豊富に獲れ、セーヘイムのブッカたちは昔から食べていたそうです。

 お二人にとっては珍味であろうと思いまして、ランツクネヒト流に料理させてみましたの。どうぞお召し上がりになってくださいな。」


 ではさっそくと二人は目の前にあるソースのかかったエイヒレを手掴みで口に運ぶ。

 ちなみにスープ以外は今のところほとんど手掴みで食べている。フォークやナイフといった物がないわけではもちろんないが、それらを使う事はマナーとしてはあまり重要視されていない。

 それらを使って食べる場面や料理という物は認知されているしその時は器用に使うが、レーマ料理にしろランツクネヒト料理にしろ手掴みが基本だった。



「いかがかしら?」


「なかなか美味ですな。」

「淡白な味わいですね。色々な味付けで楽しめそうだ。」


 二人の主賓しゅひんの反応にエルネスティーネは満足そうに笑みを浮かべる。


「レーマではエイは食べられないのですか?」


アントニウスは帝都レーマはもちろん、いくつか旅した属州で様々な味を経験し、おそらく世の中で自分が食べた事の無いものなどもう無いと思っていました。

 しかし、正直に白状しましょう。エイは初めてです。

 何故、今までこのように美味な物が知られていなかったのか不思議ですな。」

 

 アンティスティアの質問にアントニウスが手を洗いながら答えると、ルキウスがその理由を説明した。


「エイは傷むのがとても早いのですよ。

 獲れてからすぐに料理しないと、あっという間に臭くなってしまうのです。

 幸い、ここはアルトリウシア湾からほど近いですからな。

 このエイもおそらく今朝の獲れたてを取り寄せた物でしょう。」


「まさしくその通りですわ。

 さすが、アルトリウシアの領主様ですこと。」


 エルネスティーネがルキウスの予想が正しかった事を認めると、カエソーとアントニウスは感嘆の声をあげた。


「すばらしい。道理で今までこの味に出会えなかったわけだ。」

「今日のこの出会いを用意して下すったアルビオンニア侯爵夫人エルネスティーネには感謝せねばなりませんな。」



 晩餐は続く。


 六皿目のプレッツェル。

 七皿目にメインディッシュのルーラーデン。野菜を豚肉で巻いて焼き、たっぷりのソースをかけたものだったが、かなりボリュームがあるため弱火でじっくり焼く必要があり、豚肉の下ごしらえからソースも含め見た目のわりに結構手間をかけた一皿だった。


 これはさすがに手掴みというわけにはいかず、ナイフとフォークを使って切り分けて食べる。

 これも芳醇かつ濃厚な赤ワインソースと合わさって重厚な味わいになっており、見た目以上に食べ応えがあった。


 最後のデザートには栗をたっぷりと使ったケーキトルテが振る舞われた。



 食事が済むと、通常であれば休憩を挟んで酒宴コミッサーティオへとなだれ込むものだが、今回は主宰者が女性である事や主賓の二人がマニウス要塞まで帰る事などが考慮され、酒宴は省略となっている。

 ゆえに、食後は帰りの馬車の支度ができるまで香茶と談話を楽しみながらの休憩で終わることになる。

 ほぼ二時間近くかかった晩餐会はようやく終わり、日は既に水平線の向こうへ半分以上隠れている。窓の外では未だに楽団が静かな曲をかなで続けているが、まもなく夕闇に覆われ楽譜も読めなくなるだろう。


「今日の料理には実に満足です。

 このレムシウス・エブルヌスアントニウス、まだまだ世の中には未知の美食が溢れている事を思い知りました。」


「然り、まさか海峡一つ隔てただけのアルビオンニアにこのような味覚があったとは、カエソーも存じませんでした。

 ありがとうございます。」


 食後に香茶を堪能しながら、主賓の二人は相次いで礼を言った。


「ご満足いただいて嬉しく存じますわ。

 お礼を言うのはむしろ私どものほうです。

 このような事態に随分とお力添えをいただき、感謝してもしたりませんわ。」


フォン・アルビオンニアエルネスティーネ侯爵夫人のおっしゃる通りですわ。

 アンティスティアまつりごとはわかりませんが、今アルトリウシアが未曽有の危機に陥っていることぐらいはわかります。

 このような中でウァレリウス・サウマンディウスカエソー伯爵公子閣下の御支援がどれほど心強く思えます事でしょう。

 レムシウス・エブルヌスアントニウス卿からも随分と骨折りいただいたと主人ルキウスからお聞きしました。

 御二方は私たちの希望ですわ。」


 エルネスティーネに続いてアンティスティアも感謝を述べる。

 この中でアンティスティアだけが降臨の事もリュウイチの事も知らない。知らされているハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件の事すらその詳細は分かっていない。

 だが、それでも彼女なりに認識している範囲ででも、今日の主賓がとても重要な存在であることは理解できたし、そうだからこそ振る舞うことができていた。


「なんの、もう御心配には及びません。

 カエソーの部下たちも必ずやお力になるでしょう。

 それに間もなくアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアも到着するはずです。」


「そう言えば、いつ頃到着の予定でしたかな?」


 カエソーの言葉にふとアルビオンニア軍団の動静が気になったアントニウスが尋ねると、ルキウスが答えた。


「おそらく早くても明後日か明々後日でしょう。

 何でも軍団兵レギオナリウスだけでなく大工も多く引き連れてやってくるそうです。」


「ふむ、それでは行き違いになるかな?」


 少しガッカリしたようなアントニウスの言葉にアンティスティアは反応した。


「まあ、もうお帰りになるのですか?

 寂しゅうございます。」


「はっはっは、アントニウスはこちらに残ったところで大した力にはなれません。

 それよりも、私は帝都レーマに急ぎ戻って元老院議員セナートルとしての務めを果たさねばなりません。

 それが、アルビオンニアの、そしてアルトリウシアのお役に立つことになるでしょう。」


「レーマは随分遠いと伺っておりますわ、行くだけで三か月もかかるとか。」


「天候にもよりますが二月半といったところですかな?」


「そんなに時間がかかるなら季節が替わってしまいますわね。」


「なに、こちらは南半球、あちらは北半球ですからどのみち季節は違います。」


「まあ、そう言えばそうでしたわ。

 アンティスティアはサウマンディウムより北には行ったことがありませんものですから。

 ということは、レーマは今頃春なのですね?」


「そうですね。今は四月の半ばですから、おそらく野山はもう瑞々みずみずしい若葉が一面に茂っている事でしょう。」


「なんだか不思議ですわ。

 まあ、するとレムシウス・エブルヌスアントニス卿は今年は冬をお過ごしになっておられないのではありませんこと?」


「おお、言われてみればそうですな。

 レーマの夏の終わりに旅立ち、赤道直下のオリエネシアで金鉱山を視察し、それが終わろうとしていた時にサウマンディアでのメルクリウス目撃情報を受け取ってサウマンディアへ・・・そこでアルビオンニ・・・ではなかった、アルトリウシアでの事件を聞きましてね。

 こうして馳せ参じたわけですが、たしかに今年は冬を過ごさずにすみそうだ。」


アナタルキウスもそうでしたの?

 レーマに御留学なさったのでしょう?」


 アンティスティアはここでルキウスに話を振った。気づけば自分だけがアントニウスと話し込んでしまい、ルキウスの影が薄くなっているような気がしたからだ。


「いや、ルキウスは留学してないよ。

 グナエウスが留学していたからね、旅で大事な跡取り息子を全部失っては困るからと、父が留学を認めなかったんだ。

 代わりに、家庭教師を招致してレーマ神学校の卒業資格をとったのさ。」


 ルキウスが答えると、アンティスティアが期待したであろう答をカエソーが代わりに話した。


「確かにレーマ留学の時には六月中にレーマに到着せねばなりませんから、こちらは夏も終わりごろの三月中には発ち、着いたらあちらは初夏ですからね。」


「では帰りは逆に夏を過ごさないのかしら?」


「いえいえ、七月中にレーマを発ちますがその後は赤道のあたりを越えるわけですからレーマ以上の夏を経験する事になりますね。」


「ちょっとアンティスティアには想像できませんわ。

 同じレーマ帝国なのにそんなに違うなんて。」


「それだけ我らが帝国が偉大であるということです。

 でもご安心ください。アントニウスは必ず務めを果たし、もう一度この地へ戻ってくるでしょう。」


「まあ、帝都からすればこのようなところは辺境でしょうに。」


「なんの、それだけこの地が帝国にとって重要になるという事です。」


「嬉しい事ですわ。

 でも心配。それまでこれ以上悪いことが起きなければいいのですけど。」


「大丈夫ですよ、既には二皿目で平らげましたからね。」


 アントニウスの下手な駄洒落に一同は呆れたような愛想笑いをした。

 彼は「最悪」をわざと英語でワースト【Worst】と表現し、ソーセージヴルスト【Wurst】とかけたのだった。アンティスティアはこの駄洒落に気づけず、周囲が笑うにつられて微妙な笑みを浮かべるしかなかった。

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