第630話 ヴァナディーズとは……

統一歴九十九年五月七日、夕 - サウマンディウム港/サウマンディウム



 目に映るあらゆる物が黄ばみ始め、クンルナ山脈を越えて吹き下ろす風が一段と冷たくなり始めたサウマンディウム港、その軍用の船着き場では帰港したばかりの船へ食料を中心に様々な物資が積み込まれていく。明日また、アルビオンニウムに送られたサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア第八大隊コホルス・オクタウァにそれらの補給物資を届けるのだ。

 船員や荷役人足にえきにんそくたちが忙しく働いている場所から少し離れたところで、サウマンディア海軍クラッシス・サウマンディアーナきってのベテラン船長カピタネウスプロクルス・ブブルクスは属州領主ドミヌス・プロウィンキアエプブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵とその財務官クアエストルティベリウス・マエキリウス・ノウァートゥスの二人を相手に、つい半日ほど前に出来事に関する冒険談義に熱中していた。演劇や吟遊詩人の歌の中でしか語られないような魔法攻撃を目の当たりにしたのだ。年甲斐もなく子供のように興奮する彼らの様子は、冷静に見ていささか滑稽こっけいではあったが、当人からすれば無理からぬことであった。

 気づけば息子カエソーのしでかした失態に抱いていた怒りもどこへやら、プブリウスもティベリウスもすっかりプロクルスの話にのめり込んでいる。プロクルスもまた、怒り狂うプブリウスのとばっちりを食らう心配から解放されたこともあって、余計に上機嫌になり話が乗っている。


「それで、それだけか?

 魔法攻撃というのは、それだけで終わったのか?」


 まさに固唾を飲むような様子で話しを聞いていたプブリウスが詳細を強請ねだる。

 魔法攻撃……今のこの世界ヴァーチャリアの人々の殆どは、御伽噺おとぎばなしや大戦争以前のゲイマーガメルたちの伝説の中で聞くだけのものだ。もちろん、それが歴史上実在していたことは知っているし、魔法攻撃を使える聖貴族コンセクラトゥムが今もムセイオンに居ることも知っている。だが、彼らはムセイオンから出てこないか、出てきたとしても各々の出身国の首都や重要な商業都市にいて、製鉄など何らかの生産事業に従事している。サウマンディアやアルビオンニアなどのような辺境の地へ来ることは無いし、当然ながら彼らが攻撃魔法を目の当たりにすることなど無い。戦争に魔法が使われたのは、もう百年ちかく昔の出来事なのだ。

 その魔法の使い手が海峡の向こう側にいる。ムセイオンから脱走して来たと言う『勇者団ブレーブス』を名乗るハーフエルフたち……その脅威は冷静に考えれば計り知れない。武器も何も使うことなく、大砲や爆弾のような破壊力を持つ魔法をポンポン繰り出せるのだ。軍隊だって退けることができるだろう。実際、船を攻撃してきたということは、船に深刻なダメージを与えうる自信があるからこそやったに違いないのだ。考えてみればかなり危険な存在である。


 そんな連中相手に弟を、アッピウスを差し向けてしまった……本当に、大丈夫なのか?


 今までただ単にムセイオンのハーフエルフに、ゲイマーガメルの血を引く強力な聖貴族コンセクラトゥムに知己を得、縁故を結んでサウマンディアの発展につなげようと、その計り知れない利益だけを考えていた。だが、こうしてプロクルスの話を聞いたことで今更ながらそのリスクを正しく評価できていなかったことに気付いてしまった。

 わずかに顔を青ざめさせるプブリウスを見て、そんなに自分の話に興味を持ってもらえるなんてと感激したプロクルスは孫に武勇伝を利かせる爺さんのように大仰に、いや能天気に話を続ける。


「ワシの船に対する攻撃はそれで終わりやした。

 船はそこから全速力で離れたんでね。

 アルビオーネ様に弾かれた一撃目だって、ワシらが異変に気付いてから何十秒か、数分か、時間がかかってるみたいでやしたから、多分二撃目を放つ前にワシらぁ敵の射程距離の外へ出ることができたんでしょう。」


「敵は!?その魔法攻撃をしてきた奴を見たのか?」


 ティベリウスの質問にプロクルスは首を振った。


「いや残念ながら……

 ですが、アルビオン湾口の東の岬におったようです。」


「何故わかる!?

 見たのか!?」


 いつの間にかどこかへ飛んでいたプブリウスの意識がハッと戻ったようだ。


「いやいや、直接は見えません。

 距離はおそらく百五十ピルム(約二百七十八メートル)……いや、百七十ピルム(約三百十五メートル)は離れておりましたからな。」


「なら何で分かった!?」


「アルビオーネ様が戦っておられたからです。」


「「アルビオーネ様が!?」」


「ワシらが湾口から離れてすぐ、再び東の岬の近くで海面が盛り上がって水の柱が、こう……

 ズォォォォッと、もちあがりましてな。

 それが岬の上まで届いておりました……


 その後、その水の柱のてっぺんの周辺で小さな爆発が何度も起きておりました。

 ありゃあ、アルビオーネ様が魔法攻撃してきた奴と戦っていたに違いありやせん。」


 顔を半分しかめながらプロクルスが言うと、プブリウスは茫然とした様子で手で口元を覆い、また頭の中で色々と考え始めた様子だった。


「それで、どっちが勝ったか分かるか?」


「それは何とも……何せ遠すぎたもんで……

 ただ、目のイイ奴が見たところ、岬の上から魔法がアルビオーネ様にバンバン当たっとって、そんで時折アルビオーネ様が大きな水の球をぶつけておったようです。

 んで、最後に攻撃をしたのはアルビオーネ様の方だと……」


 普通に考えて最後に攻撃を繰り出した方が勝者だろう。ということは、アルビオーネが勝利し、ハーフエルフが負けた公算が高い。

 サウマンディアに取り込もうとしていたハーフエルフが負けた……それはつまり殺されてしまったのではないかと思い、プブリウスはパッと顔をあげてプロクルスの両肩を掴んだ。


「まさか、ハーフエルフを殺したのか!?」


「ハ、ハーフエルフ!?」


「「!!」」


 プロクルスが驚いて顔を顰め、プブリウスとティベリウスはプブリウスの口が滑ってしまったことに気付いた。『勇者団ブレーブス』に関しては、まだプロクルスらには教えていない。

 プブリウスは気まずそうにティベリウスと目を見合わせ、それから躊躇ためらいがちに話し始める。


「あ、ああ……うん……まあ、隠してもしょうがないか……

 おそらくな、ムセイオンから脱走したハーフエルフが、アルビオンニアに潜伏しておるようなのだ。

 その、ムセイオンから脱走したハーフエルフを捜索するよう手配が出されてな、その通達が昨夜、早馬タベラーリウスでレーマから届いたばかりなのだ。」


「それがあの魔法攻撃の主だと!?」


 初めて耳にする情報に今度はプロクルスの方が食い入るようにプブリウスの顔を覗き込む。


「いや!まだ、まだ確証はない。

 だが、攻撃魔法と聞いてな、もしやと思ったのだ。


 そ、そうだ!

 それにしても、アルビオーネ様はどうして其方そなたの船を守ったのだ?

 其方、何かしたのか!?」


 咄嗟にプブリウスが話題を変えると、プロクルスは「おお」と小さく声をあげ、何か大事なことを思い出したように小さく仰け反り目を丸くした。そして手品の種明かしでもするように再び上体を前のめりにして話を続ける。


「そりゃ降臨者様のおぼしでさぁ。」


「「降臨者様の!?」」


 今度はプブリウスたちが怪訝な表情を浮かべる。プロクルスはチラリと背後に、少し離れたところでこちらの様子を伺っているヴァナディーズを指差す。


「ええ、ほらあの女学士様」


「彼女がどうかしたのか?」


「あの女学士様がスパルタカシア様に頼んだのだそうですよ。

 そしたらスパルタカシア様が降臨者様にお願いし、アルビオーネ様の御加護を賜るように手配してくださったそうで‥‥」


 つい先月まで存在すら知られていなかった海峡をつかさどる《水の精霊ウォーター・エレメンタル》……女神にも等しい精霊エレメンタルをわざわざ動かして守らせた。それがどういう意味なのかは明らかだ。彼女はリュウイチにとってそれをするだけの価値のある人物だと言うことである。何でもない人間のためにそこまでのことなどするはずがない。

 ただの取るに足らない女学士だと思っていたが、それが事実だとすれば認識を改めねばならないだろう。


「確かなのか!?」


「ええ、船の上で本人から聞きやした。」


 プブリウスが答えると、三人は揃ってヴァナディーズに視線を向けた。どう見ても普通の女である。美人というわけではないし、この世界ヴァーチャリアの常識からすると年増と言っていいだろう……まだ二十代半ばだが、その年齢で独身というのはレーマの常識からすると異常と言って良い。その年齢で未だに子供を持たないどころか結婚すらしていないのは、当人に何か問題があるに違いない……そう思われて当たり前な世界だ。そうした常識に照らし合わせれば、ちょっと距離を置きたくなる女性ですらある。


 それなのに《暗黒騎士リュウイチ》は彼女に加護を与えている!?


 その後のヴァナディーズのサウマンディアにおける待遇は、彼女が当初予想していたよりもずっと良いモノになったのだった。

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