第584話 包囲拘束

統一歴九十九年五月七日、深夜 - ブルグトアドルフの森/アルビオンニウム



 星明りさえ届かぬ暗い森が、突如吹き上がった紅蓮ぐれんの炎によって照らされた。

 『炎の刃』フレイム・ブレード…武器に炎をまとわせて火属性のダメージを与える効果を付与する魔法である。魔力を手から剣に流し込み、低位の《火の精霊ファイア・エレメンタル》を憑依ひょういさせるもので。剣全体を消えることのない炎によって松明のように燃え上がらせる。見た目だけはかなり派手な大技だ。

 当然、この魔法を使っている間は魔力を注入しつづけねばならないため、火力次第では『火炎弾』ファイア・ボールなどの他の火属性攻撃魔法とは比較にならないほど魔力を消費してしまう。そうであるがゆえに魔法の難易度としては実はさほど高いわけではないにもかかわらず、スモル・ソイボーイのような魔力に自信のあるハーフエルフでもなければ、実戦では使われることなどまず無い。


 その炎の明かりに照らされたスモルの顔が嗜虐的しぎゃくてきな笑みで歪み、目を丸くして茫然ぼうぜんとたたずむ少女をにらみつける。


「見たか!?

 これで森を全部焼き払ってやる!!」


『森を焼くですって!?

 本気なの!?』


 か細く恐怖で震えるような少女の声にスモルは勝利を確信した。


 そうだ、精霊エレメンタルはその力の源泉を叩けばいい!

 召喚獣を直接たおせなくても召喚者を斃せば消えるのと同じだ!

 《森の精霊ドライアド》だっていうのならこの森こそが本体!

 ならば森を丸ごと焼き払ってしまえば力を失い消滅する!!


「そうだ!

 後悔しても遅いぞ!?

 お前は俺を怒らせた!!」


「よせスモル!やめるんだ!!」

「ブルーボール様!思い止まってください!!」


 形勢が逆転したにもかかわらずティフ・ブルーボールとスタフ・ヌーブはなおもスモルを制止しようとしがみ付き続ける。スモルは苛立ち、二人を怒鳴りつけた。


「ええい、二人とも放せよ!

 形勢逆転してんのが分かんないのか!?

 俺たちは勝てるんだよ!余裕で!!」


『ふーん…アナタたち、やっぱりあの弓使いと一緒で悪い人なのね。』


 先ほどの恐怖におびえるようなか細い声と違い、冷めたような低い口調にティフはドキリと背筋の凍るような思いをし、慌てて打ち消した。


「違います、ドライアド様!

 コイツは今冷静じゃないだけでハッ!?」


 だがティフの弁解もむなしく、地面から突如として魔法のいばらが繰り出された鞭のように飛び出し、ヒュッと空を切る音を立てながら一瞬にしてティフやスタフもろともスモルを縛り上げてしまった。


「「「あっ!?」」」


 三人から離れたところから見ていたスワッグ・リー、エイー・ルメオ、そしてクレーエは突然の出来事に驚きの声を漏らし、唖然としたまま固まってしまう。


「がっ!?」

「ぐぅっ!?」

「くそぉ…また『荊の桎梏』ソーン・バインドかぁ…」


 縛られた三人は苦しそうに呻いた。《地の精霊》の時と違い、荊は容赦なく三人の身体を締め付け、その棘が衣服を貫いて肌に直接突き刺さる。そして突き刺さった荊に魔力を奪われ、スモルの剣に纏った炎も急速に弱まり、そしてはかなく消えてしまった。

 辺りは再び暗闇に閉ざされた。暗視魔法を使っていなかったら、ほのかに光るドライアドの姿以外何も見えなくなっていただろう。だがシュバルツァー川で拘束された時と違い全く身動きの取れなくなった状況でもスモルは諦めなかった。


「ぐぅぅぅぅ…スワッグ!」


「は、はい!?」


 想像すらしていなかった展開に我を失っていたスワッグはいきなり名前を呼ばれて条件反射的に返事をした。


「何をしている!?

 早く助けろ!

 この森を焼いちまえ!!」


 そうだ、みんながやられているのに…ここで助けなきゃ勇者じゃない!


「よせ、スワッグっ」

「ダメだスワッグ、言う事を聞くな…」


 ティフとスタフが振り絞るように言った制止の言葉はスワッグには届かなかった。「おおお」と声を絞り出すように気合を入れると、スワッグの両拳が炎に包まれる。


『ふん、アナタもなの?』


 面倒くさそうに鼻を鳴らす少女に向かって地を蹴ったスワッグの身体が弾丸のように飛び出した。その直後、地面が弾けると宙に浮いたスワッグ目掛けて鞭のように荊が飛び出る…いや、それは荊ではなかった。『荊の桎梏しっこく』の荊に比べると動きはずっと遅いし棘も無いが、何倍も太くて長い。


「「「!?」」」


 声を上げる間も無かった。地面から伸びたソレはたちまち宙を飛ぶスワッグを捕え、包み込むように絡まっていく。


「あっ、クソッ、何だ、コレ!?」


 それは荊ではなく蔓草つるくさだった。だが、蔓草といっても一見すると木のようであり、太さも五~十センチほどもありそうだ。それがニョキニョキの伸び、ウネウネとうごめいて互いに絡み合い、次第に形を変えていく。そしてソレは最後には身長五メートルを超える巨大な人の形を成した。

 立ち上がった蔓草の巨人の胴体部分はどうやら空洞になっており、蔓草の網目から中にいるスワッグの様子が透けて見える。スワッグは訳の分からないままに巨大なかごに閉じ込められ混乱していた。


「何だ!?何だこれ!?

 くそっ!出せ!出しやがれ!!」


 自身を取り囲む蔓草を解こうと引っ張ったり殴ったりするが網目はまったくほどけない。内側から全力で殴ったり蹴ったりしても、柔軟な蔓草によって衝撃は吸収され、ギシッギシッときしみ音を立てながら全体がわずかに揺れるだけだ。


「なっ、これが、トレントか!?」


 先ほどまでの勢いはどこへやら、スモルが顔色を無くして呻くと少女がフゥ~と溜息をついて残念そうに説明した。


『違うわ、これは《藤人形ウィッカーマン》よ。

 《木の精霊トレント》はコッチ。』


 ザワザワと森全体から枝葉の擦れる音が響き始め、樹々の向こうで何か巨大な影が動く。それは左右に揺れながらズルズルと重々しく何かを引きずるような、時折ズシンズシンと重たい何かが地面を叩くような地響きを立てながら近づいてくる。


「きた…来た、来た来た来た、また出やがった旦那ぁ~」

「あ…ああ…」


 周りを見回しながらクレーエが情けない声を上げてエイーにすり寄り、エイーはエイーで周囲を見回しながらゴクリと喉を鳴らしてその場に立ちすくむ。気づけば彼らは全周をトレントの群れに完全に囲まれてしまっていた。


「これが…こいつらがトレント…」


 《藤人形》などとは比べ物にならないほど巨大な動く老木のモンスターたちに囲まれ、見下ろされ、スモルも遂に戦意を喪失してしまったようだった。《藤人形》の中で暴れていたスワッグも、自分たちが絶体絶命の危機に陥ったことに気付き、暴れるのをやめて蔓草の網目から顔を突き出すようにして周囲の状況を見守る。


『さあ、どうするの?

 私はアナタたちが悪さ仕掛けてこない限り何もするなって言われてるんだけど、森を焼くっていうなら容赦しないわ。

 でも、森に火を付けたら真っ先に燃えるのはこの《藤人形》よ。』


 余裕たっぷりといった調子で少女が言うと唐突に、スモルたちを縛っていた荊が消えた。


「「「!?」」」


 荊の支えを失った三人は態勢を崩し、転ばないよう姿勢を保つために互いに離れた。スタフはしかし、そのまま後ろによろけて尻もちをつき、へたり込んでしまう。ティフも転びそうになったが何とか持ちこたえ、両膝に手を突いて俯き、ゼエハァと荒い息を繰り返す。腑抜ふぬけたようにたたずんでいるスモルに少女は続けた。


『アナタが森に火を付けたら、この《藤人形》に火を消させるの。

 火を叩いてね。

 それで消せたらいいのだけれど、消せなくて《藤人形》に燃え移っちゃったら中の人も一緒に焼け死んでもらうわ。』


 《藤人形》は「まかせろ」とでも言うように葉の生い茂る両腕を広げてガッツポーズを作ってみせた。

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