第474話 リュキスカの暴走

統一歴九十九年五月五日、夕 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



「いや…ま、待ってください…使い魔ですか?」


 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子の顔色が大きく変わった。ハーフコボルトの彼は顔面も含め身体全体が白い体毛に覆われているので実際に“色”は変わらないが、その表情にはあからさまな動揺が見られる。


『ええ、私自身まだ全貌を把握できていませんが、その…色々召喚できるみたいですし、目立たなそうなのを召喚して現地の様子がどんなか調べさせて…』


「すみません。ちょ、ちょっと待ってください…」


 アルトリウスは両手を広げてリュウイチを制止しつつ、まるで貧血でも起こしたかのように顔をややうつむき気味にして目をパチクリさせた。その様子を見ていたリュキスカが寝椅子クビレに腰を落ち着かせたまま上体だけをクイッと捻って隣のリュウイチの方へ向き直り、縋るように問いかける。


「兄さん、そんなことできんのかい?」


 思いもかけないアルトリウスの反応と、予想外の方向からの問いかけにリュウイチは多少驚きながらリュキスカの顔を見て答えた。


『あ?…ああ、うん…その…全部の召喚モンスターを確認したわけじゃないから、アレだけど…ほら、精霊エレメンタルを使えるんだから精霊みたいに知能があって目立たずに行動できそうなのを見繕みつくろって、それで現地の様子を見てきてもらえば早馬よりも早いんじゃないかな?』


「それだよ兄さん!

 なんだい、できるんなら早くお言いよっ!

 ねっ!?それなら問題解決じゃないさ!」


 リュキスカはパァッと顔を明るくしてアルトリウスの方へ向き直った。だがアルトリウスは対照的に浮かない顔で頭を抱えて込んでいる。


「あれ、どうしたんだい子爵公子ウィケコメス…閣下?」


 言われてアルトリウスは何やら口をムニュムニュ言わせながら額に当てていた両手を離し、上体を起こしてリュウイチを見た。その目はどうやら困っている様子である。リュウイチにはその理由が分からなかったし、リュキスカにも分からなかった。


 リュウイチには何もしてほしくない…それがアルトリウスはもちろん、現在リュウイチを取り巻いている貴族ノビリタスたち全員の共通認識である。いや正直に言えばリュウイチの持っている《レアル》の知識、聖遺物アイテムの数々、そしてその絶大な力を自分たちの都合の好いように使って自分たちの国家や領地経営に役立て、この世界ヴァーチャリアを発展させたいという気持ちも無いわけではない。だが、今はまだそれを求めて良い時ではない。


 この世界には大協約という国際法が存在する。世界の安定のため、二度と降臨は起こさせない。その代わり、これまでの降臨者たちがもたらした《レアル》の恩寵おんちょうはすべてこの世界全体の共有財産とし、誰も独占してはならない。

 だが、リュウイチの降臨が起きてしまった。速やかに《レアル》への御帰還ログオフを願いたいところであったが、どういうわけか帰還できないらしい…そして大協約にはそのような事態を想定したルールが存在しなかった。

 今、アルビオンニアは…特にアルトリウシアは非常に政情が不安定だ。ただでさえ百年ぶりの降臨で、しかも大協約が想定していない事態が起こっているのに、このような状況でリュウイチの降臨が世間に知られればどのような影響が起こるか予想がつかない。だからこそリュウイチの降臨を秘匿し、レーマ帝国本国や大協約を司る中枢機関たるムセイオンにどうすべきか指示を仰いでいる情況だ。もしここでリュウイチの扱いを間違えればどんな混乱が起きるか分からないというのもあるし、下手な扱いをしてその力にすがりでもすれば、後々大協約で戒めている《レアル》の恩寵独占を咎められる可能性もある。

 だからこそ、アルトリウスとしてはリュウイチに何もしてほしくない。


 現時点ですでにリュウイチには多大な貢献をしてもらっているのは事実だが、現時点ではまだ何とか言い訳がたつ範囲で済んでいる。しかし、シュバルツゼーブルグの盗賊やアルビオンニウムの治安の維持といった問題に介入させたとあっては、流石にどんな言い訳も通用しなくなる。何としても介入は防がねばならない。

 だからこそ、アルトリウスはあえて状況を説明し、本来なら出せぬ兵力を無理して強引に抽出してまでルクレティアの安全確保のために全力を尽くしている。それで何とか我慢してほしい、自分たちを信じて任せてほしい…そして、リュウイチはアルトリウスの願い通り、状況を理解し、落ち着きを取り戻してくれた。


 ところが、リュウイチの妻とでも言うべき聖女サクラになったばかりのルクレティアがアルビオンニウムへ派遣され、その身に危険が及んでいる可能性が急に浮上してしまった。

 ルクレティアを護るため…と言われれば、「我々の領分ですから」とリュウイチの申し出を突っぱねることはできなくなる。


 それでも何とか、早馬が来て状況を把握できるまではもう少し時間があるから待ってください…というアルトリウスの希望は、リュウイチの使い魔で様子を確認してはどうかという提案の前に砕け散ろうとしていた。


「その…いやっ…はい…あの…確かに、そういうお話は聞いたことがございます。

 ゲイマーガメルの中にはモンスターを召喚し、使役することができる方がおられると。そして、戦闘のみならず、さまざまな用事をこなさせたとか…


 そういえば、リュウイチ様も精霊を使役されておられましたな。」


 アルトリウスは微妙に震える声で、だが無理矢理落ち着き払った態度を作って言った。アルトリウスの態度の意味を悟るのはリュウイチにとってさほど難しくは無かった。この世界に来て何度か、彼らのそういう態度を目の当たりにしてきたからだ。彼らがこういう態度を取るのは、Noと言いたいが大っぴらに拒絶できない時である。


『ああ…やっぱり、不味いですか?』


「ええ!?何でだい?

 目立たないようにすりゃいいじゃないさ!」


 リュキスカとしては意外な展開だったようだ。リュキスカからすればそもそもリュウイチの降臨を隠していること自体がイマイチ納得のいかなないことなのである。貴族の事情など、根っからの平民プレブスであるリュキスカは知る由もない。


「いや、その…そうかもしれませんが、万が一人の目に付けば騒ぎになるかもしれません。これ以上、状況が混乱するのは…」


「そうは言ったってルクレティア様の身に何かあったらどうすんだい!?

 ルクレティア様の事はアンタだって大事だろう!?」


 困った様子でリュキスカを宥めようとするアルトリウスにリュキスカはまるで詰問するかのように食って掛かった。


『リュキスカ、無理を言っちゃいけないよ。』


 さすがに見かねたリュウイチがリュキスカを宥めるが、リュキスカは今度はリュウイチにほぼそのままの勢いで食ってかかった。


「何が無理なんだよぉ?

 兄さんアンタ、ルクレティア様のことが心配じゃないのかい!?」


『いや、まあ…心配は心配だけど…』


 リュウイチが思わず気圧されてしまうともうリュキスカを止める者などいなくなってしまう。男尊女卑のレーマ帝国では女の言うことなど無理矢理黙らせることぐらい珍しいことではないのだが、今のリュキスカは降臨者リュウイチの第一聖女サクラ・プリマ…この世界でもっとも高貴な存在であった。いくら男尊女卑のレーマ帝国でも性別よりも身分制の方が優先される以上、アルトリウスにも同室している他の男たちにもリュキスカを黙らせることなど出来はしない。


「子爵公子さまだって、向こうの様子がわかるんなら大助かりじゃないさ!

 違うかい!?」


「いや、まあ、そう…ですが…」


「降臨者様が御自分の聖女様を助けようってのをダメって言う法律でもあるのかい!?」


「いえ…ありません。

 ええ、我々にはリュウイチ様を御止めする権能はございません。」


「じゃあ、いいじゃないさ!

 さあ兄さん、とっととやっちまっておくれよ!!」


『あ…う、うん…』


 まさかの展開にアルトリウスは気が遠くなる思いがしていた。

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