第1370話 暴漢

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞城下町カナバエ・カストリ・マニ集合住宅インスラ/アルトリウシア



 ……だ、誰!?


 見覚えの無い男に立ちはだかられてひるまない女はそう居ないだろう。逆光で顔が良く見えないこともあってディアナは外履きのサンダルを履いている途中だったが、思わず立ち上がって後ずさった。


 男の背丈はディアナより少し高いくらいだがガッシリした体格をしており、体重は倍くらいありそうだ。体格はホブゴブリンみたいだがブッカだろう。もう冬の寒さだというのに季節感をマル無視した薄着で、襟ぐりを大きくV字型に開いた袖なしの貫頭衣トゥニカ庶民用正衣トガ・プッラまとっているが、着慣れてないのだろう、全然さまになってない。首も襟元から除く胸板もむき出しになった腕も貫頭衣の裾から出た脚も髪の毛と同じ暗い色の体毛で覆われており、サンダルなんかはよく見ないと裸足ではないかと勘違いするほど小さく体毛に埋もれるほど細い紐で縛ってある。たたずまいも身のこなしもスマートとは対極の野卑やひそのもので、セーヘイムでよく見る荒くれ者然とした男だ。それが薄気味悪い笑みを浮かべてディアナを見下ろしている。


「あ~……お嬢ちゃんプエッラはここの子じゃないのか?

 アヴァロニア・レグリアさんに用があるんだがねぇ……」


 全身を舐めまわすような男の無遠慮な視線に薄気味悪い物を感じ、ディアナはまとっていたパエヌラの襟元を内側から掴んで締め合わせた。同時に片手でパエヌラが開かないように抑えつつ、もう片方の手で腰に下げていた小剣プギオーに手をかける。プギオーはダガーナイフを大きくしたような携行用の小型両刃直剣で、武器というよりは便利な道具として重宝される。軍人や猟師ならほぼ全員が携帯している。女性が持ち歩くのは珍しいが、ディアナは軍人一家ということもあって護身用として持たされていた。使い方についてはもちろん父からレクチャーを受けている。


「ここは確かにアヴァロニウス・レグリスの家ですが、私はここの者ではありません。

 失礼ですが、どちら様ですか?」


 ディアナの気丈な態度に男はフフンッと不敵に笑う。


「こいつぁ申し遅れた。

 オレぁパヌってんだ。

 怪しいモンじゃねえぜ?

 これでもリクハルドヘイムの郷士ドゥーチェリクハルド様の右腕、ラウリ親分の下で働いてんだ」


「リクハルド様の?」


 男は自慢気に自己紹介すると、ディアナはあからさまにいぶかしんだ。アルトリウシアの各地域を統治する郷士の名はディアナももちろん知っている。リクハルド・ヘリアンソンを始め海賊退治で手柄を挙げて前領主グナエウスに取り立てられた郷士たちは存在そのものがアルトリウシア名物扱いされるほどの有名人だ。彼らは担当する地域の統治の一部を代行する領主の代官だが、元がアルビオンニウムのギャングだけあって、彼らが率いる手下たちはガラの悪いヤクザ者が少なくない。また、郷士本人も代官のくせに裏家業に手を染めているという話は、アルトリウシアでは公然の秘密だ。である以上、郷士に連なる者だと名乗られたからといって安心はできなかった。


「リクハルド様の右腕、ラウリ親分だ。

 ラウリの親分がアヴァロニア・レグリアさんに用があるってぇんだ。

 ちっと合わせちゃくれねぇかい?」


 ディアナが外套パエヌラの下でいつでも小剣を抜けるように身構えていると気づいていないのか、それとも気づいていながら無視しているのか、男はズイッと玄関に踏み込んで来ようとする。ディアナはキッと男を睨んで気を張った。


「入らないでください!

 伯母マテルテラは今、遅い朝食イェンタークルムを摂っています。

 リクハルドヘイムのラウリ様が伯母マテルテラに何の御用ですか!?」


 男はディアナの負けん気に目を丸め、口をすぼめて驚いた様子だったが、顔には相変わらず薄笑いを浮かべており、本気で驚いたというよりはお道化て驚いて見せたといった感じだった。子犬が吠えるのを笑う男の子のようだ。ディアナは馬鹿にされたような気がし、男を睨みながらギリッと歯を食いしばる。


「ディアナ、大きな声を出してどうしたの!?」

 

 男はディアナに言おうとしたが男が実際に口を開く前に奥からベローナの声が響いた。ディアナは振り返り、男も声のした方へ視線を向ける。


お母さんマテル!」


「お、アンタがアヴァロニア・レグリアさんかい!?」


 奥から出て来たベローナはディアナ越しに身を乗り出してきている怪しげな若い男に気づくと途端に顔をしかめた。


「え……見た事無い人だね……何か御用ですか!?」


 ベローナが警戒心も露わに男に尋ねると、ディアナはその隙にサッと身を引き、ベローナの居るところまで下がった。そこは本来なら外履きで入って良いところではなかったがやむを得ない。怪しい人物から物理的に距離を置くのは全ての女性が身に着けるべき護身術の基本だ。


「ああ、御用だともさ。

 アンタ、アヴァロニア・レグリアさんじゃねぇのかい!?」


 何が気に入らないのか声に苛立ちを滲ませた男にベローナは毅然と答えた。


「違いますよ、アナタはどなた?

 何の御用なんですか!?」


 ベローナは男の無礼な態度に腹を立て始めていた。𠮟りつけるような口調での反問は男の神経を逆撫でしたようである。男は失礼にも二人の前であからさまに肩を落とし、天井を見上げて額に手を当て、「アーッ」などと嘆きの声を上げる。二人も連続で“ハズレ”だった上にその二人がコッチの用件に理解も協力もしようとしない使なせいで仕事が進まない……パヌはボヤくように言った。


「御用ったってそんな大したもんじゃねぇよ。

 簡単さ!

 ここに住んでるアヴァロニア・レグリアさんに、リクハルドヘイムの郷士ドゥーチェリクハルド様の右腕、ラウリの親分が会いたがってるって伝えてぇだけでよ?」


 そんな簡単なこともわかんねぇのかよ!? ……男は全身でそう表現しているようだった。いや、実際にそう表現していたのだろう。ベローナは値踏みするように男を見、それからフッと鼻で笑うと自分の横に逃げて来た娘をかばうように立ちはだかる。


「リクハルドヘイムのラウリさんなら私も見知っておりますよ。

 私の見間違いじゃなければ、アナタはラウリさんじゃありませんね」


 目の前のオバサンに自分がラウリを騙っていると勘違いされたと気づいた男は慌てて否定した。


「そりゃそうだ!

 おいおい勘違いすんなよ!?

 オレぁパヌってんだ、オレがラウリの親分なもんか!

 オレぁラウリの親分の使いで来たんだ、先触れノーメンクラートルって奴だよ!!」


 予想に反して何か妙な雰囲気になってしまったことにパヌは戸惑い、同時に上手くいかないことに苛立いらだちを募らせてもいた。パヌは愛想笑いを浮かべて必死に弁明するが、彼の目の前にいるベローナとディアナはますます警戒心を強めている。それはそうだろう、本来「先触れ」という仕事はパヌのような若造がするような簡単な仕事ではない。

 出かける主人に先回りして自分の主人の来訪を告げ、別の貴族とかち合いそうになったらお互いの身分やその時々の権勢などからどちらが道を譲るかを先方の先触れと調整し、トラブルを未然に防ぐ重要な役割なのである。有名人や有力者の顔と名前と役職などを覚え、身分や力関係などを正しく評価し、先方の機嫌を損ねることなく調整する……知識と礼儀正しさと調整能力を求められる非常に難しい仕事なのだ。当然、それを分かってるベローナのような貴婦人からすれば、パヌのような礼節もわきまえず頭も弱そうな若造が「先触れ」を名乗ったところで信じられるわけがなかった。


「申し訳ありませんがお引き取りください。

 ここはアナタのような殿方の来るところではございません」

 

 ベローナがきっぱりと断るとパヌは一瞬唖然とし、そして意味を理解するとより一層慌て始めた。


「お、おい何だよソレ!?

 もうすぐラウリの親分が来るんだぞ、ふざけんなよ!!」


 パヌはベローナに掴みかかった。


「やっ……やめなさい!

 放して!!」

母さんマテル!?」


下手したてに出りゃ調子に乗りやがって!

 舐めんじゃねぇぞ!?」


 ベローナはパヌに押されながらその手を振りほどこうと藻掻き始める。だが男性ブッカの腕力に敵うわけもない。それが頭に血が昇って見境の無くなった若者となれば余計だ。母の危機に気づいたディアナは自分の手に握られている小剣プギオーの存在を思い出すと、思い切って鞘から引き抜いた。


「やめて!!

 母さんマテルを放しなさい!!」


「!?」


 ディアナが横合いから着崩れていたパヌの正衣トガを掴み、引き抜いた小剣の鋭い剣先をパヌの顔に付きつけると、パヌはようやく動きを止めた。

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