第23話 ソロモン王の指輪

統一歴九十九年四月十日、昼 ー アルビオン港/アルビオンニウム



 軍団兵レギオナリウスはほぼ全員が船に乗り込み、ブッカたち船乗りが出港準備の最終段階に入ろうとしていた。

 リュウイチの奴隷買い取り騒ぎも一旦落ち着き、アルトリウスらも船へ乗り込むべく桟橋へと向かって歩いていた。

 その彼らの目の前で、伝書鳩の世話を担当する通信兵が鳩を追い回している。他の兵たちはその様子を見ながら笑っていた。


 桟橋に差し掛かったところでアルトリウスは立ち止まり、出港作業の指揮をとっていたサムエルに声をかけた。

「どうしたんだ?

 あいつは何を騒いでいる?」

「放った伝書鳩のうちの一羽が飛んでいかないらしい。」


 鳩の脚にはアルトリウスがメッセージを書いたリボンが結び付けられているのだが、そいつが放たれた後もずっと巣箱から離れようとせず、ちょっと離れたところに止まっては様子をうかがい、すぐに戻ってきてしまう。通信兵はいつまでも飛び立とうとしない鳩にごうを煮やして、小石を投げつけて追い払おうとしているのだった。


 ああも桟橋や船べりを走り回って小石を投げたりされて、万が一リュウイチに当たったりしたら目も当てられない。何とかやめさせたいが、伝書鳩が飛んでいかないのはそれはそれで問題であり放置もできない。

 アルトリウスはルクレティアにリュウイチ様には今しばらくお待ちいただくようお願いさせると桟橋の方へ歩きながら通信兵を呼んだ。


軍団長レガトゥス、申し訳ありません。」

 通信兵は駆けつけるなり醜態をわびた。

「いや、仕方ない。通信文をもう一通書くから、一羽追加で飛ばそう。

 あの鳩はどっち宛だ?」

「サウマンディウム宛です。予備はあと九羽ですが、よろしいのですか?」

「どうせ今晩には一度すべて返すのだ。

 これからサウマンディウムに向かうんだし、更なる通信が必要になる事態などそうそう起きんだろう。」



 鳩の帰巣きそう本能を利用する伝書鳩は、その鳩の本来の巣のある場所へしか飛んでいかない。だから今回のようにサウマンディウムへ伝書鳩を飛ばす必要がある時は、普段サウマンディウムで飼育されている鳩をあらかじめ借りて来ておいて、必要に応じてメッセージを脚にくくり付けて放鳥するのだ。


 しかし、その帰るべき場所から離してあまりに長い期間別の地域で飼育し続けると、鳩はその場所を新しい巣として認識してしまい、いざという時に飛んで行って欲しい場所へ飛んで行ってくれなくなってしまう。


 これを防ぐため、伝書鳩は例え託すべきメッセージが無かったとしても、定期的に本来の巣のある場所へ帰してやる必要がある。

 今回連れて来ているサウマンディウム向けの伝書鳩も、アルトリウスら一行がサウマンディウムに寄港した際に全て一旦返却し、アルトリウシアへ発つ際に別の鳩を借りて持って行くことになっていた。



「わかりました。じゃああの鳩はどうしましょう?回収しますか?」


 通信兵が言っているのは行き先を忘れた伝書鳩に括り付けられた通信文が誰かの手に渡らないよう、いっそ鳩を狩ってしまうかという事だった。

 通信文は暗号で書かれているし、誰かに回収されて読まれても意味は分からない。意味が分かったとしてもそれで何かが都合の悪い事が起きる可能性はほぼ無い。

 狩るためには一度仕舞った武器を再び持ち出す必要があるし、そこまでする必要は無かった。それより急ぎたい。

 アルトリウスは船の龍頭の上に止まって周囲の様子をうかがっている鳩を眺めながら通信兵に言った。


「いや、放っておいていい。」

「わかりました。では次の鳩を用意いたします。」

 通信兵がそう言ってアルトリウスの前を辞しようとした時、後ろの方からリュウイチの声が聞こえた。


『よーし、こっち来い』


 何故か、言葉の意味が分かった。

 アルトリウスと通信兵は思わずそっちに行こうとしてしまったが、自分が呼ばれたわけではないと気づいて踏みとどまった。


『おお、ホントに飛んできた。』


 またしてもリュウイチの声が聞こえる。知らない、あるいは不慣れな南蛮の言葉なのに何故かその言葉の意味が理解できてしまう。

 戸惑う彼らの目の前でくだんの鳩がリュウイチに向かって飛んでいき、リュウイチが差し出した左手に止まった。


「?」

(なんだ、何が起こってるんだ?)


 周囲の困惑をよそに、左手に止まった鳩を満足そうに眺めながらリュウイチが鳩に話しかけた。


『何だ?お前はどうして家に帰らないんだ?

 ・・・ああ、そうかそうか、分かった。』


(鳩と話をしている?)


 リュウイチはそのままかたわらにいたルクレティアに話しかける。

『この船に積まれた巣箱にコイツのつがいがいるらしい。それで離れたくないんだそうだ。』


 しかし、ルクレティアは固まったままリュウイチを見上げている。近くにいたクィントゥスとスタティウスも同様だった。


『あれ、どうかした?』


 ルクレティアは何度か瞬きして、クィントゥスやスタティウス、ヴァナディーズの方を見ると、三人はそれぞれルクレティアの方を向いて頷いた。やはり、三人も同じみたいだ。

 ちょっと離れたところにいるアルトリウスもアルトリウスと一緒にいる通信兵も、また逆方向にいるサムエルもその手下たちも同様のようだ。


 ルクレティアは日本語をある程度分かりはするが、スムーズには喋れない。典型的な外国語会話初心者と同じで集中して聞かないと聞き取れないし、意味を理解できない。

 だが、今はそれほど集中していなかったにもかかわらず意味がスムーズに入ってきた。しかも、それはヴァナディーズみたいに日本語が全く分からない、あるいは他のアルトリウシア軍団兵みたいに少ししか分からない人物でも同じ現象が起きている。


「あ、あの、リュウイチ様、鳥と、言葉交わしたもうや?」

 ルクレティアが恐る恐るリュウイチに尋ねる。


『え、ああ、この《ソロモン王の指輪リング・オブ・キング・ソロモン》の効果だ。

 魔道具マジック・アイテムで、これを付けると獣とか魔物とかとも会話したり使役したりできる。』


 そう言いながらリュウイチは自分の左手の中指にはまった指輪を指示さししめした。左手の人差し指の付け根辺りには鳩が止まっていたので、その動きはゆっくりだったが。

 そこにはさっきまでは無かった金色の指輪が嵌っていた。



 ケレース神殿テンプルム・ケレース中庭アトリウムでアルトリウスらが今後の対応について協議してるのを待っている間、当面の安全な時間が確保されたと判断した龍一がメニューを開いてセキュア内のアイテム類をあさっていた時にたまたま見つけた魔道具の一つだった。

 フレグランステキストには「獣や魔物等言葉の通じない相手とも意思を疎通し使役することが出来る」と書かれていた。効果は装備者の魔力に比例するが、設定で調節することもできる。


 鳩を追いかけまわす兵士とアルトリウスが会話している間、ルクレティアから伝書鳩が飛んでいかなくて困っているようだと聞かされた龍一は指輪のことを思い出し、さっそく使ってみたのだった。



『あれ、どうかした?』

 何か様子がおかしいのに気づいたリュウイチがルクレティアに尋ねる。

 ルクレティアは再度周囲の者を見回した後、リュウイチを見上げ、あえてラテン語で話しかけた。


「私の言ってることは分かりますか?」

『え?・・・ああ、はい、わかりますよ?』

「・・・・・」

『あ、ああ!?』


 リュウイチはようやく気付いた。彼女が日本語をしゃべっていない。


「はい、その指輪の効果と思われますが、ここにいる皆、御身の御言葉を解する事が出来ております。」


 ルクレティアにそう言われ、周囲を見ると周りにいた全員がリュウイチを見ている。


『私の言ってることが分かるんですか?』


 リュウイチがそう言って視線を動かすと、視線が合った相手がその都度頷いてみせた。どうやらこのアイテムは言葉の通じない人間とも意思の疎通を可能にするらしい。


『最初からこれ使ってればよかったね。』


 ルクレティアにそう言うと、彼女は「はぁ」と曖昧に笑った。


『あれ、お前はこのこと知ってたの!?』

 ふと気づいた疑問を《火の精霊》にぶつけると、《火の精霊》は悪びれもせずに答えた。

『知ってはおった。』

『何で教えてくんなかったんだよ!』

『その指輪は会話するための魔道具ではなく、相手を操るための魔道具だ。

 意思の疎通も可能にするが、同時に相手を使役してしまう。

 その指輪に魔力を込めて命令すれば、相手を意のままに操る事が出来る。

 主様の場合は元々持ってる魔力が強いから、わざわざ魔力を込めなくても意志の弱いモノや知能の低い獣ならば操れてしまうのだ。その鳩のようにな。

 相手を操りたいならそれでよいだろうが、会話するのであれば使わんほうが良いだろう。魔力を込めない様にすれば、単なる会話のための道具として使えんことも無いだろうがな。

 まあ、だから言わなかったのだ。』


 聞けば確かに恐ろしい副作用がある。うっかり冗談で「死ね」と言ってしまえば、相手は実際に死んでしまうだろう。その可能性に思い至った時、「面白い」と思ってしまうような邪悪な精神をリュウイチは持ち合わせていなかった。


『つ、使わない方が良いかな?』


「魔力を込めない様にできるのでしたら大丈夫かとは思いますが・・・」

 リュウイチの問いにルクレティアは自信無げに答えた。


 まあ、彼女にしても良く分からないのだから、明確に答えるのは難しい。

 何気なく発した一言で自分が操られてしまうかもしれないと想像すると、正直言ってあまり気持ちのいいものではない。出来れば使わないで欲しいが、意思の疎通がスムーズに出来るというのは魅力的であるのもまた事実であった。


 そして、それは使用者であるリュウイチにしても同じだった。

 自分が何気なく発した一言でトンデモナイ事件が起こってしまうかもしれない。自分の発言にイチイチ神経を使ってこれから発しようとする言葉がどういう影響を及ぼすか確認作業を行わねばならないとしたら、想像するだけで気が滅入ってくる。


『あ、何か効果の強さを設定できるみたいだから、レベルを最弱にして試してみるよ。』

「あ、はい。」

『じゃあ、桟橋の先まで行って!』


 バタバタバタッと鳩が桟橋の先に向かって飛んで行ったが、それだけだった。他は誰も動かない。


『大丈夫?』

 リュウイチとルクレティアは周囲の人々と顔を見合わせて確認する。


「大丈夫・・・のようです。」

『じゃあ、これで使ってみよう。』

「はい。」


 ルクレティアは何か拍子抜けしたように返事した。

 これで苦手な日本語で話さなくて済むという安堵感と、自分を介さなくてもコミュニケーションが可能になったという寂しさにも似た感覚が彼女の心境を少し複雑なものにしていた。


『あ、で、あの鳩はどうする?』

「えっ、えっと・・・」


 ルクレティアはどうすべきか答えを持ち合わせていなかったのでアルトリウスの方を見た。


「別の鳩を追加で飛ばすので、ご心配なく。」

 アルトリウスが代わりに答えた。


 結局その鳩は通信兵に大人しく捕まり、脚に括り付けられたリボンは回収された。それは他の鳩の脚に括り付けられ、無事サウマンディウムへと飛び立った。

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