第1140話 ペイトウィンの立場

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



「インプが知識や経験を共有できるのはそのインプが死んだ時だけ、インプが死ぬ瞬間に脳裏に浮かべていた知識だけです。ですからもしもそのインプが誰かに殺され、頭が恐怖でいっぱいになっていると、そのインプがそれまで得ていた知識や経験は共有されません。ただ、その時抱いていた恐怖だけが他のインプと共有されることになります。

 おまけに他のインプがその知識を得られるのは、この世に生を受ける際に限られるのです。」


 グルグリウスは嘆息するようにそう言った。ペイトウィンはグルグリウスがどこか遠くを見るような目をするのを横から見、「なーんだ」とあからさまに失望を露わにしつつも、今目の前にいる魔物がまるで人間に見えているような不思議な感覚に囚われていた。


 遠距離通信はいつでもどの世界でも重要な技術研究の課題の一つだ。この世界ヴァーチャリアでは早馬や伝書鳩で手紙を送るか、あるいは手旗信号、腕木信号、発光信号や狼煙のろしなどをリレー形式で情報を伝達する方法が最速とされている。手旗信号、腕木信号、発光信号といった通信は伝達速度だけを見れば最速だが、気象条件によって通信が遮断されるうえに通信の秘密を守り切れないという欠点がある。信号が発信されればそれは必ず近くにいる第三者からも見られてしまうからだ。暗号化すれば内容までは知られずに済むとはいえ、信号が送られたという事実までは隠せないし、暗号だって絶対に破られないわけではない。それに伝言形式にならざるを得ないため、文章が長くなればなるほど、距離が遠くなればなるほど、途中で間違って伝わってしまう可能性が増していき、どうしても正確性を担保できないという欠点もある。

 正確性や秘匿性という点を含めれば早馬が一番確実だろう。伝書鳩は早馬よりも早いが長文を送れないし、文書を送る鳩が途中で天敵に襲われたりする事故のリスクが無視できない。おまけにどちらの方法も文書を物理的に運ぶ形式であるため、通信速度にどうしても限界が生じる。

 この点、念話は距離を無視することが可能で、おまけに秘匿性も担保できる。が、問題は念話で通信するためには念話を使えるだけの高い魔法適正か、念話を可能とする魔導具マジック・アイテムが必要であることが大きな障害となっていた。


 念話を可能とする魔導具は存在するが、未だに研究が進んでおらずこの世界でヴァーチャリア人による製造に成功した例はない。ゲーマーがのこした聖遺物アイテム……《レアル》から持ち込まれたものか、ゲーマーがこっちの世界で創造したものの中にしか存在していないのだ。

 ただでさえ貴重な聖遺物アイテムの中でも特に貴重なものであるため、通信用魔導具はムセイオンで厳重に管理されており、外部への持ち出しは厳しく制限されている。そのうちの一部は国家間の緊急通信ホットライン用に貸し出されてはいるが、盗まれたり悪用されたりしないようにするため、魔力を込めなければ作動しない物だけを意図的に選んで貸し出されており、ただでさえ使いにくい念話通信をさらに使いにくいものにしていた。

 魔道具を使わずに念話で通信しようと思ったら、精霊エレメンタルなどの魔物や魔法生物に頼るしかない。彼ら一部の魔物や魔法生物は普段から念話でコミュニケーションをとっているから、彼らの力を借りれば話は簡単だ。が、人間と複雑な会話が出来るレベルの魔物や魔法生物となると高位のモンスターに限られる。精霊に至っては土着の神に類するような最高位のものに限られ、そのような存在ともなると魔力を持たない人間になどには興味さえ示してくれない。彼らの相手をしてもらえるのは相当に高い魔力なり魔法適性なりを有している者に限られるため、やはり念話通信の手段としては到底「お手軽」とは言い難かった。


 その点、インプを利用できるなら一挙に問題が解決できる。インプを召喚するための巻物スクロールは量産が可能だから、貴重な聖遺物も高い魔力適正も必要ない。しかもインプは魔法生物でありながら人間よりも遥かに弱く、魔法適性が無い者でもわずかなコストで使役することができるのだ。そのインプが念話を使えるなら、念話通信は誰でもお手軽に使えるものとなるだろう。インプは発声器官が未発達なため普通の人間と音声を使った会話はできないが、文字を覚えさせてしまえば念話で文章を送ることが可能になるではないか……。

 実現すればインプは今よりずっと広く普及することになるだろう。インプの召喚スクロールも大量生産されるようになるだろうし、インプの召喚スクロールの実用化に大きく携わったペイトウィンにも莫大な利益と名声がもたらされるはずだ。


 だがインプが集合知によって他のインプの記憶を獲得できるのが召喚された時の一度だけ、そしてインプが集合知によって記憶を発信できるのが死ぬ時だけ、おまけに死ぬときに望み通りの情報を発信できる保証もないとなれば、通信手段としては使えない。いくらインプの召喚スクロールが量産可能だとしても、何気ない手紙一枚のために日常的に使い捨てられるほど安価なわけではないからだ。


 しかし、集合知の存在をペイトウィンに教えるのはある意味危険な行為だったと言える。この世界ではインプは召喚スクロールで簡単に召喚でき、安い報酬で仕事をしてくれる便利な魔法生物として認知されている。だが体格が貧弱なため出来る仕事は限られるうえ、おまけに見た目の醜さゆえに忌み嫌われることから大っぴらな仕事はさせられない。インプなんか使役していると知られれば、使役者の品格が疑われることになるからだ。ゆえに、人目をはばかるような秘密の仕事ばかりをさせられている。繋がりを知られてはならない人物へ手紙を届ける、人の弱みを握るために監視する、貴重な宝飾品や書類をこっそり盗んでくる、憎むべき相手の食べ物や飲み物に毒を入れる等々……そして人に知られてはならない仕事をするからこそ、用が済めば安易に殺されてしまう。

 しかしそんなインプたちが集合知などというものを持ち、死ぬ間際に脳裏にあった情報を他のインプと共有していたことが世間に知られたらどうなるだろうか?

 

 他人に知られてはならないことを知っていたからこそ口封じに殺されていたインプ。だがその口封じは口封じになっていなかった。むしろ秘密を守るうえでは逆効果だったとしたら? 殺すことで逆に隠したかった秘密が拡散していたとしたら?


 この時、ペイトウィンの考えは残念ながらその意味にまでは及ばなかった。


「『なーんだ』ではありませんよ、ペイトウィン・ホエールキング様?」


 気づけばグルグリウスが険しい表情で睨んでいる。


「な、何がだよ?」


「インプたちは、同胞が殺された時の記憶を持って生まれてくるのです。

 お分かりですか?」


 ペイトウィンは思わず後ずさった。ペイトウィンに対してこのような攻撃的な視線を向けてくるのはごく限られた聖貴族たちだけだ。しかも、聖貴族の多くは貴族らしく振る舞うよう躾けられているため、よほどのことでもない限り感情を露わにすることは無い。特に怒りや憎しみなど、露わにすればその場にいる第三者にまで不快感を与えてしまう感情は隠すのが常だ。つまり、ペイトウィンは他人から怒りや憎しみといった感情を向けられることに慣れていなかったし、それに対処することにも慣れていなかった。

 檻の向こうからグルグリウスを見つめたまま黙り込んだペイトウィン……それは純粋に戸惑い以外の何物でもなかったが、グルグリウスは自分の言っていることを理解できていないのだと判断した。


「ペイトウィン・ホエールキング様、貴方様はこれまで幾度となくインプを殺しましたね?

 それも、御自身の魔法の威力を試したいという、ただそれだけのために……

 吾輩わがはいはそののですよ?」


 その怒気をはらんだ、地獄の底から響いてくるような声にペイトウィンの顔から見る間に血の気が引き、サーッと青くなる。グルグリウスの赤く燃え上がるように光る瞳、その突きさすような眼光からペイトウィンは見開いた目を離すことができない。文字通り蛇に睨まれた蛙のように身を固くし、へなへなとその場にへたり込んだ。


「……ぁ……ぃ、いや、それは……その……」


 何か言いたいが言葉が出てこない、出てくる言葉はいちいち喉につっかえ、喉を詰まらせて呼吸さえ困難なものにする。

 そんな悪いことだとは思わなかった。誰も悪いことだとは言わなかった。教えてくれなかった。当たり前のことだと思っていた。いや、。それなのにそのことを今更断罪されるなんて、今まで一度たりとも想像さえしたことが無かった。


 ま、まさか、殺されるのか?

 装備も聖遺物アイテムも全部奪われて!?


 胸の当たりをゾワゾワと締め付けらるような嫌な感覚に、ペイトウィンは思わず唾を飲み込む。それはやけに固くて、まるで小さくなる前に間違って飲み込んでしまった飴玉のように飲み込みづらかった。

 青白い顔をして目を見開いたまま固まってしまったペイトウィンを見たグルグリウスは、それで満足したわけでもないだろうがフンッと小さく鼻を鳴らし、つまらなそうに視線を前方へ戻す。


「まあ、御安心なさい。

 貴方様をとって食おうとは吾輩わがはいも思いません。

 今は貴方様を、ルクレティア・スパルタカシア様の御前みまえにお連れするのが吾輩わがはいの仕事なのですから。」

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