第1107話 リュウイチの介入

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 リュウイチの声が響いた瞬間、室内にいた全員がビクリと身体を震わせてその身を硬直させる。若き筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスラーウス・ガローニウス・コルウスなどはまるで教官の号令を聞いた新兵のように棒を飲んだように背筋をピンと伸ばしていた。マルクスも顔を青くし、目一杯見開いた目で何を恐れるようにリュウイチを見上げる。その額からグルギアを立たせようとしていた時から浮かび始めていた汗の粒が一つ、音もなく流れ落ちる。目が、顎が、そしてその首が、わずかに、小刻みに震えていた。


 リュウイチは装備した魔導具マジック・アイテム『ソロモン王の指輪』リング・オブ・キング・ソロモンの念話機能によって貴族たちと会話している。そして『ソロモン王の指輪』には言葉によって相手を服従させる機能も持っていた。虫や小動物くらいなら普通に話しかけるだけでその命令を聞いてしまうが、魔力を込めれば人間にも命令を強制することが出来る。リュウイチ自身は魔力を込めたつもりは無かったが、元々強大無比な魔力と無尽蔵の魔力量を誇るだけあって、少し語気を強めただけでも魔力がこもってしまったようである。

 貴族たちの様子から即座にそのことに気づいたリュウイチは内心で「不味い」と反省しつつ、小さく深呼吸して気持ちを落ち着かせるとなるべくを込めないように語り掛けた。


『女性を、まして具合の悪くなった人をそう言う風に扱ってはいけません』


「……は、はい……いや、しかしリュウイチ様……これはその……」


 マルクス自身は『ソロモン王の指輪』の効果を受けたことに気づいていない。『ソロモン王の指輪』による効果は対象の無意識に作用する。念話を通じて言われたことを、その通りにしたくなる、あるいはその通りにするのが良いことのように思えるようにするものなのだが、理性によってあらがうことは当然可能だ。というより、通常の人間にとって理性だけが『ソロモン王の指輪』の効果に抗う要素となる。

 リュウイチの込めた魔力は強くは無かった。少なくとも、面と向かい合った人間に対して何かを強要してしまうほど効力を発揮するものではなかったが、意識レベルが低下していたり、先ほどのように不意を突かれる形になると効果が現れやすくなってしまう。リュウイチに強く呼びかけられた時、マルクスの意識はグルギアにだけ向けられていたため、不意を突かれる形となったマルクスには『ソロモン王の指輪』が過度に作用してしまったのだった。が、今は意識がリュウイチに向けられたために、リュウイチが先ほど呼びかけた時と同じ程度に話しかけたとしてもマルクスが服従してしまうことは無かっただろう。

 どうやら失敗してしまったらしいという現状への気づきはマルクスをひどく動揺させてはいたが、リュウイチに服従しなければならないというような意識は全く働いていない。ただ、マルクスの意識はとにかくこの場を切り抜けねばという一点に集中されており、リュウイチに何とか弁明を試みている。そのマルクスを、リュウイチは宥めた。ひとまずマルクスを落ち着かせなければ、あのグルギアという女奴隷はこのまま苦しみ続けることになる。


『大丈夫です。事情は、何となくですが察しました。

 ですが、その女性の具合が悪いのは確かなんですから、どうにかしないと。

 このまま無理に立たせててもどのみち話はできません。

 別室で休ませられないというのならせめて椅子に座らせましょう。

 そうすれば、話を聞くくらいはできるでしょう?

 ひとまず彼女はその場にしゃがませてください。

 貧血ならそれだけで症状がだいぶ楽になる』


 そこまで言うとリュウイチは背後に控えているネロに指示を出し始めた。その様子を見てマルクスは失敗はしてしまったものの、まだ取り返しは付きそうなことに気づき、気を取り直すために小さく咳払いすると仕方ないとでも言いたそうな表情でグルギアを掴む腕をゆっくり下げてグルギアをその場に座らせた。グルギアはしゃがもうとしたようだったが、バランスを崩してその場にへたりこむように横座りしてしまう。


『ネロ、彼女に椅子を用意して……

 あー、あと彼女はどうも顔色が悪いようだ。

 薄着だし、もしかしたら寒いのかもしれない。

 これを着せてやって』


 リュウイチはネロに命じながらストレージから濃い灰色のフード付きのローブを取り出した。『見習い魔法使いのローブ』……色といい形といい見た目は地味そのもの。後付けで魔法効果を付与することが出来るが、リュウイチのストレージにいくつもある真っさらな新品装備品の一つであるためデフォの防寒効果、防暑効果以外の特別な魔法効果は無い。リュウイチにとってはどうでもいい、ゴミのような装備品の一つだが、今体調を崩して寒さに震えている女性を救うには十分だろう。一番見た目が地味だから奴隷に着せても文句を言われにくい。

 しかし、リュウイチにとってはゴミのようなツマラナイ代物でもこの世界ヴァーチャリアの住民にとっては立派な聖遺物アイテムである。リュウイチが薄暗い室内でも艶やかに輝きを放つ上品なグレーの布の塊を何もない空間から取り出して見せた瞬間、貴族たちは一斉に目を丸くした。中には悲鳴じみた小さな声を漏らす者もいる。それに気づかず、『見習い魔法使いのローブ』を背中越しにネロに投げながら続けてロムルスに向かって指示を出した。


『ロムルス、彼女に何か飲み物を!

 温かいのがいい。身体が温まって気分が落ち着きそうなのを……

 そうだ、御茶だ。温かい御茶に砂糖をたっぷり入れて甘くして持って来て!』


「リュウイチ様!」


 見かねたルキウスが動揺を隠さず、リュウイチをいさめる。


「さすがにそれは……見ず知らずの女奴隷セルウァなぞにそのような……」


 何もない空間から取り出した物……それは間違いなく聖遺物。《レアル》の産物はこの世界にとって貴重な宝物であり、本来ならムセイオンに集められて管理されるべきもの。魔法効果のない物と確認されればムセイオンに収蔵されることなく元の持ち主に返されることもあるが、そうした物でさえ王侯貴族が珍重するものなのである。それをああも無造作に見ず知らずの、それも他人の奴隷に与えるなどでは考えられることではなかった。


『ああ、大丈夫ですルキウスさん。

 魔導具マジック・アイテムなんかじゃないですし、一番価値の低い初級装備品で……ああ、一番ありふれたツマラナイ物なんです。

 同じ物がいくらでもありますから、気にしないでください。』


 それがどのゲームの装備品かはわからない。ただ、リュウイチはとにかくたくさん持っていた。魔法もほぼ同じ効果の名前違いのがたくさんある。おそらく、複数のゲームのキャラがスキルやアイテムと共にこのヴァーチャリアという一つの世界に持ち込まれたのだろう。そしてリュウイチは、というよりこの《暗黒騎士だあくないと❤》というキャラは、それらの全てを手に入れていたようだ。だから装備品も同じようなのがたくさん揃っている。

 リュウイチはRPGゲームは程度にしかプレイしていない。有名どころのゲームは一通りプレイした経験があるが、PRGゲームオタクというわけでもないし特定のゲームをやりこんだ廃人プレイヤーというわけでもない。むしろ基本的にはFPSプレイヤーでRPGは程度にしかやってないくらいだ。だから特に詳しいわけじゃないし、アイテムや魔法を見て「これはあのゲームのどのキャラのだ」と判別なんて出来はしない。ただ、特定の系統の一番弱いアイテムは初心者用アイテムだろうという程度は分かる。だから一番地味で一番ツマラナイ装備品を選び、それを「初級装備」と言ってしまったのだったが、それがヴァーチャリアの人間に通じるとは思えず言い直したのだった。

 が、たとえ初級装備だろうが基本装備だろうが聖遺物は聖遺物である。


「リュウイチ様にとっては取るに足らぬ物でも我々にとっては貴重な聖遺物アイテム……いや、貴重な宝物です。

 それをそのようにぞんざいに……どうか御自重ください。」


『急いでいたのですみません。

 気を付けます。

 ネロ、急いでくれ』


 ルキウスの諫言かんげんを大袈裟に思いつつも、リュウイチは背後でローブを受け取ったまま戸惑っていたネロを促した。

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