第265話 対応のすり合わせ

統一歴九十九年四月二十二日、昼 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



「我々としては早期に事態が収拾されることを希望しています。

 ですが、アルビオンニアの現有兵力では軍事的オプションは採りにくいというのが我々の判断です。残念ながら、エッケ島を攻略するには兵力が足りません。

 サウマンディウス伯爵からのご支援をお願いすることは可能でしょうか?」


 エルネスティーネが思いつめていたことを打ち明けるようにマルクスへ問いかけた。それは列席者からすれば唐突な発言であったようにも思われた。


アルビオンニア侯爵夫人エルネスティーネ、エッケ島を攻略のためにサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアを派遣することは可能と考えます。

 ですが、その…それが良策であるとはウァレリウス・サウマンディウスプブリウス伯爵閣下はお考えにはならないでしょう。」


 一瞬ためらった後、マルクスは断言する。


「理由は…やはり降臨者様でしょうか?」


「ご賢察けんさつのとおりでございます、侯爵夫人マルキオニッサ

 エッケ島はアルトリウシアから目と鼻の先、このマニウス要塞カストルム・マニからでも島影は見えます。そのような場所で軍団規模の戦闘を行えば、こちらにおわす降臨者様を刺激してしまうのは必定。その結果、降臨者様の…あの伝説の《暗黒騎士ダークナイト》様の力が解放されてしまうようなことは避けねばなりません。

 仮に、降臨者様が介入なさらなかったとしても、その危険を冒してエッケ島を攻略すればレーマ本国からの批判は免れません。先刻の謀反の訴えに、わざわざ説得力を持たせてやるようなものです。」


 アーディンらがレーマへ行くことは今更どうしようもなかったし、アーディンがレーマ本国に侯爵家と子爵家が謀反を企てているという訴えが届くのは間違いない。やろうと思えばアーディン一行がレーマへ到着する前にエッケ島を攻略することは可能だが、アーディンが届けた報告にレーマが対応しようとた時、すでにエッケ島が攻略されてハン支援軍アウクシリア・ハンが消滅していたとしたらどうなるだろうか?


 アルビオンニア侯爵夫人は謀反の疑いをもみ消すためにハン支援軍アウクシリア・ハンを討った。


 そのように勘ぐる者が出てくるであろうことを想像するのは容易だった。本来、ハン支援軍アウクシリア・ハンはアルビオンニア侯爵へ貸し出されているとはいえ皇帝インペラートルの直轄組織である。叛乱が否定のしようのない事実であったとしても討伐するためには皇帝インペラートルの承認は必要であろうし、そのためにも彼らの訴えを否定するだけの十分な証拠を用意せねばならないだろう。

 それはマルクスが言ったようにエルネスティーネの希望する早期解決からは程遠いものだった。


「現状で我々はエッケ島を攻略することは出来ませんが、彼らもエッケ島から出ることが出来ません。

 御心痛はお察ししますが、無理に急ぐことも無いでしょう。」


 マルクスの慰めはエルネスティーネをはじめとするアルビオンニア貴族には虚しいものでしかなかった。


ウァレリウス・カストゥスマルクス卿、我々には急がねばならない理由があるのだ。

 彼らはアルトリウシアから二百人にも及ぶ女たちをさらって行ったのだ。」


「女たちを…ですか?」


 ルキウスの言った理由が理解しきれなかったマルクスは怪訝な表情を浮かべ訊き返す。戦場となった地域から一般人が拉致されることは珍しいことではない。捕虜は身代金に替えられるし、身代金の支払い拒否された捕虜は奴隷として売り払うこともある。当然、女子供もその対象になりうるのだ。


「そう、ブッカとホブゴブリンの女…それも妙齢のばかりをだ。」


「まさか、その女たちはサビニ人サビナエですか!?」


 遅まきながらその意味に気づいたマルクスが驚きの声を上げた。

 「サビニ女の略奪サビナエ・ラプタエ」…建国当初、男ばかりで子孫を残せないまま一代限りで滅亡する運命にあったローマが、近隣部族サビニ人から多数の未婚女性を拉致して力づくで妻としたという伝説は、《レアル》の神話としてこの世界ヴァーチャリアにも伝わっていた。レーマ帝国では「サビニ人サビナエ」と言えば、拉致され力づくで妻にされた女を指す言葉として定着している。


 アルトリウシア平野南部でアリスイ氏族から夜襲を受けて兵力の半数を失い、その後さらに『グナエウス峠の悲劇』によって貴族以外の女子供を死滅させてしまったハン支援軍アウクシリア・ハンは男女比が極端に偏ってしまっており、伝説の建国当初のローマと似たような状況にある。彼らはこのままでは子孫を残せず絶滅するしかない状況なのだ。その危機を脱するために、ゴブリンの子を産めるブッカやホブゴブリンの女たちをさらうのは、言われてみれば十分ありうる話である。

 通常の捕虜であれば身代金を払えば返してもらえるし、奴隷として売り飛ばされたとしても探し出して保護することは可能だろう。だが、その話が真であれば彼女たちは帰ってくることはあるまい。


「少なくとも、同時にさらわれた水兵とその家族については、即時返還の約束を取り付けてある。だが、それもいつになるのか不確定だ。

 それに他の女たちも一部は逮捕した容疑者扱いだそうだが、多くについて彼らはと主張している。なるべく交渉によって返還されるよう働きかけるつもりではあるが、当然向こうも簡単に返そうとはすまい。」


「それで、解決ですか・・・」


 ルキウスの説明にマルクスは半ば浮かせていた腰を脱力するように椅子に落ち着かせる。


「そうだ、彼女たちがハン族の子を産む前に解決せねばならん。」


「それには相当急がねばなりますまい?」


 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアから派遣されている救援部隊を率いる大隊長ピルス・プリオルバルビヌス・カルウィヌスが口を挟んだ。彼はアルトリウシアへ派遣されて以来、基本的にアイゼンファウスト地区の復旧復興作業に専念していて今回の会議で話されている内容について事前に知らされていなかった。そのことに、少なからぬ不満を抱いていたため、声の調子にもやや苛立ちの色が浮かんでいる。


「左様、冬になってしまえば春まではエッケ島攻略は困難になってしまう。ゆえに、なるべくこの冬までに解決を図りたい。」


 それはハン支援軍アウクシリア・ハン討伐の許可を皇帝インペラートルから得る前にエッケ島を攻略してしまうことを意味していた。


「お待ちください!

 それではアルトリウシアの復旧はどうなりましょうか!?

 エッケ島攻略に必要な兵力を割けば復旧作業に確実に影響が出ます。冬までに住居を用意しきれなくなりますぞ!」


 バルビヌスのわずかに怒気を孕んだ指摘は当然のものだった。


「そればかりではありません。先ほども申し上げましたように、降臨者様の御傍で戦をすれば、かなえ軽重けいちょうを問われかねません。」


 隣でいきどおるバルビヌスの肩に手を置き宥めながらマルクスも重ねて忠告する。エッケ島を軍事力で制圧するのは、火薬庫の近くで花火で遊ぶようなものだ。領地を治める領主としての見識を疑われることは間違いない。


「むろん、それは理解はしている。

 ゆえに軍勢を差し向けて一気に攻略しようとは思っておらん。先ほどこちらからも申し上げたように現有兵力は足りませんからな。交渉によって解決を図る方針に違いはない。」


 ルキウスはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの二人を宥めるように首を振りながら言った。


「ただ、交渉を優位に進めるためにも軍事力を背景にしないわけにはいかん。

 彼らにとって最悪のシナリオは、我々が軍事力に訴えてエッケ島を力攻めすることであろうからな。我々はそれをしうる…と、彼らに思わせておく必要があるのだ。」


「つまり、…そういうことですか?」

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