拡大する戦域
捧呈の影響
第435話 セヴェリ川の警戒網
統一歴九十九年五月三日、早朝 - アルトリウシア平野セヴェリ川/アルトリウシア
南北に長く伸びる
しかし、西山地から幾多の河川を通じて流出した膨大な土砂が長い年月をかけて堆積し、現在のアルトリウシア平野を形成するようになると、セヴェリ川はその流れを大きく阻害されることになる。平野には常に大量の水が流れ込み、河川は氾濫を繰り返し、他の川と交わり、あるいは別れ、平野の全域を湿地と化している。セヴェリ川もまた他の河川同様に平野で勢いを殺がれ、他の川と交わり、または別れ、北へ大きく向きを変えて今のようにアルトリウシア湾へ流れ込むようになっていた。
ゆえに、セヴェリ川はアルトリウシア湾へ流れ込む河口付近での流れは広く浅く、そして非常に穏やかであり、流れる水の音さえ聞こえない。ただ、セヴェリ川は今も相変わらず西山地から大量の土砂を運んでおり、おかげでセヴェリ川自体はもちろん、アルトリウシア湾も非常にゆっくりとだが、年々浅く、そして狭くなってきていた。
その音もなくゆったりと流れる川の上に、やはり音もなく
ほぼ丸一夜、藪の中から対岸を部下たちと共に交代で見張り続けていたドナートは深いため息をついて頭を抱えた。別に、徹夜で頭痛がするわけではない。
あいつら、コレをずっと続ける気なのか?
彼の最初の任務はアルトリウシアの偵察だった。ダイアウルフの機動力を活かし、アルトリウシア平野を一気に横断して前進拠点を設置、セヴェリ川越しにアルトリウシア情勢を偵察する監視態勢を構築する。
ところが、作戦開始二日目にして隊員のダイアウルフが突如遠吠えを始め、アルトリウシア側にダイアウルフの存在がバレてしまって作戦は急遽中止となる。が、それはハン支援軍の幕僚イェルナクが「ダイアウルフが逃げ出した」とウソの報告をすることで誤魔化すことに成功した。同時に智謀に長けたイェルナクは逃げたダイアウルフの捜索と捕獲のため、アルトリウシアでの活動を許可するように求めた。それが認められればドナートたちはこうやってコソコソすることなく、大手を振ってアルトリウシア平野で自在に活動することができたであろう。
だが、イェルナクの申し出は却下された。あまつさえ、逃亡したダイアウルフは脅威にならないとさえ言われてしまった。それをハン族にとって誇りともいえるダイアウルフを不当に軽んずるその暴言を、ハン族そのものに対する侮辱と受け取ったハン支援軍首脳部は、即座に新たな作戦を発令する。
アルトリウシア平野からダイアウルフを放ち、アルトリウシアの連中にダイアウルフの脅威を見せつけてやれ!
「言うのは簡単だがな・・・」
作戦の実行責任者たるドナートはそう
そう、言うのは簡単だ。だが実行は難しい。
アルトリウシア側が「ダイアウルフは脅威ではない」と言い放った理由は明らかだ。あの防御態勢があれば、たしかに数頭程度のダイアウルフなど脅威ではあるまい。
川岸にズラリと
貴重なダイアウルフが死んだり傷ついたりするのはもちろんNGだ。
「どうでした、隊長?」
帰ってきたドナートを部下やダイアウルフたちが迎える。もちろん、彼らも別に怠けてここで
「よーしよしテングル、まだ“待て”だ。
駄目だな、アイツら警戒をまったく解かないぞ。」
ドナートは鼻を摺り寄せて来る自分のダイアウルフを宥めながら、様子を訊いてきた副官のディンクルに答えた。
「朝靄に
「自分で行くならそれで行けなくはないかもしれんが、今回はダイアウルフだけでだからな…」
ドナートもそれを考えなかったわけではない。だが、今回は彼らゴブリン騎兵は決して姿を見せてはいけないのだ。もし、彼らが姿を見せればダイアウルフが逃亡したのは嘘だったとバレてしまう。だから今回はダイアウルフだけでアルトリウシアの街を襲わなければならない。これは絶対の条件だった。
だが、いくらダイアウルフが高度な知能を持っているとは言っても所詮は狼である。言葉は通じない。ダイアウルフはいくつかの言葉を解するが、複雑な命令を理解して実行することができるわけではないのだ。
セヴェリ川を渡って帰って来る。それだけなら出来るだろうと思う。しかし、敵がああも警戒態勢を敷いているなかで、それに見つからずに行って人をテキトーに襲って、それで敵兵に見つからない様に無事に帰って来いなんて命令を理解できるとは思えないし、実行できるとも思えない。
「でも、このままじゃ
連中に遠吠えを聞かせるだけじゃ、ダメなんでしょう?」
あれからもう一度遠吠えを聞かせた。遠吠えを聞いたレーマ軍は、伝令らしきものがあわただしく行き来するのが見えたが、それだけだった。兵士が逃げるわけはないし、かといって増員されてくるわけでもない。
おそらく、ココにダイアウルフがいるのは織り込み済みなのだろう。そのうえで、川を渡ってこない様にああして立って見張っているのだ。
「遠吠えを聞かせるだけで何か動きがあるなら、それを続けるだけでいいんだろうがなぁ…敵さん、遠吠えだけじゃビビってもくれんらしい。」
今回の作戦の目的はあくまでも
しかし、アルトリウシア側はもう遠吠えには慣れてしまったようだ。まったく反応が無さそうに見える。これではダイアウルフを捕まえてくれなどと言わせることはできっこない。
「何か別の方法を考えなきゃいかんな・・・」
「何か考えがあるんで?」
いつの間にか『単騎駆け』の伝説を持つ英雄ドナート騎兵隊長に期待の眼差しを向けている部下たちを見回し、フッと小さくドナートは笑った。
「無いから考えるんだろ?
だが、腹が減ってちゃいい考えも浮かばん。
だいぶ早いが飯にしよう。」
メシと聞いてダイアウルフたちがピクンと反応し、尻尾を振り始める。ディンクルは「ちげぇねぇ」と笑うと、他の部下たちと共に荷物を漁り始めた。
朝食と言っても火は使えないから、レーマ軍の
彼らはハン支援軍最後のエリート部隊、
ドナートはそのハン支援軍全体の期待に応える責務があった。
「しかし、ホントに何か別の手を考えないと・・・」
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