イェルナク苦戦

第665話 イェルナクの報告

統一歴九十九年五月八日、午前 - 『青山邸』ヴィラ・カエルレウス・モンテス/サウマンディウム



「レーマ帝国随一の広大な属州サウマンディアを有する帝国南部最大の実力者、プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵閣下の御尊顔を拝する栄に浴しこのイェルナク、喜びに身も震えんばかりでございます。」


 レーマ人の美的感覚からすれば不格好としか評しようのないハン族の革鎧を身にまとい、その上からレーマ風の正装トガで全身を包んだホブゴブリンはプブリウスの前にひざまずき、拱手きょうしゅして頭を下げた。正直言って何度見てもおかしな格好である。一般的なレーマ人が今のイェルナクの格好を見れば、十人中十人が眉をひそめるだろう。

 イェルナクがこのような格好をしているのはもちろんそれなりに理由があってのことだ。あくまでも自分が軍使レガティオー・ミリタリスであることを示さねばならないがための軍装であり、同時にレーマへの恭順の姿勢を示さんがための正装トガであった。しかし、意地悪な見方をすれば正装トガに身を包んで恭順の意を示してはいても、それはあくまでも表面的なものであって内には野心を秘めていることを示しているようにも見えなくはない。


 そもそもトガは普通の毛布の三倍はあろうかという大きな布を折りたたみながら身体に巻きつけ、最後の一端を左腕にかけてまとう衣装である。着るのも一人では難しいし、着たら着たで身動きも制限される。激しく動けば簡単にはだけて乱れてしまうし、左腕は服の一端を支えるために塞がれるため何も出来ない。唯一自由に動かせるのは右腕一本のみなのだ。着こなすためには、穏やかな身のこなしが必要不可欠であり、ゆえに気品を身に着けた者にしか着こなせない。運動したり戦ったりするのには全く不向きな衣装なのである。だからこそトガは平和な時の正装であり、文民を象徴する衣装となっている。


 つまり、本来トガは軍装とは相いれない衣装なのだ。


 にもかかわらず革鎧の上にトガをまとうなど、レーマ人からしたら自分たちの文化をバカにされているような嫌悪感を抱いてしまったとしても仕方のないことであっただろう。そしてプブリウスもまた、そうした嫌悪感を抱いてしまうレーマ貴族の一人であった。さすがに上級貴族パトリキだけあって本人を目の前にいきなりケチをつけるほど不用心ではなかったが……


「ああイェルナク殿、軍使レガティオー・ミリタリスとしてのお勤め大義である。

 さて、いかなる用件かお聞かせ願おうか?」


 プブリウスはイェルナクを見下ろしながら、誰にも聞こえないように溜息を吐くように鼻から大きく息を吐き出してから素っ気なくそう言った。このような男などとっとと追い出してしまいたいがそうもいかない。一応は正式な軍使レガティオー・ミリタリスではあったし、なるべく長くサウマンディウムに留まらせなければならないのだ。リュウイチの降臨を知ってしまったこの男を、今エッケ島にこもっているハン支援軍アウクシリア・ハンの下へ返すわけにはいかない。それはエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人からの要請であり、同時にプブリウスにとって自身の失態をあがなうために必要な事でもあった。そのためには、この無駄としか思えない会談もこなさねばならない。

 そのようなプブリウスの内心など知る由もないイェルナクは「ハッ」と快活に返事をすると、跪き拱手した姿勢のまま顔を上げた。


「誇り高きハン族の長、ハン支援軍アウクシリア・ハンを率いる偉大なるムズクに成り代わり、サウマンディウスプブリウス伯爵閣下に改めて御報告と要請がございます。」


「苦しゅうない。言ってみるがよい。」


 イェルナクが言いたい事などとっくに分かっている。報告したいこともだ。先にイェルナクと共にアルビオンニウムへ渡っていたマルクス・ウァレリウス・カストゥスから、アルビオンニウムで何があったか聞いていたからである。

 だがプブリウスはイェルナクをサウマンディウムへ留めさせるために、まったく気は進まないが芝居を打つことにした。イェルナクがサウマンディウムへとどまり続けるためには、イェルナクがサウマンディウムに留まることで何がしかの成果を得られると期待することが重要だ。もしサウマンディウムへ留まっても意味がないと気づいてしまえば、イェルナクは早々に帰還しようとするだろう。たとえプブリウスが強引に押しとどめようとしても、無理やりにでも帰還しようとするかもしれない。たとえ帰還できなくとも、何らかの方法でエッケ島の本営に連絡を取ろうとするに違いない。

 そうなっては面倒だ。力づくで拘束することも出来なくはないが、仮にも軍使レガティオー・ミリタリスを捕縛したりすればいくら相手が叛乱軍でも後々問題になるだろうし、中途半端に幽閉すれば先述したように何らかの方法でエッケ島へ連絡を取られてしまう危険性もある。

 ゆえに、イェルナクには希望を持たせつつ何も与えないという詐術により、本人に気付かれることなくサウマンディウムに留めねばならないのだ。


「ハッ、ありがたき幸せ!

 まず御報告申し上げますは、メルクリウス団についてでございます。」


「メルクリウス団?」


 怪訝けげんな様子で訊き返すプブリウスに、イェルナクは主人の投げた木の棒を咥えて戻ってきた犬のように興奮と歓喜の滲み出る様子で答える。


「ハッ、サウマンディウスプブリウス伯爵閣下の御厚情により訪れましたアルビオンニウムにおいて、ワタクシはついにメルクリウス団の尻尾を捕らえました!」


 イェルナクとは対照的にプブリウスは退屈を必死に噛み殺すようにフーッと息を吐く。


「はて‥‥‥アルビオンニウムでは何やら盗賊団の襲撃があったとは聞いておったが、メルクリウス団などの手がかりなんかがあったのか?」


「ハッ、その盗賊団こそがメルクリウス団実在の証拠です!

 かの盗賊団、実はメルクリウス団に操られておったのです!!」


 まるで手品の種明かしをする大道芸人のように、イェルナクは勿体をつけながら言った。「さあ驚け」……その表情はそう言っているかのようである。だがプブリウスの反応はイェルナクの期待に沿うものではなかった。


「ふぅ~む……盗賊団がメルクリウス団にのぅ……」


「ハッ、まったく驚天動地きょうてんどうちでございます。

 しかしこの通り、捕えた捕虜の証言によると、彼奴等きゃつらの背後にはメルクリウス団の影が確かに見え隠れしておるのです!」


 そう言いながらイェルナクは盆に乗せて脇に置いていた羊皮紙の束を差し出した。それは彼が一昨日まとめた捕虜の証言記録の報告書であった。

 プブリウスが合図をすると近習の者がイェルナクから羊皮紙の束を受け取り、プブリウスの座った椅子の脇にある小さな円卓メンサの上に置いた。プブリウスはその羊皮紙の一枚を手に取り、軽く目を通す。


「常人にはあらがえぬ強大無比な力を持ったメルクリウス団はシュバルツゼーブルグ近郊の盗賊どもをまとめあげ、支配下に置き、不遜にもレーマ軍に歯向かわせたのでございます。

 そこに記された捕虜たちの証言はいずれもその事実を裏付けております。」


 緊張を隠した硬直した愛想笑いを張り付けた顔でイェルナクはプブリウスを見上げ、必死にアピールする。プブリウスはそのイェルナクをあえて見て見ぬふりをし、羊皮紙に書かれた文字を追うかのように視線を走らせた。

 もちろん内容はマルクスから聞かされているので読まなくても概要は知っている。正直言って読む気にはならない。実際、書かれていることはマルクスに教えられた通りの内容で、出来の悪い三文小説のようであった。


「ふむ、なるほどのぅ。

 事実であれば大事件だ。」


「事実ですとも!!

 我らハン支援軍アウクシリア・ハンも盗賊団と同じく、メルクリウス団にハメられたのです!

 どうか奴らを捕まえてください!

 そうすれば我らの、叛乱軍などという不名誉かつ不当な疑いは一挙に霧散しましょう!」


「まあ待て」


 必死に言いすがるイェルナクを宥めるようにそう言うと、プブリウスは手に取った羊皮紙を円卓メンサに戻した。その表情は無関心そのものであり、それを目にしたイェルナクは戸惑いを隠せない。


 メルクリウス団の証拠を目にして、何でそうも無関心でいられるのだ!?


「盗賊どもは命惜しさに都合の良いウソの証言をしている可能性もある。」


「ウソではありませんとも!!」


「まあ待たれよイェルナク殿。

 これだけ立派な報告書が多数揃っておるのだ、嘘かまことかはおのずと知れよう。

 だが、これだけ多いとにわかには処理しきれぬ。

 精査するためにはそれなりに時間が必要になろう。」


「もちろんでございます伯爵閣下!

 聡明な伯爵閣下なればメルクリウス団の実在を看破なさるに違いありません。」


 イェルナクはプブリウスの「精査する」と「時間が必要」という言葉が気にはなったが、その前に「立派な報告書」と言ってもらえたことに気を良くし、プブリウスが評価してくれていると期待した。


「よし、ではコレはまたこちらで精査し、追って結果を伝える。

 それでよいな?」


「ハッ!伯爵閣下の御意ぎょいのままに!」


「よし、では結果が出たらまた報せるゆえ、本日は下がって良いぞ。

 大儀であった。」


「お、お待ちください閣下!」


 早々に場を切り上げようとするプブリウスにイェルナクは慌てて追いすがった。


「ん?まだ何かあったか?

 おお、そういえば報告と要請があるとか言っておったのう。」


「ハッ、御記憶いただきありがとうございます閣下。」


 危うく追い払われようとするところを踏みとどまり、イェルナクは安堵した。


「うむ、では要請とやらは何かな?

 この間、聞いた要請については大方かなえてやった筈だが?」


 プブリウスは前回、イェルナクを謁見した際にハン支援軍アウクシリア・ハンからの要請を受けていた。そしてそれらは項目ごとに出来る出来ないの回答を済ませており、中には既に対応済みの要請もあった。たとえば船大工の派遣などがそれである。今更、ハン支援軍アウクシリア・ハンからの要請などあるはずはない。

 イェルナクは再び姿勢を直すと改めて口を開いた。


「ハッ、伯爵閣下の御厚情には感謝の他ありません。

 今回はあれらとは別に、新たなお願いがございます。」

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