第340話 揺さぶり

統一歴九十九年五月一日、昼 - エッケ島ハン支援軍本営/アルトリウシア



 セーヘイムからエッケ島にこもっているハン支援軍アウクシリア・ハンに補給物資を輸送する船便に便乗し、セーヘイムで何の成果もあげられなかったイェルナクは帰ってきた。いや、強いて言えばハン騎兵のアルトリウシア平野での活動を脱走したダイアウルフのせいにすることで有耶無耶うやむやにできていたし、建設物資についても最終的には優先権は低いながらもという条件付きで認めさせることが出来ていた。だが、ハン族の他の王族たちがそれで満足するはずがないことは、イェルナクが一番良く分かっている。


 エッケ島に上陸した足でそのまま本営に直行したイェルナクは、ムズクやディンキジクたちに対し、力を落とし申し訳なさそうに残念な報告を…しなかった。成果をあげられなかったという事実は報告したが、怒りをあらわにし、如何にも相手が一方的に不当な回答をしてきたかのように報告をしたのだった。


「まったく道理に合わん!

 ふざけた奴らです!!」


 イェルナクは地団駄じたんだを踏むようにわめき散らす。自分は悪くない。こちらは誠意を尽くしたのに全く理不尽な対応をされた。イェルナクの言い分を信じるならばそういうことになる。

 何か問題があって事が上手くいかなかったとき、自分は悪くない、相手が悪いと主張して責任を回避しようとする。そしてそれを裏付けるかのように怒りを露わにして周囲の疑念や批判を封じ込めるというのは、別にイェルナク個人の資質の問題ではなかった。ハン族が、そもそもそういう文化的傾向を持っていたのだ。実を言うとイェルナク自身はそういう風な態度で責任を回避する傾向は、ハン族の中ではかなり弱い方である。そうだからこそ、彼は対外折衝を一手に担う役割を長年勤め続けていたのだ。

 その彼が「自分は悪くない、相手が悪い」と主張すれば、周囲の者たちは納得するほかない。ムズクとディンキジクはイェルナクの報告を全く疑わなかった。


「ディンキジクよ、どう思うか?」


 ムズクがおごそかな態度でかたわらに控える家臣に問いかける。


「は、レーマの奴儕やつばら、まったくしからんと存じます。

 誇り高き我らハン族を何だと思っておるのか…

 かの邪知暴虐じゃちぼうぎゃくなる野蛮人ども、許し置くことなどできません。」


「うむ、余も同感じゃ。じゃが、今はまだ奴らと事を構えるわけにはいかん。

 今はあらゆる困苦こんくに堪えて、力を蓄えねばならぬ。」


おおせの通りにございます。」


 ディンキジク自身も怒りを堪えるかのような表情を作りながら、ムズクに対してうやうやしく頭を下げる。決してイェルナクに同情して取りつくろったものではない。ディンキジク自身レーマに、特にアルトリウシアに対して強い敵愾心てきがいしんを胸中に宿しているのだ。


 彼が今の地位について以来初めての本格的な作戦…四月十日の蜂起作戦は成功を納めた。アルトリウシアを火の海にし、奪うべき物を奪ったうえでアルトリウシアからの脱出を成功させた。

 だが彼自身の作戦結果への評価は決してかんばしいものではない。投入した戦力のほぼ半数を失ってしまった上、レーマ帝国の版図はんとからの脱出はならず、こうしてエッケ島で辛うじてたどり着いただけなのだ。


 ディンキジクはハン族をレーマ帝国の暴虐から救う英雄となるはずだった。だがそれは失敗した。その事実は認めてはいるが、納得はしていない。このまま受け入れることなど決してできないのだ。

 いつかレーマに復讐を…その思いはディンキジクの心に深く根を下ろしている。


「だが、このまま手をこまねいてもいられまい。

 ハン族きっての智者たる二人に問おう、我らは次は何とすべきか?」


 そうだ、上手くいかなかったからと言ってこのまま手をこまねいているわけにはいかない。


「閣下、申し上げます。」


 イェルナクは先ほどまでに比べればかなり落ち着いた調子で、だがまだ鼻息荒く奏上そうじょうする。


「奴らが我らの要求を受け入れぬとあらば、要求を受け入れざるを得ないようにしてやればよいのです。奴らに揺さぶりをかけてやります!」


「「おおっ!」」


 ムズクとディンキジクはイェルナクのその鬼気迫る自信に満ちた言い様に思わず声をあげた。


「考えがあるのかイェルナク!?」

「うむ、イェルナク、何とする?」


 期待を込めたムズクとディンキジクにイェルナクは得意げに言った。


「私めに不当な返答を突きつけたアロイス・キュッテルめは言いました。

 サウマンディウムへ行きたければ、トゥーレスタッドで交易船に便乗させてもらうか、手紙を託すがいいと、ならばその通りにしてやりましょう。

 私はこれよりトゥーレスタッドへ参り、そこにいる交易船の船乗りたちに便乗を頼むフリをして吹聴してやります。

 アルビオンニア侯爵が降臨を起こした。アルトリウシア子爵が降臨者をかくまっている。そしてアルビオンニアがレーマ帝国に謀反むほんくわだてていると!」


「「おおっ!」」


 ムズクとディンキジクは「さすがイェルナクだ」とばかりに感心し、喜色を浮かべ声をあげる。

 それは既にエッケ島に来る船乗りたち相手にはやっている事だったが、どうにもこうにも彼らはいつも同じ人物であり、民間人を装っているがヘルマンニの部下であるらしく、効果が今一つ出ていなかった。おそらくヘルマンニが緘口令かんこうれいを敷いているのだろう。ヘルマンニも降臨と陰謀にかかわっているのであれば、ヘルマンニの支配下にあるブッカ達にいくら言っても効果は見込めない。

 だが、トゥーレスタッドを通る船はそうではない。ヘルマンニの息のかかった者がいないわけではないが、そうではない者も少なからずいるのだ。そいつら相手にアルビオンニア謀反や降臨者隠蔽いんぺいの噂を流せば、いくらエルネスティーネやルキウスと言えども何らかの対応をせざるを得ない。イェルナクを黙らせるために船を用意し、資材を融通せざるを得なくなるだろう。


「ならばディンキジクにも考えがあります!」


 イェルナクのアイディアに触発されたディンキジクが発言の許可を求めた。


「おお、申してみよディンキジク」


「はい、イェルナクがそうするのであれば、我らはアルトリウシアへダイアウルフを放ちましょう!」


「なんと!?」


「待てディンキジク!それはいくら何でも…戦になるぞ!?」


 驚く二人にディンキジクは不敵な笑みを浮かべて続けた。


「大丈夫だ。既にダイアウルフが逃げたことになっているではないか?

 実際にアルトリウシア平野からダイアウルフが現れたとしても問題は無い。

 むしろ、我らに捜索をさせなかった奴らが悪いのだ。」


「そ、それはそうだが…」


「ディンキジクよ、ダイアウルフはハン族の宝ぞ?」


 ダイアウルフは今のハン支援軍にとって貴重な戦力だ。頭数はわずかに六十余しかおらず、騎兵として兵を背中に乗せて行動できるのは半数にも満たない。ダイアウルフとハン族の故郷アーカヂ平野から新たなダイアウルフの補充が難しいことを考えれば、既に繁殖して増やすことに専念させねば早々に絶滅しかねないほど危険な水準にまで数を減らしてしまっている。


「陛下、御心配召されるな。

 別にダイアウルフにアルトリウシアを攻撃させるわけではありませぬ。」


「どうするというのだ!?」


「イェルナクの言によれば、あ奴らはダイアウルフはどうせ近くには居ないとたかくくっているのです。ならば、実際にセヴェリ川でダイアウルフの彷徨さまよう姿を見せてやれば、向こうからこちらにどうにかしてくれと頼んでくるに違いありません。

 奴らではダイアウルフに対処など、どうせ出来はしないのですからな。」

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