第857話 残留組の役割

統一歴九十九年五月九日、夕 ‐ 『勇者団』ブレーブス郊外アジト/シュバルツゼーブルグ



 エイーの解毒魔法によって酒酔い状態から回復したペイトウィンはデファーグ、エイーの二人とともにシュバルツゼーブルグの街を脱した。街中の建物の谷間は既に真っ暗だったが、街を囲む無秩序に密集した難民たちのバラック群を駆け抜けて更にその外側まで突き抜けると開けた農地に出る。樹木も建物も何もない農地は影を作るものが無く、既に弱くなったとはいえ空の夕焼けの明かりが足元を照らしてくれていた。その赤黒く見える柔らかな地面を踏みしめながら駆け続け、農地の更に外側の森の縁近くまで駆けて、そこにポツンと建つアジトへ逃げ込む。そこは街中のアジトと同じく支援者に用意してもらった使われていない納屋だった。

 三人は納屋の建物の影へ入り込むと立ち止まり、壁越しに今自分たちが駆けて来た街の方を振り返る。


「ハァ、ハァ、ハァ……追手おっては?」


 高くはないが街を見下ろせる程度に盛り上がった緩やかな丘の上に立てられた納屋からはシュバルツゼーブルグの街のほぼ全景が見渡せる。

 昼間は深緑を映して黒く見える湖『黒湖』シュバルツゼーが広がり、その北岸にかつてこの地域一帯の防衛の拠点となっていた要塞カストルム……今は『黒湖城塞館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグと名を変えシュバルツゼーブルグを治める郷士ドゥーチェ邸宅ヴィラになっている……が建ち、そこから北へ伸びるライムント街道に添うように建物が立ち並び、城下町カナバエを形成していた。『黒湖城砦館』から『黒湖』の湖岸に沿う形でライムント街道が南へ延長されてからは、街はそちらの方へも広がりを見せている。現在では更にそうした市街地を囲むように、アルビオンニウムから押し寄せた避難民たちが暮らすバラック群が市街地にほど近い農地を埋め尽くしていた。

 陽は既に西の稜線りょうせんの向こうへ消えており、空に残る夕焼けと星々の頼りない明かりだけで照らされたその街並みは早くも夜の闇へ沈もうとしているかのようだ。ただでさえ安くはない照明を節約するため、多くの住民たちは既に眠りに就こうとしている。仮にまだ起きていたとしても陽が暮れれば既に冬の寒さであるのだから、この時間にわざわざ窓を開けるようなことなど誰もしないので明かりが外へ漏れ出ることも無い。

 バラック群では難民たちが暖をとろうと燃やしている焚火たきびがチラホラ見えるが、その光は数も強さも限られており、空の星々には到底かないそうにないほど頼りない。

 例外なのは街の中央、ライムント街道に面した建物の壁だ。おそらくルクレティア一行を歓迎するために街道上で篝火かがりびが焚かれているのだ。その明かりを受けて街道に面した建物がわずかにオレンジ色に光って見える。もしかしたらお祭り騒ぎになっているのかもしれないが、街から既に一キロ近く離れたアジトまでは人々の騒ぐような声は届いていなかった。


 街からアジトまでの間に広がる畑は何もない。木も生えていなければ建物も無く、大麦がようやく芽を出し始めた頃だ。視界をさえぎるような障害物は何もないため、街からアジトへ身を隠したまま近づいてくることなど出来はしない。そして、今こうして追跡者の存在を探すデファーグの目に、畑の上に動く者の姿など何一つ映らなかった。


「……いや、なさそうだ……」


 背後から追手の有無を問われたデファーグが注意深く答えると、ペイトウィンとエイーは安堵の溜息を吐いた。


「ふぅぅ~~……どうやら助かったみたいだな。」

「一時はどうなる事かと……」


 二人の顔が自然とほころぶ。


「気を抜くのはまだ早いぞペイトウィン、エイー。」


「ああそうだな、ひとまず中へ入ろうぜ?」


「待てよ、そうじゃない。」


 納屋へ入ろうとするペイトウィンの肩をデファーグの大きく力強い手が掴んで引き留めた。


「痛いな、何だよ?」


 ホッとしたところに冷水を浴びせられたような不快感にペイトウィンは顔をしかめたが、振り返ったペイトウィンの目に映ったデファーグの顔はいつになく真剣そのものだった。


「何だよじゃないだろ。

 スパルタカシアが街に居るんだぞ!?

 多分、捕まってしまったメークミーとナイスも一緒だ。」


「だから何だよ!?

 まさか俺たちだけで助けに行こうっていうのか?」


 反発するペイトウィンの言葉を耳にしたエイーの顔に緊張が走る。

 いくらなんでもそれは無理な話だ。だが、『勇者団』ブレーブスはそんな無謀を無謀と自覚しないまま行ってきた。ペイトウィンもエイーも絶対にかないそうにない精霊エレメンタルと対峙し、そのことを実感として理解してしまっている。だがデファーグはまだ強力な精霊たちと直接対峙していない。昼間の話し合いの時も、精霊の脅威をあまり切実に感じていないような様子だった。それを思うと、デファーグがこれから街へ乗り込んで捕虜になったメークミーやナイスの救出に乗り出したとしても不思議ではない。そうなれば立場上、エイーも巻き込まれずにはいられないだろう。


 メークミーもナイスも無傷で捕まっているらしい。

 でも装備を……聖遺物アイテムを取り上げられてしまったんだろ!?

 俺も捕まれば、もし捕まってしまえば……聖遺物アイテムを取り上げられてしまう!!

 

 だが、それはエイーの杞憂きゆうだったようだ。デファーグはペイトウィンの反発が予想以上だったのか、急に口ごもった。


「いや、そうじゃない……けど……けど何もしないつもりか!?」


「そうさ、何もできないだろ!?

 『勇者団』おれたち全員で挑んだって敵わない相手に、この三人だけで何をしようっていうんだ?」


「そうですエッジロード様。

 だいたい、当分の間は戦いを避けるってみんなで決めたじゃないですか!?」


 ペイトウィンのみならずエイーにまで反対され、デファーグは思わず閉口した。しかし、だからといってこれほどの事態に何もしないでいいわけがない。デファーグは二人から顔を背け、口をムニュムニュうごめかせながられったそうに言葉を探した。ん~~と低く喉の奥で唸り、ようやく言葉を絞り出す。


「お、俺だって、別に……戦おうって……言ってるわけじゃ……」


 口ごもるデファーグにペイトウィンは口を尖らせ、ここぞとばかりに強気に出た。


「じゃあどうしろっていうんだよ?

 俺たちに仕事はアルトリウシア遠征の準備だぞ!?

 盗賊どもを再集結させて、アルトリウシアへの補給体制を構築するんだ。」

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