第1359話 浮気尋問

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 まいったな、俺がグルギアを気に入ったと誤解したのか?


 リュキスカの機嫌が急に悪くなり始めた時はどうしたことかと戸惑ったが、さすがにグルギアのことを気に入ったからリュキスカに引き取らせようとしていると思われているとしたらとんだ誤解だ。


「兄さんアン時、痩せてる方が好きだって言ったよ!?」


『確かに言ったけど、痩せてさえいりゃいいってもんじゃない』


「じゃあ痩せてる女が好きって言うのは嘘だったの!?」


『嘘じゃないよ。

 でも限度ってあるだろ?

 痩せすぎも太り過ぎも極端なのは嫌なんだ。

 あの時は太った女は嫌いだって言うのに、あの女がしつこく迫るから……』


 勘弁してくれ……そう言わんばかりにリュウイチが弁解すると、リュキスカは「フーン」と分かったような分からないような声を漏らし、二重に組んでいた足を一段解いた。左足に絡みつかせていた右足首をまるでストレッチでもするようにゆっくりと回す。


「じゃあこの際訊くけど、兄さんの好みってどういうの?」


『好み?』


「そうよ!

 まあ、ベルナルデッタが太すぎるってのは分かるわ。

 アイツは一番太ってるからね。

 でも痩せてりゃいいってもんでもないんでしょ?」


『ああ……そりゃね』


「じゃあどれくらいが良いのよ?」


 リュキスカは右足首を再び左下腿に絡みつかせた。


『どれくらいって言われても……』


 リュウイチは答えに困った。自分の好みを数値として正確に把握しきれているような男というのはそれほど居ない。だいたい自分の体重を正直に公表する女性なんていないから、どれくらいの太さの女性がどれくらいの体重かなんて知る由も無いのだ。田所たどころ龍一りゅういちのような独身男性がその手の数値に触れるとすればグラビアアイドルやAV女優のプロフィールぐらいなものだが、ああいった数字が正確ではない事ぐらいリュウイチだって知っている。あれらの数値は独身男性の想像力を逞しくさせるための演出であって、現実の数値ではないのだ。女性の体型と数字を把握しきれているのは当の女性自身か、プロのファッションデザイナーやスポーツインストラクター、あるいは医者ぐらいなものだろう。

 数字で表現できないとなれば「あの人ぐらい」みたいに誰かを例に挙げて表現するしかないのだが、しかしリュウイチがこの世界ヴァーチャリアに降臨してから知り合った女性はそれほど多くない。そもそもリュキスカとの共通の知人はルクレティアとヴァナディーズとエルネスティーネ、そしてルクレティアの付き人のクロエリアだけだ。他はヒト以外の種族か、あるいは名前も知らない使用人たちで「あの人!」という風に例として指名できない。


『君……ぐらい?』


「アタイ!?」


 リュウイチはリュキスカがこの答えに喜ぶかとわずかに期待していたが、リュキスカは眉間にシワを寄せた。二重に組まれた脚が再び一段解かれ、左下腿に絡みつかされていた右足首が再びフラフラと揺れ出す。


 あれ、却ってイラついてる!?


『そ、その……ダ、ダンサーって言うだけあって余分な贅肉が無くて、全身にしっかり筋肉ついて締まってるし?

 腰とかもシュッとくびれてて、お腹もすっきりしているし?

 それでいて胸もお尻もしっかり大き……』


 リュキスカが組んでいた足を解き、組んでいた右足を床を踏みつけるようにタンッと勢いよく降ろしてリュウイチは思わず途中で口籠くちごもった。そのままゴクリと唾を飲みこむ。


 いや、女性に体形の事言うのは失礼だってわかっちゃいたんだよ……

 でも今のは言わなきゃいけない流れだったろ?


 見えてる地雷を踏みに行かねばならない理不尽に行き場の無い不満を持て余していると、リュキスカがズイッと前のめりに身を乗り出してきた。


「で、その女奴隷セルウァは……どうだったの?」


『え!? グルギア?』


 いつの間にか始まっていたリュキスカの尋問はまだ終わらないらしい。それどころか新たな局面に入ったようだ。


「グルギアってぇの?

 痩せてたんでしょ?」


『え、あ、ああ……まぁ、痩せてたよ。

 痩せてるって言うよりって感じかな?

 手足は細かったし、頬もこけてたし?』


「胸とお尻は?」


『えっ!?』


 リュウイチも一応現代日本社会で生きて来た男である。男性としての性欲がある以上女体は好きだが、それを女性の前に批評するのがどれだけ非常識かぐらいは弁えていた。答えにくい質問をされて戸惑うリュウイチにリュキスカは誤魔化そうとしているとでも思ったのだろう、語気を強くして問い詰める。


「胸とお尻よ!

 痩せてて胸とお尻が大きいのが好きなんでしょ!?」


『いや、見てないよ!

 服の上からだと小さそうだったけど……』


「何で見てないのよ!?

 女奴隷セルウァなんだから裸にしたんでしょ!?」


 奴隷を取引する際、瑕疵かしがないかどうか買い手に確認させるため、売り手は奴隷を裸にして見せることが義務付けられている。売られている奴隷が女なら買う気が無くても買う気がありそうな客を装い、裸を見ようとするスケベ男だって珍しくない。リュキスカは奴隷の売買にかかわったことは無いが、それくらいの常識は知っていた。若い女奴隷を譲ると言われた男が、その裸を見ないわけがない。


『いや、ホントに見てないんだよ!

 具合が悪そうだったし、服は脱がせなかったんだ』


「裸にしなかったってぇの?

 そんなの信じられるわけないじゃない!」


『いや、ホントだって!

 マルクスさんは裸にしてみせようとしたけど、エルネスティーネさんも嫌がってたし止めてもらったんだ!』


 必死で弁明するリュウイチを上目遣うわめづかいでにらんでいたリュキスカは、このままではらちが明かないと判断したのかキッとロムルスの方を向いた。いつの間にか自分の立場と役割を忘れ、ドキドキハラハラといった様子で二人の会話を見守っていたロムルスはリュキスカの視線に気づくや否やハッと我に返り、慌てて姿勢を元に戻す。


「ロムルスさん、アンタその場にいたんだよね?

 どうなんだい!?」


旦那様ドミヌスのおっしゃられた通りであります!!」


 リュキスカの剣幕に負けたのかロムルスはいつもの砕けた調子ではなく、古参兵にドヤされる新兵のように軍人口調で答えた。


「嘘ついたら承知しないよ!?」


「嘘ではありません!!」


「後でエルネスティーネ侯爵夫人様に訊くよ!?

 嘘はすぐにバレるんだからね!!」


「どうぞご自由に!

 しかし旦那様ドミヌスも自分も嘘などついておりません!!」


「ふーん……」


 ロムルスの答えに満足したのか、リュキスカはゆっくりと背もたれに体重を預け、再び足を組んだ。組んで浮いた右足をフラフラと揺らし始める。


 何でこんなことになってんの?

 世の中の男は浮気を疑われるたびにこんな思いをしてんの?


 リュキスカの矛先がロムルスに向いたことで緊張がわずかに解けたリュウイチは自分の今現在の境遇に疑問を抱き始めていた。


 そもそも何で浮気を疑われなきゃいけないんだ?

 俺とリュキスカ、別に夫婦ってわけでも恋人ってわけでもないよな?


『あの……リュキスカさん?』


「ん?」


『えっと……ひょっとしていてんの?』

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