第1358話 リュキスカの悋気

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



『知ってるの?』


 グルギアの身元についてマルクス・ウァレリウス・カストゥスが説明した際、居並ぶ貴族たちは一様に驚きの声をあげていた。つまりそれだけ有名なのだろう。ならばリュキスカも知っているかもしれない……そう期待してグルギアの姓名を教えたリュウイチだったが、リュキスカの反応はリュウイチの期待を上回り、逆にリュウイチを驚かせた。


「そりゃもちろん知ってるさ!

 大分前だね……五年くらいつっけ?」


 リュキスカは夢中になり、思わずロムルスにまで話を振る始末……ロムルスは先ほどの失敗を忘れてないのか、リュキスカに無言のまま口元を歪めて愛想笑いを浮かべつつ頷くだけだったが、リュキスカの方の勢いは止まらなかった。


「サウマンディアの大神官様ポンティフェクス魔導具マジック・アイテム盗まれて処刑されたってさぁ!

 そりゃ上級貴族パトリキ醜聞スキャンダルの中でも一等だもん、知らない奴なんざ居るわけないさ!

 アタイ、アン時ゃ母ちゃんが死んで娼館で下働き始めたばっかりだったんだけどさ、客も店の娼婦おんなたちもみんなその話に夢中だったさ。


 へぇ……生き残りがいたんだ……」


 目を輝かせるリュキスカは先ほどまでとはまるで別人のようである。


『ああ、娘だそうだよ。

 当時はまだ未成年だったから、貴族たちも名前は知らなかったそうだけど』


「へぇ、娘がねぇ……

 あん時子供だったってことはまだ若いんだね、いくつくらい?」


 リュキスカは事件当時十二歳だった。前年に母スキッラが他界し、母と共に世話になっていた売春宿ポピーナで下働きを始めてから二年目、ようやく仕事と新しい生活に慣れてきて周囲を見る余裕が出来てきたころだったので、当時の噂になった事件のことは覚えている。

 そのころに未成年で、今奴隷になってリュキスカに贈られてくるということは年齢的にリュキスカとは近いのだろう。まさか当時幼児で今も未成年の女奴隷をリュキスカに“献上”するわけはない。教育も躾けも行き届かない子供を新しい主人の下へ送り込んだところで失敗するのは目に見えているからだ。女奴隷はリュキスカに贈り主に対する好印象を抱かせることと、リュキスカ周辺の情報をスパイさせることが目的なのだろうから、未熟な子供を送り込んでくるわけはない。


『えーっと……たしか、二十歳ぐらいだったっけ?』


 リュウイチがロムルスの方を見るとロムルスは今度はこちらを向いて答えた。


「二十一でさぁ旦那様ドミヌス


 何故かニヤケ顔のロムルスとリュウイチのどこか緊張した顔にリュキスカは奇妙な違和感を覚える。


「へぇ~……ヘルミニア・ラリキアだからヒトだよね?

 ……美人だった?」


 顔はロムルスに向けたまま視線だけリュウイチに向けるリュキスカの声はわずかに硬かった。


『え、いやぁ、どうだったかな?』


 とぼけるリュウイチの小声にロムルスの無遠慮な声が被さる。


「美人どころじゃありやせんや!

 痩せこけて骨と皮だけで、下手するとチョット触っただけで折れて死んじまいそうな細っこい女でね。

 いくら女奴隷セルウァだからってあんな貧相なのを献上しようってんだから、貴族ノビリタスの皆さん方もみんな驚れぇてたぐれぇでしたよ」


 ロムルスは先ほどの失敗を既に忘れたようだ。他人の落ち度や欠点をあげつらうのが大好きなロムルスらしく、楽しそうな声はまさに踊り出さんばかりである。


「ふ~ん、痩せてんだぁ……」


 リュキスカの不敵な笑みがリュウイチの方へ向けられる。


「そう言えば兄さんは痩せてる女が好きなんだっけ?

 ベルナルデッタよりアタイの方がいいって言ってたもんねえ?」


 冷ややかな笑みを浮かべたリュキスカはそのまま背もたれに上体を預け、腕を組み、足首丈のロングスカートに覆われた脚も組む。スカートの裾からほっそりした足首が覗いた。


『ベルナルデッタ?』


「あん時!

 アタイから兄さん横取りしようとした女だよ!!」


 リュウイチは別にとぼけたわけではなく本当にベルナルデッタを思い出せなかったから聞き返しただけだったのだが、リュキスカは微笑みを消して目を剥き声を荒げた。思わずリュウイチも表情を消し目を丸くする。


 思い出した! あん時のデブか……


 リュウイチの脳裏にあの日見た信じられないくらい太った半裸の女の姿がよみがえる。見た目は手足の生えた巨大なチョコボール……身長とウエストのサイズが同じくらいありそうな、あるいは身長(センチメートル)と体重(キログラム)が同じくらいありそうな、そんな女だった。多分、走るより転がった方が速いだろう。いや、下手に歩くと膝か足首を痛めるか、股ズレを起こしちゃうんじゃないだろうか? ……そんな心配をしたくなるような体形だった。実際、他の女たちが歩いても軋まない床が彼女が歩く時だけギシギシ軋んでいた。それがどういう趣味か黒い肌が透けて見える青いネグリジェともベビードールともつかぬ奇怪な服を着、その髪も口紅もアイシャドウもマスカラもネイルカラーも真っ青に統一した格好で自信たっぷりに振る舞うのである。ハッキリ言ってリュウイチのストライクゾーンから完全に外れていてそもそも同じ人間かどうか疑いたくなるレベルだったが、この世界ヴァーチャリアの男たちはそろいもそろってデブ専らしくアルトリウシアのヒトの娼婦の中では一番人気なのだという。


 無いな、無い……


 ベルナルデッタを思い出したリュウイチは『あぁ』と小さく声を漏らすと顔をしかめ、小刻みに振った。


旦那ドミヌス、ベルナルデッタを振って奥方様ドミナを選んだってヤッパ本当だったんですかい!?」


「黙りなっ!!」


 満面の笑みを浮かべて噂の真相を確かめようと食いついてきたロムルスをリュキスカは一喝して沈黙させる。


「で、どうなんだい兄さん。

 その女、アタイより痩せてんだろ?」


 リュキスカは組んだ脚をさらにもう半回転絡ませた。

 普通、脚を組む時は片足をもう片方の膝の上に被せるように乗せる。それだけだ。バリエーションが他にあるとしたら膝を乗せるか、下腿を乗せるか、足首を乗せるかぐらいなものだろう。だがバリエーションがそれだけなのは男性の話である。女性の場合はたとえば右膝を左膝の上に乗せたうえで、更に右足の脛を左ふくらはぎの後ろに当てて右つま先を左脛の右側に持ってくることができる。股関節の間隔が広い女性にだけ出来る芸当で、骨格の異なる男性には出来ない。

 リュウイチはリュキスカが何に機嫌を損ねたのか察すると、目を閉じ俯きながら両手をかざした。


『待って、私は別に痩せてるのが好きってわけじゃない』

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