第708話 アジト襲撃失敗
統一歴九十九年五月八日、午後 - アルビオンニウム郊外/アルビオンニウム
「もぬけの殻だと?」
昨日サウマンディウムを発し、同日夕刻前にアルビオンニウムに上陸した彼はその日はひとまず先に到着していた
海上で行き違いになってサウマンディウムへ帰っているはずの甥っ子カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子が実は船には乗らず、捕虜のジョージ・メークミー・サンドウィッチを伴ってルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアと一緒にアルトリウシア目指して南下したと聞いたアッピウスは、甥っ子のあまりにも無計画で突拍子もない行動に憤慨を通り越して呆れてしまったが、今更どうしようもない。聞けば捕虜とは言ってもヒトであり、どうやら大した人物では無いらしく、大物がまだ残されていることを聞かされると、それを慰めとして自分が何としてもハーフエルフを捕らえねばと意気込んだ。
アッピウスとしてはすぐにでもハーフエルフたちを探しに行きたかったが、連れて来た
そして翌日の今日は朝っぱらから決意も新たに意気込み、セプティミウスから提供された情報を基に早速アルビオンニウム近郊の捜索を開始‥‥‥人がいない筈の地域なのに煙を上げている木こり小屋を発見したとの報告を受け、アッピウスは全部隊を集結させて急行した。
そこが奴らのアジトならを一気に包囲し、ハーフエルフたちを一網打尽にできる!!‥‥‥が、そこは既に無人となっていたのだった。
「ハッ、
不満を露わにする
来るのが遅かったか……それとも、我々が包囲しているのに気づかれたか?
前方の丘の上に見える木こり小屋を睨みながら、アッピウスは頬杖をついた。小屋の周辺には部下たちが動き回り、何か痕跡がないかどうかを探している。ここからは直接見えないが、その周囲には二百人を超える兵たちが包囲網を構築しているはずだった。
木こり小屋にハーフエルフたちが居たなら決して逃げられないようにするため、まずは投入可能な全兵力を用いて包囲網を構築し、それから軍使を送り込んで交渉を持ち掛けるつもりだったのだが、残念ながら軍使に選ばれた
いや、気づかれたのだ。それで逃げたんだろう……クソッ
アッピウスは歯噛みしながら肘掛けに拳を叩きつける。無言のまま怒りを漏らす軍団長に兵たちは動揺を隠せない。
「閣下?」
「ひとまず行くぞ、木こり小屋の様子をこの目で確認したい。」
直立不動の姿勢のまま心配そうに尋ねる
それから約七分後、アッピウスの乗る座與が木こり小屋に辿り着いた時、木こり小屋の捜索は既に終わっており、捜索に当たっていた
アッピウスは無言のままハンドサインで兵たちに座與を降ろさせると、地に足を降ろし、小屋の前に整列している
「どうなっておる?」
視線を小屋に向けたままアッピウスが尋ねると、百人隊長が前に出てきて答えた。
「ハッ、小官が来た時には既に誰もおりませんでした。
しかし、火はまだかすかに残っており、つい先ほどまで誰かが居たのは間違いありません。
裏には飼い葉の残っている飼い葉桶と馬糞、それと動物の骨が残っておりました。十数名が短期間、ここで生活をしていたようです。」
「馬だと!?
奴ら、馬を持っておるのか……」
アッピウスは少し意外そうに言った。ムセイオンの貴族なのだから馬くらいは乗れるだろうが、こっちで馬を手に入れたということが少し意外だったのだ。しかし、考えてみれば不思議でも何でもない。つい数日前、彼らは
だが、こんな木こり小屋なんかに飼い葉桶など馬の世話をするための道具などあるわけがない。間違いなく運び込んだのだ。馬と一緒に、飼い葉などと共に……
「ハッ、奪った馬を乗り回していると思われます。」
「そんなことは分かっとる!」
アッピウスは余計な報告で思考を邪魔した百人隊長を叱りつけた。
「ハッ!申し訳ありません、
「フンッ」
百人隊長が声を振り絞るように詫びるのを聞いたアッピウスは鼻を鳴らした。
馬に乗れる貴族なんだからそれくらいやるだろう……そう思うのは当然かもしれない。が、実際の貴族社会にどっぷり浸かった者からすると、それはそれほど当たり前な話ではない。
貴族は基本的に身の回りの世話はすべて使用人や奴隷たちに任せるものだ。日常の雑事など自分では全くしないのが普通で、いい歳して一人では着替えもろくに出来ないような貴族は決して珍しくはない。むしろ、それが当たり前だ。アッピウスだって実は一人では着替えの一つも出来はしない。
それなのに馬の世話に必要な道具を揃えて馬の世話をしていた形跡がある‥‥‥それは一般人にとっては当たり前でも、貴族としては実にらしくない不自然な事の様に思えたのだ。
馬の世話をするような従者を伴っているということか?
だとすれば、ムセイオンから脱出したハーフエルフの一行はかなりな人数のはずだ。マルクス・ウァレリウス・カストゥスの報告と、セプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスから提供された情報によれば、『
だが、さすがにこの木こり小屋に四十人も入るとは思えない。
となると、従者たちは別の場所で起居していたのか?
指揮棒で自分の首筋をペシペシと叩きながら、アッピウスはそこから周囲を見回した。
「この辺に他に人が潜伏できそうな場所はあるか?」
先ほど叱られたばかりの百人隊長はドギマギしながら慌てて地図を取り出しす。
「は、把握している限りでは建造物はありません。
もっとも近い建造物は一マイル半(約二・八キロ)ほど離れたところにある集落です。」
百人隊長は何も考えずに訊かれたことに対してそのまま答えた。
百人隊長が言った集落は来る途中で見かけた、今いる丘の麓の集落だった。遠目に見ても人の居たような気配は無く、また彼らがアッピウス達の接近を察知して逃げだすとして、アッピウス達が来る方へ逃げるわけがない。アッピウスが何のために建造物があるか問うたのかを理解していれば、そんな集落の事を挙げるわけはなく、まったく不適当な回答だったと言える。
アッピウスは自分の首筋を指揮棒で叩くのを止め、グルリと振り返って百人隊長をジロッと睨みつけた。
「!?」
百人隊長はギクリとして棒を飲んだように気を付けの姿勢をとる。アッピウスはしばし無言のまま百人隊長を睨みつけたが、そのうちハァと小さくため息を吐くと視線を逸らし、もう一度自分の首筋を指揮棒でビシッと叩く。
「全隊を集結させろ。
一旦、帰陣する。」
「ハッ!」
アッピウスの命令を聞いた百人隊長は威勢よく返事をした。何か自分に落ち度があったかは分からないし、何で怒られたのかもわからないが、ひとまず今日はお
「貴様の
ここを中心に、半径二マイル!」
「は、半径二マイル……」
思わず息を飲み、訊き返す。するとアッピウスは再びグルリと振り返って百人隊長を睨みつけて続けた。
「そうだ。
奴らか、奴らの手下が潜んでいたような痕跡が無いかを探せ。
捜索を終えるか、陽が暮れてこれ以上捜索ができそうになくなったら帰還してよい。
いいな?」
アッピウスはドスを利かせた低い声でそう命じると、百人隊長の返事も待たずに百人隊長に背を向け、「期待している」と心にもない一言を遺してここまで来る際に乗ってきた
陽はまだ高かったが、景色は既に黄色く染まり始めている。そして今は秋……おまけにここは東西を山地に挟まれたアルビオンニウムだ。まだ明るいと思っていても、陽が沈むのは恐ろしく早い。そして彼らは
何でこんなことに‥‥‥
百人隊長は自分の仕える軍団長を乗せた座與が離れていくのを見送りながら、背後から受ける部下たちの視線の痛みに耐えていた。
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