第884話 陽動?

統一歴九十九年五月九日、夕 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



「ブラフ?……ブラフか……」


 ブラフだと思っているのかというスカエウァの問いかけに、カエソーはチラリとメンサの上の手紙へ視線を落とした。インプが身構みがまえ、ロウソクの炎が揺らぐ。


「その可能性は大いにあるだろうな。」


「根拠を、お聞かせ願いますか?」


 カエソーは返事をする代わりに少し前屈みになって両手で手紙を机の上に広げた。


「まず、前回の手紙は『勇者団』ブレーブスを率いるティフ・ブルーボール二世様によるものだったが、今回は違う。蝋印ろういんの紋章もブルーボール様のものでは無かったし、筆跡も違っている。」


 前回彼らが受け取ったティフからの手紙の字は文字が縦に細長く伸びあがり、横方向は文字の幅も間隔も狭くて流麗りゅうれいな印象を受けた。ところが今回の手紙の字はというと文字の高さと幅はほぼ同じぐらいであり全体に丸っこい。線自体は流れるように優美だが、貴族的な優雅さは感じられなかった。あえて評するなら典雅てんがと言うべきだろうか……いずれにせよ明らかに別人の筆跡である。


「何か理由があって、別人が代筆したのではありませんか?」


「そうかもしれん。

 だがブルーボール様は一昨日、《地の精霊アース・エレメンタル》様や《森の精霊ドライアド》様に対し、戦う意思は無いとおっしゃられていた。ところがこれはどうだ?

 非常に好戦的で、なおかつ挑発的だ。」


「この手紙はブルーボール様の御意思ではない……ということですか……」


 ルクレティアが用心深く尋ねる。今回の手紙が前回のティフからの手紙を無視したことをなじる内容だったことから、ティフを怒らせたのではないかと心のどこかでわだかまっていたのだ。


「少なくとも、この手紙にブルーボール様は関わってはおられまい。」


「ですが、《地の精霊アース・エレメンタル》様によれば、手紙の蝋封ろうふうからはハーフエルフ様の魔力が感じられると……」


「蝋封から魔力が?」


 カエソーは思わず手紙の縁をめくり、まだ張り付いていた蝋封の一部を見えるようにした。しかし、魔力の素養のない彼らには何も感じられない。


「おそらく、蝋を溶かすのに火ではなく魔力を使われたのではないかと……」


 背後でアロイスが小声で「そんなことが出来るのか?」とスカエウァに尋ねると、スカエウァは「いえ、私なんかにはそこまでのことは……ですがハーフエルフ様ならあるいは……」とやはり小声で否定した。


「何故魔力で?

 火を使うより簡単なのか?」


「もしかしたらハーフエルフ様にとってはそうなのかもしれません。

 あるいは……」


「あるいは?」


「火が使えなかったとか?」


「待ってください、火が無ければ文字だって見えないでしょう?

 手紙なんか書けないのでは?」


 カエソーは顔をしかめて尋ねた。実際、先ほどあまりにも暗くて手紙を読むのに苦労したばかりだ。火が無いところで手紙を書くなんてあり得ない。かといってまだ明るい陽のある時間帯に書かれた手紙では決してない。文面からしてルクレティアらの一行がシュバルツゼーブルグに到着した後で書かれたものだ。


「いえ、闇夜を見通す暗視魔法というものがあります。

 それを使えば暗くても読み書きはできるはずです。」


「ふむ……」


 カエソーは手紙から手を放し、上体を起こすと腕組みし、右手で顎に添えて手紙を見下ろした。癖のついていた紙が自然に丸まり、ゆらゆらと揺れ始める。


「なるほど、火種が無かったか、あるいは光が漏れるのを嫌ったか……」


「『勇者団やつら』のアジトはシュバルツゼーブルグからロウソクの火の光が見えるほど近いということですか?」


 カエソーの独り言を受けてアロイスが問いかけると、思い出したようにルクレティアが報告する。


「私たちがシュバルツゼーブルグに入る時、街にいたハーフエルフ様たちは東へ逃げたそうです。走って……」


 光が漏れるのを嫌ったということは、ロウソクの光があったら目立つ場所にひそんでいるということだ。おそらく街中ではないだろう。実際、ハーフエルフたちは東へ逃れて街中には残っていないと言う。

 ロウソクの裸火は条件が理想的ならば半マイル(約九百三十メートル)離れていても肉眼で視認することが出来る。室内でロウソクをともせば、反対側の壁が反射板の役目を果たすため見える距離はさらに伸びるだろう。

 おそらくシュバルツゼーブルグの街の東でバラック街の外側、そして距離にして一マイル(約一・九キロ)以内にアジトがある。その範囲にある建物などたかが知れている。数えるほどの厩舎きゅうしゃ埋蔵窟サイロ、そして納屋や作業小屋があるぐらいだ。そのうち人間が潜める建物は半分も無いのだから、軍団兵レギオナリウスを動員して虱潰しらみつぶしに探せばすぐにでも行き当たるだろう。

 だが、アロイスが慎重に牽制する。


「いや、ライムントの風はだいたいいつも北か西から吹いている。

 今日だって西風だ。

 シュバルツゼーブルグを火の海にするというのなら、その仕掛けは西か北にあるはず……東に逃げたと言うのはおとりなのでは!?」


 最初のブルグトアドルフでの襲撃、アルビオンニウムでの襲撃、そしてブルグトアドルフでの待ち伏せ……そのいずれもで『勇者団』は幾重いくえにも陽動作戦ようどうさくせんを展開していた。

 第一次ブルグトアドルフ襲撃の際は第四中継基地スタティオ・クアルタを派手に襲撃し、そこから撤退してきた部隊が街道上で襲撃される様子を偽装ぎそうすることで第三中継基地スタティオ・テルティアの守備隊が救援に出動するようにしむけた。それは失敗したものの時を同じくしてブルグトアドルフの街を襲撃し、住民を装って偽の救援要請を出させてシュテファン・ツヴァイクの部隊をおびき出した。更に手薄になった第三中継基地に襲撃を仕掛け、宿駅マンシオーに残っているルクレティアの護衛部隊を出動させ、その裏で『勇者団』本隊が西からの潜入を図っている。

 アルビオンニウムの戦いでは盗賊団を三つに分けてレーマ軍正規兵を引きずり出し、ケレース神殿テンプルム・ケレースの守備隊が手薄になったところで反対側から『勇者団』本隊が突入してきている。しかもこの時はその本隊すら陽動で、実は裏からファドが単独で潜入しルクレティアに肉薄していた。

 そして一昨日の第二次ブルグトアドルフの戦いにおいても盗賊団を街中に潜ませ、ルクレティアたちを待ち伏せさせたが、この時も《地の精霊》をおびき出すためにティフたちハーフエルフが陽動を行っている。しかも本命はさらに別におり、《地の精霊》が誘き出されて妨害できなくなった隙に盗賊団との戦闘で混乱している街中に別動隊が突入し、メークミーを救出する作戦だったことが分かっている(スモル・ソイボーイが《地の精霊》に自慢げにバラした)。


 これだけ陽動作戦を繰り返してきた『勇者団』だ。東へ逃げたというハーフエルフが《地の精霊》に見つかることを前提にした囮ではないとは言い切れない。むしろ、アロイスが言ったように西風が吹いているシュバルツゼーブルグを火の海にするというのなら、敵の放火のための戦力は西側に潜んでいる可能性の方が高い。


「では、街の東側を探しても見つからないということですか?」


 『勇者団』の位置が特定できればこちらから接触を図ることも可能になる。そうすればシュバルツゼーブルグへの襲撃だけでも断念させられるかもしれない……そう期待していたルクレティアは残念そうに肩を落とした。

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