第1243話 魔法発動失敗

統一歴九十九年五月十一日、晩 ‐ ライムント街道第三中継基地スタティオ・テルティア・ライムンティイ宿駅マンシオー/アルビオンニウム



『大きいヒト!

 それは《森の精霊ドライアド》様から頂いた……』


 《森の精霊》から友情の証として貰った魔法の杖『癒しの女神の杖』ワンド・オブ・パナケイアを不用意にレーマ軍に手渡そうとするクレーエを《木の小人バウムツヴェルク》が血相を変えて制止する。『癒しの女神の杖』は《森の精霊》とクレーエの友情の証、そして《木の小人》は《森の精霊》の眷属であり、クレーエをサポートするために《森の精霊》が遣わした存在だ。その《木の小人》からすればクレーエが『癒しの女神の杖』を手放すということは《森の精霊》との関係を解消するという意思表示に等しい。


『大丈夫だ相棒、ちゃんと手は打ってある』


 《木の小人》が言い切る前にクレーエは遮った。


『でも!』


『いいから任せとけ!』


 魔導具マジック・アイテムは全てがそうというわけではないが、基本的に使用者が魔法に通じてなかったとしても特定の条件を満たせば使用者から強制的に魔力を吸い取って魔法を発動させることができる道具として知られている。『癒しの女神の杖』もそうだ。だが、魔導具は魔法を使えない人間でも魔法を行使できるようにする代わりに、使用者が自分の魔力を自由に制御できなくても強引に魔力を吸い取って魔法を発動させるため、魔力の総量が少ない人物や魔力が減って枯渇しかかっている状態で使用すれば使用者を魔力欠乏に陥らせ、最悪の場合死に至らしめてしまう危険性も孕んでいる。

 だが《森の精霊》がエイーとクレーエに手渡した『癒しの女神の杖』は特別製だった。《森の精霊》の魔力が届くブルグトアドルフ近辺であれば、《森の精霊》が不足分の魔力を供給してくれるのだ。ゆえに、魔法の素養など全くないクレーエでも魔力欠乏の心配することなく魔法を行使することができる。それはつまり、クレーエ以外の者であっても魔力欠乏の心配なしに魔法を発動できることをも意味していた。

 その『癒しの女神の杖』をレーマ軍に渡してしまうということは、クレーエの身の安全を放棄してしまうのに等しい。今、クレーエがここから生還するための身の安全を保障しているのは『癒しの女神の杖』しかないからだ。


 もちろん、クレーエもそのことは知っている。だから事前にちゃんと手は打ってあった。だいたいクレーエは盗賊たちの中で生活をしているのだ。寝ている間に他の盗賊に奪われてしまう危険性を考慮しないわけがない。


「ふん……いいのか!?

 そのまま貴様から奪ってしまうことも出来るのだぞ?」


 クレーエの反応に一瞬驚いたような表情を見せていたアッピウスだったが、すぐに余裕を取り戻して不敵に笑った。


「できませんよ。

 この杖は奪ったものではありません。

 私のために作っていただいたものです。

 ゆえに、私以外には使えませんし、奪われたところで私の所へ帰ってきます。

 信用できぬというのなら遠慮は無用、使ってみればよろしい。」


 アッピウスの笑みはクレーエの挑発的な言葉を受けて強張った。生意気だ……そう思っているのかもしれない。百人隊長ケントゥリオたちも表情を硬くし、中にはアッピウスや他の百人隊長の顔をチラチラと横目で伺う者も出始めている。普段から部下としてアッピウスと接してきた彼らは上司の感情の起伏に非常に敏感なのだった。

 睨み上げるアッピウスの視線にたじろぎもしないクレーエの不遜な態度に、アッピウスはフーッと震える様な息を吐いた。


「いいだろう。

 おい、誰かソイツから杖を取り上げろ!」


 アッピウスが命じるとクレーエの右前方にいた百人隊長が即座に動き、クレーエが前に突き出していた杖を掴んだ。クレーエは杖を掴んだまま放さず、手を出してきた百人隊長を睨む。


『大きいヒト……』


『大丈夫だ、手筈通り頼むぜ相棒……』


 クレーエと百人隊長は無言のまま睨み合っていたが、アッピウスが何か言う前にクレーエがパッと手を放す。百人隊長はクレーエが手放した杖をそのままの位置で手に持っていたが、やがて躊躇ためらうように自分の方へ引き寄せ、改めて自分の胸の前あたりで色々角度を変えながら観察し始めた。


「どうだ?」


「ただの樹の枝のようにしか思えません。」


 アッピウスの短い質問に答えた百人隊長がアッピウスに杖を渡すそぶりを見せると、アッピウスは一瞬嘲笑うかのように頬を引きつらせ視線をクレーエに戻した。


「試しにそれを使って魔法を使ってみろ。」


「ま、魔法でありますか?」


「そうだ、丁度いい的が我々の目の前に居るだろ?」


 全員がその意味を理解した。そしてその視線が一斉にクレーエに集まる。


 おいおい……冗談だろ?


 クレーエは頬を引きつらせた。百人隊長が一歩下がってクレーエと距離をとりつつ、手に持った杖をクレーエの方へ突き付ける。同時にクレーエを挟んで反対側にいた百人隊長が、とばっちりを予想してサッと脇へ避けた。


 マジかよ……


「ファイア……!?」


 百人隊長が唱えると杖の先、その延長線上の空中がほのかに光り、オレンジ色の火球を形作る。魔法の発動に成功した……その事実に誰も反応しないうちに火球はフッと消え去った。


「……んっ?

 なんだ、どうした!?」


 異変に気付いたアッピウスが怒鳴ると、全員の視線が杖を持った百人隊長に集まる。しかし当の百人隊長は虚ろな視線を虚空へ彷徨さまよわせ、身体全体をフラフラと揺らした後に唐突にその場へへたり込むように倒れた。


「どうした!?

 何があった?」


「お、おい!!」


 アッピウスが混乱したように大声をあげると、アッピウスの左側に立っていた百人隊長が倒れた百人隊長を呼びながら駆け付ける。覆いかぶさるようにしながら両肩を掴んで揺さぶるが、反応は無い。


『……死んだか?』


『大丈夫だ、大きいヒト。

 まだ死んでない。』


『あなたたちねぇ……』


 状況を確認するクレーエと《森の小人バウムツヴェルク》に《森の精霊ドライアド》の不機嫌な声が届いた。


『『《森の精霊ドライアド》様』』


『死なないようにちゃんと加減したわよ!

 事前に話を聞いていたからいいけど、あんまり気分のいいもんじゃないわね。』


 クレーエはもとより盗賊だ。カタギの人間を襲うよりという理由から、をやっていた男だ。当然、盗賊をやるような悪党のことはよく知っている。その彼が自分だけ貴重な魔導具を貰っておきながら、盗賊たちに囲まれて生活していて仲間にそれを奪われる可能性を予想しないわけがない。だが熟達の魔法使いでも魔導具を作れる錬金術師でもないクレーエに魔導具に特別な細工が施せるわけもなかった。そこでクレーエは《森の精霊》に予め頼んでおいたのだ。


 自分以外の誰かがコレを使ったら、魔法は発動させていいが魔力の供給はしないでくれ。そうすればもしも誰かが杖を奪い勝手に使ったとしても、魔法は発動しても魔力を補ってもらえないから使用者は杖に魔力を強制的に奪われて魔力欠乏を起こすはずだ……その目論見は見事に図に当たった。しかも百人隊長は杖の属性も考えず、地属性の杖で火属性の魔法を使おうとしたのだから、魔力効率は通常よりもずっと悪くなり、結果余計に魔力を消耗させられることになったのである。

 《森の精霊》は使用者の百人隊長が危うく死にそうな寸前で魔法の発動を強制的に中断させ、魔力の供給を再開したので百人隊長は辛くも死を逃れたが、しかし通常ならあり得ないほど魔力を消耗してしまったのは確かである。おそらく目が覚めるのは数日後だろう。


 クレーエたちの念話での会話はアッピウスたちには聞こえない。クレーエが自分たちに内緒で誰かと話をしているとは気づきもせず、未だに百人隊長が突然倒れたことに混乱したままだった。


「おい、どうした死んだのか!?」


「いえ、まだ生きてます。」


「おい、どういうことだ?!

 貴様、一体何をした!?」


 アッピウスの質問が自分に向けられたと気づいたクレーエは、たった今ハッと我に返ったかのように片眉を持ち上げ、一人冷静に答えた。


「言ったでしょう?

 魔力欠乏ですよ。

 私以外の者がそれを使おうとすれば、皆そうなってしまうのです。」

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