第846話 予測

統一歴九十九年五月九日、午後 ‐ 『勇者団』ブレーブスアジト/シュバルツゼーブルグ



 シュバルツゼーブルグの街の中心街から少し離れた商館の使われていない倉庫の二階……窓からは昼をわずかに過ぎた日の光が降り注いで薄暗い部屋を照らしている。ライムント地方の五月ともなれば昼でも既に風は冷たいが、それでも窓をこうして開け放っておかねば、そこに集まったメンバーの顔を見ることは難しくなる。いくら『勇者団』ブレーブスメンバーの魔力が高いとはいえ、全員が全員暗視能力に優れているわけではないのだ。

 メンバー全員の視線を集めるデファーグのこの時の表情は、メンバーたちの印象に強く刻み込まれることとなる。それは窓からの陽光を受けた彼の白い顔が、薄暗い壁を背景にやけに光って見えたことばかりが理由ではない。


 デファーグが『勇者団』のことについて、こうも力強く主張したのは初めてのことだった。たぶん、仲間入りして日の浅い彼はずっと遠慮していたのだろう。メンバー全員が当たり前のこととして受け入れ、そして諦めてもいた自分たちの問題を指摘してみせたことも、そして彼の意外な押しの強さも、『勇者団』メンバーたちにとっては意外だったのだ。驚き、唖然とした彼らは無言のまま互いを見合う。

 言い終わってからデファーグはジッとペイトウィンを見ていた。他のメンバーたちの視線も次第にペイトウィンに集まっていく。そして、気づけば『勇者団』全員の視線がペイトウィン一人に集中していた。


「え……あ……うん……」


 ゴゴッゴッ……椅子を鳴らしておずおずとペイトウィンは立ち上がった。

 全員の視線を集める……それ自体は彼は決して嫌いではない。むしろ普段から望んでいたかもしれない。『勇者団』の中心にいる自分……それはいつか夢見ていた理想像だったかもしれない。

 だが、実際は先ほどのように嫌悪感というか軽蔑というか、そういった冷たい視線を集めることの方が多かった。それはペイトウィンの望むものでは無かった。いつしかペイトウィンは他人の視線を集めることを内心では望んでいる癖に、同時に忌避するようにもなっていた。先ほどもメンバーたちの冷たい視線に気づき、話すのをやめてしまったように……


 しかし、今現在ペイトウィンに集まっている視線は必ずしも不快なものでは無かった。いや、視線自体はあまり気にならなかった。ただ、超一流の魔法の専門家とかオーソリティだとか言われたこと、仲間だと言ってもらえたことが心の中に妙に心地よいざわめきを生んでいた。

 もちろん聖貴族である彼はこれまでも散々褒めてもらえたことはある。魔法の専門家、第一人者……そういった称賛を受けることは珍しくもない。それどころか今まで言われつくされた言葉の代表みたいなものだ。だが、デファーグの口から自然に語られたそれらの言葉は、その力強さも相まってやけに心に響いたのだ。


 そ、そうだよな……

 俺、仲間だし……

 超一流の専門家だし……

 

 先ほどまでの不機嫌はどこへやら、ペイトウィンはわずかに紅潮した顔を綻ばせながら「ウ、ウンッ」と小さく咳ばらいをした後、得意気に話し始める。


「みんな、このシュバルツゼーブルグに来て気づいたことは無いか?

 もちろん、街の様子についてだ。」


 メンバーの何人かは答えを求めて他のメンバーの顔を見るが、それ以外の全員がペイトウィンの質問を無視するかのようにペイトウィンに注目し続けた。ペイトウィンは質問を投げかけてはきたが、別に答えを求めているわけじゃないことぐらいは分かっていたからだ。

 現にペイトウィンはメンバーたちの答えを待たずに続きを話し始める。


「街の様子はいたって普通だった。

 誰も、ムセイオンから俺たちが逃げて来たことなんか知らない……そんな感じだっただろ?」


「それが、さっき言ってたことと関係あるのか?」


「おおありさ!」


 顔をしかめたスモルの問いかけにペイトウィンはやや大袈裟に答える。


「俺たちは世界ヴァーチャリアの重要人物だ。

 偉大なゲーマーの血を引く聖貴族様だからな。

 それが逃げ出したとなれば大問題だ。

 しかもこんな辺境の田舎に来てたとなれば、領主たちなんぞはこぞって捕まえようとするだろうぜ?

 それでムセイオンに引き渡すことができればきっと大手柄だ。」


 調子を取り戻して自慢気に話すペイトウィンの態度は彼らにとって面白くは無かったが、しかし言っていることを否定する気には誰もなれなかった。それは彼ら全員が持つ共通認識そのものだったからだ。


「そしてサウマンディウス伯爵って奴が俺たちのことを知った。

 実際にアルビオンニウムで俺たちと対峙した時、ティフの正体を見抜いたうえで話までしたんだからな。

 なのにここシュバルツゼーブルグではどうだ?

 誰も俺たちのことを知らない。


 つまり、“んだよ!」


 何人かはペイトウィンの言いたいことに気づき、「あ、そう言えば」というような表情をみせる。


「待てよ、あのサウマンディウス伯爵ってサウマンディアの貴族だぞ?

 アルビオンニアの貴族じゃない。

 ここはアルビオンニアだ。

 アルビオンニアの貴族に内緒で俺たちのことを捕まえようとして、それでここに手配されてないだけなんじゃないか!?」


「あの場にはアルトリウシアから来たホブゴブリン兵だっていたじゃないか!?

 それにスパルタカシアって奴もアルトリウシアの貴族だぞ?」


 再度質問を投げかけたスモルはペイトウィンの答えに口をへの字に結んだ。


「理由まではわからないが、レーマ軍が『事を荒立てたくない』っていうのは嘘じゃない。たぶん事実なんだ。

 連中、俺たちのことを捕まえたいとは思ってるかもしれないが、どういうわけか俺たちのことを秘密にしておきたいのさ。」


 ペイトウィンが得意気にそう言い切ると、室内に再び静寂が訪れた。ペイトウィンの顔をジッと見たまま黙って聞いていたティフが顎に手を当て、おもむろに口を開く。


「で、それが俺たちのこれからの行動とどう関係して来るんだ?

 俺たちがスパルタカシアを追いかけるのにお前が反対する理由は何だ?」


「追いかけること自体には反対しないさ。

 ただ、追いかけるにしてもタイミングや準備があるだろって話だ。」


 求めていた答えを返さないペイトウィンにティフは苛立ちを露わにした。


「答えろ!俺たちが今すぐ追いかけるのは問題があるんだろ?」


「さっきも言ったがレーマ軍は俺たちのことを秘密にしておきたいんだ。

 だから俺たちの“手配”がかかってない。

 街の人間たちも俺たちのことなんか知らないままだ。

 だから多分、連中が隠し切れないほど目立つようなことを俺たちがしなきゃ、これからもずっと秘密のままだろうぜ?

 でも、俺たちが派手に動いてレーマ軍でも隠し切れなくなってみろ、連中は俺たちのことを公式に“手配”することになる。

 そうしたら俺たちは今までよりももっと気を使って動かなきゃいけなっちまうな?

 下手に街中に買い物とか情報収集とか、出歩けなくなっちまうかもよ。」


 ペイトウィンが答えると、ティフは顎に当てた手を上にずらして鼻を覆い、まるで手の臭いでも嗅ぐかのようにスーッと大きく息を吸い込んだ。


 既に自分たちの存在をレーマ軍に知られてしまった。当然、レーマ軍は自分たちのことを捕まえてムセイオンへ送り返そうとするだろう。実際、サウマンディウス伯爵は俺たちをムセイオンへ送ると言っていた。快適な旅を約束するとも……

 だからもうコソコソとする意味はないと思っていた。今まで誰も俺たちの邪魔をしてこなかったは俺たちの目的はおろか存在すら知られていなかったからだ。だが、ヴァナディーズのせいで『勇者団俺たち』がここに居ることも、『勇者団俺たち』が世界最大の禁忌タブー”降臨”を起こそうとしていることも知られてしまった。だから、これからはレーマ軍は何としても阻止しようとしてくるに違いない。

 今まで誰にも邪魔されないように身を隠してここまで来たのに、全部バレて今後はレーマ軍が積極的に邪魔して来るのだから、もうこれ以上身を隠し続ける意味はなくなってしまった……そう思っていた。

 しかし、もしもペイトウィンの予想が事実なら話は違ってくる。


「つまり、まだ目立たないようにする意味がまだあるってことか?」

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