第602話 《火の精霊》再登場

統一歴九十九年五月六日、昼 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ケーキの生地は予定の倍以上の量に増えてしまったが着々と出来上がりつつある。一抱えほどもある業務用の大きなボウルにたっぷり二つ分だ。リュウチイは当初、エルゼとカールとディートリンデと…あと数人分の腹を満足させる程度で考えていたので、その大きなボウル一つ分ですらリュウイチが元々作るつもりでいた量の数倍には達しているだろう。だが、現時点での結果を見ればその十倍近い量だ。

 これだけ大きな生地でバウムクーヘンを焼こうと思ったらそれなりの火が要る。最初は三十~四十センチの木の棒に生地を塗り、火鉢に起こした炭火で焼いていき、昔の某原始人キャラのマンガに出て来るマンガ肉みたいなバウムクーヘンを作ろうと思っていたのだが、それでは到底間に合うまい。

 第一、エルゼたちの母エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人は会議は長引いているらしく未だ戻ってこないようだが、会議が終わり次第彼女たちはティトゥス要塞カストルム・ティティへ帰らねばならないのだ。なるべく早くケーキを焼き上げなければ、せっかくここまでやっているのにケーキを食べることなく帰らねばならず、生地も無駄になってしまいかねない。


 リュウイチはなるべく一気に焼き上げるべく、自分のアイテムボックスの中を探し、六尺棒クォータースタッフを取り出した。長さ六フィート(約一・八メートル)のトネリコの木でできた棍棒の一種で、打撃用武器である。打撃武器だから強度は十分だろうし、太さも手ごろである。

 最初は槍でも使おうかと思っていたが、パイクは太すぎるし、他のスピアーなどもだが、先端に刃が付いている。そんな物騒な物を取り出しては、また何を言われるか分からない。これ以上余計な騒ぎを起こさず、長さも太さも手頃で一見して武器に見えない棒状の物としては、六尺棒は実にちょうどいい。


 あとは火だ…短時間でなるべく大きなバウムクーヘンを焼くには、六尺棒のなるべく広い範囲に生地を塗り、その範囲全体に熱が及ぶようにせねばならない。しかし、棒を保持して回すことも考えると、六尺棒の両端三十センチくらいは熱が及ばないようにせねばならないだろう。

 だが、用意した火源は火鉢が一つ…他にもあるだろうけど、かき集めるか?足りるだろうか?火鉢を並べるとしても火鉢と火鉢の間はどうしても熱が行かないから熱の分布に、ひいては焼け具合に偏りが出来てしまいそうだ。


『う~ん』


 ミヒャエルとロミーに補助してもらいながらルールスの指導に従って交代で生地を混ぜるカールとエルゼたちの様子を少し離れたところから眺めつつも、明らかに何か別の事を考えているリュウイチにネロは声をかけた。


「いかがなさいましたか?」


『うん、火をどうしようかと思って…』


「火ですか?

 あの火鉢ではいけませんか?」


『ああ、あの生地をコイツに塗って、コイツを火で炙るんだけど、全体を均一に同時に炙りたいんだ。』


 そう言うとリュウイチは六尺棒クォータースタッフを取り出し、ネロに手渡す。


『最初はもっと短い棒で焼くつもりだったからあの火鉢でも良かったんだけど、あれだけたくさんの生地を焼こうと思ったら、これくらい長い棒じゃないと間に合わないからね。』


 ネロは自分の背丈よりも長い棒を両手で受け取り、それを眺めまわす。

 確かにそのように長い棒全体を同時に炙るには、火鉢では小さすぎた。ネロは少し考えて、対策を提案する。


「では、火鉢をたくさん持ってきて並べてはいかがでしょうか?」


『いや、それだと火が均等に当たらないから…火鉢と火鉢の間のところは熱が弱くなるだろ?』


「では、地面に直接炭を撒いて火を点けますか?」


『いや、それは不味いでしょ。』


 彼らのいる庭園ペリスティリウムの地面は、大理石トラバーチンの石畳か花壇のどちらかだ。花壇には季節の花が植えられており、手入れもされている。職人が季節ごとに花を植え替えているのだ。そんなところで直火なんか焚いたら、植えられた草花は死滅してしまうだろうし、土も変質してしまうだろう。

 かといって石畳の上で直火を焚けば、敷き詰められた石が割れてしまう危険性がある。アルトリウシアは雨が多く、今朝もしっとりと霧雨が降っていたのだ。それなのに石畳の上で火なんか焚いたら、石畳に染み込んだ水が気化して水蒸気爆発を起こしてしまうかもしれない。経験のある人ならわかるだろうが、コレが結構危険なのである。


『花壇で火を焚けば花壇をダメにしてしまうし、石畳の上だと敷かれた石をダメにしてしまうよ。それは出来ない。』


 もしも石畳で火を起こしても石畳に熱が伝わらないようにしようと思ったら、石畳の上に厚さ二十センチくらいは土を敷いて、その上で火を焚かねばならないだろう。他所からそれだけの土を今から運び込んでいたのでは間に合わない。


「なんか小難しい話をしてるねぇ~

 兄さんなら魔法でチャチャっとやっちまえないのかい?」


 いつの間にか近くで二人の会話を聞いていたリュキスカが抱いた赤ん坊をあやしながら言うと、ネロがイラっとした様子で口を反論する。


「まさか!旦那様ドミヌスの魔法なんて軽々しく使って良いものではありません!」


「ふ~ん、相変わらず面倒だねぇ。

 兄さんが兄さんの為にケーキを焼くってだけのことでさぁ。」


 リュキスカはあえてネロの方を見ずに赤ん坊の顔だけを見ながら、愛する息子を喜ばせるために色々と表情を変えながら愚痴るように言った。ネロはまだ何か言いたそうではあったが、リュウイチが『そっか…魔法か…』などと言った事から顔色を変えた。


旦那様ドミヌス!まさか…」


『サモン・ファイア・エレメンタル!』


 リュウイチが呪文コマンドを唱えると、リュウイチの目の前に、何もない空間にボワッと突如炎が燃え上がった。


「「「「ああっ!?」」」」

「「「おおおっ!?」」」


 異変に気付いた全員が手を止め、何もない空中で燃える炎を目を丸くして注目する。ネロ以下リュウイチの奴隷たちは先月、リュウイチの奴隷となった日のことを思い出して顔を青くし、冷や汗をかき始める。

 

あるじよ!何なりと命じるがよい!

 が力をもってあらゆる敵を焼き払ってくれよう!!』


 派手好きな《火の精霊ファイア・エレメンタル》はわざわざこの場で見ている全員に聞こえるように念話でリュウイチに語り掛けた。ネロたちの脳裏にあの日の恐怖がよみがえる。だが、ネロたちと対照的な反応を示したのは三人、リュキスカとカールとエルゼだった。エルゼは何が起こっているかわからずキョトンとし、カールとリュキスカは最初こそ驚くだけだったが、リュウイチのしもべらしいことを察すると顔をほころばせ、特に近くにいたリュキスカはリュウイチに早速質問を浴びせ始める。


「おおぅ!何だい兄さんそれ!?凄いじゃないさ!!」


『え?…ああ、《火の精霊》さ。』


「へぇぇ~~コイツがあの!?

 ネロたちが戦いを挑んだって言う!?」


 言いながらリュキスカはチラっとネロを見る。ネロは恐怖に顔を青くしていたが、リュキスカの視線に気づくと咳払いをしてポーカーフェイスを作った。それを見てリュキスカが少し嫌らしくニヤッと笑う。

 リュキスカはネロたちがリュウイチに戦いを挑んだという話を聞いていた。詳細までは知らないが、その場に《火の精霊》もいたらしいこと、ネロたちが《火の精霊》に攻撃を仕掛けたらしいこと、そしてリュウイチの魔法で眠らされてしまったことなど…リュウイチ自身はそのことを話さなかったし、ネロからも聞いてはいないが、ネロ以外の奴隷やクィントゥスたちから断片的に話を聞いていたのだ。


 へ~ん、ネロこいつも偉そうにしてる割にゃ苦手なモンがあったんじゃないさ。


『さあ、吾が主よ!

 どいつが敵だ!?

 主様が命じさえすれば目に付くすべてを焼き尽くし、灰の山にしてくれるぞ!』


『いや、焼いてほしいのはケーキなんだ。』


『任せるがよい!そのようなもの一瞬で消し炭にしてみせグハッ!?』


 昂る《火の精霊》は唐突にリュウイチにデコピンを食らい、揺らめいた。


『何をする!?』


『燃やすんじゃなくて焼くんだよ、炙るの!

 焦がしちゃダメなんだぞ!?』


旦那様ドミヌス、まさか《火の精霊》でケーキプラケンタを!?」


 リュウイチが《火の精霊》を召喚して何をしようとしているかに気づいたネロが唖然とした表情で、自分のその“気づき”そのものが信じられないながらも確認のために訊くとリュウイチはこともなげに答えた。


『ああ、火の調整はお手の物だろ?火そのものなんだし…』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る