第221話 縋れぬ光明

統一歴九十九年四月十八日、午後 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア



 この世界ヴァーチャリアはメルクリウスを名乗る謎の人物による召喚術で《レアル》と呼ばれる別の世界から召喚された降臨者によって、文明・文化・科学知識などをもたらされ発展してきた。しかし、《レアル》の科学知識を活用しようにもヴァーチャリアには《レアル》では実在しない精霊エレメンタルの存在が障害となってしまう。たとえば鉄を溶かすような強い炎を使おうとすれば、火に精霊エレメンタルが宿り《火の精霊ファイア・エレメンタル》となって暴れだしてしまうからだ。


 降臨者は基本的にヒト種の人間であるが、降臨してくるにあたってメルクリウスの秘術によって高い魔力と精霊エレメンタルとの親和性、さらには精霊エレメンタルの加護を与えられ、それらはこの世界ヴァーチャリアで科学知識を活用する際に障害となる精霊エレメンタルの働きを弱め、あるいは好転させるのに役立った。精霊エレメンタルを使役する力…それはこの世界ヴァーチャリアで《レアル》の科学知識を活用するために必要不可欠なものなのだった。


 そうなると、降臨者自身が寿命等で世を去れば、せっかくもたらされた《レアル》の科学知識は失われることになってしまいそうなものだ。だが、幸いなことに降臨者が持つ精霊エレメンタルを使役する力は、その血を引く子供たちへと引き継がれた。

 精霊エレメンタルを使役する力を持った子が増えれば《レアル》からもたらされた文明の利器をこの世界ヴァーチャリアでも生産できるようになる。降臨者の血を引く子供たちは必然的に特権階級を形成し、貴族化していく。そして同時に、その血筋は厳重に管理されることにもなった。

 降臨者の血を引き精霊エレメンタルを使役できる人間が増えれば増えるほど、その国は確実に豊かになるのだから当然だろう。


 そんな世界で、先祖返りのように降臨者本人並みの強い魔力と精霊エレメンタル親和性を持った子が生まれたり、あるいは新たに別の降臨者が降臨してきたらどうなるだろうか?


 当然、その血を引く子を一人でも多く残してもらおうと世界全体が画策することとなる。

 神聖な降臨者、高貴な血筋と持てはやし、少しでも好みに合いそうな異性を見つけてきてはあてがう。特にそれが男性であれば、文字通り周囲の者が勝手にハーレムを作り上げてしまうのだ。(女性は年に一度しか出産できないが、男性なら理屈の上では宛がわれた女性の数だけ子を成せるのだから、必然的に男性の方が大規模なハーレムになりやすい。)


 有力者たちはこぞって自身の娘を、あるいは影響下にある娘を「花嫁修業の一環として降臨者様のお世話をさせてください」などとうそぶいて傍に仕えさせようとする。神聖かつ高貴な降臨者の世話をするのだから、彼女たちは「巫女サセルダ」と呼ばれる。

 巫女サセルダになれば降臨者の傍に仕えるのだから物理的に接近することになり、降臨者に手を出される可能性が高くなる。降臨者の傍で仕えたのだから《レアル》の文化に触れ、知識を学んでいるだろうということで女性としての地位は高くなり、有利な結婚しやすくなる。だから仮に降臨者に手を出してもらえなかったとしても無駄にはならない。


 幸運にも降臨者に手を出してもらえたなら降臨者の血を引く子を産む可能性が出てくる。ゆえに、巫女サセルダより一段高い地位「聖女サクラ」とされ、大事に扱われるようになる。

 さらに実際に子を産めば…しかもそれが強い魔力を持った子ならばそれは世界的な快挙である。その子を無事に育て上げれば世界や国家にとって計り知れない恩恵をもたらす存在になるのだ。当然、偉大な子を産んだ聖女サセルダは「聖母マグナ・マテル」と呼ばれ、讃えられ、歴史に名を残すこととなる。

 蛇足だが「聖母マグナ・マテル」という称号は産んだ子供が卓越した大きな功績を残した場合に送られるため、子を産んだ聖女サクラのすべてが聖母マグナ・マテルと呼ばれるわけではない。また、子供が十分に偉大であっても、生前の聖女サクラとしての活躍が広く知られている場合は「聖母マグナ・マテル」の称号を与えられていたとしても、あえて「聖女サクラ」と呼ばれ続ける場合もある。


 聖女たちはこの世界ヴァーチャリアに降臨者の血を残すために、その身を奉げた存在であることから「奉げられた女コンセクラータ」とも呼ばれ、それにちなんで降臨者の血を引く子孫たちは聖貴族コンセクラートゥムと呼ばれるようになる。(「聖貴族」は男性のみを指す場合はコンセクラートゥス、女性のみを指す場合はコンセクラータ。男女両方を指す場合、あるいは性別を特定しない場合はコンセクラートゥム。)



 さて、現在の状況では降臨者リュウイチによってリュキスカは聖女サクラということになる。

 娼婦である彼女は避妊薬リジアスを服用しており、現時点でリュウイチの子を妊娠する可能性はないが、一度ということは今後も可能性が高いため、「聖女サクラ」としての地位が揺らぐわけではない。たとえ本人が「産む気はない」と明言したとしてもそれは変わらない。



「それは…残念なことね。」


 エルネスティーネは仕方ないと諦めたかのように眉を持ち上げ、ため息交じりに言った。


「まあ、それはそれでいいだろう。

 しかしリュキスカの立場や役割が変わるわけではない。」


「ええ、そりゃあ、アタイだってそれはシッカリやらせてもらうよ。」


 やはり少し残念そうに言うルキウスにリュキスカが答えると、エルネスティーネはリュキスカに歩み寄ってしゃがみこみ、リュキスカの抱く赤ん坊を覗き込んだ。


「愛されているのね、この子は。男の子だったかしら?」


「はい!フェリキシムスです!」


「そう、幸運に恵まれた男フェリキシムス…いい子だこと。

 あら、でもカロリーネと同じ十か月にしては少し小さくないかしら?」


 エルネスティーネは子育ての多くを侍女たちに任せているとはいえ五児の母である。まして、末っ子がフェリキシムスと同じ生後十か月なわけだから、フェリキシムスが自分の子よりも小さいことに気がついた。


「ああ…この子…アタイもだったんだけど、労咳ろうがいで…

 それで普通の子より成長が遅いみたいで…」


「まあ、労咳!?」


 エルネスティーネは驚き、しゃがんだままだが思わず身を引いてリュキスカの顔を見た。

 労咳といえば死病である。しかも人に感染する。驚くのも無理はなかった。

 リュキスカはエルネスティーネの反応に慌てて大丈夫アピールを始めた。


「ええ、でも!でもリュウイチ様に治していただいたんだよ!

 だからもう咳ひとつしないし、急に、今までがウソみたいに元気になって…

 オッパイだってすごく飲むようになったんだ!?」


「リュウイチ様が?」


「はい!魔法であっという間に…でも、死にかけだったから魔力が戻んなくって、そんで最後は何だっけ…何だかいう、何にでも効くっていう薬をいただいて。

 それでアタイとこの子の病気をいっぺんに!」


「そうだったのですか?」


 エルネスティーネは斜め後ろに立っているルクレティアに問いかけると、ルクレティアは少しモジモジしながらためらいがちに答えた。


「はい、恐れ多くもエリクサーを用いられました。」


「「エリクサー!!」」


 ルキウスとエルネスティーネは思わず絶句し、固まってしまう。


「な、何だか知んないけど、すごいお薬だったねぇ。

 何か飲んだ瞬間に身体全体がポォって温まった感じがしてさ。何か胸にあったイガイガした感じとか全部きれいに消えちまったんだよ。」


 ニコニコして話すリュキスカとは対照的に、赤ん坊へ視線を戻したエルネスティーネの表情はどこか物悲し気だった。


「そう、よかったわね。この子はその名の通り、幸運に恵まれたのね。」


 リュキスカはエルネスティーネの言葉でカールのことを思い出した。侯爵家の公子カールが病弱なことはアルビオンニアの人間なら知らぬ者のない常識である。


「そうだ!エルネスティーネ様!!

 カール様のこと、リュウイチ様にお願いすりゃいいんじゃないかねぇ!?」


 リュキスカはパッと明るい顔でエルネスティーネに提案する。それは実に良いアイディアに思えた。リュキスカ母子の死病を一瞬で治したリュウイチなら、カールの身体だってきっと治せるに違いない。

 しかしエルネスティーネは悲しそうにニッコリとほほ笑んだ。


「いえ、それはできないわ。」


「ええ!?どうして?

 大丈夫だよ!

 リュウイチ様はアタイみたいなもんも治してくれるような慈悲深い御方だよ?

 カール様だって絶対治してくれるよ!!」


 エルネスティーネは悲し気な笑顔を背けながら立ち上がる。


「ええ、それはわかっています。

 リュウイチ様は御願すればきっと助けてくださるでしょう。」


 リュキスカは思わず立ち上がってエルネスティーネに追いすがる。


「じゃあ、じゃあさ、助けてもらえばいいじゃないさ!

 何なら、アタイが頼んであげるよ!!」


「ありがとうございますリュキスカさんフラウ・リュキスカ

 でも、エルネスティーネは属州アルビオンニアを治める侯爵夫人マルキオニッサとして、それをするわけにはいかないのです。」

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