第186話 茶飲み話

統一歴九十九年四月十七日、午前 - 《陶片》満月亭/アルトリウシア



「邪魔するぜ?」


 『満月亭ポピーナ・ルーナ・プレーナ』の戸が開かれ、身長七ペス(約二百十三センチ)に達するコボルトが現れると、店内にいた全員の視線が集まる。


「り、リクハルド卿!?」


 給仕のために立っていた一人が慌てて厨房へ駆け込むと、大して間を置かずにペッテルが出てきた。リクハルドの前まで来るとリクハルドを見上げながら揉み手で挨拶する。

 ブッカとしては標準的な五ペス(約百五十二センチ)程度の身長しかないペッテルからすると、リクハルドは文字通り見上げるような巨体だ。


「ようこそのお越しで、しかし生憎と今日はエレオノーラの姐さんは・・・」


 エレオノーラは『満月亭』のオーナーであり、リクハルドの愛人とされる女性だ。リクハルド同様、ブッカの母とコボルトの父から生まれたハーフコボルトで、リクハルドの海賊時代を知る唯一の女性と言われているが、歳はリクハルドより一回り以上若い。

 リクハルドに伴われてアルビオンニウムにやってきたころは、まだ十歳になるかならないかぐらいの少女だったが、いつの頃からか水オルガンヒュドラウリスの奏者として名を馳せるようになり、いつの間にかリクハルドの愛人と言われるようになっていた。

 アルトリウシアへ移り住んでからはリクハルドから『満月亭』ともう一つ店を与えられ、そのオーナーに納まっている。しかし、実際の店の経営にはほとんど関わっておらず、雇われ店長のヴェイセルを始めリクハルドの手の者が経営の実務を任されていた。

 ちなみにペッテルはリクハルドがアルビオンニウムでギャングをやってる時に拾われた孤児である。リクハルドに拾われなければ、今のような堅気カタギな仕事はしてなかっただろう。というか、生きていなかったに違いない。



「ようペッテル、久しぶりだなぁ?

 今日はアイツに用があって来たわけじゃねぇよ。気にすんな。」


 リクハルドが自分の名前を憶えていてくれたことに感激しつつ、ペッテルは申し訳なさそうに続けた。


「あ、じゃあヴェイセルさんですか?

 ヴェイセルさんも今ちょっと接客中でして・・・」


「知ってる。ラウリの奴も来てんだろ?」


「あ、はい。」


 リクハルドは店内を見回し、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団兵レギオナリウスが一塊になって何か飲み物を啜りながらこちらの様子をうかがっているのを見つけるとニヤリと笑った。


「何、ちょいと様子見がてら、茶ぁ飲みに来ただけよ。

 ヴェイセルの奴がこないだ、いい茶葉が入ったって言ってたからなぁ。

 そいつを出してくれや。」


「かしこまりました。

 では奥へ御案内します。」


「いや、店の様子見だって言ったろ?

 ここでいい。熱~いのを頼むぜ。」


 リクハルドはそう言うと勝手に席に向かって歩き出した。その後ろにボディーガード代わりか、リクハルドよりはやや背が低いがやはり巨体を誇るコボルト伝六でんろくがついて行く。


「あ、はい、では直ちに御用意いたします。」


 ペッテルはそういうと厨房へ戻って行った。

 リクハルドは伝六と共に店の一番奥の席に陣取っている軍団兵レギオナリウスのすぐ横の席へ向かって歩いた。

 リクハルドが自分たちの方へ来ると悟った軍団兵レギオナリウスがぞろぞろと立ち上がり、姿勢を正して敬礼する。


「リクハルド卿!」


「ああ、いいっていいって。

 せっかくこの店に来てくれたんだ。堅苦しいのは抜きにしてくつろいでくれや。」


 リクハルドが上機嫌にそう答えながら席に座ると、軍団兵レギオナリウスたちも「失礼します」と言って席に着く。


「兄さんたち、随分と物々しい恰好じゃねぇか。

 今日はどうかしたのかい?」


 軍団兵レギオナリウスたちは軽装歩兵ウェリテスだが全員が完全武装状態だった。短小銃マスケトーナを持ち、両肩から投擲爆弾グラナータたすきけにしており、席についてもなおガレアを被ったままだった。

 軍団兵レギオナリウスらは互いに顔を見合わせて何と答えるべきか逡巡している。彼らには緘口令かんこうれいが敷かれていて何も言うことは出来ない。しかし、だからといってこの街を治める郷士ドゥーチェであるリクハルドを無視してよいとも思えない。

 仕方なく二人いた十人隊長デクリオの内の一人が答えた。


「その、行軍演習であります。」


「行軍演習?」

「酔っても迷わず女を買いに行く訓練かぁ?」

「「がっはっはっは」」


 伝六が茶化し、リクハルドと伝六が豪快に笑うと、十人隊長デクリオは困ったような顔をしたものの、軍団兵レギオナリウスたちはそろってつられて笑う。


「いやいや、ありがてぇ話じゃねぇか。

 何せハン支援軍アウクシリア・ハンが暴れてからこっち、ずっと不景気続きだ。

 《陶片ウチ》で娼婦オンナ相手にしてくれりゃ、願ったりかなったりってもんだぜ?」


「まったくでさ。

 連中はここんとこずっと客の入りが少なくて困ってんだ。」


「おぅ伝六でんろく、お前ぇの店も茶ぁ挽いてる娼婦がいて困ってるってぇ話じゃねぇか?」


「ええ、馴染みの軍団兵レギオナリウスが来てくんなくなったってね。

 可哀そうに寂しがってんですぜ、兄さんがた?」


「おぅ、今なら娼婦むすめっこどももさぞや熱のこもったサービスしてくれるだろうぜ?」


 リクハルドと伝六が愛想よく話を振るが、軍団兵レギオナリウスたちは愛想笑いを浮かべて曖昧な相槌を打つだけで話に乗ってこなかった。

 彼らからすれば、リクハルドの言う「来なくなった馴染みの軍団兵レギオナリウス」とはまさに自分たちの事である。リクハルドや伝六がそれを知っているわけではなかったが、当事者としては身につまされる思いではあったし、かといって事情を説明する事もできないしで、どう反応していいか分からなかったのだ。

 軍団兵レギオナリウスが乗ってこないのでリクハルドは話題を変える事にした。



「そういや兄さんたち、冗談はともかくとして自分たちだけで来たんじゃねぇんだろ?」


「え、あ、はい、門の所にも・・・」


 突然話題が変わった事で十人隊長デクリオは戸惑いながら答える。


「そうじゃねぇ、兄さんがたを率いている隊長ドミヌスさんだよ。

 隊長ドミヌス御供おともでココに来たんじゃねぇのかい?」


「あ、ハイ。そうです。」


「そいつぁ誰だい?

 百人隊長ケントゥリオかい?」


「いえ、大隊長ピルス・プリオルでカッシウス・アレティウスさんって・・・」


「カッシウス・アレティウスぅ?」

大隊長ピルス・プリオルにそんな奴いたかぁ?」


 リクハルド達はアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア大隊長ピルス・プリオル以上の役職に就いている人物は全員把握していた。その中にカッシウス・アレティウスという名前の人物はいない。

 軍団兵レギオナリウスたちは「まずい!」というような顔をし、十人隊長デクリオも態度に狼狽の色が浮かび始める。


「あ、えっと三日前に就任されたばかりなので御存知ないかと・・・」


「へぇ、そうかい?」

「じゃあ知らねぇのも無理はねえか。」


 納得した様子のリクハルドたちに十人隊長デクリオは少し安堵したようだったが、兵士たちの動揺はまだ収まらない。不安そうにしている。


「じゃあ、今までの大隊長ピルス・プリオルの誰かが退任でもしたのかい?」


「いえ、どなたも退任されてません。」


「じゃあ新設されたのかい?

 兄さんたちゃあ、第何大隊だい?」


 十人隊長デクリオはもう一人の十人隊長デクリオと顔を見合わせながら「第四クアルタ・・・か?」「第十一ウンデシマじゃね?」などと相談を始める。


 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは基本的に十個の大隊コホルスから成る軍団ではあるのだが、一昨年の火山災害の際に演習中の陣営を火砕流が直撃したため、兵力の大半を喪っている。生き残った兵士も半数が後遺症を伴う重症を負っており、事実上三分の一以下にまで兵数を減らしてしまっていた。

 生き残った兵士を第一プリマから第三テルティアまでの大隊コホルスに振り分けて再編しているが、一応第四クアルタから第十デシマまでの大隊コホルスも書類上だけ存続していて、名ばかりの大隊長ピルス・プリオルが名誉職のような形で就任してもいた。

 実情では第四クアルタ以降の大隊コホルスは存在していなかったので新たに大隊コホルスが新設されたとすれば第四大隊コホルス・クアルタになる筈だが、書類上は第十大隊コホルス・デシマまで存在しているし第四大隊コホルス・クアルタ大隊長ピルス・プリオルが異動なり退任なりしたという話も聞かないので、それらが存続したままとなれば第十一大隊コホルス・ウンデシマということになる。

 しかし、彼らはその辺について説明を受けていなかった。ただ、特務大隊コホルス・エクシミウスとだけ聞かされていただけだったのだ。


「おいおい兄さんがた、自分の所属もわかんねぇのかい?」


 リクハルドたちはあからさまに呆れたように言うと、十人隊長デクリオはさすがに気まずそうにした。


「申し訳ありません、リクハルド卿。

 自分らはただ特務大隊コホルス・エクシミウスとしか聞かされておりませんで、番号は知らんのです。」


優秀な大隊コホルス・エクシミウスだって!?

 ハッハッ、聞いたか伝六、優秀エクシミウスだとよ。」


「ええ、ぇしたもんだ。じゃあきっと兄さんたちゃ軍団レギオー最強だな!?」


 リクハルドと伝六が楽しそうに笑うと、十人隊長デクリオは「いやぁ、そんな・・・」などと照れ笑いを浮かべる。

 そこへ注文しておいた熱い香茶が運ばれてきた。香茶は他の飲み物と違って淹れるのに割と時間がかかるのだ。

 リクハルドと伝六は器を手に取って早速、賞味しはじめる。


「おう、来たぞ・・・ふぅーっ、ふぅーっ・・・んん~、確かにいい香茶だ。」


 その姿に軍団兵レギオナリウスたちはようやく解放されたと思い胸をなでおろした。

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