目覚めたエイー

第1144話 エイーの目覚め

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 『ホーシャム山荘ホーサム・フッテ』/アルビオンニウム



 パチッ……暖炉にくべられた燃える薪の小さくぜる音でエイー・ルメオは目を

ました。ぼやけた視界のすぐ先で燃え盛る暖炉の火は心地よい温もりをもたらしてくれている。外は霜も降りる寒さのはずだが、山荘の中は心地よい初夏を思わせる暖かさだ。特に暖炉からの輻射熱ふくしゃねつを受けていた顔はまるで火照るようで、このまま二度寝へと興じたい気持ちを自然と掻き立てる。

 掛けられた毛布を無意識に引きあげて顔まで被り、再び目を閉じる。心地よい微睡まどろみの中で全てを忘れることができたなら、きっと楽しい夢が見れたことだろう。しかし人間というおおよそ野生からもっとも遠ざかった獣にも残されているなけなしの本能はそれを許さなかった。

 人間に限らないが、動物とは寝ている時が一番無防備になる。ゆえに、無防備になる前に安全が確保されていることを確認せねばならない。その安全確認を促すため、人間の本能は眠りに就く前に自然と嫌なことや不安なことを思い出すように出来ていた。夜、寝ようとすると嫌なことが次々と思い出されて寝付けなくなるのはそのせいである。

 エイーもまた、微睡まどろみに落ちる直前に思い起こすべき重大な案件を急速に思い出していた。


『さあ、これ以上の無駄な抵抗は辞め、大人しくしてください。』


 閃光! 爆発!? 衝撃!! そして全身を包む紅蓮ぐれんの炎のイメージにエイーの目は一瞬でパッと見開かれた。思い起こされたイメージの中で身を焼いていたはずの炎は目の前の暖炉の中で、穏やかに燃えている。のっそりと上体を起こしたエイーは気づけば額に、そしておそらくは服に包まれた全身に、いつの間にか冷たい汗をかいていた。


 今のはいったい……


 それから先ほどまでの心地よさなど一挙に吹き飛ばすかのように昨夜の記憶が怒涛どとうごとき勢いでよみがえる。


 そうだ! アイツ、インプ!!

 アイツに追いかけられて……ペイトウィンホエールキング様は!?


 暢気のんきに寝ている場合ではない。エイーは毛布をはねのけて本格的に起き上がり、周囲を見回した。そこは見覚えのある広間……『勇者団』ブレーブスがブルグトアドルフのアジトにしていた山荘の大広間であり、エイーはその大広間の最奥にある大きな暖炉の真ん前に寝かされていた。


 ここは……アジトか……

 ここに寝かされてるってことは、盗賊どもが運び込んでくれたのか……ということは、逃げおおせた?


 だが大広間にはエイーの他は誰も居ない。窓が全て閉められていたため光は暖炉の火と、窓の板戸の隙間からわずかに挿し込むほのかな外光しかないが、それでも中に人気ひとけが無いことを確認するには十分だった。

 かけられていた毛布は元々山荘に置かれていたもので、おそらく山荘の持ち主だった貴族が忘れて行ったものだろう。この山荘を初めて利用した際に見つけ、以後ここで寝る際は遠慮なく使わせてもらっていたものだ。貴族の持ちものだっただけあって上等な毛布ではある。エイーは立ち上がるとそれを無造作に放った。

 

 あの後、途中から記憶がない。

 ペイトウィンホエールキング様の魔法攻撃に巻き込まれて……その後どうなった?


 魔法の炎に焼かれたはずの身体に違和感はない。見下ろせば着ている服は焼け焦げているが、身体の方は全くの無傷のようだった。

 おそらくポーションで治療してもらえたのだろう。エイーの知る限り、ペイトウィンは治癒魔法は多少使えるがあまり得意ではなかったから、全身を焼くような火傷を治すために不慣れな高位治癒魔法ハイ・ヒールを使うくらいならポーションを使うことを選ぶはずだ。


 ということは、ペイトウィンホエールキング様もきっと無事なはず……

 でもいったいどこだろう?


 ペイトウィンはエイーよりも寝汚ねぎたない……ほっとくといつまでも惰眠をむさぼるタイプだ。それなのにエイーよりも先に起きてエイーを置いてどこかへ出かけるというのは考えにくい。


 何か食べに行かれたのかな?

 それよりも盗賊どもはどこへ行ったんだ?

 

 様子を見に行くためにエイーはまず自分の装備を探した。立ち上がったまま周囲を見回すと、自分が寝ていたところからさして離れていない場所にまとめて置かれているのが見つかる。


「あった!」


 エイーは一飛びで飛び込むような勢いで荷物の脇へ滑り込む。が、すぐにウッとうめき声をあげて上体を仰け反らせた。一か所にまとめて置かれた荷物の上に、自分の愛用の杖と共に森の精霊ドライアド》から貰った杖が置かれていたからだ。

 『癒しの女神の杖ワンド・オブ・パナケイア』……一見すると貧相な、ただ寄生木やどりぎを伸ばしてじって一本にまとめただけの棒きれだ。だがひとたびそれを持てば、居ながらにして《森の精霊》と言葉を交わし、その加護を得ることが叶う。いわば《森の精霊》の分身であり、しろとも言える存在。これは装備するだけで魔法の素養などあるはずのないNPCのクレーエごときにさえ念話を可能たらしめた。それは最早エイーが使っているような、ただ装備者の魔力を増幅さっせて魔法効果を効率化させるだけのとは格が違う。これこそ真に神の力宿りし本物の魔導具マジック・アイテム。いや、神具と呼ぶべきか?

 しかし、そこに宿る力の主はあの《森の精霊》。ナイスを捕え、スモルを、スワッグを、そしてティフやスタフをも一度に無力化せしめた“敵”の力だ。


 こんなもの……


 果たして本当に持ち続けていいのか、使っていいのか、エイーは疑問を拭いきれない。《森の精霊》は間違いなく《地の精霊アース・エレメンタル》とつながりがある。そして昨日のインプ……グルグリウスは《地の精霊》の眷属になったと言っていた。つまり《森の精霊》とグルグリウスも裏で繋がっている可能性が高い。


 ペイトウィンホエールキング様は否定してたけど、やっぱり信じる気になれない……


 そんなエイーにとって、《森の精霊》から渡されたワンドは忌まわしい呪物のように思えてならなかった。


 ひょっとしたら、グルグリウスに居場所を知られたんじゃないのか?


 エイーは『癒しの女神の杖ワンド・オブ・パナケイア』が上に置かれた鞄の方を掴み、杖には直接触れないように鞄だけを引っ張り上げる。杖は何事も無く、音を立てて床に転がった。


「・・・・・・」


 引き寄せた鞄を抱えながらしばらく観察してみたが、床に転がった杖は何の反応も示さなかった。装備しさえすればNPCでさえ念話が出来るようになる杖……ひょっとして今も《森の精霊》と繋がっていて、今も杖を通してエイーの様子を観察しているのだとすれば、杖を通して何か反応を示すのではないかと疑ったが、どうやらそういうことはないらしい。

 エイーはホッと小さくため息を付きながら肩の力を抜くと、抱えた鞄を開けて中身を確認しはじめた。一見すると襤褸ぼろ雑嚢ざつのうだが、実はそれは偽装のために取り付けたであり、内側には本体とも呼ぶべき魔法鞄マジック・バッグが縫い付けられて隠されている。エイーはやはり偽装のためにゴチャゴチャと入れて置いた着替えや小道具類を退けて本体である魔法鞄を露わにすると、その蓋を開けて空っぽの魔法鞄に手を突っ込む。すると、脳裏に魔法鞄に収納されている物品のリストが浮かび上がった。


「ハイ・ヒール・ポーションにヒール・ポーション、レッサー・ヒール・ポーション、マナ・ポーション、レッサー・マナ・ポーション、レッサー・スタミナ・ポーション、アントドーテ、ラクサティブ、アルコール、アネスティージャ、包帯……

 ……よし、中身は揃ってるな……」


 荷物の内容を確認し終えて一応の安堵すると、エイーは改めて立ち上がり、自分の着ている服を見た。やはり貴族たる者、身形みなりは整えねばならない。まして治癒を志し医療も手掛けてきたエイーは清潔には常に気を遣う癖がついていた。そしてエイーは浄化魔法の数少ない使い手の一人であり、風呂だの洗濯だのに手間と時間をかけることなく一瞬で衣類と身体の汚れを一掃することができる。


 ・・・・・・・でも、このままじゃ不味いな。


 彼の服は焼け焦げていた。浄化魔法で汚れを落とすことはできるが、破れなど損耗を修復できるわけではない。焼け焦げた衣服に浄化魔法をかければ、焼けて炭化した部分は一掃できるだろう。だが、燃えて無くなった部分はそのままだから、不自然に穴が空いたり擦り減ったりしている癖に異様に清潔な服になってしまう。そんなの着てたら却って目立つだろう。NPC一般人は浄化魔法なんて知らないだろうが、一般的な方法では出来ない加工や処理を施した服など着ていれば注目は浴びるだろうし、想像もつかない処理方法や加工法が用いられたとなれば消去法で魔法で使ったのだろうと当たりを付けられてしまう。結果、ここに魔法使いがいますよと宣伝するような形になってしまいかねない。


 仕方ない、着替えるか……エイーが着替えを取り出そうと再びしゃがんで鞄を漁り始めて直ぐ、エイーのいる広間の扉が開かれた。

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