魔獣登り
「あのね、ユンユンはお勉強しましょうって
「お母さんとどっちが厳しい?」
「んんっと、お母さんは怖いよ?」
「なるほど! じゃあ、リンリンは?」
「リンリンはね、優しいけど、ユンユンには勝てないんだよ?」
「やっぱり、妹はお姉ちゃんには勝てないんだね」
「でも、ニーナはユフィと仲良いよ?」
「そっちは、双子だからねー」
リリィからニーミアに乗り換えた僕は、プリシアちゃんとアレスちゃんを連れて、テルルちゃんの巣へと向かう。その途中で、プリシアちゃんはここ最近のことを話してくれた。
どうやら、午前中はユンユンのお勉強。午後からはお母さんたちのお手伝いと、小さな子供にしては
これまで僕たちと
そして、ニーミアに
「にゃん」
ニーミアはひとっ飛びで、霊山の山腹に深々と刻まれた亀裂に到着した。
そのまま、暗くて深い亀裂へと降下していく。
普通だと、小さな子供にとって真っ暗闇は怖い空間だと思うんだけど。
さっきから、プリシアちゃんは僕の腕のなかできゃっきゃと上機嫌だ。
もちろん、プリシアちゃんと合流したアレスちゃんも楽しそう。
「いらっしゃーい」
「こんにちは!」
すると、暗闇の奥からぬるりとテルルちゃんが姿を現した。
真っ赤な複数の瞳が、ニーミアに騎乗した僕たちを見下ろす。
普通の竜族よりも巨大なニーミアでさえ、小さく見えるテルルちゃん。
最上級の魔獣らしく、暗闇は濃密な気配に満たされている。
だけど、怖さは全くない。
僕たちがテルルちゃんと友達だからなのか、それとも、テルルちゃんがそう演出しているからなのかはわからないけど。
それでも、僕たちの来訪はテルルちゃんに歓迎されているようで、ニーミアは無事に亀裂の底へ着地することができた。
僕とプリシアちゃんとアレスちゃんを下ろしたニーミアは、すぐさま小さくなる。そして、僕の頭の上に移動してきた。
「うむむ。僕はテルルちゃんの頭の上に乗りたいな」
「プリシアも!」
「はい、どーぞ」
「のぼろうのぼろう」
僕たちの要望に応えて、テルルちゃんは暗闇の奥から一本の腕を伸ばす。
僕たちは嬉々として腕に飛びつく。
そして始まるテルルちゃん登り!
鋭い爪は空間跳躍で飛び越えて、太くごわごわとした体毛を足掛かりにして上へ上へと突き進む。
久々の自由を満喫しているのか、プリシアちゃんもきゃっきゃと嬉しそうだ。
だけど、登っても登ってもテルルちゃんの胴体には届かない。
「大きすぎぃぃぃっっ!」
「にゃあ」
こうなったら、本気を出す!
ということで、爪の先からも空間跳躍でぱぱっと飛び越えていく。
「不正は駄目でーす」
「ぎゃーっ」
でも、テルルちゃん登りに不正は許されませんでした。
どすん、と脚を上下させただけで、僕は振り落とされる。
「一番最後に登った人が、お仕置きですからね?」
「プリシアちゃん、それって僕を名指ししているようなものだよね!?」
アレスちゃんは「登ろうと」言っていたはずなのに、僕の横に浮かんで応援している。
そして、振り落とされなかったプリシアちゃんと、振り落とされた僕の差は、歴然としている。
しかも、プリシアちゃんは耳長族らしい身軽さで、ぴょんぴょんと体毛から体毛へと飛び移り、軽快に登っていく。
全く恐れを知らない幼女です。
光源のない亀裂の底で、あんなにも軽快に登っていくなんて。
「……ん?」
なんで光源がないのに、遥か頭上を移動するプリシアちゃんをはっきりと視認できているのかな?
瞳に竜気を宿しているからという以上に、プリシアちゃんの姿がはっきりと見える。
「あっ!」
僕は知った。
僕の傍でアレスちゃんが応援しているように、プリシアちゃんを補佐するように光の精霊さんが顕現していることに!
しかも、プリシアちゃんが落ちないように手を差し伸べたり、足もとがしっかりと確認できるように周囲を照らしている。
「それって、不正じゃないですかー!?」
「空間跳躍ではないので、問題ないでーす」
「くうっ」
この場の
仕方なく、僕は改めて自力で登り始める。
「頑張るにゃん」
「ニーミアよ、プリシアちゃんの邪魔をしてくるんだ」
「大人気ないにゃん」
「だって、負けたらお仕置きなんだよ?」
いや、それはそれで良いのかも? なんて思っていませんからねっ
「にゃん」
僕はテルルちゃんの頭を目指し、頑張る。
だけど、なかなかプリシアちゃんとの差は詰まらない。
僕に邪心があるからなのか、プリシアちゃんが優秀だからなのか。
「じゃしんじゃしん」
「いいえ、違いますっ」
アレスちゃんは精霊なので、僕たちのように何かを伝って登る必要はない。
それで、最初こそは空中に浮いた状態で僕に並走していたけど、途中で飽きたのか、プリシアちゃんの方へと飛んでいった。
しくしく。
アレスちゃんに見限られるなんて。
「大丈夫にゃん。にゃんは最後までエルネアお兄ちゃんの頭の上にいるにゃん」
「いやいや、それもどうなのかな? というか、ニーミアに飛んでもらえれば……」
「不正は駄目でーす」
「きゃーっ」
またもや振り落とされる僕。
というか、
「おにいちゃん、早くおいで」
「おいでおいで」
もう点にしか見えないくらいまで登ったプリシアちゃんが、こちらを見下ろして楽しそうに飛び跳ねている。
こらこら、そこから落ちたら危険だから、あんまりはしゃがないようにね。
「そのときは、にゃんが助けるにゃん」
「僕は助けてくれないのにね! ってかさ、それなら僕はずっとプリシアちゃんの下を行くしかないんじゃないの?」
「とうとう、気づいたにゃん」
「仕組まれた競争だったのかっ」
恐るべし、幼女連盟。
とはいえ、勝負である以上、僕も負けてはいられません。
仕切り直すと、全力で登る。
プリシアちゃんもテルルちゃん登りを再開したようで、頭上の影がぴょこぴょこと動く。
テルルちゃんは、自分の脚を登ってくる小さい人影を楽しそうに見つめていた。
そういえば、と登りながらテルルちゃんに確認したかったことを聞く。
「テルルちゃんは、禁領へ不法に侵入した者を排除するのがお仕事なんだよね?」
「そうでーす」
「それってさ、認められていない者が禁領で悪さをしないようにって意味合いからだよね? じゃあさ。もしも、認められている者でも禁領で悪さをすれば、狙われちゃう?」
禁領の掟を破る行為。
例えば、何千年と育まれてきた自然を無闇に破壊するとか、悪意のある者を無差別に呼び込むとか。
そして、いま最も気になることは、別々の管理者に認められた者同士が衝突した場合はどうなるのか、ということです。
僕の疑問に、テルルちゃんは赤い瞳をくりくりと光らせた。
「不法侵入者は、排除でーす。珍しい魂なら、いただきまーす。あとは、傍観しまーす」
「つまり、禁領に入ることを認められた者同士の争いが起きても、テルルちゃんは手出ししないってことだよね?」
「ただし、争いが終わった後のことは保証しませーん」
「……なるほど。争いの結果、禁領に被害が及ぶようなら、テルルちゃんの
ふむふむ、と心に刻む。
つまり、たとえ僕たちであっても、この地でやり過ぎると危険だというわけか。
ユフィーリアとニーナとマドリーヌ様には、特に注意して起きましょう!
「エルネアお兄ちゃんが一番心配にゃん」
「そんな馬鹿なっ」
僕は
けっして、
「巨人の魔王のお城も壊したにゃん?」
「ニーミアよ、正しく僕の思考を読んでくださいねっ。壊したのは、シャルロットですから!」
「怖い魂でーす」
どうやら、テルルちゃんもシャルロットのことを詳しく知っているようだ。
そして、伝説の魔獣に怖いと言わしめるシャルロットの本性を改めて認識する。
「んんっと、到着したよっ」
「あっ、しまった」
けっして手抜きをしていたわけじゃないけれど。二度も振り落とされちゃったからね。
「おしおきおしおき」
「なんでアルスちゃんが一番嬉しそうにしているのかな!?」
「あのね、アレスちゃん、どんなお仕置きにする?」
「ふふふ」
プリシアちゃんに相談されたアレスちゃんは、僕を見下ろしてにっこりと微笑んだ。
怖い!
殺されるとか傷つけられるという怖さじゃなくて、
「みんなには内緒にゃん」
プリシアちゃんが落ちる心配がなくなると、ニーミアは無情にも僕の頭の上から飛び去っていった。そして、幼女に混じって僕へのお仕置きを相談し始める。
「魂いっぱいでーす」
「それって、テルルちゃんに食べ物をいっぱい提供しろってこと?」
ええっと、テルルちゃんが満腹になる魂の量って、どれくらいかな?
たしか、
こうなったら、同じ古代種の竜族であるニーミアを提供するしかないのか。
「んにゃっ」
僕の思考を読んだニーミアは、慌てて大きくなる。そして、テルルちゃんの脚の途中まで登っていた僕のところまで飛んできた。
「にゃんは食べても美味しくないにゃん」
ニーミアは僕を捕まえると、テルルちゃんの頭の上まで運んでくれる。
きっと、僕に
「ありがとうね」
「どういたしましてにゃん」
「ニーミアを
「知ってるにゃん」
またまた小さくなったニーミアの頭を撫でてあげると、気持ち良さそうに瞳を閉じた。
「プリシアも撫でて?」
「なでてなでて」
「はい、順番ですよ」
飛びついてきた幼女たちの頭も撫でてあげる。
ついでにテルルちゃんも撫でてあげたら、頭を振って喜んでくれた。
ただし、僕たちは振り落とされそうになりました!
まあ、それさえも楽しむのが幼女たちですけどね。
だけど、楽しい時間はここまでになった。
テルルちゃんが言った「魂いっぱい」の意味を、僕はこの直後に知る。
『エルネア!』
『こ、こんなところにいたっ』
ふわり、と僕とプリシアちゃんの近くに身近な気配を感じる。
ユンユンとリンリンだ。
それはともかくとして、
「どうしたの?」
ユンユンの気配がする方へ視線を向けながら聞き返す。
『やれやれ。プリシアが抜け出したかと思えば、やはりお前のもとで遊んでいたか。だが、すぐに帰ってきてもらう。ユーリィ様がお呼びだ』
「嫌な予感がするなぁ」
プリシアちゃんのお母さんに叱られるとかじゃなくて、敵意から来る嫌な予感だ。
そして、僕の予感は的中する。
『例の女よっ。あの女、今度は仲間を連れて現れたわ』
「そういうことか!」
テルルちゃんは、禁領に入ってきた者たちの魂を感じ取って、ああ言ったんだ。
そして、それなのにテルルちゃんが排除に動かないということは……
「ご明察の通りでーす」
僕は、プリシアちゃんとアレスちゃんを抱き寄せる。そして、ニーミアに大きくなってもらうようにお願いした。
「耳長族の新しい村へ行きたいの?」
すると、ニーミアが大きくなる前にテルルちゃんが動いた。
巨大な脚を頭上に振り上げると、暗闇を切り裂く。
光の精霊さんの輝きや竜気を宿した瞳でも見通せない暗黒の亀裂が、僕たちの前に現れた。
「認められた者同士の争いには介入しませーん。ただし、エルネア君たちは大切なお友達でーす」
「ありがとう、テルルちゃん!」
僕たちはテルルちゃんにお礼を言うと、
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