雲竜の懐へ

 竜気を扱う者にとって天敵となる、竜眼を宿すルイセイネ。その彼女が、北部山岳地帯を覆う雷雲を見据みすえる。

 視えているんだ。ルイセイネには、雷雲を満たす竜気の流れが。


「ルイセイネ、大丈夫なんだね?」

「魔眼の暴走のことなら、ご心配なく。保身に走って、誰かが困っている時に動けない巫女なんて、巫女失格ですから。それに、魔眼の問題はエルネア君や皆さんと力を合わせて解決できると、信じていますから」


 フィレル殿下を必ず助け出しましょうね、と自分の瞳よりもライラを気遣うルイセイネ。

 僕たちは、ルイセイネの優しさと覚悟に勇気を貰う。


「よし、それじゃあ、突撃しよう!」

『雲竜か何かは知らんが、我を差し置いて暴れるなど、目にもの見せてくれる!』


 僕たちを乗せたレヴァリアが、大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせて飛翔する。そして、業火の咆哮と共に雷雲へ突っ込んだ!






 一瞬で、視界が奪われる。

 異常な湿度のにごった雲が世界の全てを覆い尽くし、自分の手先さえ見えなくなった。と、思った直後。

 目が痛くなるほどの雷光が視界を染める。


「にゃっ!」


 近くでニーミアが鋭く鳴くのと、雷轟らいごうが響いたのは同時だった。


『ちっ』


 レヴァリアの飛行が乱れる。

 乱気流に巻き込まれた時のように、激しく上下に振り回される僕たち。


「にゃーっ!」


 ニーミアが鳴き続け、レヴァリアも負けじと咆哮を放つ。

 同じように、雷光と轟音が続く。


「くぅっ。雷雲に入って、いきなりだなんて!」


 これは、紛れもなく雲竜からの攻撃だ!

 自分の縄張りに侵入してきた者に、容赦なく攻撃を浴びせてくる。

 ニーミアが咄嗟とっさに結界を張り巡らし、レヴァリアが回避行動を取っていければ、僕たちは一瞬で黒焦げになっていたかもしれない。


「みんな、振り落とされないようにね!」


 全員が、僕の引っ付き竜術でレヴァリアの背中に張り付いている。だけど、油断は禁物だ!

 視界を奪われた状態で、僕は手を伸ばす。すると、すぐ隣にいたミストラルの腕に触れた。


「みんな、近くに座る人と手を取り合って!」


 視界が悪くても、肌を触れ合う感触はある。なら、手を取り合ってお互いの安否を確認し合うべきだ。

 僕の提案に、みんなが手を取り合う気配が伝わってくる。

 そうか。気配も読める。視界が雷雲に奪われているだけだ。


 それなら!


「ユフィと」

「ニーナの」

「「嵐竜障壁らんりゅうしょうへき!」」


 お互いの手を取り合ったユフィーリアとニーナが、僕よりも先に動いた。

 ユフィーリアが竜気を解放し、ニーナが術を練りあげる。そして、渦巻く嵐の風を、レヴァリアの周囲に広げていく。


 僕の嵐の竜術に似た術が、激しい流れを生み出す。

 強制的に雷雲を吹き流し、僕たちの周りから雲を引き千切っていく。

 レヴァリアの周囲に生まれた渦巻く嵐によって、徐々に視界が開けていった。


「レヴァリア様、左方から雷撃です!」


 左に座るルイセイネが視界に入り、レヴァリアの全身も見え始めた、その時。ルイセイネの警告が飛ぶ。


『ちっ』


 レヴァリアが急降下する。

 急激な動きにみんなが悲鳴をあげるけど、気を配っている余裕はない。

 間一髪。直前までレヴァリアが飛行していた高度を、恐ろしく太い雷光がはしり抜けていく。


「次は、上方と右方から。レヴァリア様、加速して前方へ突っ込んでください!」

『前方だな!』


 ルイセイネの指示に、レヴァリアが急加速する。

 頭上から落ちてきた雷撃をやり過ごし、右側から伸びた雷を後方へ置き去りにした。


 ユフィーリアとニーナが展開する嵐竜障壁のおかげで、レヴァリアの周囲の雷雲は渦巻く風によって払われ続けている。

 そして、視界が良くなったことで、ルイセイネの竜眼も本領を発揮し出した。


「次は、前方から雷撃が複数来ます。ですが、レヴァリア様、そのまま前方へ飛んでください」

「前から雷がいっぱい飛んでくるのに、だ、大丈夫なの!?」

「大丈夫です!」


 ルイセイネの確信に、レヴァリアは躊躇ためらうことなく進む。

 かっ、と雷雲に稲光が奔る。と同時に、前方から恐ろしい雷撃が!


「くっ」

「きゃぁっ!」


 全員が悲鳴をあげる。

 だけど、僕たちを狙ったはずの無数の雷撃は、レヴァリアの横や上下を通過していった。


「こちらが回避すると予想して、最初から軌道をらしていたようです」

「びっくりしたよ!」


 ルイセイネには、視えていたんだ。前方から襲いかかってくる雷撃は、そのまま飛んでいれば当たらない。逆に、回避行動を取っていたら、間に合わずに直撃を受けていた。


「レヴァリア様、次の雷撃が来る前に、あそこの雲の隙間へ」

『ちぃっ、仕方ない』


 竜眼を宿すルイセイネだけに視える、竜気の道。

 どれだけ恐ろしい雷雲だろうと、竜術によって操られているのであれば、ルイセイネはその弱点を見逃さない。

 竜気と竜気の隙間に生まれた一筋の道を示したルイセイネに、レヴァリアもあらがうことなく従う。

 それでも、僕たちを撃ち落とそうと雷撃が四方八方から迫った。


「んにゃんっ」


 ニーミアが鳴き、結界を張り巡らせる。

 ルイセイネの指示だけでは回避しきれなかった雷撃が、ニーミアの結界に弾かれた。


「フィレル殿下!」

「ユグラ伯!!」


 普段以上に荒々しく飛ぶレヴァリアの背中の上で、僕たちは叫ぶ。

 声は、鳴り響き続ける雷轟にかき消されてしまうけど、意思は竜心りゅうしんに乗って遠くまで届くはずだ!

 だけど、雷雲の先からフィレルやユグラ様の反応は返ってこない。それどころか、僕たち自身も、今どこを飛んでいるのかさえ見失っていた。


 北も南もわからない。下手をすると、上下感覚さえ狂っていそうに感じる。

 嵐竜障壁によって周囲の視界は確保されているけど、その外側はいったいどこなのか。

 雷雲の表層を飛んでいるようにも感じるし、最深部を彷徨さまよっているようにも思える。それどころか、遥か上空にいるような感覚に陥った瞬間、嵐竜障壁の先から地表が突然現れる。

 レヴァリアが慌てて急上昇をして、危機一髪、僕たちは地面への激突を免れた。


「これは、間違いなく迷いの術だね!」

「それも、視界が悪いせいでおきなや精霊たちの迷いの術よりたちが悪いわ」


 前後左右、上下感覚さえも狂わせる迷いの術。それに加え、雷雲が全方位を支配していて、遠くの視界を確保できない。

 僕たちは、雲竜の術中に嵌まり込んでしまっていた。


「苦しい状況だけど、今はルイセイネが頼りだね」

「はい、お任せください! レヴァリア様、左右から雷撃と風の竜術です。急上昇をお願いいたします」

『振り落とされても知らんぞ!』


 がくんっ、と衝撃を覚えるほどの威力で、レヴァリアが急上昇する。その背後で、耳の奥が爆発したんじゃないかと思えるほどの雷轟と、嵐竜障壁が消し飛ぶほどの斬風ざんぷうが吹き荒れた。


「はわわっ、フィレル殿下……」


 これほどの恐ろしい攻撃を、フィレルたちも受けたのだろうか。

 もしも受けていたとしたら。たとえユグラ様であろうとも、ニーミアのような結界は張れない。ましてや、ルイセイネのように竜眼で事前に動きを見極めることもできない。

 そんななか、果たして無事でいられるのか。

 ライラが顔面蒼白で僕に抱きつく。


「大丈夫。絶対に助け出すから」


 安心させるように、ライラを抱き寄せる僕。

 だけど、次の瞬間には顔を引きつららせていた。僕だけでなく、全員が。


「目障りな者どもです。我の動きを先読みした程度で、良い気になるのはおよしなさい」

「っ!?」


 突然、嵐雲障壁の先の雲が凝縮し始め、超巨大な翼竜の姿を形取り始めた。


「雲竜が実体化します!」


 ルイセイネが驚愕したように叫んだ。


「まさか、ルイセイネが直前まで見抜けないだなんて!」


 影竜が影そのものに姿を溶かすように、雲竜もまた、自分自身を雲に変化させることができるとは予想していた。とはいえ、北部山岳地帯を広範囲に渡って覆い尽くすほどの雲になることはできない。だから、竜術で生み出した雲の中に本体が溶け込んでいるとは予想していたけど……!


 驚愕する僕たちの前で、雲が急速に実体を持ち始める。

 胴体部分だけでも、レヴァリアを遥かに上回る大きさ。そこに、太く大きな四肢や、雲の先まで長く伸びた尻尾、それに稲妻を連想させるようなつのを生やした頭部が現れる。

 雲竜の全身は、澄んだ青空のような、透き通る青い鱗に覆われていた。

 だけど、翼だけは違う。

 実体化した身体とは違い、大きく広げられた翼は雲でできていた。

 周囲を濃密に満たす雷雲を翼の形に濃縮して、胴体から強引に生やしたようにも見える。しかも、翼を羽ばたかせるたびに無限に雷雲が生まれ、雷光が走る。


 雲行きをそのまま表したかのような翼を持つ巨大な翼竜が、僕たちの前に顕現した。


「我の動きを先読みする、その瞳。よもや竜眼か。ええい、小癪こしゃくな手段をもって我らをおびやかす者め」

「竜眼をこんなに簡単に見破られるなんて!?」


 それに、誤解されている!

 僕たちは、雲竜と敵対するために来たわけじゃない。

 行方不明になったフィレルやユグラ様の捜索をするため。そして、音信不通になっている村の人々の安否を確かめるために来たんだ!

 むしろ、この地に住む者たちを脅かしているのは、雲竜の方じゃないか!


 竜心に乗せて叫ぶ僕。

 だけど、雲竜は聞く耳を持たずに、恐ろしい形相で睨み返してきた。


「我らの安寧あんねいを脅かす者。分不相応の欲望を持つ者を生かしておくわけにはいきません」

「何を言っているんだ!?」


 待って、話し合おう。と叫ぶ前に、雲竜は実体を雲に溶け込ませて、僕たちの眼前から消えた。


「くううっ、話し合いさえできない状況か……」


 なんて、途方に暮れている場合ではない。

 これまで以上に恐ろしい気配が、雷雲に充満していく。


「レヴァリア様、緊急回避です!」

『ちっ!』


 逃げる方角を支持する暇もない。

 ルイセイネの警告に、レヴァリアが素早く反応する。

 防御本能に任せて急旋回しつつ、翼に有りったけの竜気を乗せて上昇した。そこへ、雷撃の雨が襲いかかる。

 ルイセイネが叫び、レヴァリアが必死に回避行動を取った。

 だけど、避け切れない程の雷が天上から降り注ぐ。


「にゃーっ」

「はあっ!」


 ニーミアが全力で結界を張り、僕も出し惜しみせずに力を解放する。

 それでも、多重の結界を破って雷撃が迫る。


 直撃する!


 刹那せつなの瞬間で結界を破り、降ってきた雷撃。

 視界が雷光にまぶしく染まる。


「きゃあっ!」


 と、誰かの悲鳴が聞こえたような気がした。

 だけど、雷撃は僕たちやレヴァリアに直撃することはなかった。


「くっ……」


 代わりに、僕の身近で苦悶くもんする声が漏れる。

 振り返ると、セフィーナさんが表情をゆがませてうずくまっていた。


「セフィーナさん!?」

「咄嗟に雷撃を曲げて回避させたのだけれど……。あまりに強い力だったせいで、逆流してきた雷に身体がしびれただけよ」

「ありがとう!」


 セフィーナさんが雲竜の術を操っていなければ、僕たちは大きな傷を負っていたはずだ。


「私も、できることはやってみせる。でも、この調子ではあまり期待できないかしら?」

「そんなことはないよ。みんなで力を合わせれば……」

「我らをどうにかできると思うたか!」

「っ!!」


 空を揺らす声がとどろいた。

 そして、嵐雲障壁を突き破り、雲竜の巨大な尻尾が振り下ろされてくる!


「やらせるものですか!」


 ミストラルが、レヴァリアの背中から飛び立つ。

 銀に近い金色の翼を羽ばたかせ、迫る巨大な尻尾の前に立ちはだかる。

 右手に握りしめた漆黒の片手棍が、雷光に負けないくらいに光り輝く。


「やあっ!」


 流星のような尾を引きながら、片手棍が一閃いっせんされる。

 ぶつかり合う巨大な尻尾と光り輝く片手棍。


「ええい、竜人族如きに!」


 押し勝ったのは、ミストラルの方だった。

 尾襲びげきを退けたミストラルが、一撃離脱で戻ってくる。だけど、たった一撃を放っただけで、ミストラルは肩を揺らすほど激しく息を乱していた。


「わたしもセフィーナも、何度もは無理よ。だから、早くフィレルや伯たちを見つけ出さないと……」

「うん……」


 今のところは、雲竜の攻撃を防げている。でも、長期戦になればこちらが圧倒的に不利だ。

 雲竜は絶えず攻撃を仕掛けてくる。そのたびに、僕たちは力を激しく消耗していく。


「フィレル殿下!」

「ユグラ伯!」


 叫び、行方ゆくえを探す。

 だけど、雷雲の中で彷徨さまよう僕たちに、反応は返ってこない。


「諦めるのです。我らの安寧を脅かす其方らには、死んでもらいます」


 雷雲の先から、雲竜の宣告が響く。


「レヴァリア様!」

『おのれっ!!』


 鋭く尖ったひょうの雨が、逃げ場などないと嘲笑あざわらうように降り注ぐ。

 さらに、全方位から無数の雷撃が放たれた。

 竜眼を持ってしても回避不能な完全攻撃が、レヴァリアに襲いかかった!

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