雲行きは怪しく

 ヨルテニトス王国の北部といえば、少数ではあるけど地竜が生息する険しい山岳地帯だ。深い樹林はどこまでも続き、人の手を容易に入れさせない。

 北部山岳地帯では、林業を生業なりわいとする人々が暮らす村が点在しているのと、まだ見ぬお宝と未知の探索を求める冒険者くらいしか踏み込まない。

 いったい、北部山岳地帯の先に何が待ち受けているのか。それは誰も知らない。

 フィレルと部下の竜騎士団は、その北部山岳地帯で起きた事件を解決すべく、調査をしていたようだ。


 最初に異変が確認されたのは、フィレルやグレイヴ様が率いる竜騎士団が、妖魔の王を討伐するために西進した直後だという。


「山岳地帯の一部に、不自然な霧が発生しまして。それが何日も消えずに続き、近隣から霧に呑み込まれた村と音信不通になったと知らせが届いたのです」


 そう話してくれたのは、北部方面軍に所属する飛竜騎士団の竜騎士さんだった。

 妖魔の王を無事に討伐し終えたフィレルたちと、つい先日まで一緒に不自然な霧の調査をしていたらしい。

 竜騎士さんは、僕たちに詳しい経緯を話す。


「最初は、霧の発生範囲やどれくらいの濃度かなどを調査しておりました」


 フィレル率いる調査団が調べ始めた時点で、霧は既に広範囲に渡って発生していた。

 手前は山岳地帯の外輪から始まり、奥は飛竜騎士団さえも飛んだことのない未開の奥地まで続いていたという。そして、幅は飛竜騎士が一日飛んでも端から端には届かず、高さは雲よりも高く伸びていたという。

 もう、その時点で異常な状況だと判断できるけど、竜騎士さんの話はさらに続く。


「あれは、濃度が異常なのです」


 地竜騎士のひとりが、慎重に霧へと入った。すると、たった一歩踏み入っただけで、視界は真っ白に染まって何も見えなくなったという。


 普通の濃霧だったら、伸ばした手の先が見えなくなるくらい濃い場合もあるけど、何も見えなくなるくらいに濃いだなんて。しかも、霧の奥深くではなくて、入った直後の時点でということであれば、尚更に異常だ。


「さらに、その者が申すには、視界が霧に覆われた直後に、方角を見失ってしまったらしいのです」


 奇妙な話だ。

 調査しようと霧に踏み込んだ竜騎士さんは、地竜に騎乗して霧に入ったはずだ。もちろん、横歩きとか後ろ向きにではなく、前進して。なのに、霧に入ったら方角を見失った?

 普通に考えれば、背後が霧の出口だと考えなくてもわかりそうなのに?


 方向感覚を失って困惑したのは、竜騎士さんだけではなかった。地竜もまた、方角を見失ってしまっていたという。それで、驚いた地竜が思わず後退あとじさりしたことで運良く霧から出られたのだという。


「その者の話や地竜の通訳によれば、それがなければ間違いなく迷っていたと……」


 霧に一歩入り込んだだけで、竜騎士さんだけではなく地竜まで迷いそうになった。僕たちはその話を聞いて、不思議そうに顔を見合わせた。


「これはもう、現地に行って確かめるしかないよね?」






 僕たちは急遽きゅうきょ、飛竜騎士さんの案内でヨルテニトス王国の北部へと飛んだ。

 そして、愕然がくぜんとしてしまう。


「これって……」


 僕たちの視線の先に現れた異常現象。

 事件の詳細を聞かせてくれた竜騎士さんの話では、異常に濃く広範囲に広がった霧だという話だったけど……


 轟々ごうごうと、雷鳴が鳴り響いていた。

 引っ切り無しに、稲妻によって辺りが明滅している。


 僕たちが北部山岳地帯に到着したとき。深く険しい山岳地帯は、恐ろしく巨大な雷雲らいうんに呑み込まれていた。

 しかも、超巨大な雷雲は空に浮いているのではなく、地上にまでその先端を降ろし、山岳地帯を不気味に覆い尽くす。


「まるで、夏に見る積乱雲ですわ」

「いいえ、それ以上ね。これはもう、雲と呼べるような代物ではないわね」


 ライラが、怯えたようにミストラルに抱きつく。


 山々を地表から覆い尽くし、天高く伸びた異常な超巨大雷雲は、侵入者を拒むように不気味にうごめいていた。


「ええっと、これは普通の雲とも言えないですし、聞いていたような濃霧でもないですよね?」


 確認するように、僕は竜騎士さんを見る。すると、竜騎士さんも驚愕きょうがくに目を見開いて、視線の先に広がる超巨大雷雲を見つめていた。


「竜騎士さん。ねえ? 竜騎士さん?」

「……は、はい!」


 何度か呼びかけて、ようやく竜騎士さんが反応を示す。


「念の為に聞きますけど、これって話に聞いていた霧じゃないですよね?」


 状況を調べようと、僕たちはレヴァリアに乗って超巨大な雷雲の周りを飛んでみた。だけど、どこまで飛んでも雷雲の切れ目はなく、そしてどこをどう観察しても「霧」と呼べるような場所は見当たらなかった。

 やはり、北部山岳地帯は「霧」ではなく「雷雲」に呑み込まれている。

 となると、竜騎士さんの話と噛み合わないよね?


 僕たちの疑問に、だけど竜騎士さんは首を激しく横に振って答える。

 まるで、僕たちの疑念を否定するというよりも、いま目の前で起きている異常事態が信じられないとでもいうように。


「ち、違うんです。本当に、私たちが見たのは霧で……」


 鬼気迫る勢いで竜騎士さんが言う。

 演技でも嘘でもないように思える。

 では、竜騎士さんが王都へ報告するために戻った後に、霧が雷雲に変化したのかな?

 竜騎士さんは、僕たちがヨルテニトス王国の王都へ到着するほんの少し前に戻ってきたという。そこから僕たちが事情を聞き、北部山岳地帯へ急行するまで、丸一日と経ってはいない。

 ということは、ほんの僅かな時間で霧が雷雲に変化したということ?


 僕たちの予想を裏付けるかのように、現地に残って様子を伺っていた他の竜騎士団の人が駆けつけて話してくれた。


「フィレル殿下たちが消息を絶ち、王都へ報せに飛んでもらった後から、雷鳴がとどろき始めまして……」


 そう。飛竜騎士の人が王都へ異常事態を報せに戻った理由は、フィレルを含む複数の飛竜騎士団が霧に入り消息を絶ったからだ。

 僕たちも、北部山岳地帯に到着するまでに、詳細を聞いていた。


 地竜さえも方向感覚を失う、不思議な濃霧。ただの霧でないことは、それだけでもわかる。

 だけど、だからといって放置しておくわけにはいかない。

 フィレルたちが調査に入る前から、既に何日も霧は消えずに広がり続けており、呑み込まれた村の人々との音信も途絶えてしまっていた。

 このままの状態が続けば、次はどんな事態に陥るのかわからない。それに、これは北部に住む人々だけじゃなくて、ヨルテニトス王国全体の問題にもなりかねない。

 だから、フィレルたちは危険をかえりみずに霧の中へ入り、調査しようとしたんだ。

 だけど、結果は想定外の事態を招いただけだった。

 フィレルたちは一向に霧の奥から戻らず、濃霧に変化も見られない。それで、外から様子を伺っていた者が慌てて王都へ報せに飛んだわけだ。


「確認のために聞きますが、フィレル殿下たちは何の策もなく霧に飛び込んだわけじゃないんですよね?」


 フィレルが騎乗する翼竜は、約三百年前に腐龍ふりゅうおうとの戦いに挑んだ伝説の竜、ユグラ様だ。しかも、ユグラ様にはお世話係りとして竜人族の戦士が三人もついている。

 その状況で、フィレルが暴走して霧に突撃したとは思えない。きちんと策をり、万全を期して挑んだはずだ。

 僕の疑問に対し、竜騎士さんが答える。


「はい。竜術を用いまして、霧の外に待機していた竜とはくを繋いでいました。繋ぐとは、その……。伯が仰るには、竜気を紐状ひもじょうにしてお互いを繋いでいると」


 まだまだ「竜気」や「竜力」という竜人族特有の力に関して知識のとぼしい竜騎士さんは、自分で理解できないながらも聞いた通りの説明を僕たちにしてくれた。

 僕たちは、その話を聞いて正しく理解する。

 つまり、竜術で竜気の紐を作り、ユグラ様と待機中の竜族とを結んでいたわけだね。

 これなら、霧の奥で方向感覚を失ったとしても、竜気の紐を辿って外に出ることができる。しかも、ユグラ様の竜術で作られた紐なら、自在に長く伸ばせるし、些細ささいなことでは切れないだろうからね。

 なかなかに良い作戦だ。


 ちなみに「伯」とは、ヨルテニトス王国で唯一になる「伯爵位はくしゃくい」を持つユグラ様に対する呼称だ。

 竜も人も、ユグラ様のことを親しみと畏敬いふを込めて「伯」と呼んでいた。


「だけど、フィレル殿下たちは消息を絶った……?」


 もしもに備え、慎重に霧へ突入したはずなのに、フィレルやユグラ様は行方をくらませてしまった。

 竜騎士さんは言う。


「伯や殿下、それに他の者たちが霧へと突入した直後です。竜術で作られていた紐が切れてしまい……」


 ちょっとやそっとでは切れないはずの紐が、あっさりと切れた。その事実に、僕たちも愕然がくぜんとしてしまう。


「それはつまり、ユグラ様の竜術が妨害されたか、破られたってことを意味するよね?」


 只事ではない。

 もしも、この霧が自然発生したわけではなく、何者かによって意図的に生み出されたものだとしたら、その「霧を発生させた何者か」は伝説の翼竜であるユグラ様を、霧に入った瞬間に凌駕りょうがしたということになる。


「これって……」


 僕は、雷鳴轟く不気味な積乱雲を見つめ、ごくりと唾を飲み込んだ。

 みんなも、何かに気付いたように、意味ありげな視線を雷雲に向けていた。


「最初から、疑問に思っていたんだよね。なぜ、アルギルダルは唐突に雲竜の話を持ち出したのか……」


 影竜が影を自在に操るように。

 雲竜もまた、雲を自在に操れる。


 濃霧のように思えて、その実は天地を覆い尽くす雲だったとしたら。

 白く分厚い雲が、僅かな時間で雷雲へと変化した。まるで、雲全体が操作されているかのように。

 そこから導き出される結論は、ひとつしかない。


「これは、古代種の竜族、雲竜の仕業だ!」


 僕の断言に、みんなは得心とくしんしたように頷き、竜騎士団は愕然と超巨大積乱雲を見つめる。


「影竜アルギルダルは、最初から知っていたんだ。この地に雲竜が飛来していたことを。だから、報酬の助言と称して、雲竜の存在を僕たちに話したんだ!」


 でも、疑問が残る。

 なぜ、アルギルダルはヨルテニトス王国の北部山岳地帯に雲竜が現れたことを知っていたのかな?

 ニーミアは、古の都から古代種の竜族や巫女様たちを連れてきてくれた。

 古の都は、遥か東方にあるという。だとしたら、東から飛んできた古代種の竜族たちがヨルテニトス王国の上空を通過した可能性は高い。でも、それならアルギルダルだけじゃなくて、アシェルさんやラーヤアリィン様だって雲竜の存在に気付いていたはずだ。それなのに、アシェルさんたちは雲竜の話を全く話題に出さなかった。


 僕の疑問に「にゃんっ」とニーミアが鳴く。


「飛行路は、ラーヤ様が決めていたにゃん。エルネアお兄ちゃんの話をしたら、関わりのある巨人族や耳長族が住むところも見てみたいって言って、南の方を飛んだにゃん。でも、アルギルダル様だけは、飛竜の狩場に行く途中もあっちに行ったりこっちに行ったりしていたにゃん」

「つまり、アルギルダルが単独行動をしていたときに、たまたま雲竜を見つけた?」


 その可能性は極めて高い。

 でも、アルギルダルはなぜ、僕たちに雲竜の話をしたんだろう?

 雲竜が現れたから、というだけでは僕たちにその存在を示唆しさする意味は少ない。

 では、なにか他の理由があるのかな?


「アルギルダルは……。竜神山脈を離れた雲竜は、全てを癒す秘宝を持っているって言っていたよね? でも、僕たちは今、そんな秘宝なんて探し求めてはいない。とすると?」


 アルギルダルの意図が見えてこない。

 いったい、何を目論もくろんでいるのか。僕たちと雲竜に、何を仕掛けようとしているのか。

 ただ、いま確実に言えることは、


「アルギルダルの思惑はどうであれ、フィレルたちが雲竜の縄張りに入ってしまったことは確かだよね。そして、雲竜は縄張りに入った者に対して容赦しない」


 もしかしたら、雲竜はフィレルたちのことを、秘宝を奪いにきた略奪者だと勘違いしたのかもしれない。

 だから、急激に雷雲を呼び起こし、荒れ狂う雲を生み出した。


「エ、エルネア様! フィレル殿下が……フィレル殿下が!」


 ライラが、顔面蒼白で僕にすがり付いてきた。

 フィレルのことが、とても心配なんだね。

 でも、無策のまま積乱雲に突っ込んだら、僕たちも危うい。

 なにせ、相手は古代種の竜族だ。生半可な力や策が通用するような相手ではない。

 僕はライラを抱きしめて、少しでも安心させようとする。そうしながら、作戦を練る。

 いったい、どうすればこの恐ろしい積乱雲に入っても無事でいられるか。そして、どうやってフィレルたちを見つけ出し、救出できるか。


 だけど、なかなか良い考えが浮かんでこない。

 こうなったら、一旦ニーミアに古の都まで戻ってもらって、アシェルさんなり誰か応援を呼んできてもらう?

 いや、駄目だ。時間が掛かり過ぎる。今なら、まだフィレルたちは無事かもしれない。なにせ、ユグラ様もついているんだ。不慮ふりょの事態にだって、臨機応変に対応できているはずだ。だけど、時間が経てば経つほど、状況は悪化していく。そうなると、ニーミアが古の都まで往復している間に、最悪の事態になりかねない。


「やっぱり、僕たちが行くしかない。でも、どうやって」


 と、思考が口から溢れたときだった。

 僕の服のそでを、ルイセイネが力強く掴む。そして、強い瞳で言った。


「行きましょう、エルネア君。道は、わたくしが拓きます」

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