流れる星と涙

「あっちだ! あっちにエルネア殿は逃げたぞ!」

「竜騎士団はユグラ伯とフィレル殿下の指示に従い、楽園の竜族達と連携れんけいを取って包囲網を築け!」

「きゃーっ!」


 何でこうなった!?


『泉におわす水の精霊王様からお許しがでたぞー』

『エルネアを連れ去ってしまえー』

『全力で悪戯しちゃうわよ?』

「ぎゃー!」


 何を間違えた!?


「巫女頭様、お覚悟!」

「いえ、私は本当は反対なのですよ? ですが、ヴァリティエのご当主様のご命令ですので、ねえ?」

「ふふふふ、マドリーヌ様を追いかけるのは慣れています!」

「むきぃっ、私の指示よりもお母様の命令をくとは何事ですかっ」


 気づけば、僕とマドリーヌは楽園の全ての者たちから追われていた!


「きゃー、お姉様、お待ちくださいませー!」

「わらわ、本気でエルネア君を精霊たちの生贄に捧げます!」

「二人まで!?」


 楽園の者たちが全員で連携を取って、僕とマドリーヌを追い詰める。その輪の中に、ちゃっかりメアリ様とイステリシアが混ざってますよ!


「マドリーヌ、こうなったら僕たちも本気を出すしかないよ! 全力の竜術を解放して……」

「エルネア君、このようなことで自らに課した試練を放棄するのですか?」


 僕の慌てように、マドリーヌが可笑おかしそうに微笑む。

 これまで、アリスさんと対峙したときや北の海の支配者にも竜術を使用しなかったのに、こんなどたばたな騒動で試練を終えるだなんてと、奇妙に思っているんだね?

 でも、この状況は……!


 空からは、ユグラ様指揮のもとで飛竜騎士団と楽園の飛竜や翼竜たちが連携して僕たちを追い回し、地上では人と精霊と地竜たちが一致団結して包囲網を狭めてくる。

 まさに絶体絶命だよね?


 えっ!?


 自業自得の結果だから、そんのことで試練を辞めたら大馬鹿者だって?

 いやいやいや、出し惜しみをしてしまい、マドリーヌを護りきれなくて、メアリ様との試練勝負に負けても良いの?

 いいえ、駄目です!


「エルネア君、駄目じゃないわよ?」

「セフィーナ!?」


 なんで僕の心が読めるんだい? という疑問はさて置き。

 追い詰められた僕とマドリーヌは、木造の神殿の裏手に逃げてきていた。

 もう、ここから先の逃げ場は残されていない。

 本気でこれからの作戦を思案していた僕に声をかけてきたのは、神殿の裏口を開けて姿を現したセフィーナだった。


「むきぃっ、セフィーナも私とエルネア君の愛の逃避行を邪魔するおつもりですか!?」

「私はそれでも良いけど?」


 と、ちょっと意地悪そうな笑みを浮かべるセフィーナ。


「でも、残念ながら二人を呼んでいる人に案内を頼まれたのよ」

「僕とマドリーヌを呼んでる? 罠じゃなくて?」

「ふふふ、疑り深いわね? でも違うわ。さあ、こっちへ」


 言ってセフィーナは、僕とマドリーヌを神殿内に案内した。


「者ども、下手人げしゅにんが神殿に入ったぞー!」

「わははっ、神殿内での騒動は御法度だと勘違いしたな?」

「だがしかーし!!」

「今夜は無礼講だとのおたっしがレオノーラ様より発せられているのだっ」

『私たち精霊にはそもそも人の決まりごとなんて関係ないわ』

『我ら竜族がその程度で臆すると思ったか!』


 裏口が閉まる前。

 人や精霊や竜族たちの叫びが背後から届いてきて、僕とマドリーヌは悲鳴をあげた。

 セフィーナは、いつものように格好良く笑っていた。






 僕とマドリーヌは、セフィーナに案内されるがままに、神殿の廊下を進む。

 深夜の神殿の廊下には、最低限の明かりだけが灯されている。

 光量を抑えられた法術の明かりに浮かび上がる静かな廊下が、先を歩くセフィーナ越しにずっと先まで続いていた。


 いったい、僕とマドリーヌを呼んでいる人って誰だろうね?

 レオノーラ様かな?

 それとも、王さまかな?


 と、疑問を浮かべながら進んでいると、セフィーナは廊下の先の扉を開いて、屋外に出た。


「中庭かな?」


 なぜ、中庭に?

 マドリーヌと一緒に首を傾げながら、それでもセフィーナの後を追って僕たちも屋外に出る。

 そして、月明かりの下で僕たちを持っていた人物を見た瞬間に、マドリーヌは走り出していた。


「お師匠様!」


 躊躇ためらうことなく僕の傍らから駆け出し、神殿の中庭の中央に佇む人影に駆け寄るマドリーヌ。

 僕も遅れてその人物の側に走り寄り、挨拶をした。


「お久しぶりです、リンゼ様」


 セフィーナに頼んで僕とマドリーヌを呼んでいた人とは、マドリーヌの師匠であり、前巫女頭であるリンゼ様だった。

 そして、現在はヨルテニトス王国の大神殿を留守にしているマドリーヌの代わりに巫女頭代理を務めてくれている、大恩のあるおばあちゃんだ。


「あれ? でも、レオノーラさまたちが来たときには、リンゼさまの姿はなかったような?」

「この歳ですからね? 長旅を考慮してくださった飛竜騎士様が、休み休み飛んでくれたのですよ?」

「なるほど!」


 リンゼ様はよわい六十を越える高齢だからね。

 ヨルテニトス王国の東の国境付近にある楽園へ来るのには、飛竜の翼を借りても大変だよね。

 だから、休憩を多く挟みながら飛んできたために、レオノーラ様や王さまたちの第一陣から遅れて楽園に到着したんだね。


「ふふ、今夜はまた随分と賑やかな夜ですね、マドリーヌ」

「はい!」


 自由奔放、時には癇癪を起こすマドリーヌだけど、お師匠様の前では礼儀正しい慎ましさの塊のような巫女になる。

 姿勢を正してリンゼ様に返事をするマドリーヌの様子に、セフィーナが遠慮なく笑っていた。


 リンゼ様は、マドリーヌを優しく見つめる。

 神殿の周囲が段々と騒がしくなっていくなかで、中庭だけには静かな時間が流れていた。


「大きくなりましたね、マドリーヌ」


 はい、と少し恥ずかしそうに笑みを浮かべるマドリーヌ。

 リンゼ様とは、昨年に会ったばかり。だけど、その時からマドリーヌが急成長をした、という話じゃないよね。

 リンゼ様はマドリーヌのお師匠様として、幼い頃からマドリーヌを見てきた。きっとリンゼ様の瞳には、幼かった頃のマドリーヌと今のマドリーヌが重なって見えているのかもしれない。


「貴女は、最初はとてもお転婆でした。ですが、ヴァリティエ家の跡取りという重責を過分にみても、誰よりも真剣に修行を積み重ねてきましたね」


 楽園にも、冬が訪れていた。

 冷たい風が中庭に吹く。

 マドリーヌは、年老いたリンゼ様を労るように、自分の手でリンゼ様の手を包んで温めてあげていた。

 こういう無意識の優しさが、マドリーヌの本当の魅力だと僕は知っている。


「誰にも負けないくらいたくさん修行をして、たまには双子様とこっそり冒険もして。ふふふ。何度、私やレオノーラに怒られたでしょうね?」

「数え切れないくらいですよ、お師匠様。その全てを私は覚えています」


 マドリーヌは、ユフィーリアとニーナと共に冒険者として名をせたこともあるらしい。

 でも、巫女として自覚と責任は決して忘れなかった。

 そして、誰よりも厳しい修行を積み重ね、多くの経験を積んだことで、マドリーヌは若い年齢でありながらヨルテニトス王国の巫女頭という地位に就くことになった。

 あの、ヴァリティエ家の現当主であるレオノーラ様を差し置いて。


「ですが、私やレオノーラはひとつだけ、貴女に大切なことを教えられませんでした」


 何をでしょうか? と心の底から不思議そうにマドリーヌが首を傾げた。

 マドリーヌは、リンゼ様から数え切れない知識や礼儀作法や生き方を教わってきたんだろうね。なのに、リンゼ様はマドリーヌに、ひとつ教えられなかったことがあるという。

 なんだろう? と僕も疑問を浮かべながらリンゼ様の言葉の続きを待つ。


 リンゼ様は、そんな僕とマドリーヌを見つめて、優しく微笑んだ。


「それは、愛です」


 はっ、とマドリーヌの瞳が大きく見開かれて、次に恥ずかしそうに目を伏せた。


「人が何よりも成長する切っ掛けとなるのは、愛を知り、愛を育んだ時なのです。マドリーヌ、貴女は私が教えられなかった愛を、自分の力で大きくはぐくみ、成長したのですね」

「……はい。私は愛を知って、大きく成長できました」


 見つけたぞー! と中庭に雪崩なだれ込んできた精霊や竜族や多くの人々。

 だけど、中庭の中央で静かな時間を共有する僕たちを目にして、誰もが賑やかさを抑えていく。

 僕たちを追いかけてきて、最後に静寂を自ら選んだ者たちは、誰もが中庭の中央を見つめていた。


「マドリーヌ。貴女はエルネア君と共に誰も成し得ぬような困難極まりない女神様の試練を素晴らしい成果で乗り越えました」


 リンゼ様も知っているんだね。

 僕たちが女神様の試練として課した課題。竜神さまの御遣いとなり、寿命を超越したことを。


「もう、貴女はヨルテニトス王国の巫女頭といううつわを超えた遠い存在になったのですね?」


 マドリーヌをまぶしそうに見つめるリンゼ様。

 マドリーヌは、そんなリンゼ様の視線を受けて、首を横に振る。


「いいえ、私は私ですから、巫女頭や竜神様の御遣いという地位に関係なく、いつまでもリンゼ様の弟子ですよ?」


 嬉しいことを言ってくれますね。とまた柔らかい微笑みを浮かべるリンゼ様。


「ですが、やはり貴女はもう、新たな道を歩み出した者なのです。そうでしょう、マドリーヌ?」


 リンゼ様が何を言っているのか、それを感じたマドリーヌが、一瞬だけわずかに悲しそうな表情を見せた。

 でも、すぐにいつものような笑顔になると、僕にあるお願いをしてきた。


「エルネア君、アレスちゃんに」

「うん、わかったよ」


 僕も、理解した。

 僕がアレスちゃんを呼ぶと、アレスちゃんは謎の空間から大錫杖だいしゃくじょうを取り出して、マドリーヌに手渡す。


 ヨルテニトス王国の巫女頭を示す、大錫杖。

 普段は気安く持ち歩けないので、アレスちゃんが大切に保管してくれていた。

 その大錫杖を両手で持ったマドリーヌは、一度だけ繁々と全体を見つめる。

 そして、大錫杖を横向きに持ったまま、マドリーヌはリンゼ様の前に両膝を突いた。


「マドリーヌ・ヴァリティエは、今ここに巫女頭の大錫杖を大神殿へ返上し、その地位を退きます」


 ゆっくりと、大錫杖をリンゼ様に差し出すマドリーヌ。

 リンゼ様はおごそかに、マドリーヌから大錫杖を受け取った。


「巫女頭代理として、リンゼ・ユムネフィシスが大錫杖の返還を受けましょう。マドリーヌ、巫女頭としての長きお勤め、ご苦労様でした」


 マドリーヌの手から、大錫杖が離れる。

 マドリーヌはうつむいて、大粒の涙を流していた。


 ヨルテニトス王国の巫女頭としての誇り。

 これまでの重責。

 そして、これからの未来。

 両手から失われた大錫杖の重みに、マドリーヌは静かに涙を流す。


 リンゼ様は、マドリーヌから受け取った大錫杖を、いつの間にか傍に来ていたレオノーラ様に手渡した。


「マドリーヌ」


 両膝を突き、俯いて涙を流すマドリーヌの両手を、リンゼ様が優しく取った。


「竜神様の御遣い様となった貴女は、最早ヨルテニトス王国に縛られない巫女です。これからは世界中を飛び回り、愛を知った貴女が、今度は世界に生きる者たちに愛を教え、導きなさい」


 それは即ち、マドリーヌがこれより流れ星となることを意味していた。


「流れ星のマドリーヌ。いいえ、そうですね。貴女はヨルテニトス王国の国民全てに愛されていて、女神様の試練を乗り越えた偉大な流れ星です。ですから貴女は、満月の花の流れ星ですね」


 リンゼ様の言葉に、大粒の涙を零していたマドリーヌが視線を上げて、驚く。


「満月の花の流れ星よ。貴女とエルネア君の婚姻を、私はヨルテニトス王国を代表する巫女として承認しましょう」


 レオノーラ様の背後にいたイリア様が、真新しい巫女装束を差し出す。


 ルイセイネが流れ星になった時のように、マドリーヌが流れ星になった時のために新たな巫女装束が準備されていたんだね。


 そでを通してみなさい、とリンゼ様に言われるがまま、マドリーヌは新たな巫女装束を羽織る。

 袖口やすそ、腰から下の生地に、薄らと花の刺繍が施されてあった。ぱっと見ただけでも何十種類もの花々が刺繍されている。ただし、巫女装束らしい慎ましさが失われないように、色はとても控えめだ。


「リンゼ様……。お母様、叔母様!」


 感動で、さらに涙を流し始めたマドリーヌに、レオノーラ様やイリア様が微笑む。


「伝えるのが遅れてごめんなさいね? マドリーヌ、貴女の結婚をヴァリティエ家を代表して認めましょう」

「エルルア君であれば、きっと素敵な夫婦になれると確信していますよ?」


 僕とマドリーヌは、揃って深々と頭を下げた。


 とても嬉しい。

 マドリーヌが、これだけ深く愛されていたことを知って。

 そのマドリーヌを、妻として迎えることが許されて。


「満月の花の流れ星マドリーヌ!」

「竜神様の御遣いエルネア!」


 その時だった。

 わあっ、と周囲から大歓声が上がった。

 これまで静かに見守ってくれていた者たちが一斉に僕やマドリーヌの名前を連呼して、一気に賑やかになる!


 僕は、大歓声に応えて叫んだ。


「マドリーヌを護る試練は、これから一生続く僕の試練です! 僕は絶対にマドリーヌを護り通すと、ここに誓いましょう!!」


 僕の宣言に歓声はさらに大きくなって、この日一番の大盛り上がりとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る