旅のお供に

 巨人の魔王は、僕たちの休息話をじっくりと堪能たんのうした後にルイララの救出を一方的に命じて、雷光に乗って上機嫌で帰っていった。

 そして、僕たちは慌ただしくなる。


おきなのお世話を、また母さんにお願いしなきゃいけないわね」

「僕も、霊樹ちゃんに出発の挨拶をしてこなきゃ」

『プリシアはねるだろうな。其方らが自分を置いて出かけたと後日に知ったら』

『仕方ないわよ。耳長族の次期族長として自分の村で勉強しないと、村の人や森の精霊たちから信頼を得られないもの」


 今回はプリシアちゃんが参加しないので、ユンユンとリンリンも竜王の森に残るようだ。


「ところで、エルネア君。妖精魔王様にルイララさんが本当に捕われていたとしたら、どうなさるのですか?」


 ルイセイネの疑問に、僕は頭を抱えて悩む。


「困ったよね。クシャリラと対立なんてしたくないのが本音なんだけど。でも、ルイララの状況次第では、どうなるんだろう?」


 先の天上山脈での戦いで、僕とクシャリラは不戦の協定を交わした。

 お互いの不利益になるような事には干渉し合わない。

 僕たちの不利益とは、魔族が天上山脈を越えて西へ侵略の手を伸ばさないことと、東の魔術師であるモモちゃんに干渉しないこと。

 クシャリラの不利益とは、僕たちがこれ以上クシャリラの領国で騒動を起こしたりしないこと。

 また、僕たちが魔族やクシャリラの敵ではないと示すために、何か困ったことがあれば協力するということも約束していたっけ。


 ともかく、クシャリラとの約束がある以上は、向こうで騒動は起こせないよね。

 僕たちの方から約束を破ったなんてことになったら、クシャリラは問答無用で天上山脈へ大軍を向けるはずだ。


 だけど、ルイララが本当に捕まっていたとして。助け出すために、僕たちはどうすれば良いんだろう?


「その辺は、西へ向かいながらみんなで相談し合おうか」


 魔族の国を横断する事になるけど、ニーミアとレヴァリアなら魔族も見て見ぬ振りをしてくれるに違いない。

 下手に手を出せば、痛い目を見るのは自分たちだからね。


「あいさつあいさつ」

「そうだね。霊樹ちゃんに挨拶に行ってこよう」


 出発前の挨拶は大切だよとアレスちゃんが言うので、僕は旅の準備をみんなにお願いして、ひと足先に霊山の山頂へ向かった。






「というわけで、またまたお出かけなんだよ、霊樹ちゃん!」

『知ってるー。エルネア君はずっと忙しいもんね』

「ですよねー。僕って、忙しすぎない?」


 僕と一緒に誰よりも長く冒険に付き合ってくれた霊樹ちゃんは、すぐに事情を理解してくれた。

 霊樹ちゃんは、苦労が絶えない僕を労うように、木陰を作って風を吹かせてくれる。

 それでも、僕の気分は少しだけ重い。


「本当に、どうしたものだろうね? ルイララのことは心配だけど、クシャリラとの約束は破りたくないし」


 そもそも、協定を持ちかけたのは僕の方で、しかも強引に認めさせた経緯があるんだよね。その僕から協定を破ることはできないと思う。

 しかも、クシャリラには妖魔の王討伐でも協力してもらっているし、おんあだで返すような不義理は嫌だな。


「だが其方は今まさに、巨人の魔王と妖精魔王とのしのぎ合いに介入しない、という約定やくじょうに触れようとしているではないか」

「ア、アレスさん!?」


 さっきまで幼女の姿をしていたアレスちゃんが、一瞬目を離したすきに大人のアレスさんへと変身していた。

 なぜ!?


「いや、アレスさんのことはともかくとして。たしかに、僕はルイララを助け出すためとはいえ、魔族間の駆け引きに介入しようとしているよね。それは、クシャリラ側から見たら立派な協定違反になるのかな?」


 クシャリラが天上山脈の西に広がる人族の文化圏やモモちゃんに手出しをしない代わりに、僕はクシャリラの野望や悪巧みに干渉したり妨害したりしない。

 だけど、僕が巨人の魔王の命令でクシャリラの国を訪れたら、たとえ人命救助とはいえ協定違反になってしまうんじゃないかと、アレスさんは指摘してくれているんだね。


「むむむ。困ったね。いったい、どうすればクシャリラから穏便にルイララを救い出せるんだろう?」


 僕が悩んでいると、アレスさんが僕の腰に腕を回してきた。


「なななっ! アレスさん、いったい何をする気だい!?」


 白昼。しかし、霊樹ちゃんの周りにはオズどころか僕たち以外は誰もいない。

 そして、アレスさんは相変わらずの妖艶ようえんさ。

 ま、まさか僕は襲われちゃう?


 きゃーっ、と叫ぼうとする僕を、アレスさんは問答無用でしっかりと抱き寄せた。


「エルネア」

「は、はい。アレスさん!」

「しっかりと掴まっておれ。振り落とされても知らぬぞ」

「へ?」


 何を言っているの? と聞き返す前に。

 僕の足が、地面から離れた。

 正確には、浮き上がっていた。


『向こうの枝が良いよー。行ってらっしゃーい!』

「霊樹ちゃん!?」


 何が何だかわからないうちに、僕を抱いたままアレスさんが浮上していく。そして、霊樹ちゃんが示す枝先へと向かう。


「アレスさん、霊樹ちゃん、意味がわからないよ?」

「ふふふ。其方はたまに、不器用な思考になるな」

「どういうこと?」

『それじゃあ、問題でーす。アレスさんはなぜ、大人の姿になったのでしょうか?』

「な、なんでかな?」

「では、其方の今の状況を考えてみよ。そうすれば、自ずと答えが見えてくるだろう」

「ええっと、僕はルイララの心配をしつつも、クシャリラとの協定のことを悩んでいて……」


 ふわふわと浮上するアレスさんに掴まったまま、僕は自分の置かれている状況をもう一度振り返って整理してみる。


「でも、僕の悩みとアレスさんの行動に共通するものなんてないような……?」


 有るとすれば、それは僕が悩みを素直に吐露とろしていて、それをアレスさんと霊樹ちゃんが聞いてくれていたことくらいなんだけど……?


「エルネアよ。わらわはなんだ? 霊樹ちゃんは何者だ?」

「アレスさんは霊樹の精霊で、僕と一心同体と言っても良いような存在だよ? 霊樹ちゃんだって、今でこそ大地に根付いて大樹の姿になったけど、僕の大切な相棒だよ」


 ミストラルや家族のみんなとはまた違った、僕にとって絶対に切り離せない大切な半身だと言い切れる。


『そーれーなーらー。エルネア君の悩みは、私やアレスさんの悩みでもあるよね?』

「うん。アレスさんと霊樹ちゃんからそう言ってもらえる僕は幸せ者だね」

「であれば、悩みを解決するために、妾と霊樹ちゃんがしみない協力をするということも理解できるであろう?」

「つまり?」


 アレスさんは僕を抱いたまま、霊樹ちゃんの枝先へと降り立つ。

 並みの大木など足もとにも及ばない高所。大樹へと成長した霊樹ちゃんが太陽の光をいっぱいに浴びて、緑色に色付く葉をまばゆく輝かせていた。

 アレスさんは、木漏れ日がきらきらとまぶしい枝先で僕を下ろすと、落ちないように手を取ってくれながら、更に先へと進む。

 僕はアレスさんに導かれて、霊樹ちゃんが大きく広げる枝先へと辿り着いた。


『ここがね、一番良いと思うよー?』

「むむむ。アレスさんと霊樹ちゃんは、さっきから何を言っているのかな?」


 僕はなぜ、アレスさんに抱かれて霊樹ちゃんの枝の上に連れて来られたのか。しかも、枝の先端までやって来た僕とアレスさんに向かって、霊樹ちゃんが新芽が伸びる枝先を可愛く揺らしているよ?


 すると、僕の疑問をよそに、アレスさんが霊樹ちゃんの枝へと手を伸ばした。

 いま、霊樹ちゃんが揺らした枝だ。


「ほれ。其方も手をえよ」

「なんでかな!?」


 疑問を浮かべつつも、僕はアレスさんからうながされるままに手を伸ばす。そして、可愛く揺れる枝を掴む。


 ぽきり。


「えっ!?」


 枝が、折れた。


 元気いっぱいに育っていた新しい枝。

 僕とアレスさんが手を添えた、霊樹ちゃんの身体の一部。

 それが、ぽっきりと折れてしまった。


「わわわわっ! ご、ごめんなさい!!」


 大切な枝を折ってしまった大失態に慌てふためく僕を、枝先から落ちないように支えてくれるアレスさん。

 だけど、アレスさんは怒ったり慌てたりするどころか、僕を見て笑っていた。

 霊樹ちゃんも、愉快そうに周りの枝葉を揺らす。


「良いのだ、エルネアよ」

『そうだよー。私とアレスさんが良かれと思ったことなんだから、エルネア君は気にしなくて良いんだよー』

「よ、良かれと思って? 何が何だかわからないけど、でも、霊樹ちゃんの大切な枝を僕は折っちゃったわけだし」

「ふふふ。それが良いと言っているのだ」


 僕の手には、折れた霊樹ちゃんの枝先がしっかりと握られていた。

 てのひらほどの大きさの枝は、先で三股に可愛く別れている。そして、小さなつぼみが二つと、新緑の葉っぱが数枚。

 折れてしまったとはいえ、霊樹ちゃんの身体の一部だったとこもあり、強い生命力を今も感じとれている。

 僕が間違って霊樹ちゃんの枝を落とさないように、アレスさんも手を添えて支えてくれていた。


 そして、アレスさんは僕が握る枝を見て、良い、と言ってくれた。

 霊樹ちゃんも、折れてしまった枝に自らの息吹いぶきを注ぎ込みながら、これで良いんだよ、と葉をきらめかせる。


「言ったであろう。妾も霊樹ちゃんも、大切な其方に惜しみない協力をしたいのだと。だから、これが妾たちにできる最上の手助けだ」


 言って、アレスさんは添えた手に少しだけ力を入れて、僕の手ごと霊樹ちゃんの枝を引き寄せる。そして、そのまま僕の胸元へ添えてくれた。


「持って行くが良い。昔のように木刀としてはあつかえぬが、それでも其方の今後の力となるであろう」

『その枝を私だと思って、旅のお供に連れて行ってねー』

「ああ、そうか……」


 霊樹の木刀として霊樹ちゃんを腰に帯びて旅をすることは、もうできない。


 後悔はない。だって、霊樹ちゃんが大きく育っていくためには、大地に根付く必要があったんだから。

 スレイグスタ老からも、いずれ僕たちが定住する土地が見つかったら、その近くに霊樹ちゃんを根付かせるようにと言われていた。

 だから、霊樹ちゃんを木刀として腰に帯びることができなくなったということに、後悔も未練もない。

 むしろ今は、霊樹ちゃんがより大きく、元気に育って行く姿を見られる方が嬉しい。


 だけど、霊樹ちゃんが霊山の山頂に根を下ろした事によって、僕は意外と多くのものを失ってしまっていた。


 ひとつは、左手に握るべき武器。

 僕の左手は、白剣を授かるずっと前から霊樹の木刀が握られてきた。

 その左手に握る、代わりになる武器は未だにない。


 他にも、霊樹の木刀を介した霊樹の術も使えなくなった。

 もちろん、アレスさんの力を借りれば今でも幾つかの術を操ることはできるんだけど、それでもやっぱり、葉っぱの乱舞や広範囲で威力の強い霊樹の術は難しくなってしまった。


 そして、最後にもうひとつ。


「其方も妾も、まだ未熟だ。霊樹ちゃんがもたらす霊樹の力無しでは、精霊剣を具現化させるどころか、抜くこともできぬ」


 アレスさんの言葉に、僕は息を詰まらせる。


 そう。霊樹の木刀を手放した今。僕が左手に握るべき剣は、魂霊こんれいではなく、霊樹の精霊剣だと思っている。

 だけど、その霊樹の精霊剣を、今の僕とアレスさんの力だけでは、まともに呼び出すことさえできないんだよね。

 今までは、霊樹ちゃんが木刀の形で僕に寄り添ってくれていて、そこから受ける大いなる恩恵のおかげで、精霊剣をなんとか抜くことができていた。


「それじゃあ、この枝は……」


 大樹の先端から折りんだ枝。

 初めて触れたはずなのに、今まで感じてきたようなしっくりとした手応えがよく手に馴染んでいる。

 そして、枝からは霊樹ちゃんと同じ力強い息吹が感じられた。


「霊樹ちゃんの一部であるこの枝を、エルネアに贈ろう。この枝を呼び水とすることで、其方はまた精霊剣を抜けるようになるだろう」

『私だと思って、大事にしてねー?」


 思わぬ贈り物に、僕は手を震わせて涙する。


「ありがとう。こんなに嬉しい贈り物を貰えるなんて。絶対に大切にするからね!」


 もう、霊樹ちゃんとは一緒に旅をすることができない。そう思っていた。そう自分に思い込ませて、無理やり納得していたのかもしれない。

 だけど、違ったんだね。

 やっぱり、僕はこれからも霊樹ちゃんと一緒に世界を駆け回りたい。

 だから、枝先だけとはいえ、霊樹ちゃんの息吹を感じる贈り物を貰えて、僕は心から嬉しくなる。


「其方らの意志で武器を手放したとはいえ、人の国での出来事を思い返せば、手ぶらで良いというわけにもいかぬだろう?」

「魂霊の座は、できるなら手に取りたくないもんね?」

「そう思えばこそ。其方はこの枝を携えよ。そうすれば、本当に困った際には霊樹ちゃんが其方の力になるであろう」


 武器を持つ生活から離れる。とはいえ、緊急事態は起きる。その時、どう対処すれば良いのか。

 王都での勝負の際も少しだけ考えさせられた課題だけど、こういう解決方法があったんだね。


 精霊剣は、僕とアレスさんが本気の本気になり、尚且なおかつ、霊樹ちゃんの力を借りなきゃ抜けない。ということは、普段はこれまで通りに武器を持たない、力を求めない生活を送ることができる。だけど、切羽詰まった緊急事態になったときは、魂霊の座を使わないという手段を選択できる。


「だけど、未だに疑問だよ? 霊樹の枝を貰えたのはほんとうに嬉しいけど、それが今の僕の悩みの解決策になるの?」


 ひとつ、疑問が解けた。アレスさんが大人の姿になったのは、そうしないと僕を抱いてこの枝先まで浮上できなかったからだね。

 だけど、もうひとつの疑問が未だに残ったままだ。


 僕は、クシャリラからどうやってルイララを救出しようと悩んでいたわけだけど、それと霊樹の枝を贈られたことに関連性はあるのかな?


 すると、悩む僕をよそに、アレスさんと霊樹ちゃんが愉快そうに笑っていた。


「ふふふ。其方は自分のことになると、本当に思考が不器用になる」

『それじゃあ、言ってあげるね?』

「うん。お馬鹿な僕に、ご教示ください」

「なあに、簡単な解決方法だ。其方は妖精魔王のもとを訪れ、新しい力をいつものように暴走させれば良い」

「は?」

『武器を所持しない状態で油断させておいて、魔族の目を盗んで不意を突くんだー!』

「えええっ!」

『しかも実体のない剣であれば、密かに振り回しても後に証拠は残らぬ。完全犯罪というやつだな」

「言った! いま、完全犯罪って言ったよね!? この子たち、最初から悪いことをする気満々ですよ!!」


 なんということでしょう。

 アレスさんと霊樹ちゃんは、表向きは協定を守る振りをしておきながら、裏で霊樹の精霊剣を抜いてルイララを救出すれば良い、と言っているんだね。

 たしかに、無難な解決方法のひとつではある。

 だけど……!


「やっぱり、裏切り行為は良くないよ? よし、決めたぞ。僕はクシャリラと友好関係を深めて、正々堂々とルイララを救い出そうと思います!」


 とはいえ、アレスさんと霊樹ちゃんから贈られた霊樹の枝は本当に嬉しい。

 だから、これからは肌身離さず持ち歩こう、と霊樹ちゃんが広げた枝先で決意する僕だった。

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