酔っ払いには注意
馬上から僕を見下ろす
周りの巡回兵よりも立派な鎧を着て、腰には肉厚な直剣を帯びている。
灰色の髪。二枚目な顔立ちに無精髭で如何にも遊び人風な容姿だけど、どことなく気品も感じられた。
体格は巨漢、とまではいかないけど、がっしりとした身体付きは鎧の上からでもよくわかる。
背も高そうだ。
「な、何のことでしょうか」
僕はそんな馬上の男性に聞き返す。
巡回兵を周りに
でもそれをあっさり認めちゃうと、逃げた意味がないじゃないか。
ここは出来る限りとぼけていよう。
幸いここは街道で、泊まっているお宿からは少し離れているから、宿泊先までは見つかっていないだろうし、逃げ足なら僕は自信があるよ。
何せ今の僕は、新たな逃げ足を手に入れたからね。ひとりでなら絶対に逃げ切れる自信があった。
あ、肩に未だにニーミアがいるけど、この子なら荷物にも感じないよ。
そのニーミアは、僕の肩で大人しく成り行きを見守っていた。
人目のあるところでは、猫の真似をしてもらっているんだよね。喋られでもしたら大変なことになっちゃうから。
馬上の男性はニーミアに一瞬だけ視線を向けた後、とぼける僕に苦笑をして、馬から降りてきた。やっぱり背が高い。僕は彼の胸板くらいまでしか背がないよ。
そして、さり気なく巡回兵が僕を囲むように動いてますよ。ちゃんと気づいてます。
街道を行き交う通行人は、何事かと逃げていく人と興味津々の野次馬で入り乱れていた。
目立ちたくないんだけどな。
やっぱり宿屋で大人しくしてた方が良かったのかな。でもあのまま残っていたら、お風呂からあがってきた女性陣に僕は何をされていたか……
僕の内心なんて知らない無精髭の男性は、僕を指差し。
「君はあれだ。ほら……なんだっけ?」
「昼間の竜人族の騒動です、小隊長殿」
「そうそう、それ。それの重要参考人だよな。あら、違うか。あれって綺麗な女性って言ってなかったか」
「いや、ですから。その女の傍に居た栗色の髪の可愛らしい少年が彼ですよ」
「そうそう、そうだった」
なんだかやる気がないような無精髭の男性と、ため息まじりに補佐をする巡回兵。
緊張感が全くないね。
「俺は君を見てすぐに気づいたね。君が昼間の……何だっけ」
あはは、と頭を掻く無精髭の男性に、周りの巡回兵からまたため息が漏れた。
どうやら頼り甲斐のない上司みたいだ。
昼間の騒動さえ知らないような人が、よく僕を街道の人混みの中から見つけられたよね。
僕を見て、躊躇いなく真っ直ぐにこっちへと来たような印象だったんだけど。
なにはともあれ、この緊張感のないやり取りに僕は逃げる算段をつける。
包囲されても平気平気。
僕の新逃げ足の前では、包囲網なんて意味ないんだよね。
僕は体内に力を貯めようとして。
がしり、と左腕を掴まれた。
「立ち話もなんだし、取り敢えずその辺の酒場で飲み食いしないかい」
僕を掴んだのは無精髭の男性。軽く握られている程度なんだけど、何故か振りほどくことは出来そうになかった。
ちなみに僕は未成年だから、酒場よりかは食堂がいいです。なんて呑気に考えている場合じゃない。
「ああ、名乗っていなかったね。俺はルドリアード。巡回兵の小隊長さ」
言って微笑むルドリアードさんの瞳には、油断の色はなかった。
実はこの人、凄腕なんじゃないだろうか、と思ったけど。
「とりあえず握手」
屈んで僕の目線に合わせて空いている片手を伸ばしたルドリアードさんは、酒臭かった。
うえっ、と咄嗟に顔をしかめる僕。
「あらま、酒臭かったかな」
あはは、と陽気に笑うルドリアードさんは強引に僕の右手をとって握手してきた。
左腕は離してくれたけど、握手した右手はがっちりと抑えられてしまったよ。
「日が暮れてからの仕事なんざ、酒でも飲んでなきゃやってられんからね」
「あんたは一日中飲んでるだろ」
巡回兵の突っ込みに、ルドリアードさんはからからと笑う。
なんで職務中なのに夜になったからといってお酒を飲むような人が小隊長なんだろう。
しかもそれを周りの兵士は咎める様子がない。
どうも、巡回兵の人たちと小隊長のルドリアードさんは仲が良さそうだね。
和気あいあい、みんなで楽しく仕事をしています、という雰囲気があった。
でもそれは、僕には関係ないよね。どうにかしてルドリアードさんの手を解いて逃げ出さなくちゃ。
別にこのまま逃げ出しても良いんだけど、ルドリアードさんの身は保証できないね。
「おや、今この状況になっても、逃げる気でいるのか。それとも、何か確実に逃げられる算段でもあるのかな」
巡回兵たちと笑っていたはずのルドリアードさんの瞳には、いつの間にか鋭い光があった。
やっぱりこの人は只者じゃないよ。言動は
「鬼ごっこは嫌いじゃないが、出来れば用事はさっさと済ませて酒が飲みたいんだよね」
「もう飲んでるじゃないですか」
「やや、これは一本取られた」
僕の突っ込みに苦笑するルドリアードさん。
「君も中々に突っ込むね」
「呆ける年寄りが知り合いにいますから」
「へええ、是非紹介してもらいたいものだ」
「それは無理ですね。あのじいさんは人見知りでひっそりと暮らしてますから」
「ああ、俺と気が合いそうだ。俺も実は田舎でひっそりと暮らしたいんだよね、本当は」
「全くそんな風には見えませんね」
僕とルドリアードさんは何気ない会話を繰り広げる。
だけど、水面下では攻防が繰り広げられていた。
とは言っても大事じゃなくて。
僕はどうにかして握手をしたままの右手を振り解こうとし、ルドリアードさんはそれを阻止していただけだけど。
軽く握られていて簡単に解けそうなのに、解けない。
なんだ、この握手の達人は。
「やれやれ。色々と困ったね」
何が色々なのかは不明だけど、ルドリアードさんは苦笑する。
「酒を飲みながら、と思ったんだが。ちょっと向こうで、二人だけで話そうか」
言ってルドリアードさんは、人気のない建ち並んだ建物の先を指差した。先には明かりもないよ。確かこの辺は、街道沿いの建物以外は麦畑が広がっていたはずだ。
「お前らは周りの野次馬を散らせて待ってろ」
ルドリアードさんが命令すると、巡回兵の人たちからはさっきまでの和気あいあいとした雰囲気が一瞬で消え去り、手練れの動きで自分たちの仕事に取り掛かり出した。
「さあ、色々と問題を解決するために行こうか」
色々?
昼間の事について詳しく聞きたいことがあるのは確かなんだろうけど、他には何の問題があるんだろう。
首を傾げる僕の手を取ったまま、ルドリアードさんは僕を暗い麦畑の方へ誘う。
相変わらず軽く握手したままなんだけど、振り解けない。それどころか、僕は抵抗できずにルドリアードさんに連れて行かれた。
なんだろう、この人。
見た目と雰囲気と言動、全てが合致していない。どこかに偽りがあるんだろうけど、人生経験の少ない僕には見破ることができなかった。
「さあ、この辺でいいか」
ルドリアードさんは麦畑の中にある小道を少し進んだ先で、立ち止まる。
周りには収穫前で僕の身長くらいまで伸びた麦が、微風に揺れてさわさわと鳴いていた。
空にはすでに星が
何がいいのか。
ここまで来て、僕もようやく気づいていた。
これからの事に身体が緊張する。
「いくら夜でも、そんな下手くそな隠れ方では気づかない方がおかしい。さっさと出てこい」
ルドリアードさんは暗闇に向かって、声を張り上げた。
「くくく。わざと気づかれるようにしていたんだけどな。俺たちに気づいていたにも関わらず兵士を遠ざけるとは、お前は大馬鹿者だな」
不穏な
全員が小道の先の麦畑から姿を現す。
後方や周りの麦畑に潜んでいる人は、多分いない。
僕も修行で、ある程度は人の気配を探れるようになってきたんだよね。
それで何者かが僕たちに殺気を向けている、と僕も途中から気づいていたよ。
でもまさか、こんなに大人数だったなんて。
僕は驚いて、目を見開く。
「それとも何だ。お前はそこの小僧を俺たちに渡してくれるために人払いをしたのか」
にやり、と気持ち悪く笑う男。
ええっ、そうなの?
僕は恐る恐るルドリアードさんを見上げた。
「いやいや、まさか。こんなに可愛い少年を、お前らみたいな厳つい野郎どもに渡すわけがないだろう」
あはは、と緊張感なく笑うルドリアードさん。
僕はほっと胸を撫で下ろしたけど、この人のこの緊張感の欠如はどうにかならないのかな。
陽気に笑うルドリアードさんを見て、現れた人たちは怒気を膨らませていますよ。
僕は改めて、現れた人たちを見た。
全員が
だけど、共通して言えることは、全員の武器だけは上質なものに見えた。
防具と武器との格差が歪で、かえってそれが不気味な雰囲気を出していた。
「俺たちはお前には用がないんだ。欲しいのはその小僧と、連れに居るはずの女だ」
ひとりの曲刀を持った男が言う。
僕とミストラルたちを探しているということはもしかして……
「ははぁん、これは君の仲間かい、少年?」
ルドリアードさんは僕を見下ろしてくる。
違う違う、そんな訳がないでしょう。
僕はぶんぶんと首を横に振って否定した。
「ちっ。阿呆な奴だな」
「俺たちは昼間の敵討ちをしに来た」
ずらり、と二十人を超える男たちが武器を一斉に抜きはなつ。
「竜人族に喧嘩を売ったことを後悔するがいい」
両手斧を構えた男の言葉に、僕は戦慄した。
昼間の男たちには仲間がいたのか。しかも、また竜人族と名乗っている。
こんなに大勢の竜人族が竜峰を降りてきているんだろうか。
そう思ってこっそりと肩に乗ったままのニーミアを見た。
あの人たちが本当に竜人族なら鳴いて、と心に思う。
ニーミアはスレイグスタ老と一緒で、僕の心を読めるんだよね。
しかしニーミアは僕を見上げて、首をふるふると左右に振っただけだった。
なるほど、やっぱり偽物なのね。
どういうわけか、ニーミアとミストラルは見ただけで相手の種族がわかるらしい、というのを昼間の逃走劇中に少しだけ聞いていた。
魔族や神族も同じ能力を持っているけど、見ただけで相手の種族を見破るなんて凄いね。
さて、偽物とわかったことだし、どうしよう。
僕は、今度はルドリアードさんを見上げる。
ルドリアードさんは僕の視線に気づいて、微笑んだ。
「よし、これは君の問題だ。君が自力で解決するといい。俺は見ていることにしよう」
「ええぇぇっ」
あっさりと見捨てられて、僕は悲鳴を上げてしまう。
そ、そんなぁ。
実は凄腕なんじゃないかと思うルドリアードさんの腕前に期待したのに。
偽竜人族の人たちもルドリアードさんの発言は予想外だったらしく、驚いていた。
「は、はは。殊勝なことだ。そこで大人しく見ていれば、お前は見逃してやる」
「そりゃあどうも。何せ夜は働きたくない。そして本部に帰ったら報告もしなきゃならんしな」
気を取り直して威勢を張った偽竜人族の人が、ルドリアードさんのやる気のなさに顔を引きつらせた。
予想外すぎますよ。
なんでこんなにやる気のない人が巡回兵の小隊長なんだよ、と僕も大声で突っ込みたかった。
だけど、今はそんな場合じゃないよ。
どうすべきか。
逃げてミストラルに助けてもらおうかな。
いやいや、駄目だよ。ルドリアードさんを頼ろうとしたり、すぐにミストラルに助けを求めるなんて、男らしくない。
僕は頼り甲斐のある男になるんだ。
そしてミストラルとルイセイネを惚れ込ませてやる。
僕は決意とともに、二十人を超える偽竜人族と対峙した。
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