空へ

 精も魂も使い果たした僕たちは、大の字で横になってファルナ様との戦いを振り返る。

 だけど、まだ元気いっぱいの者がいた。


「んんっと、プリシアは遊びたいよ?」

「ぐう……」


 そうです。

 天真爛漫てんしんらんまんの幼女、プリシア姫です。

 プリシア姫は仰向あおむけで横になる僕の上に乗ってきて、暇だ暇だと胸を叩く。

 でも僕たちはくたびれてしまっていて、体力の回復にはもう少し時間がかかりそう。

 不忠ふちゅうの家臣の態度にプリシア姫はほほふくららませて、容赦無く断罪する。


「お兄ちゃんたちだけずるいよ?」

「ごめんね……」


 遊んでいたつもりじゃないんだけど。

 プリシア姫からして見れば、僕たちだけ楽しんでいたように見えたんだろうね。


「休憩も良いが、次が控えておるだろう」

「おじいちゃんまで……。僕たちはファルナ様との手合わせで疲れているんですよ」

「しかし、剣聖との手合わせは試練のひとつであって、まだ続きがあるのではないか」

「……はっ!?」


 そうでした。

 ファルナ様は「まずは自分が」と言って僕たちと手合わせしたんだよね。ということは、まだ試練は続いている?


 しまった!

 ファルナ様で力を使い果たしちゃって、もう余力が残っていません!


「むう、プリシアも遊びたい」


 プリシア姫は不満顔で僕の上から降りると、ぷりぷりと怒った様子で歩き出す。

 向かう先は……


「あのね、プリシアと遊ぼう?」

「ふふふ、そうですね。会場で遊ぶ約束をしましたものね」


 もうひとりの、紫髮の女性だった。


 ファルナ様と僕たちの戦いを見守っていた人たちは、プリシア姫の愛らしい要求に微笑んでいる。

 地面に紫色の髪を垂らす二本の角が生えた女性も、プリシア姫のわがままに笑顔を向けていた。


「こら、プリシア」


 とはいえ、相手はまだ謎の多い人物です。ミストラルは慌てて起き上がると、プリシア姫を回収に向かう。


「いやいやん」

「わがままを言わないの。あとで遊んであげるから」

「今が良いよ?」

「お姫様は不忠の王様よりも優しい竜様が好きにゃん」


 プリシア姫の頭の上で大人しくしていたニーミアが、僕の思考を読んで変なことを言う。

 不忠の王様って、僕のこと?

 なぜ王様がお姫様に従う立場なんでしょうか。

 というか、竜様てなに?


 プリシア姫を回収したミストラルも、ニーミアの言葉に首を傾げていた。


「ふふふ、お姫様のお願いは聞き届けてあげないといけませんね」


 僕たちの疑問をよそに、角付きの女性は優しくプリシア姫の頭を撫でる。


「ええっと、でもまだ試練が残っていますよ?」

「そうですね。それじゃあ、お姫様の希望と試練を同時に行いましょう」

「えええっ! 僕たちは、その……。まだ体力が回復していなくて……」


 これからもうひと勝負なんて余裕は、正直に言って残っていない。

 最初にファルナ様と腕試しをしたわけだけど。ミシェイラちゃんと角付きの女性、それと夢見の巫女様。少なくともこの三人はファルナ様と同格の人で、そう考えるとあと三回は試練が待っているんだよね?

 角付きの人がプリシアちゃんと遊んでいる間に同時進行でもうひとつの試練ということは、次はミシェイラちゃんか夢見の巫女様かな?

 特に注意が必要なのは、あのミシェイラちゃんとナザリアさん一家だ。禁領での出来事を考えれば、万全の状態で挑まなきゃ手も足も出ないまま終わりそう。


「ふふふ、わたしはもう終わっていますよ」

「あたしもエルネアの見極めは終わっているの。だから、あとはこの子だけなの」

「えっ!?」


 いつの間に終わったのかな、という疑問と同時に、ミシェイラちゃんが指差す角付きの女性を見て困惑する。

 角付きの女性は今から、プリシア姫の相手をしてくれるんだよね?

 でも、残りの試練はこの女性だから……?


「す、少しお待ちください」

「体力が回復していないですわ」

「さすがに連戦は無理だわ」

「さすがにもうひと試合は無理だわ」

「そうね、わたしも厳しいかしら」

「実は、僕も……」


 角付きの女性がファルナ様たちと同等の人なら、僕たちを相手にしながらプリシアちゃんの遊び相手をこなすことも容易なのかもしれない。

 ちょっと悔しいけど、それくらいの力の差は歴然として存在する。

 だけど、肝心の僕たちがまだ回復していません。


「不忠な王様と女王様にゃん」

「ニーミア、さっきから王様とか女王とかなんなのかしら?」

「エルネアお兄ちゃんがそう思ってるにゃん」

「いやいや、ニーミアはなにを言っているのかな? 僕はただ、プリシアちゃんのことをお姫様と思っただけだよ」

「んんっと、プリシアはお姫様?」

「私たちよりお姫様だわ」

「私たちより王女様だわ」

「わおっ! プリシアはお姫様なんだね」


 きゃっきゃとミストラルの腕のなかではしゃぐプリシア姫。

 普段ならしっかりと抱きとめているミストラルだけど、本当に体力が残っていないのか、暴れるプリシア姫を押さえきれずに腕のなかから離してしまう。

 プリシア姫は、地面に降りると嬉しそうに飛び跳ねる。すると、僕との同化を解除したアレスちゃんが顕現してきて、一緒になって小躍りし始めた。


「エルネア……」

「エルネア君、なんてことを……」

「ぼ、僕のせいなのかな!?」


 たしかに自己の欲求に忠実なプリシアちゃんを「お姫様」と思ったのは僕なんだけど。

 ニーミアが口に出しちゃうからいけないんだよ!


「にゃあ」


 小躍りするプリシア姫……じゃなかった、プリシアちゃん。その頭の上で跳ねているニーミアが可愛く鳴いていた。


「あのね、プリシアは鬼ごっこがしたいよ?」

「鬼ごっこも良いですが、お散歩に行きましょうか。お空のお散歩は好きかしら?」

「大好きだよ!」

「それでは、王様と女王様の試練も含めて、行きましょう」

「ちょ、ちょっと待ってください。もう少しだけ休憩を……」

「ひ弱であるな」

「おじいちゃん、自分の弟子にそんなことを言ったら師匠として格が落ちちゃうんだからね」

「ふむ、それは困った」

「ほら、師弟漫才はいいから、さっさと試練を受けてきなさい」

「アシェルさんは厳しいよね……」

「其方は冷たいのう……」


 アシェルさんのため息に、僕とスレイグスタ老はがっくりと肩を落とす。

 とはいえ、身内で話し込んでいる場合じゃない。

 空のお散歩と同時に僕たちの相手をすると言う、角付きの女性。ということは、次の舞台は空の上かな?

 そうなると、スレイグスタ老かアシェルさん、もしくはニーミアの背中の上に乗ってとか……?

 そうじゃないと、僕たちのなかで空を飛べるのはミストラルだけになっちゃうからね。

 いったい、上空でどんな戦いをしろというのだろう。


「戦いはもう終わりですよ」

「えっ!」

「腕試しはファルナの役目でしたから。さあ、みなさん。全員で空の散歩に行きましょう」


 そう言って、両腕を広げた角付きの女性の全身が輝き出した。

 衣服や、耳の上から生えた二本の角、地面に小川を作る紫色の長い髪も紫色にあわく発光し、全身の輪郭りんかくがぼやけていく。

 紫色の光は、空へと昇る。

 そして、見惚れる僕たちの前で、角付きの女性は紫の輝きに包まれた。

 光は天空へと昇っていく。

 上昇する紫色の光で出来上がった柱の周りに虹色の光の泡が無数に現れ、同じく天へ上昇していく。


「竜、ですわ……」


 紫の光や七色の泡を追って空を見上げたライラが呟いた。

 ライラだけじゃない。

 僕だけでもない。

 みんなが同じ感想を胸に宿す。


 天に昇った光と泡は、上空で新たな姿を形どり始めていた。


 巨大な翼竜。

 広げた翼の端から端が空の終わりまで続き、鼻先から尻尾までが天空を覆う。

 小山のようなスレイグスタ老でさえ、上空の翼竜から見れば小さな点でしかない。それほどの巨竜が、光と泡で輪郭を表していた。

 角付きの女性を包んだ紫の光は、上空で空を覆う翼竜の姿へと変貌へんぼうしていく。七色の泡は、翼竜の身体に吸い込まれていった。


竜神りゅうじんだわ……」


 ぽつり、と空を見上げるミストラルが言葉を漏らす。

 いつか聞いた話。

 竜族がうやまう存在。その姿は空を覆い、竜族を導くという。

 上空に顕界げんかいした紫色の翼竜は、まさに話に聞いた竜神の姿だった。


「おわおっ、竜の女神様だね」

「んにゃん。竜のお母さんにゃん」


 ニーミアはプリシアちゃんの頭から降りると、巨大化する。


「みんな乗るにゃん。にゃんも竜神様の上に乗るにゃん」

「えっ、良いのかな?」

「お兄ちゃんはお散歩に行かないの?」

「い、行きます!」


 僕たちは慌ててニーミアの背中に移動する。ニーミアは僕たちを乗せると、空に舞い上がった。


「良いのぅ、我も行きたいのぅ」

「おじいちゃんはお留守番ね!」

「汝は悪魔じゃな!」


 ぶふんっ、と鼻を鳴らしたスレイグスタ老は、空へと羽ばたく。アシェルさんも後を追ってきた。


 僕たちを乗せて上昇するニーミアと、追従するスレイグスタ老とアシェルさん。

 瞬く間に、地上に残った霊樹やファルナ様たちが小さくなり、点になり、個人を区別できないくらいの高さになる。

 だけど、上空の竜神様との距離は変わっていないように見える。それだけ大きいんだね。


「全力で飛ぶにゃん」

「ニーミア、私に成長を見せてちょうだい」

「お母さん、任せてにゃん!」

「……ふむ、遠いな」


 全力で加速しようと、翼を元気よく羽ばたかせたニーミア。アシェルさんは背後から、愛娘まなむすめの成長を確認しようとしていた。

 だけど、極悪なご老体が最後尾で怠惰たいだな決断をしてしまった。


 金色に輝くスレイグスタ老の瞳。

 すると、僕たちの周りに立体の術式が出現した。


「あああっ、おじいちゃん!」

「うにゃーんっ」

「爺さん!」


 僕たちの悲鳴は、黄金の輝きのなかに飲み込まれた。


「……なんてことを」

「怠惰ではない。我は自らの力を使って汝らに楽をさせてやったのだ」


 黄金色の輝きに包まれて、あまりの眩しさに目を閉じる。そして輝きが収まり、また目を開けると、そこはもう紫色の大地の上だった。


「爺さん、余計なことを……」

「しくしく、悲しいにゃん」


 なだらかな紫色の丘が規則正しくどこまでも続いている。ひとつの丘が、ひとつの鱗。なんて大きいんだろう。

 鱗の丘のひとつに降り立ったニーミアは、ちょっと残念そう。アシェルさんも、怒りを通り越して呆れかえっていた。

 スレイグスタ老だけは陽気に鼻歌を響かせている。


 あとでお仕置きが待っていても知らないんだからね。


「汝は感謝の念を忘れてしまったようであるな」

「いやいや、忘れてはいませんよ。ただ、ニーミアとアシェルさんが可哀想だなぁ、と」

「ふむ、汝らは理解しておらぬようだ」

「むむむ、どういうこと?」

「ここは竜神様の背中の上である。さすがに直接頭上に転移するわけにはいかぬのでな」

「んにゃん!」


 ニーミアはなにかに気づいたみたい。

 悲しそうにしていた瞳に、また輝きが戻ってきていた。


「ここではどこを見渡しても竜神様の背中であろう。せっかく空へと上がったのだ。地上の風景こそが空の散歩の醍醐味ではないか」

「ああ、なるほど!」


 僕たちもようやく気づく。


 ニーミアは元気いっぱいに翼を羽ばたかせると、今度こそ全力で飛んだ。

 アシェルさんが追いかける。

 スレイグスタ老も、やれやれ、と笑いながら続いた。


 目指すは、竜神様の頭の先だね!


 竜神様の頭の上が目的地だなんて、ちょっと不遜ふそんすぎじゃない? とも感じたけど、ニーミアたち古代種の竜族は気にしていないっぽい。

 いま思い返すと、そもそも最初から、竜神様にうやうやしい態度なんて取っていなかったよね。

 ニーミアが「竜様」とさっき口にした相手は、竜神様のことで間違いない。ということは、スレイグスタ老を含めた古代種の竜族は、最初から竜神様の正体に気づいていたはずなんだけど。


「その考えには、少しばかり修正が必要であろうな」

「と言うと?」

「竜神様に気づいていたのは、なにも我らだけではない。竜族であれば誰もが気づいていたであろう」

「そうなの!? でも会場に来ていた竜族のみんなは、普段通りだったような……。竜神様って、さっきニーミアが言ったように、竜のお母さん的な存在なんですよね?」

うそまことか、我ら竜族は竜神様の魂の欠片かけらを分け与えられた存在、と言う者もいる。したがって、母という表現も間違いではないかもしれぬな。しかし、我ら竜族は自らの力と努力で竜神様のもとへと至ることを望む。汝らの結婚の儀式に竜神様が来場しておっても、それは我らが呼び寄せたものではない。よって、楽して近づこうとは思わぬよ」

「なるほど、自分で呼び寄せていたらきちんと会うけど、それ以外なら自分をりっして我慢するんだね」

「そういうことであるな」


 ニーミアが目指す先には、巨大な二つの山があった。

 ううん、違う。あれは山じゃない、つのだ。

 あまりにも巨大すぎる角は、人の姿をしていたときのように前方に向かっていびつに曲がっている。だけど本当に大きすぎて、遠くからだと急斜面の山の一角が見えているだけのように思えちゃう。

 とても遠くにそびえ生える二本の巨大な角。それでもニーミアは素晴らしい速度で飛んで、ぐんぐんと角が近づいてきた。

 さすがは古代種の竜族だね。


 空を覆うほど巨大な体躯たいくの竜神様だけど、ニーミアたちはあっという間に頭の先端へとたどり着いた。


「はい、いらっしゃいなの」

「ぐぬぬ、先回りですか」


 そして竜神様の鼻先では、すでにミシェイラちゃんとファルナ様と夢見の巫女様が待ち受けていた。

 どうやら、八人の付き人とナザリアさん一家はお留守番になったらしい。


「おじゃまします」

『はい、いらっしゃい』


 角付き女性、改め、竜神様の声は頭に直接響いてきた。

 僕たちはニーミアから降りると、竜神様の鼻先からそおっと地上を見下ろす。


「おわおっ、テルルちゃん!」

「えっ、ここって夢のなかですよね!?」


 不思議な光景だった。

 ううん、景色自体は不思議でもなんでもなく、結婚の儀が執り行われた飛竜の狩場の会場そのものなんだけど。

 夢のなかのはずなのに、現実の上空に僕たちは来ていた。


「食べきれない命がいっぱーい。むしろ食べられーる」


 しかも、テルルちゃんがこちらに気づいた。

 空を見上げて手を振るテルルちゃん。

 プリシアちゃんは、元気いっぱいに手を振り返す。落ちないようにアシェルさんが腰に爪の先を引っ掛けていた。


「もしかして、現実の世界に出ちゃった?」

「さあ、どうでしょう。夢であり、現実であり」


 夢見の巫女様が微笑む。

 でも、テルルちゃんはこちらに気づいているし……

 さらに、気づいたのはテルルちゃんだけではなかったみたい。


『おおお、竜神様だ』

『貴様らだけずるいぞっ』

『あとに続けーっ!』


 竜族たちも空を見上げて騒ぎ出す。

 そして、これこそ本当に不思議な光景を目にした。


 飛竜や翼竜たちが翼を羽ばたかせて空へと舞い上がる。

 地竜たちもあとに続いて空へと。なんと水竜たちまでもが水から抜け出し、空に上がってくる。

 気づくと、竜族たちは竜神様と一緒に空を飛んだり走ったり、泳いだりしていた。


「よくわからないけど、まさに夢のような現実のような、不思議な世界だね」


 僕の感想に、夢見の巫女様は満足そうに頷く。


「……ところで、おじいちゃん」

「ふむ、どうした?」

「竜族は自らの力と努力で竜神様の場所に至るんだよね?」

「……そうであるな」

「では、この状況はなんでしょう!?」

「知らぬ!」


 会場に竜神様が来ていたのは、僕たちをお祝いしてくれるためで、決して竜族たちに会いに来たわけじゃない。だから、竜族はその存在に気づいていても大人しくしていた……んだよね?

 それなのに、空を飛ぶ竜神様に気づいたら、みんなでついて来ちゃった。しかも空を飛べる竜族だけでなく、地竜や水竜たちまで!


 竜神様は追従する竜族を煙たがることもなく、一緒になって空を飛ぶ。

 プリシアちゃんはみんなで空を飛べていることが嬉しいのか、竜神様の鼻先でアレスちゃんとニーミアと一緒に喜んでいた。

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