精霊と竜をお供にした普通の人族

 洞穴の奥は、複雑に入り組んでいた。

 明らかに人の手が入った横穴は途中で幾つも分岐ぶんきしている。

 竜気の宿った瞳は、薄っすらと発光する穴の奥まで見通す。人が横に二人並ぶと狭く感じるくらいに細くなった横道は、どこまでも続いているように見えた。


 精神を研ぎ澄ませると、少しの間に随分と地下まで降りた四人とニーミア、そして鮫の魔獣の気配を感じる。

 こんなに狭く、遁甲で自由に動き回れる魔獣の有利な地形で足を止めていたら、たちどころに餌食えじきにされてしまう。それは冒険者の四人も熟知しているようで、移動しながら魔獣と戦っているのかもしれない。

 ニーミアがいるから余程のことは起きないと信じるしかない。

 もしも広い空間でニーミアが元の姿に戻れたなら、この程度の魔獣なんて問題にもならないんだろうけど。


 みんなに合流しようと、先を急ぐ。

 だけど、入り組んだ坑道内の道は迷路のように僕の前に立ち塞がった。

 みんなの気配を探ることはできる。だけど、そこへとたどり着くまでの道まで把握できるほど、気配を探るという能力は万能ではない。みんなの気配を頼りに地下へ地下へと向かう道を選びながら進むけど、行き止まりに当たったり、下へ向かうはずが上に向かったり。

 もどかしさと、思うように進めないことに苛立ちを覚える。


 さすがのアレスちゃんも、知らない土地の知らない坑道を瞬間的に把握はできず、未だに姿を消したまま。


 このままでは、足首を捻挫ねんざしてまともに動くことのできないアクイルさんを抱えたみんなが、いつ窮地きゅうちに陥ってもおかしくはない。

 焦る気持ち。だけど合流できない。


 何度目かの行き止まりを折り返し、違う道を走る。

 奥に進んでも、壁や天井から顔を覗かせた水晶石が淡く輝いていた。そして時折、ニーミアの息吹で灰化した場所を通り過ぎる。それだけが道標みちしるべだった。


 急斜面を滑り降りて、荒く削られた坑道を進む。

 僕が進む間も、叫びや戦いの音が間髪的に坑道内に響いて、戦いが続いていることが伺えた。


 どこまでも続いているような坑道。だけど、徐々に僕はみんなに近づいていた。


 急げ! 急げっ!


 誰かが犠牲になったあとに到着しても意味がない。

 全力で走る。


 そのとき。

 魔獣の一層響く叫びが坑道内に轟いた。


 なに!?


 今までに聞いたことのないような魔獣の叫びで、一瞬足が止まる。

 まさか、誰かが犠牲になった!?


 瞬間的に止まった足をもう一度動かしながら、気配を探る。

 すると、なぜか魔獣の気配が忽然こつぜんと消えていた。


 おや。もしかして、逆に魔獣を倒したのかな?

 魔獣が逃げたわけじゃない。いくら遁甲をしているとはいっても、一瞬で僕の感知範囲から姿を消すとは思えない。

 だけど、気配は完全に消えている。

 ということは、やっぱり魔獣を倒したのかな?


 だけど……


 なぜか、探った他のみんなの気配が、これまで以上に逃げ惑っていた。


 なにが起きているんだろう……?


 これまで固まって、応戦しながら移動していたみんなの気配が、散り散りに分断された。しかも合流する気配を見せず、そのまま逃げるように散っていく。


「きけんきけん」


 鮫の魔獣がいなくなったというのに、なぜか今頃アレスちゃんが顕現してきて、僕の服の裾を引っ張った。


「なにが起きたの?」


 顕現したアレスちゃんを抱きかかえて走りながら聞く。だけど、アレスちゃんは真剣な表情で僕を見上げて、首を横に振るだけ。

 もしかして、アレスちゃんにもなにが起きたかわからない? そして、尚も危険と忠告してくるような不測の事態が起きているのかもしれない。


 警戒しながら走る。先の気配を探りながら進む。だけど、スタイラー一家の四人とニーミアの気配しか感じ取れない。

 ただ幸いなことに、散り散りになったみんなのうちアクイルさんとニーミアの気配がこちらへと近づきつつあった。

 他の三人は、別々の方角へと更に逃げている。


 とりあえず、逆路に進んでこちらの方へと近づいているニーミアと合流しよう。

 ニーミアも僕たちの気配を察知しているのか、どんどんと接近する。

 そして、長く緩やかな下り坂の坑道で、僕たちとニーミアは合流した。


「怖かったにゃん」


 ニーミアは必死に翼を羽ばたかせて、僕の顔面に突撃してきた。


「うっぷ。ニーミア、なにが起きているのかな?」


 顔に張り付いて震えるニーミアを剥ぎ取りながら聞く。

 ニーミアが飛んだり喋っているということは、もうアクイルさんにも存在が露見しているということだね。


「にゃあ。隠れている余裕がなかったにゃ」

「ここまでみんなを守ってくれてありがとうね」


 僕とニーミアが邂逅かいこうしていると、遅れてアクイルさんが到着した。

 顔中に脂汗をかき、苦痛に歪んだ表情を浮かべている。そして、右足を引きづりながらやってきたアクイルさんは、僕の前で力尽きたように座り込んだ。


「アクイルさん、大丈夫ですか!?」


 駆け寄り、足首の状態を見る。

 休んでいたときよりも腫れ上がり、より一層痛々しい感じになっていた。


「俺は……。大丈夫。それよりも、兄さんたちが……」


 足首を押さえながら、アクイルさんは荒い息で背後を振り返った。だけど、アクイルさんの後ろからは、誰も来ない。

 そして、アクイルさんはもうこれ以上、動けそうになかった。もともと動けるような状態ではなかったのに、魔獣に襲われたことで無理してここまで逃げてきたんだ。

 それだけでも辛かっただろうね。


 僕は腰に下げていた小壺こつぼを取り出す。

 本当は、無闇矢鱈むやみやたらと使うべきではないんだろうけど。

 いまは緊急事態だから仕方がない。


 壺のふたを開けて、中に入っていた軟膏なんこう状の液体をアクイルさんの捻挫部分に塗る。すると、一瞬のうちに腫れが引いていった。

 なにをしているのかと見ていたアクイルさんが、驚きの表情を見せる。


「もう痛くないですか?」

「あ、ああ……」


 苦痛で歪んでいた表情がやわらいでいた。

 だけど、アクイルさんは今の薬がなんなのか、なぜ今まで隠していたのかなどは口にしなかった。


 冒険者には、言えない秘密のひとつやふたつくらいはある。取って置きの隠し玉や秘薬を持っている場合もある。特に秘薬だったりすると、手に入れるのにも一苦労したり高額だったりするので、普通は他人のためには使わないし、持っているなんて言わない。アクイルさんも一流の冒険者として、そうした無用の詮索はしないようで助かった。


「それで、状況を聞かせて欲しいな」


 僕の質問に、震えるニーミアではなくてアクイルさんが答えてくれた。


「俺たちにも、実はなにが起きたかわからないんだ。ここから先に進むと広い場所に出られるんだが……。そこで魔獣と戦おうということになって。だが、魔獣が一瞬で……」


 一瞬で?

 なにが起きたのかな?


 言葉の続きを待つけど、アクイルさんはそれ以降は口に出さなかった。

 ううん、口に出せなかったのかも。それくらい、なにが起きたのかをアクイルさんでさえ把握できていないんだ。


 仕方なく、ニーミアを見る。

 怯えているとはいえ、ニーミアならもっと詳しく状況を見ているはずだよね。


「にゃあ」


 困った様子でニーミアは僕を見返した。


「一瞬だったから、なにが起きたのか見えなかったにゃん。でも、危険にゃん」

「ニーミアがいて、それでも危険?」

「エルネアお兄ちゃんだけなら護れるにゃん。だけど、他の人を護る余裕はないにゃん」

「ということは、僕が行っても危険だということだね?」

「わからないにゃん」


 たぶん、ニーミアもなにが起きたのか正確には把握できていない。そのなかで、僕がこれから他の三人を助けに向かったとき。不測の事態が起きて危険になった場合に、僕とニーミアだけなら大丈夫かもしれない。だけど、他に気を回す余裕はない、ということだね。

 僕の思考に、ニーミアは申し訳なさそうに頷いた。


 どうしたものか、と悩む。


 昨日、竜峰を降りている途中で、負傷したアクイルさんとアッシュさんたちに出会った。彼らは疲弊し、今後の選択肢を迫られていた。

 アクイルさんを見捨てるか、全員で無謀な賭けに出るか。そこにたまたま運良く僕が現れたことで、スタイラー一家は家族を失わずに済んだわけだね。


 そして今、今度は僕が難しい選択肢を迫られている。

 安全策をとり、合流することのできたアクイルさんだけを連れて脱出するか。それとも、ニーミアやアレスちゃんが危険という場所にあえて踏み入り、残りの三人の救出に挑むか。

 無難な選択は、アクイルさんだけでも助ける、というもの。僕とスタイラー一家は旅先で出会っただけで、深い関係というわけではない。僕が命の危険を冒してまで助けるような間柄ではない。


 だけど、ねぇ……


 ニーミアとアレスちゃんを見る。

 ニーミアは、まだ震えていた。でもこの震えは、なにが起きたのかわからないという恐怖ではなく、単純に戦いが怖いというニーミア独特の震えだね。

 そしてアレスちゃんは。


「ほんきほんき」


 やれやれ、と幼女には似つかわしくない呆れ顔でため息を吐いていた。


「兄さんたちは……」


 アクイルさんは事の深刻さを十分に理解していて、昨日のような悲壮感を漂わせていた。

 僕はそんなアクイルさんの肩に、ぽんと手を乗せた。

 びくり、とアクイルさんが震える。


「アクイルさん……」

「エルネア、言わなくてもわかる。俺たちだって、覚悟はいつでもしている。兄さんたちは……」


 昨日の反対で、絶望に落ちながらも今度はアクイルさんがしっかりと現実を見つめていた。

 僕はもう片方の手も、アクイルさんの肩に乗せた。


「アクイルさん、足はもう痛まないですよね?」

「ああ……。貴重な薬をありがとう」

「では、おひとりでも元の野営場所に戻れますね?」


 僕が言わんとすることに気づき、アクイルさんの表情が強張った。


「エルネア、駄目だ。危険すぎる!」

「そうですね。なにが起きているかわからない場所に向かうなんて、危険でしかないです。でも、僕はやっぱり見捨てられないから……」


 安っぽい正義とか、そんなものじゃない。助けられる可能性があるのなら、助けたい。

 ニーミアは、僕だけなら多分護れると言う。なら、アクイルさんを残して僕は残りの三人を救出することに挑戦しよう。

 アクイルさんをひとりにするという別の問題が新たに出てくるけど、彼も凄腕の冒険者だ。そして、懸案だった足首の捻挫は、今しがた完治した。ここに来るまでに危険な場所はなかったし、周囲に凶暴な魔獣の気配などもない。少しの間だけなら、アクイルさんがひとりでも大丈夫だよね。戻る場所は野営していたところだし。


「エルネアが今朝、言ったばかりじゃないか。ここは竜峰で、誰もが想像するよりも更に危険な場所だと」

「はい、言いましたね。でも、僕はアクイルさんよりもその危険をもう少しだけ正確に捉えています。そして、それを考慮した上で、僕たちなら行けると判断しました。だから申し訳ないですけど、アクイルさんはおひとりで戻っていただけますか?」

「ぼ、僕たちならって……」


 アクイルさんは順番に、僕たちを見る。肩に両手を乗せている僕。傍で成り行きを観察しているアレスちゃん。そして、ふるふると震えているニーミア。


「エルネアたちは……。何者なんだい?」


 たまねて言葉をこぼしたアクイルさんに、僕はにっこりと微笑み返す。


「僕は、竜人族のお嫁さんを持つ人族ですよ」

「嘘にゃん。破壊王にゃん」

「うそうそ。まおう」

「……は?」


 目を点にしたのは、アクイルさんだけではなくて僕も同じだった。

 君たち……。なんてことを言うんですか!?

 格好良く、正体を隠した正義の味方風に言ったつもりだったのに、台無しですよ?


 がっくりと肩を落とす僕の傍で、アレスちゃんの輪郭が発光しだす。そして、黄金色の光の粒になり、僕の身体に溶けていく。


 どくん、と内側から力がみなぎってくる。


「うにゃん。がんばるにゃん」


 覚悟を決めたニーミアが翼を羽ばたかせて、僕の頭の上に飛び乗る。そして、大きく背伸びをした。


「子供の、竜……?」

「言いふらしちゃ駄目ですからね!」


 言って僕は、アクイルさんの前から姿を消した。

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