死に物狂いで逃げましょう

「おじいちゃん、こんにちは。アシェルさんもこんにちは」

「無事に旅を終えたようでなによりであるな」

「最後はここに飛んできて良かったのかしらね?」

「はい。アシェルさんにお別れを言おうと思って、急遽きゅうきょこっちに来ました」

「お母さん、さようならにゃん」

「……」


 アシェルさんは、自分の愛娘まなむすめに悲しいことを言われて、不貞腐れたように丸くなってしまった。


「まさか長命種だから、もうすぐ帰るとは言っても僕がおじいちゃんになった頃や死んだ頃、なんて言いませんよね?」

「其方は私をなんだと思っているんだ?」

「ニーミアのお母さん!」


 にっこりと答えたら、いよいよ顔を背けて眠りに入ってしまいました。


「エルネアのおかげで、どうも滞在期間が延びたようだ。汝は悪魔であるな」

「いやいや、おじいちゃん。なにに対して悪魔なのかな?」

「アシェルの旦那と、我に対してだ」

「ニーミアにとっては良かったんじゃないのかな?」

「にゃんはどっちでも良いにゃん」


 しくしく、とアシェルさんはニーミアの冷たさに涙した。


「さあ、遊びはこの程度にせよ。汝は我に報告があって来たのであろう?」


 よしよし、と大きい状態のニーミアがアシェルさんの毛繕いをするのを横目に、影竜のことを話す。


「ふむ、影竜か。珍しい種族であるな」


 スレイグスタ老に教えてもらったところ、影竜は洞窟どうくつの奥や深い暗闇に生息する古代種の竜族らしい。影という属性も相まって、存在自体をなかなか確認できない種族なんだとか。スレイグスタ老でも、竜峰に影竜が潜んでいるとは知らなかったみたい。


 影竜の事件以外にも、ひとりで旅をした報告などをスレイグスタ老に話す。スレイグスタ老は孫の冒険でも聴くかのように、楽しそうに耳を傾けてくれた。


 スレイグスタ老の横では、ニーミアが一生懸命にアシェルさんのご機嫌取りをしている。前足で手櫛のように長く美しい体毛を解いたり、ぺろぺろと舐めたり。半分以上、甘えているようにしか見えないけど。これは母娘の交流だから、邪魔はしないでおこう。

 若干二名の幼女がアシェルさんやニーミアの背中や頭を行ったり来たりして遊んでいるけど、あれはきっと許容範囲なんだろうね。


 スレイグスタ老に旅の報告を終えて、長旅の疲れをいやすように分厚い苔の上に腰を下ろす。


 ライラの危機は、杞憂きゆうに終わった。

 ミストラルとルイセイネは、二人で王都に行ったらしい。ルイセイネは戻った、が正しいのかな。


「なんでミストラルまでついて行ったの?」

「それは、ミストが凄腕の冒険者だからだわ」

「冒険者?」


 ユフィーリアの言葉に首を傾げる僕。


「ルイセイネは、旅立ちの一年間を凄腕の女冒険者と一緒に行動していることになっているわ」

「ああ、そういうことか」


 続いたニーナの説明で、思い出す。

 そういえばそうだったよね。ミストラルは冒険者ではないけど、凄腕の戦士なのは間違いない。それで、ルイセイネはミストラルと一緒に帰らなきゃいけないのか。

 魔族との戦いで、神殿に避難していた人々や結界の外で果敢かかんに戦っていた人は、ミストラルの姿を知っているかもしれない。竜人族だとわかるかもしれない。だけど、知らない人はどうしても知らないわけで。

 ルイセイネは一年間、ミストラルと修行しましたよ、と彼女をともなって証明しなきゃいけないんだね。

 そして、今更隠しても遅いけど、ルイセイネは竜峰に行っていたということが神殿側に確定されてしまうんですね。


 がんばれ、ルイセイネ!


 と、他人を心配している場合じゃない。

 僕も早いとこ王都に戻らなきゃ。

 苔の広場まで来ちゃったら、もうこのまま森を抜ける方が早いよね。


「ということで、早速王都に戻ろうと思うんだけど……。三人はなにをしているのかな?」


 苔の広場に残っていたお胸様同盟の三人を見る。


「いまは王都に帰りたくないわ」

「いまは王様に会いたくないわ」

「エルネア様、このまま逃げたいですわ」

「いやいや、君たちはなにを言っているんだい?」


 双子王女様とライラは仲良く苔の上に腰を下ろして、現実逃避的なお茶会をしていた。


「ライラは、まあ行きたくない理由がわかるけど」


 ミストラルとルイセイネに会ったときのお仕置きが怖いんですね。よくわかります。


「ユフィとニーナは? 王都でなにかしでかして逃げてきたとか?」

「エルネア君、ひどいわ。いま戻ると、仕事が多そうで嫌よ」

「エルネア君、ひどいわ。いま帰ると、色々と問い詰められそうで嫌よ」

「……でも、いずれは戻らないといけないんだよ。この際だから、みんなで行く?」

「おわおっ、行きたいよ」

「いこういこう」

「はっ。しまった!」


 みんなと言えば、お胸様同盟の三人だけではなかったんだ。幼女連合が瞳をきらきらとさせて、僕を見ていた。アシェルさんの頭の上から。


『うわんっ。私も行きたいよっ』

『リームもぉ』

『貴様らが行くと大事おおごとになる。行けるわけがなかろう』

『レヴァリアひどいっ。おじいちゃんに言いつけてやるんだからねっ』

『リームはレヴァリアに逆らえないよぉ』


 残念です。早くも二体脱落しました。

 フィオリーナとリームは、そっちはそっちで昨日のことを一生懸命にレヴァリアに報告していた。

 レヴァリアがきちんと耳を傾けているのが微笑ましい。暴君の威厳はどこへやら。意外と子煩悩なんだよね。


『何をにやにやとこちらを見ている。気持ち悪い』


 レヴァリアはふいっ、と僕から顔を背けてしまった。

 僕も現実から顔を背けてしまいたいよ……


「お店でぬいぐるみを買うの」

「かんこうにいきたい」

「お母さんが帰る前に、お土産買うにゃん」


 幼女さんにんが僕にしがみついてきた。

 愛娘を取られたことで、アシェルさんが睨んでいます。

 恐ろしいです。


「いやいや、ちょっと待ってね。ニーミアとプリシアちゃんは、そのままの姿で行ったら大問題だからねっ」


 竜の森には、耳長族が住んでいる。これも魔族との争いの際に、人族に知られることになった。でもだからといって、プリシアちゃんをそのままの姿で連れて行くわけにはいかない。耳長族がいることが見つかったからこそ、姿は隠しておかなきゃね。

 ニーミアも同じ。


「じゃあ、どうするのかしら?」

「困ったわ」


 幼女が付いてくる、というのは確定事項なのか、双子王女様はプリシアちゃんとニーミアを見て困ったようにしている。


「仕方ないですわ。王都行きは中止で、みんなで逃げますわ」

「いやいや、逃げちゃ駄目だからね」


 ライラさん。どんだけルイセイネが怖いんですか。そして怖いのなら、怒られるようなことはしちゃいけないんだよ。


『ずるいっ』

『行きたいぃ』


 駄々をこねる子竜を取り押さえるレヴァリア。同じように、行こう行こうと今にでも飛び出して行きそうなプリシアちゃんを抱きとめるユフィーリア。

 アレスちゃんは自らニーナに飛びつき、ニーミアは小さくなってライラの頭の上に乗っかった。


「仕方ない。こうなったら、耳長族の村に行こう!」


 僕の決断に、苔の広場にいた全員が目を点にしていた。


「とうとう、エルネア君がミストから逃げ出したわ」

「とうとう、エルネア君がルイセイネから逃げ出したわ」

「エルネア様、どこまでもお伴しますわっ」

「待ってまって、みんな誤解してるからね!」


 そう。僕は恐怖から逃げているわけじゃない。王都の惨状なんて見たくないと現実逃避をしているわけじゃない。ルイセイネと双子王女様のご両親への挨拶を引き延ばしにしているわけじゃない!


「全ては汝がいた種である。しっかりと収穫をせよ」

「おじいちゃんまで、なにを言っているのかなっ」


 違う。違います。耳長族の村に行く理由は、ちゃんとあるんです!


「ええっとね。やっぱりフィオとリームだけ行けないっていうのは可哀想だと思うんだ。そして、プリシアちゃんとニーミアの変装衣装が村に行けばあると思うんだよね」


 ルイセイネと一緒に初めてお使いに出たときのこと。同行したプリシアちゃんとニーミアは、可愛い服と帽子ぼうしで変装していた。あれが有れば、正体を隠して王都に連れて行ける。


「今日は、フィオとリームのわがままいっぱいのお泊まり会をしよう。そして、明日は王都に行こう。それじゃ駄目かな?」


 僕の提案に、ちびっ子は大はしゃぎ。双子王女様とライラも乗り気で、早速出発することになる。


 耳長族の人たちには申し訳ないけど、今夜は犠牲になってもらおう。

 仕方がないんだ。これは全て、耳長族の次期族長と愉快な仲間たちを満足させるためのもよおしなのだ。






「というわけで、来ちゃいました」

「いらっしゃいねえ」


 僕たちの突然の訪問にも、大長老のユーリィおばあちゃんは大歓迎をしてくれた。耳長族と僕たちは全員が見知った間柄なので、僕の申し出に村の人も「仕方ないなぁ」といった感じで受け入れてくれた。


「困ったわね。あれは夏秋用だったから、もう少し暖かくしないと」


 プリシアちゃんのお母さんは家の箪笥たんすをごそごそと引っ掻き回して、ふっくらした帽子と仮装衣装を取り出す。そして、冬用に手直しをしてくれた。


 良かった。勝手に来ちゃったわけで、都合が悪そうなら南の湖畔こはんで野営でもしようかと思っていたんだけど。


「んんっとね。鬼ごっこをするの」

「みんなでするにゃん」

『やっほう、逃げろっ』

『逃げろぉ』

「ま、待て。儂らも巻き込むつもりか……!」

「んんっと、最初はおじいちゃんが鬼ね」

「わ、儂は腰が……」

「エルネアよ、なんて悪魔を連れ戻してきたのだっ」

「なにを言っているのかな。プリシアちゃんはこの村の大切な子供ですよ」

「にげろにげろ」

「耳長族の戦士たるもの。鬼ごっこ程度で根をあげる者はいないだろうな?」

「カーリーさん、そう言って全滅をした竜人族の戦士たちを僕は知っていますよ」

「はははっ。いよいよ耳長族の戦士が竜人族の戦士を上回ると証明するときが来たか」

「エルネア君、護ってね」

「ユフィ、鬼ごっこは守備じゃないよ。逃げるんだよ」

「エルネア君、鬼になったら私を強く抱きしめてね」

「ニーナ、ちゃんと逃げようね」

「エルネア様……」

「二人で逃げないからねっ」

「ふはははっ。待ぁぁぁてぇぇぇぇっ」

「ひぃぃぃっ。爺さん、本気を出さないでくれっ」

「にげろぉぉぉっ」

「エルネアよ、俺がお前を捕まえたあかつきには、ミストラル嬢を……」

「絶対あげませんからね!」

禿げてしまえっ」

「大長老様……」

「おやまあ。私を鬼にしようとしますかねえ?」

「うひっ。お許しをっ」

「エルネアァァッ。この恨み、いつか晴らしてくれるからなぁぁぁ……」


 耳長族の村は、外壁を無くして厚手の布で目隠しをする程度の家が多い。そうすると、壮絶な鬼ごっこに参加した村人は家のなかを通過したり、隠れたり。他にも、空間跳躍で木の上や屋根の上に飛び移る人たち。ニーミアやフィオリーナ、リームが縦横無尽に飛び回る。


 この日、耳長族の村は阿鼻叫喚あびきょうかんに包まれた。

 いやいや、みんな、なんだかんだと言いつつも楽しんでいましたからね!


 そして翌日。憔悴しょうすいしきった耳長族の人たちに見送られながら、僕たちは大満足で苔の広場に戻った。そこでフィオリーナとリームを預けて、いよいよ王都へ。


 いざ行かん。故郷の都へ!

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