闇に蠢く悪魔たち

 老竜は、ミストラルとルイセイネの連携を興味深く見つめている。僕たちも集中の邪魔をしないように、一歩下がって成り行きを見守っていた。

 ミストラルの竜気が膨れ上がるにつれ、ルイセイネへと流れる法力が強くなっていく。

 ルイセイネはミストラルからの法力を取り込みながら、深く目を閉じて祝詞のりと奏上そうじょうする。

 法術は、祝詞と身振り手振りでの儀式めいた動きを重ねて発動させる。

 ルイセイネが大きく振るう手の先からは光の軌跡が残り、空中に不思議な紋様を描き出していた。

 時と場合で、紋様か祝詞、場合によっては両方を省略して法術を発動させることもできるらしい。だけど、そうして女神様へ捧げる儀式を省略すると、発動された法術の威力は激減するのだとか。


 ルイセイネは、丁寧に法術を奏上していく。

 完成が近づいたのか、ルイセイネの全身から神聖な気が溢れ出す。それは徐々に周囲へと広がっていき、瘴気の雲に触れると、きらきらとした星屑ほしくずのようになって浄化し始めた。

 ゆっくりと瞳を見開き、瘴気に向かって手を掲げるルイセイネ。すると、溢れ出していた神聖な気配に指向性が生まれ、暗黒の闇に向かって波のように打ち寄せた。


 法力は目に見えないけど、完成された法術は可視化される。薄く淡く、黄色に輝く波が闇をはらう。法術の波に触れた闇はきらきらとまたたき、僕たちの前方に道を作り出した。


 上手くいった。歓喜しそうになって。

 浄化されたばかりの道が周囲の瘴気に飲み込まれていく様子を見て、無力感を覚えた。


 ルイセイネの額には、玉のような汗が噴き出していた。

 それほど長くなかった法術だけど、ルイセイネは疲弊して苦しそうだ。

 ミストラルからの気は未だにルイセイネへと流れていたけど、どうやらルイセイネの精神力と体力が先に尽きたらしい。

 肩で荒い息をするルイセイネの背中をさすってあげる。


「も、申し訳ございません。もう一度……」

「ルイセイネ、無理をしないで」


 薙刀なぎなたを杖代わりに姿勢を正そうとしたルイセイネに対し、ミストラルが制止を呼びかける。


「これは、オルタの村の前のときとは規模が違うわ」


 言ってミストラルは、高山の先を覆い尽くす瘴気の雲を見つめた。

 正面の視界いっぱいに広がった闇。遠く頭上では、青白い稲妻が時より走り抜けていた。


「そうだよ。これはどうも瘴気が濃すぎるね。いっぺんに祓えるほどの威力じゃないと、浄化した端から新たな瘴気が侵食してきちゃう」


 深い瘴気の雲は、暗くよどみ先を見通すこともできない。どれほど先まで続いているのか。どれだけの範囲が瘴気によってむしばまれているのかはわからないけど、これはひとりの巫女様が浄化できる範疇はんちゅうを軽く超えているということくらいは、素人でもわかる。


「ですが、このままでは先に進めません」

「そうね。なにか手を考えなければ……」


 ううん、と全員で頭を抱える。

 ここが竜の王の縄張りで、竜の墓所で生を終える竜族の想いの溜まり場というのなら、過去にもこういったことは起こらなかったのかな?

 もしも定期的にこのような事象に見舞われていたとしたら。それを浄化するために、オルタの一族が数十年に一度訪れていたのなら。なにかしらの打開策があると思うんだけど。


 ふと、ユフィーリアとニーナが背負う竜奉剣に視線が動いた。

 竜奉剣は、なぜかユフィーリアとニーナにとても相性が良い。ユフィーリアの竜気を効率良く吸収し、ニーナが錬成すると素晴らしい竜術へと昇華する。竜奉剣の特性なのか、二人の連携が優れているのか。

 もしかすると、両方かもしれない。

 ユフィーリアは昔から、ニーナに竜気を送っていた。ニーナは竜気を練り上げ、竜術に変えていた。それほど深い知識を持っていないような時期から、竜槍乱舞りゅうそうらんぶという出鱈目な竜術を扱えるくらいに熟達していたよね。

 竜気をなにかに送ることに長けたユフィーリア。受け取った力を高精度で錬成することに長けたニーナ。そしてもしかすると、竜奉剣は竜気をよく通し、制御する性質を持っているのかもしれない。というか、絶対に持っているはずだよね。だからこそ、竜宝玉を三つも内包して制御しきれていなかったオルタが必死になって求めたんだ。


「これの出番ね」

「私たちの出番ね」


 ユフィーリアとニーナも気づいたのか、竜奉剣を構えた。

 黄金色の双剣は、東の雲海から顔を現した太陽の光を反射し、眩く輝いていた。


「ですが、竜奉剣で本当にこの瘴気は祓えるのでしょうか?」

「それは確かに疑問ね。そもそもユフィとニーナは、浄化の竜術を使えないでしょう?」

「いまから練習するわ」

「これから覚えるわ」

「いやいや、これからだなんて間に合わないよ」

「困りましたわ」


 僕なら、浄化の竜剣舞を舞うことができる。でも、この瘴気の雲を全て祓おうと思ったら、僕が何人も必要になるよ。

 竜奉剣を手にして……。はい。あんな大剣のような巨大な武器を片手に一本ずつ持ってなんて、舞えません!

 ユフィーリアとニーナも、両手に持って振るっていたし、剣術とは程遠い振り回しで扱っていた。


忌々いまいましい瘴気だわ」

「憎たらしい闇だわ」


 ユフィーリアとニーナは、せっかく構えた竜奉剣が役に立ちそうもないので、不満げに頬を膨らませて、鬱憤うっぷんを晴らすように竜奉剣を振るった。

 ぶんっ、と風を切る音がする。

 と、同時に。

 竜奉剣を振るった先の瘴気が、金色に輝いて消失した。


「おや?」


 全員で顔を見合わせる。

 そして、ユフィーリアとニーナはもう一度、竜奉剣を振るった。

 両手でしっかりと握り、横薙ぎに振るう。すると、瘴気の雲が金色に一瞬輝き、霧散した。

 次に、縦に振るう。今度は暗黒の闇が裂け、ルイセイネが作ったほどの道が闇の隙間に出来上がる。


「竜奉剣は、竜の祭壇に至るための鍵。これってそういう意味なのかな?」


 ルイセイネが疲弊して作った道と同程度のものを、ユフィーリアとニーナのそれぞれのひと振りだけで作ってしまった。

 見れば、二人は剣を振るっただけで、なにも疲弊していない。


「では、こうしましょう。ユフィとニーナが道を作る。ルイセイネとわたしは、もしものために周囲に結界を張り続けるわ」

「僕とライラは、危険が生じたときの対処だね」


 物は試しと、瘴気の雲の浅い場所で何度か試す。

 ユフィーリアとニーナが竜奉剣を振るうたびに、道が延びていく。それでもすぐに瘴気が侵食してくるんだけど、周囲に法術の結界を張り巡らせていれば、走り抜けられる程度には時間を稼ぐことができた。


『面白い連携だ。これが其方らの家族か』


 静かに見守っていた老竜は、僕たちがいよいよ本格的に瘴気の奥へと出発するというときに、感心したように頷いた。


『ひとりで足らぬものは、皆で補えばよい。其方らは全員でひとつ。まるで竜脈で繋がったひとつの世界のようであるな』

「そう言ってもらえると、とても嬉しいです」


 老竜の例えに、僕たちは破顔した。

 竜気を使えない人もいる。精霊術を使えない人もいる。だけど心が繋がっていて、みんなでひとつに纏まっていられるなんて、幸せだよね。


『其方らに希望を持とう。竜の祭壇へ至り、この呪いを祓ってくれ。そして、我ら年老いた竜に安寧あんねいを取り戻して欲しい』

「はい。お任せください!」


 全員で気合を入れて、いよいよ瘴気の雲へと本格的に侵入することにする。

 ユフィーリアが上段から竜奉剣を振り下ろす。闇が裂け、道が現れる。ニーナが横薙ぎに竜奉剣を振るう。裂かれてできた道が広がり、周囲の瘴気が薄まった。


「行こう!」


 ルイセイネとミストラルを中心に、僕たちは走り出す。

 プリシアちゃんは、ミストラルに抱きかかえられていた。アレスちゃんは頑張って宙に浮いてくれている。


 徐々に狭まっていく道。それを、ユフィーリアとニーナが竜奉剣を振るい続けて維持する。ルイセイネの結界は迫る闇を遅延させ、ニーミアの加護が禍々まがまがしい気配を遮断してくれた。


 足場の悪い岩場を走る。急な斜面だけど、そこは竜気と法力にものを言わせて一気に駆け上がった。

 振り返ると、もう闇しか見えない。走り去るそばから、瘴気の闇が道を飲み込んでいっていた。

 ルイセイネの結界に阻まれて、きらきらと星屑のように煌めく瘴気。竜奉剣の不思議な力によって黄金色に輝き消えていく闇。

 たまに、近くで青白い稲妻が走る。

 雷なら、少しだけ制御はできる。魔王のおかげです。僕たちに雷が落ちないように注意しながら、闇間に生まれた道を駆け抜けた。


「エルネア君、右側に注意です!」


 ルイセイネの注意が飛ぶ。

 見通しが最悪の暗闇では、ルイセイネの竜眼が頼りになる。

 ニーナが気合を入れて竜奉剣を右側に振るう。すると、ぶわっ、と暗黒の雲を抜けて、腐りきった竜族の顔が現れた。


 紫色の血が噴き出し、腐れた肉がぐじゅぐじゅとただれた顔。首や胴の鱗は剥げ落ち、腐った煙をあげている。見るだけで魂を削る腐龍は、陥没かんぼつした瞳の奥を赤く光らせて、こちらを睨んだ。


 僕は白剣と霊樹の木刀を構え、ライラは霊樹の両手棍を両手に持つ。

 戦える範囲は狭い。ルイセイネの結界が広がる空間、ユフィーリアとニーナが切り開く隙間だけが、僕たちの生存可能領域。一歩でも瘴気の雲に入り込めば、たちまち僕たちも呪われてしまう。


「走れ!」


 駆け足だった速度が、全力疾走に変わる。

 ミストラルはプリシアちゃんをしっかりと抱きかかえ、幅の広い跳躍で最悪の足場を越えていく。ルイセイネは法術「星渡ほしわたり」を唱え、地表から少し浮いた状態で、滑るように進む。ユフィーリアとニーナは必死に走りながら、竜奉剣を振るい続けた。


 僕とライラは、みんなから離れて腐龍に接敵する。

 瘴気の闇から現れた腐龍は、喉の奥にどす黒い煙を溜め込み、勢いをつけるために頭を引いていた。

 ライラの両手棍が唸りをあげる。

 緑色に輝く両手棍が、腐龍の前脚に叩き込まれた。

 ぐじゃんっ、と泥沼にでも岩を投げ入れたような鈍い音と共に、腐龍の腐った肉が弾ける。固形と液体の中間のような肉片、紫色の体液、そして分断された前脚が、両手棍の軌跡を追って吹き飛ぶ。

 ライラの両手棍は、腐った腐龍の太い前脚を見事に叩き千切っていた。

 姿勢を崩した腐龍の頭が下がる。

 そこへ、僕は白剣を深々と突き刺した。

 腐龍の眉間に鍔元つばもとまで刺し込み、竜気を爆発させる。白剣の刃から放たれた破壊の衝撃で、腐龍の頭部が吹き飛ぶ。


 自力の結界で飛び散る肉片や液体を防ぎ、ライラの傍に後退する。ライラは、僕の肩に手を乗せた。

 空間跳躍を発動させる。

 一瞬にして、頭部と前脚を失った腐龍の側から離脱する。ミストラルの横に飛び、一緒になって走る。


 だけど、腐龍は倒しきっていない。

 背後に取り残された腐龍は、もう既に瘴気の闇に飲み込まれそう。その途中で、失った脚と頭部を再生させ始めていた。

 まだ再生していないはずの瞳が、しっかりと僕たちを見据えているように感じた。


「エルネア君、他にも……っ!」


 ルイセイネの悲鳴に近い声が響く。


「うにゃんっ」


 ニーミアが闇に向かって鳴いた。

 瘴気の雲が灰になる。その奥で、今にも飛びかかってきそうだった姿勢の腐龍の上半身が、白い灰に変わった。

 ぞっと震えあがる。

 もしも瘴気の先から呪いの息吹いぶきを吐かれていたら。

 いくらルイセイネが早期哨戒をしているからとはいっても、遠隔からの攻撃は厳しすぎる。


「遠くは任せてにゃん」

「エルネアとライラは、近づく腐龍を相手にして!」


 僕とライラが撃退した腐龍、ニーミアの灰の餌食になった腐龍。それだけではなかった。

 低いうなり声が四方から響く。地響きと、重いなにかを引きずるような不気味な音が聞こえてきて。

 ユフィーリアとニーナが切り開いた道の先や、ルイセイネの結界の範囲外から、何体もの腐龍が姿を現した。


 いやいやいや、多すぎでしょう!


「ライラ、さっきみたいに足か顔を狙って! 倒すのは無理だから。時間さえ稼げれば逃げ切れる!」

「はいですわっ」


 僕とライラは別々の方向へと走る。

 ライラは前方に走り、ユフィーリアとニーナが斬り開いた道の先で邪魔をする腐龍に殴りかかる。

 僕は後方や横に飛び、白剣を振るう。

 飛竜の成れの果ての首を落とし、地を這う短足の腐龍を真っ二つにする。

 竜殺し属性のある白剣は、腐龍にも極めて有効だ。とはいっても、一撃で息の根を止めるには至らない。それでも再生を遅らせ、腐龍を悶絶させた。

 ライラは霊樹の両手棍に竜気を纏わせ、殴りつけながら腐龍の図体ずうたいごと吹き飛ばす。腐龍は腐った肉を撒き散らし、毒の血をぶち撒けながら、吹き飛んでいく。そうして道を確保するライラ。

 だけど、飛び散った肉片や紫色の血は、地面に落ちると煙を上げて大地を腐らせる。腐った大地を踏みしめれば、こちらにまで腐敗の毒が回ってしまう。

 足はこびにも注意をしながら、必死に走る。

 手を付いて登るような絶壁を跳躍で飛び越え、急斜面を駆け抜ける。踏みしめた岩の地面が砕け、ミストラルが転びそうになる。なんとか体勢を保ちながら跳躍するミストラルの表情には、余裕がない。

 余裕がないのは、なにもミストラルだけではなかった。法術を連続使用し続けているルイセイネの顔は蒼白で、ユフィーリアとニーナにも焦りの色がうかがえる。ライラの竜気は、両手棍を振るうたびに見る間に減っていっていた。

 それなのに、腐龍はしつこく襲ってくる。

 数は、七から十体だと思う。だけど、斬り、殴りつけるそばから再生し、瘴気の闇の奥から襲ってくる。


 このままでは、竜の祭壇にたどり着くまでにこちらが消耗しきってしまう。最悪の場合だと、僕たちも呪いに囚われてしまうかもしれない!


 後ろから追ってきた最初の腐龍に、霊樹の力を借りて幻術をかける。僕たちを見失った腐龍が戸惑う。

 次に、左の闇から頭を出した腐龍を白剣で斬り裂く。

 空間跳躍で次の腐龍に迫りながら、こちらの危機的状況にどうするべきか悩む。


 腐龍は、もともとは年老いた竜だ。呪われる前の本能に従い、竜の墓所に侵入してきた僕たちに敵意を向けているに違いない。近くにいた腐龍が集まって、こちらを攻撃してきているんだと思う。

 このまま竜の祭壇まで逃げ切ることができればいいんだけど、道程があとどれくらい残っているのかさえわからない。


 ここは、一旦退避すべきかもしれない。

 ニーミアに大きくなってもらえば、一気に上昇して瘴気の雲から抜け出すことはできる。

 でも、そうすると。

 竜の墓所の広い範囲に僕たちの存在を勘付かれて、遠くの老竜たちにまで目をつけられてしまうのは避けられないことになる。

 一度離脱すれば、竜の墓所の入り口まで戻って、またひっそりとここまで来なきゃいけなくなるよね。


 退けば助かる。でも最初から。でも、この瘴気を乗り切る手立てがないことは変わらない。ここは、竜峰の老竜たちに協力してもらうべきなのか。

 一瞬の跳躍の間に、どうすべきか考えを巡らせた。


 結論は。


「みんな、一度撤退……」

「おらぁっ!!」


 ニーミアに巨大化してもらおうと思い、ミストラルの横に並んだ。

 そのとき、野太い声とともに、瘴気の闇のなかから人影が飛び出してきた。

 人影は勢いよく、ライラが頭を吹き飛ばした腐龍に飛び蹴りを食らわせる。

 飛び蹴りを食らった腐龍は、なんと全身を金色に光らせて消滅した。


「あら、嫌だ。ついが出ちゃったわ」


 そして腐龍を蹴り飛ばした人影は、軽やかに着地をして、魅力的な笑みを僕たちに見せた。

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