死の楽園

 瘴気の暗い雲から現れた人物は、ふさり、と長く豊かな茶髪を手櫛てぐしく。そして、はぁ、となまかしくため息を吐いた。

 少し哀愁あいしゅうの漂う、大人の女性。

 整った顔立ちと、すらりと伸びた手脚が容姿の美しさを際立たせている。

 でも、ちょっぴり肩幅が広い?


「竜人族……?」


 ミストラルが呟く。

 まあ、そうだろうね。こういう場所に現れる人なら、竜峰に関係のある種族だろうし。

 だけど、どうして竜の墓所の、竜の祭壇近くに竜人族の人がいるんだろう?

 呆然ぼうぜんと、現れた女性を見つめていると。


「ほら、あなたたち。ぼさっとしていないで!」


 立派な飛び蹴りの後の衣服の乱れを整えていた女性が注意喚起してくる。

 そうだった。ここは呪われた瘴気の真っ只中で、腐龍が襲いかかってきている状況だったよ!


 ほうけている場合ではない。

 僕は、右から新たに現れた呪われた飛竜に斬りかかる。ライラも慌てて戦闘を再開させた。


 女性は僕たちを一瞥いちべつし、ふぅん、と感心したように鼻を鳴らす。そして、背後から迫ってきた腐竜に、今度は裏拳うらけんを繰り出した。

 くるり、と身体を回転させ、拳を腐竜の腐って肉がただれたあごに叩き込む。すると、腐竜の全身は黄金色の輝きに包まれて、跡形もなく消滅した。


「っ!」


 あまりの威力に、僕たちはもう一度、呆気にとられてしまう。


「ほらほら。油断をしていると、腐龍のえさになっちゃうわよ」


 優しく微笑む女性。そうしながら、蹴りを放つ。

 太陽のように眩しい衝撃波が放たれ、迫る瘴気の雲ごと、三体目の腐龍を消しとばした。


 強い、なんてものじゃない。

 僕にはわかる。

 あれは、倒しているんじゃない。浄化しているんだ!

 竜脈から無限に力を汲み取り、際限なく再生する腐龍を、一撃で清め昇天させている。

 素手にも関わらず、濃い瘴気や腐龍の血肉に触れてもけがれていない。

 それもそのはず。

 女性の身体に穢れが触れる端から、全てを浄化しているのだから。


 ルイセイネも女性の異質さに驚愕きょうがくし、大きく目を見開いていた。


「あら嫌だ。次から次に。まいっちゃうわね。さあ、皆さん。あと少しよ。頑張って走ってちょうだいね」


 襲ってくる腐龍も、迫る瘴気にも気にした様子を見せることなく。女性は落ち着いた様子で手招てまねきをした。


「と、とにかく。みんな、走ろう!」


 完全に止まっていた足を動かし始める。

 気を取り直し、ユフィーリアとニーナが闇を斬り開く。ミストラルはプリシアちゃんを抱きかかえ、ルイセイネが続く。

 僕とライラの出番は、もうひと欠片かけらも残っていなかった。

 瘴気蠢く闇の隙間にできた、わずかな空間。そこに姿を現わす腐龍は、謎の女性が片っ端から浄化していく。


 僕でも、しっかりと竜剣舞を舞えば、腐龍を浄化することはできると思う。でも、一撃でなんて絶対に無理です。

 僕たちを先導する女性の頼もしい背中を見つめながら、上には上がいるもんだなぁ、と自分の未熟さを痛感した。


 荒れた岩場を全力で駆け上がっていると、斜面が少しなめらかになる。

 目的地はもう直ぐと言っていたし、山頂に到達したのかもしれない。

 相変わらず周囲には瘴気の真っ黒な雲が充満していて、ユフィーリアとニーナが斬り開く道の先は見落とせないけど。


 と、思考した直後。


「あっ!」

「ひぃっ」

「きゃぁぁっ」


 人は、急には止まれません!


 ニーナの斬撃で道ができた。……はずだった。

 だけど、暗黒の雲を斬り開いた先に見えたのは、大地の終わり。絶壁の崖!

 突如、消失した地面。

 全力疾走していた僕たちは、それに素早く気づく。

 でも、止まれない!


 あああっ、と足をからませるように急制動をかける。

 ミストラルは踏みしめた岩場を砕きながら、強引に止まる。プリシアちゃんを片手で抱き寄せ、もう一方の手でルイセイネを掴む。

 僕は傍で走っていたライラに触れ、空間跳躍を使う。断崖に足を踏み外していたライラを、間一髪で救って後ろに出現した。

 だけど、ユフィーリアとニーナは、道を作るために先行していた。

 そして、止まれずに崖の下に落ちてしまっていた!


 僕はライラを救出した直後に、もう一度空間跳躍を発動させた。

 躊躇ためらいなく、崖の先に転移する。


 瘴気の雲は、断崖に沿うようにして途切れていた。

 断崖の先は、予想もしていなかった世界が広がっていた。

 絶壁のようにそびえる岩肌の崖。それは延々と左右に続き、遥か先で繋がっている。大きな円を作る形で断崖の絶壁は存在していた。

 山がひとつ、丸々と収まるほどの規模と深さ。

 目も眩むほどの眼下。絶壁のふちは緩やかな斜面へと変わり、深い緑が広がっている。断崖下で絶壁に沿って広がる森林は、中央の巨大な湖で途切れていた。


「きゃぁぁぁぁぁ……」

「きゃぁぁぁぁぁ……」


 切羽詰まった悲鳴も、全く一緒なんだね。

 なんて悠長ゆうちょうなことは考える暇なんてないし、絶景に見惚れている場合でもない。

 二度、落下をしながら空間跳躍を使う。

 二人に追いつき、手を取る。

 でも、落下は止まらない。

 高速で地表の森が迫っていた。


 僕は、残念ながら空は飛べない。というか、翼のない者は、たとえ竜族であっても飛ぶことはできない。

 空間跳躍を使えば、地面に転移できるのかな?

 でも、高速で迫る地表までの距離が掴めないし、試したこともない。


 お、落ちちゃう!


「ニーミア!」

「にゃおーん」


 生死をかけた実験なんて、できません。そして、なによりも命に勝るものはない。

 僕はユフィーリアとニーナを抱いて落下しながら、ニーミアに助けを求めた。

 一瞬で、ニーミアは僕たちの下に飛来してきた。そして、竜術で優しく受け止めてくれる。

 僕とユフィーリアとニーナは、間一髪助かった。


「エルネアお兄ちゃんが飛び出さなくても、ユフィかニーナが呼んでいたら飛んできてたにゃん」

「うっ……」

「無理だわ。混乱していたもの」

「無理だわ。呼ぶ前に来てほしかったわ」


 ユフィーリアとニーナの瞳には、涙が浮かんでいた。


「すごいわね。変化へんげを使える古代種の竜族かしら? 人族が、ねぇ……」


 僕たちは、ニーミアの背中の上で座り込んだまま、声が聞こえた方角を見る。

 ニーミアが滞空する少し上に、茶色の翼を羽ばたかせた女性が浮いていた。ふさふさの尻尾が背後で揺れている。


「エルネア!」


 遅れて。ミストラルが銀に近い金色の翼を羽ばたかせて、ゆっくりと降下してきた。

 両腕にプリシアちゃんとルイセイネを抱き、ライラはミストラルの腰にしがみついていた。

 全員、ニーミアの背中に降りる。


「まったく。無理をしないで」

「ご、ごめんなさい。とっさに……」

「とっさに身を呈して助けに動けるだなんて、素敵だと思うわ」


 怒られかけた僕を、女性は優しく微笑んでかばってくれた。

 女性も、気兼ねなくニーミアの背中に降り立つ。

 ニーミアも気にした様子はない。


 さて。全員無事で、冷静になって考えてみると。

 ニーミアに大きくなってもらったので、僕たちの存在は広く露呈ろていしてしまっている。

 瘴気の雲は、遥か頭上の断崖の縁で途切れていて、僕たちの上空には澄んだ青空が広がっていた。

 近くなった地表には、断崖に沿うように続く深い緑と、中心の巨大な湖。

 先ほどまでの状況に照らし合わせるのなら、竜の墓所に居る年老いた竜族たちに見つかったら大騒動になるので、最初からやり直す必要のある事態なんだけど。


 ちらり、と謎の女性を見る。僕だけじゃなく、みんなの視線が女性に注がれていた。


「ニーミアちゃん、と言うのかしら? このまま、湖の中心の島に飛んでくれる?」

「わかったにゃん」


 女性の指示で、ニーミアはゆっくりと進み始めた。

 円形の絶壁の下に沿う形で広がる森を抜けて、空を反射したような美しい青色の湖の上空に入る。


「緊張をする必要はないわよ。断崖の下には竜族は居ないし、呪いもここまでは入ってこないから」

「にゃん」


 ふふふ、と女性は優しく笑う。

 大人の雰囲気を見せる女性。だけど、僕たちは冷静になって、あることに違和感を覚え始めていた。

 まず、背が高い。

 長身で、実は僕の家族のなかで一番背が高いミストラルよりも、さらに頭半分以上の上背がある。そして、女性らしからぬ肩幅。手脚がほっそりと長い分、肩幅が気になる。

 豊かな茶髪や顔立ち、立ち振る舞いは女性そのものなんだけど。

 微妙に声が低い。

 セフィーナさんなんかは少し低音だけど、女性の声として違和感はないんだよね。だけど、この女性の低音の声には違和感しかない。


「あら、嫌だわ。そんなに熱い眼差しで見つめられると、とても困っちゃう」


 伏し目がちに苦笑した女性は、人竜化を解除しながら手をぱたぱたと振って、僕たちの視線から逃れようとした。

 茶色の翼が消え、長い髪で肌が隠れる瞬間。綺麗な背中が見えた。


 むむむ。

 むむむ?


 なにか変だ。

 僕の知識や経験が足りないせいで、その違和感を掴み取ることができない。だけど、この女性には何か秘密がある。それだけはわかった。

 他の女性陣も違和感を覚えているのか、妙な視線を女性に向けていた。

 初対面で、しかも助けてくれた恩人なんだけど、心から信頼できるような人物ではないのかもしれない。


「島が見えてきたにゃん」


 ニーミアの声に、僕たちはようやく女性から視線を離す。

 女性は、はうっ、と困ったため息を吐いた。


 ニーミアが飛ぶ先に、確かに島が見えてきた。

 さほど大きくはない。

 山がすっぽりと収まるほどの窪地くぼち。その中央の大半を占める湖に浮かぶ島は、遠目だと見つけられないかもしれない。それくらいに小さい。

 ニーミアは、降下しながら島に近づいていく。


「あれって、竜廟りゅうびょうに似ているね?」


 小さな島の中心には、ミストラルの村にあるような八角の霊廟れいびょうが建っていた。ただし、その霊廟からは屋根付きの回廊が延び、幾つかの似たような建物に繋がっている。

 朱色しゅいろの柱。黒い屋根。

 確かに竜廟に似てはいたけど、他の場所では見られない建築様式の建物を空から眺める。


「ニーミアちゃん、あそこに着地してくれるかしら」

「お任せにゃん」


 女性に指示された場所に、ニーミアは着地する。

 みんなが降りると、ニーミアは小さくなってミストラルの頭の上に飛び移った。

 普通ならプリシアちゃんの頭の上だと思うんだけど、彼女は今、ミストラルに強く抱きしめられているからね。

 プリシアちゃんは、ずっとおとなしい。

 でも、それはミストラルに自由を奪われているからだ。

 瞳はきらきらと輝き、ミストラルが手を緩めたら、今にも飛び回りそうな気配を見せていた。


「さあ、お客様。こちらへどうぞ」


 女性は僕たちに微笑み、手招きで建物内へと案内してくれた。

 木の扉、というのは見渡す建物のどこでもそうなんだけど。細かく細工の施されている扉を潜り、室内に入る。

 床は石畳。それ以外は木造の、おごそかな雰囲気の室内だね。


 物珍しさにきょろきょろとしていたら、ミストラルに頭を小突かれた。


「油断しないの。ここがどういう場所か、まだわからないのよ」

「そうでした。でも、危険性は感じないんだよね」

「竜廟に似ているからだわ」

「竜廟に慣れているからだわ」

「建物内も、竜廟にそっくりですね」

「同じ人が建てたのでしょうか?」

「んんっと、プリシアは探検したいの」

「たんけんたんけん」

「いまはだめにゃん」


 結局、みんなできょろきょろと見回す。

 そして苦笑するミストラル。

 僕たちの様子に、女性は優しく微笑んだ。


「どうぞ、お寛ぎくださいな。中央の竜の祭壇以外であれば、自由に見回ってもいいのよ? ここには小さな子供を脅かす危険はないしね」


 かがみ込んで、プリシアちゃんにそう言う女性。

 プリシアちゃんは満面の笑みを浮かべたけど、しかしミストラルは放さなかった。


「竜の祭壇、ということは、ここはやはり死した火山の火口なのね?」

「そう言うそちらこそ。竜廟を見慣れているということは、その村の出身かしら? それにしても。竜峰に人族や耳長族だなんて。知らないうちに竜峰は賑やかになっているのね」


 回廊を進み案内された先は、寛げるような空間になっていた。机には色鮮やかな花が生けられた花瓶。床には敷物が敷いてあり、そのまま横になれそうなくらい清潔に保たれている。長椅子や調度品、そのほとんどが木製で、建物の雰囲気にぴったりと合って品がある。


 自由に寛いで、と女性は言葉を残して、一旦部屋を出る。そしてすぐに戻ってくると、手にしたお盆には飲み物や果物が乗せられていた。


 プリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアが飛びつく。

 これはミストラルも静止しなかった。

 目の届かない場所に行かれるくらいなら、暴飲暴食は見逃そうということらしい。


 女性は、プリシアちゃんたちに果物を剥いてあげる。僕たちには飲み物を準備してくれて、手渡してくれた。

 そして、机の周りに全員で腰を下ろす。


「さて、と」


 女性は僕たち全員を、ゆっくりと見つめていった。

 僕たちも、女性を見つめている。


「騒がしい出会いだったけど、そろそろ自己紹介といきましょうか。わたしは、そちらの坊やがとても気になるところだけど……。まずは、わたしから挨拶をした方がいいみたいね」


 このなかでは、女性が一番年上のように見える。落ち着きがあり、態度にも十分な余裕が感じられた。


「わたしは、アイリー。この竜の祭壇の家主よ」


 茶髪で大人な女性、アイリーはにっこりと微笑み、右手を出す。釣られて僕が握手を交わしたら、ミストラルにため息を吐かれた。


「貴方は人を信用しすぎよ。でもまぁ。敵、というわけではないのでしょうし。わたしはミストラル。竜姫よ。先ほどは助けてくれて、ありがとう」


 言ってミストラルは、僕の次にアイリーと握手を交わす。

 竜姫、という言葉に、アイリーの眉がぴくりと反応を示した。

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