アイリーの正体

「坊やは強いのね。ようやく理解できたわ。少し前に竜峰が騒がしかったのは、そういう事情だったのね」


 うんうん、と僕たちの話を楽しそうに聞くアイリーさん。話を聞きながら、僕たちの飲み物が少なくなると注いでくれたり、プリシアちゃんたちに果物を剥いてあげたりしている。とても気配りのできる女性だね。


 お互いに自己紹介をしたあと。なぜかこちらの身の上話をさせられることになった。

 アイリーさんは聞き上手なうえに、相手をおだてて話をさせる名人でもあった。気づけば、僕たちのめから昨年の騒動に至るまで色々と話してしまっていたけど、全然悪い気は起きない。むしろ、もっと話したいと思ってきちゃう。

 ミストラルたちも気分良く会話をしていた。


 冷静に考えると、少しでも早く竜の墓所の呪いを解かなきゃと思うんだけど。こうしてアイリーさんと話すことは大切なようにも思えてくるから不思議だね。

 飲み物は、実はお酒じゃないのかな。なんて思ったけど、それは違ったみたい。本当に、アイリーさんは相手から話を聞きだすのが上手だった。

 そして、自分の情報はあまり漏らさないんだよね。

 これは明らかに、アイリーさんの方が僕たちよりも一枚以上上手なんだろう。


「道理で、供物くもつが届かないわけね。おかげで、こちらはひもじい思いだったわ」

「もしかして、最北端の村から定期的に物資の奉納ほうのうがあったんですか?」

「七十年に一度、彼らはここに来ていたのよ」

「それはつまり、今回の呪いの件などに関わることで?」

「あら、さとい子はお姉さん大好きよ」


 言ってアイリーさんは、僕の横に来て手を取る。しっとりと暖かい両手で、僕の手を掴むアイリーさん。

 ごほんっ、とミストラルがわざとらしい咳払いをした。


「なぜ、七十年に一度なのかしら?」


 ミストラルの、もっともな質問に僕も頷く。


「それはほら。竜族の爺婆じじばばの怨念が溜まるのがそれくらいの周期になるからかしら?」


 この人、老竜のことをじじい、ばばあ扱いですよ……


「じゃあ、こういった案件は定期的に起きているんですね?」


 もしもそうだとしたら、解決策は意外と簡単に存在するのかもしれない。

 期待を込めて、僕たちはアイリーさんを見た。


「そうねぇ。関係者じゃなければ、そう思うかもしれないわね。でも、これは本当に久しぶり。七百年ぶりかしら。そう、わたしがたましいささげたとき以来」

「えっ?」

「本来は、これほど濃い瘴気は溜まらないんだけど。色々と要因が重なったせいかしらね?」


 掴んだ僕の手を離さずに、でしながら、アイリーさんは微笑む。

 僕たちからすれば大変な騒動だと思うんだけど、アイリーさんにとっては焦るようなことじゃないのかな?

 というか、七百年前に魂を捧げたってどういうこと!?


「それで、ジルドぼうが君に竜宝玉を継承したのね。あの子らしいというか、歳を取っても自由人ね」


 自由人、という部分には同意できる。竜人族なのに竜峰で生活していないし、種族が露呈した今でも、昔と同じ場所でこれまでと同じ生活をしているくらいだし。


「ジルドさんを知っているんですね?」

「知っているわよ。三百年くらい前に何度かここに遊びに来ていたしね。あら、懐かしいことを思い出しちゃったわ」

「三百年前と言えば、アームアードとヨルテニトスの双子の物語の時代だね」

「ああ、とても懐かしい名前。あの坊やたちも知っているわ」

「ユフィとニーナは、アームアード建国王の子孫ですよ」

「あらいやだ、それを早く言ってちょうだい」


 アイリーさんは、今度はユフィーリアとニーナの間に割り込んで座ると、二人の手を握る。

 ユフィーリアとニーナは、顔を引きつらせていた。

 二人がこんな変な反応をするなんて珍しいね。ご先祖様のことを知る人に会って緊張しているのかもしれない。


「アームアードちゃんは生真面目でねぇ……。それにひきかえ、ヨルテニトスちゃんはやんちゃでユグラ坊によく怒鳴られていたわ」


 ユグラ様でさえ「ユグラ坊」なんですね。

 この人は、いったい何者だろう?

 話の断片を拾うと、少なくとも七百歳以上で、今回のような竜の墓所の異変について詳しく知っていそうな気がするんだけど。


「そうだ、ジルド坊に言っておいてちょうだい。たまには遊びに来なさい、君にはその義務があるのよ、ってね」

「は、はい。伝えておきます。でもその前に、竜の墓所の呪いをどうにかしなきゃいけないと思うんですが……?」

「人族なのに、君は偉い子ね。お姉さんはそういう心意気が大好きよ」

「あ、ありがとうございます……」

「そうかぁ。竜神剣りゅうじんけんを預けていた部族が滅んじゃったのね。それで、貴方たちが危機を感じて来てくれた。それがジルド坊の竜宝玉を受け継いだ君とその家族というのは、運命なのかしらね」

「竜神剣?」


 ひとり、なにやら納得しているアイリーさんに、全員で首を傾げる。


「ほら、それのことよ」


 ふふふ、と微笑んでアイリーさんが指さしたのは、ユフィーリアとニーナの所有する竜奉剣りゅうほうけんだった。


「これは、竜の王に捧げられたという竜奉剣だわ」

「これは、オルタの部族があがたてまつっていた竜奉剣だわ」

「今は、そう言うわね。でも、竜の王に捧げられるまでは、竜神剣と言っていたのよ」


 僕たちの知らないことをいっぱい知っているアイリーさん。

 色々と聞きたいことが多いけど、やはり話を先に進めなきゃいけない。

 僕たちがなにを期待しているのか、なにをしなきゃいけないのか、それは気配りのできるアイリーさんならとっくに気付いているはず。


 アイリーさんは、じっと僕たちを見つめた。

 でも、険しさや覚悟を問う輝きはなく、久々のお客さんをどう持て成そうか、という感じに思えた。

 僕の感じた気配は、しかしアイリーさんの巧みな惑わしでしかなかった。


「さて、それじゃあ。せっかく来てくれたのだし、確かに君たちの力を借りないと、この状況を改善することができないわ。でも、今日はもう疲れているでしょう? それと、覚悟も必要になるわね。今日はゆっくりとここで過ごしてちょうだい。そして、活動は明日からね。そうそう、明日までに決めておいてちょうだいね。いったい誰が、今回は竜の王に魂を捧げてくれるのかしら?」


 にこやかな顔で、さらりと恐ろしいことを口にしたアイリーさん。僕たちは言葉もなく固まってしまっていた。






「どうしよう……」


 当てがわれた部屋で、僕たちは表情を曇らせていた。


 竜の墓所で寿命を迎えた老竜の想いは、長い歳月をかけて徐々に溜まっていくらしい。普通なら、そういった残滓ざんしは自然に霧散して消えてしまうものらしいけど。この竜の墓所では、ある一箇所に溜まってきてしまう。それが竜の王の縄張りであり、溜り淀んだ竜族の想いを浄化するのが、アイリーさんの役目だという。

 七百年前からずっと、アイリーさんは竜の祭壇でそうやって暮らしてきた。

 ただし、アイリーさんでも手に負えない状況になることはある。

 そういったときに補佐をしていたのがオルタの部族であり、七十年に一度の儀式だった。

 でも、今回はこれまでになく瘴気が溜まってしまっていた。

 原因をアイリーさんは知っている様子だった。でも、教えてくれなかった。

 ただ、僕たちの協力が必要だと言って。

 そして、誰かの魂が必要だと、そう言った。


 呪いをはらう手伝いなら、幾らでも出し惜しみなく協力をする。

 だけど、家族の誰かの魂を要求してくるだなんて……!


「遊びに行ってもいい?」

「ごめんね、プリシアちゃん。今はお部屋で大人しくしておいてくれるかな?」

「んんっと、わかったよ」


 本当なら、アイリーさんも許可してくれているので、プリシアちゃんの探検を邪魔したくはないんだけど。

 魂を要求されている現在、不用意に目の届かない場所に行って変なことになったら困るからね。


 プリシアちゃんは素直に、アレスちゃんとニーミアと一緒に部屋で遊んでくれた。

 でも、僕たちは行き詰まってしまい、途方に暮れる。


 誰かを犠牲にするなんて、絶対に認められない選択肢だよ。

 どれだけ竜の墓所の竜族たちが困っていても、家族の魂を捧げるなんてしない。

 ここまで来て、関わったことから手を引くこともできないし、先にも進めない。そんな状況で、どうすれば良いのかわからずに、全員で困っている。


 僕たち以外の、他の人の魂を捧げる?

 いやいや、そういった選択肢もお断りです。自分たちが嫌だから、他に犠牲を求めるなんてできるわけがないよね。

 それじゃあ、竜族の問題なんだし、竜族の魂を?

 考えるまでもない。人であろうと竜であろうと、断じてお断り。

 それでは、どうすべきなんだろう?


「あまりにも理不尽すぎる解決策です。わたくしは納得できません」

「そうね。アイリーさんの要求は納得できないわ」

「ですが、アイリーさんに頼らないと、解決できない問題だと思いますわ」

「アイリーの魂を捧げればいいわ」

「アイリーを犠牲にすればいいわ」

「いやいや、それはどうなんだろう……?」

「でも、変じゃないかしら。アイリーさんは七百年前に、自分の魂を捧げたと言っていたわよね。それなのに、ああして生きているわ」

「ああ、それは僕も気になったよ」

「どうでしょうか。また夕食に誘われていますので、もう少しアイリーさんから情報を聞き出してみてはいかがですか?」

「そうですわ。まだ情報が少なすぎですわ」

「賛成ね。根掘り葉掘り聞き出すわ」

「賛成ね。拷問をしてでも正体を聞き出すわ」


 僕たちだけで思考を巡らせるには、情報が足らなすぎる。アイリーさんはわざと、自分のことや今回の件についての情報を出し惜しみしていたように感じる。

 ここは、もう一度会って、しっかりと話を聞かなきゃいけないね。


「それじゃあ、夕食前にさっぱりしましょうか」


 アイリーさんは、僕たちのためにお風呂まで準備してくれていた。

 露天風呂なんだって!

 普段は、ここで暮らす人はアイリーさんしかいない土地なので、開放的なお風呂らしい。

 アイリーさんは僕たちに魂を要求してきたけど、けっして敵ではない。内容はともかくとして、一緒に事件を解決しましょうと協力的だし、寝泊まりする場所や食事なども気前よく提供してくれていた。

 でも、逆に言うと。

 それだけ優しく協力的な人が、有無を言わさず魂を要求してくるということは、つまりそれだけ大変な事件ということなんだろうね。


「エルネアは先に、ニーミアと一緒にどうぞ」


 お風呂場はひとつしかない。

 そして、ひとりだと危険かもしれない。ということで、僕はニーミアと一緒にお風呂に入ることになった。

 プリシアちゃんがついて来ようとしたり、ライラが抜け駆けしようとするのを、ミストラルとルイセイネが阻止する様子をあとに、教えられた露天風呂へと向かう。

 泊まる部屋、というか回廊で繋がった別邸から、ニーミアを頭に乗せて目的地へ向かう。

 回廊を何度か曲がり、言われた場所に到着する。

 朱色の木枠に黒い板張りの扉を横に引くと、ひのきの匂いがする脱衣所がある。そこで服を脱ぎ、奥の扉をまた横に引く。

 すると、そこはもう屋外だった。


 遠くには、ユフィーリアとニーナが落ちた断崖が見える。断崖の上は瘴気の雲が漂っているけど、断崖の下、というか、窪地には降りてこないみたい。そして絶壁の下に緑があって、大きな湖が広がっていた。

 僕たちが滞在している小島は、その湖の中心近くに、ぽつんと浮くようにして存在している。そして、小島になっている土地の慣らされた岩場の一画に、湯気を上げる池くらいの大きさのお風呂があった。


「すごいにゃん」


 ニーミアは早速、大きな露天風呂に飛び込む。

 君は長湯が苦手だというのに、真っ先に突っ込むんだね。僕はこの素敵な景色とお湯を満喫したいので、暫く浸かっているつもりですよ。


 こんな開放的な露天風呂。普通なら、他所よそからの目が気になるところだけど、人は周囲のどこにも居ないからね。

 僕も飛び込みたいところだけど、まずは数日間お風呂に入っていない汚れた全身を綺麗にしなきゃ、後から入るミストラルたちに怒られちゃう。

 石鹸せっけんは備え付けのものを使って良いということで、どこにあるのかと見回していると。


 からから、と背後で扉が引かれる音がした。

 なんだかんだと騒ぎつつ、誰かが抜け駆けして入ってきちゃった!?

 驚いて振り返ると。


「お邪魔します。背中を流してあげちゃうわ」

「きゃぁぁぁーっ!」


 入ってきたのは、なんとアイリーさんだった!

 情けなく悲鳴をあげる僕。

 長く豊かな茶髪を結い上げ、恥ずかしげもなく自分も裸で、こちらに歩いてくる。

 艶かしい歩き方。ふふふ、と微笑むアイリーさんは綺麗で、見惚れてしまいそう。

 でも、僕が釘付けになったのは……


「お、男の人!?」


 僕は、アイリーさんの股間に、見てはいけないものを見てしまった!


「ぎゃああぁぁぁっ!」

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