天と地の狭間で

 雲を吹き飛ばし、空でぐるぐると回っていた竜族を蹴散らし、それは降下してきた。

 最初は、白桃色の巨大な塊だと思った。それはとてもとても大きく、空の竜族たちが小さな生き物に見えるほどの質量で迫る。


 あんぐりと口を開けて見つめるしかない僕とミストラル。上空では、巨大な塊に風圧で吹き飛ばされた飛竜やライラたちが悲鳴をあげている。

 そして、大きく窪んだ穴の底では、逃げようにも逃げれない多頭の腐龍が多重の咆哮をあげ、ゴルドバが頭上を見上げて固まっていた。


 それは高速で天から降ってくるけど、あまりに大きくて、ゆっくりと落ちてきているようにしか見えない。だけど、長く白桃色の尾を引くそれは、雲と地上の間を通過する一瞬の間に、僕たちの視界に強く焼きついた。


「どぉぉーんっ!!」


 そしてそれは、どこかで聞き覚えのある言葉を発しながら、窪地へと落ちる。


 一瞬だけ鮮明に見えた全貌。


 ミストラルが遥か上空の異変に気づき、僕を連れて全力で避難した後、それが窪地へと落下したのは、ほんの数回瞬きをするくらいの時間だったけど、とても長く感じた。


 最初は、白桃色だと思ったそれ。だけど、瞳に焼きついたそれを振り返って見ると、晩夏の太陽の光を弾き、白銀に輝き揺れる美しい体毛の先が桃色に変色していたのだとわかる。


 そして、それは巨大な翼をたたみ、身体の倍以上ある尻尾を落下の慣性に任せて上に引いていたのだと知る。


 窪地に落下し、轟音と振動、そして莫大な土煙をあげる直前。僕とそれは視線を合わせたような気がした。


「アシェルさん、なにをやってるんですかぁぁぁっっっ!!!」


 僕の叫びは、崩壊する王城の轟音にかき消された。


 大質量の落下物に伴う、激しい振動に立っていられずに、尻餅をつく。爆風が大量の土煙と共に押し寄せて、視界を奪う。


 ミストラルがとっさに結界を張ってくれていなければ、僕たちも飛竜たちと同じように、小枝のように飛ばされていたはずだ。


 そして、これまでにない振動と爆風により、王城は崩壊した。


 吹き荒れる土煙。その先で、瓦解がかいしていく王城の気配を感じ、顔面蒼白になる。


 王城に残っていた人たちはどうなったのだろう。王様の寝室はニーミアとフィオリーナとリームがいるから、少なくとも無事なはずだ。だけど、それ以外。迷宮と化してはいたけど、そこには大勢の人たちが居たはずなのに。これじゃあ、崩れた建物の下敷きになって無事ではいられないんじゃあ……


「心配はいらない。私が全員保護している」


 僕の心を読んだのか、土煙の先から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


 アシェルさんの竜術なのか、吹き荒れていた土煙が一瞬で払われた。


「アシェル様……」


 ミストラルの目が死んでいる。こんなミストラル、見たことない!


 でも、それもそのはず。


 土煙が晴れて見晴らしが良くなった僕たちの視界の先には、廃墟と化した王城の無残な残骸が広がっていた。


「あああ……」


 絶句する僕。


 どうしてこうなった!?


 なぜアシェルさんが空から降ってきた!?


 混乱し、まとまりを見せない思考を整理しようとしても、あまりの事象に頭が回らない。


 どうしよう、どうしよう!


 大勢の犠牲と、莫大な被害を出してしまったよ。でもこれって、僕のせいなの?


「ふむ。誰のせいかと言えば、エルネア。其方のせいかもしれぬわね」


 そこへ、更に広がりを見せた窪地の底から、アシェルさんが首を出した。


 小山のような大きさの巨竜スレイグスタ老よりかは小さい。だけど、並みの竜族なんて足もとにも及ばないほどの巨体であるアシェルさん。そのアシェルさんが首だけを出すくらいに窪地は大きく深くえぐられていた。

 そして、その窪地の中心部に落下したアシェルさんは、多頭の腐龍とゴルドバを踏み潰し、澄ました顔でこちらを向く。


 長い耳が立ち、額から生えた二本の角は絡まり一本の雄々しい角になっている。そして美しい双眸そうぼうが周囲を支配するように輝いていた。


 傍若無人ぼうじゃくぶじんな登場だったけど、誰もアシェルさんには逆らえない。圧倒的な力と存在感を示し、僕たちの前にその姿を示す。


「周囲の人族は私の保護下にあると、もう一度言っておくわ。もう少し冷静に周りを見ることね」


 この状況で冷静に、なんて無茶な気がします。と思いつつ、改めて周囲に視線を向ける。

 すると瓦礫の上に、多くの人たちが光の幕に包まれて佇んでいた。ただし、目の前に広がる想像を絶する光景に、全員が茫然自失だけど。


「一年振りに私のいとおしい娘に会いに行こうと飛んでいたら、なぜかここで娘の竜気を感じてね。遥か上空で様子を伺っていたが、どうも手こずっているように見えたので来てみたのよ」


 来てみたのよ、なんて軽く言うけど、羽ばたきもしないで落ちてくるなんて、非常識です!


「ふふふ。そこの小娘が面白いことを教えてくれてね」


 と視線で示す先には、大勢の人たちと同じように光の幕に包まれた、寝室に残っていた皆様方がいた。そのなかで、フィオリーナがとても楽しそうに翼を広げて喜んでいた。


 犯人はフィオリーナか!


『うわんっ、こんな威力なんて、お姉ちゃんのお母さんはすごい!』


 いや、凄すぎです……


「面白い竜気の広がりを見た。あれは其方か?」


 アシェルさんは周囲の状況なんて気にした様子もなく、僕に質問する。質問したいのはこっちの方だけど、仕方なく答える。


「はい。僕の竜術で腐龍の力を奪い、死霊の軍勢をはらおうと思って」

「ふうむ、一年で随分と成長したわね」


 アシェルさんはすうっと目を細め、興味深そうに僕を見た。


愛娘まなむすめを預けるに足る人族。不思議な少年、エルネア。だけど、試みは上手くいっていなかったわね」

「はい。実は、竜脈から竜気を無限に補充されちゃって。あと、死霊の魔族が居たので、先に腐龍を倒しても復活しそうで……」

「なるほど、これか」


 僕の言葉を聞いて、アシェルさんが動いた。

 のそりと動かした巨大なてのひらには、ゴルドバが拘束されていた。


「ぐぬぬ、貴様は何者だっ! この儂を誰だと思っているっ」


 どうやら、アシェルさんは落下直後にゴルドバを拘束していたみたい。空から見ていたと言っていたし、アシェルさん程になれば、本当は僕の説明なんて必要なく、状況を把握していたに違いない。


 でも、彼女の助力を求めるのなら、知ってるなら言わなくていい、とはいかない。


「アシェル様。その魔族は竜脈を伝い、本国の本体と繋がっているので無限に復活をする厄介な奴なのです。倒すためには、竜脈ごと破壊する必要があります」


 ミストラルの説明に、アシェルさんは頷く。

 それだけだった。


「くはっ……馬鹿なっ!?」


 かたん、と下顎を落とし、ゴルドバが一瞬で灰になった。


「えっ……」


 ミストラルがあれだけ苦戦していたゴルドバはそれっきり復活することなく、灰はアシェルさんの掌から溢れた。


「竜脈に紛れ込んでいた魔力ごと灰に変えたわ。これであの雑魚はもうこの辺りでは復活できない」


 上級魔族を雑魚扱いですか。やっぱりアシェルさんは計り知れない存在です。


「それで。ひとつ問題が解決して、残ったこの腐龍をどうするのかしら? 一年間、娘を見てくれたお礼に私が滅ぼしてやってもいいけど?」

「ええっと、それってどれくらいの規模でこの辺が灰になるんですか?」

「そうね。人の住んでいる一帯は消し飛ぶだろうね」

「却下!!」


 駄目です。これ以上の被害拡大は容認できません!


 王様に会いに来たはずなのに、その国を滅ぼしただなんて、洒落しゃれになりません。


「ならば、どうする?」


 アシェルさんの試すような瞳を、僕は真っ直ぐに見つめ返す。そして言う。


「腐龍を祓います」

「殺すということか?」

「いいえ、祓うんです。きっと白剣を使えば、腐龍を倒すことはできると思うんです。だけど、僕はあの腐龍の悲痛な叫びを聞いちゃったので……」

「まったく。相変わらず突飛な思考をしているのだね」


 アシェルさんは瞳を細めて微笑むと、わかったと頷いてくれた。

 だけど、僕のやろうとしていることには、ひとつ大きな問題があった。腐龍は無限に竜脈から力を汲み取ってしまう。ゴルドバが倒された今、復活することはないと思うけど、その前に多頭の腐龍の竜気を奪い、穢れを祓うことがとても難しい。


「ならば、周囲の竜脈を枯らせばいい」

「はい?」


 僕なんかよりも、よっぽど突飛な発想だと思うんですが?


「竜脈を部分的にでも破壊するためには、それこそミストラルの本気くらいの力が必要だろう。だがそうすると、この周辺はやはり吹き飛ぶ」


 ミストラルがゴルドバを倒す方法に気づいていてもとどめを刺しきれなかったのは、そのためなんだね。


「上級魔族で無限に復活するとはいっても、本国にあるという本体の魔力は無限ではないわ。だから攻撃を与え続けて、竜脈に潜んだ魔力を消耗させていけば、いずれは魔力の糸が切れると思っていたのだけど、なかなかにしぶとくて」


 ミストラルが傍で苦笑した。


「魔族も腐龍も一緒だわね。力の源を断てば、いずれは力尽きる。腐龍を倒す方法は、私ら竜族であれば、なかなかに通らない攻撃を根気強く与え続ける。もしくは竜脈ごと周囲を吹き飛ばす。前者はとてつもなく時間がかかり、後者は其方が知っている通りの被害の規模が必要になるわね。でも、其方はそれとはまた違う方法を取ろうというのでしょう?」

「はい。でも、どうやって竜脈を枯らせばいいんでしょう?」

「なにを言っている。先ほどまでのことをやれば良い。ただし、もっと大規模に」

「大規模に……」


 そもそも、竜脈は枯れたりするものなのかな?

 破壊するということにも違和感を覚える。

 大地の生命の流れと言われる竜脈。それを破壊したり枯らしたりしても大丈夫なのかな?


「私や其方は、怪我をすれば血を流す。だけど、それはすぐに止まる。かすり傷程度であれば、怪我した部位が壊死することもないし、そもそもその程度の怪我であれば気にしないでしょう。それと一緒よ」

「つまり、この辺の竜脈が少し壊れたり枯れたりしても、大地や竜脈には些細な問題でしかなくて、すぐに回復するということですか?」

「そういうことね」


 なるほど。それなら、僕は全力で腐龍のことに集中すれば良いわけか。


「それでは、アシェルさん。少しだけ協力してくれますか?」

「仕方ない。恩ある者の頼みだ。さぁ、背中に乗りなさい」


 アシェルさんは僕がなにをしようとしているのか、言わなくてもわかったみたい。


 アシェルさんにうながされて、空間跳躍でミストラルと一緒にアシェルさんの背中に乗り移る。

 下を覗き込むと、アシェルさんは多頭の腐竜の上に乗って身動きを封じていた。


 触れると全てを腐らせる腐龍の身体も、窪みの底の腐った大地も、アシェルさんには無意味らしい。美しく長い体毛の先さえも穢れを見せていないアシェルさん。

 僕たちのように完全な加護で自分自身を守っているんだね。


 アシェルさんは僕とミストラルを背中に乗せると、大空へと優雅に舞い上がった。


 地上では、茫然自失状態の多くの人々や、飛ばされなかった地竜たちが、僕たちを見つめていた。そして上空では、吹き飛ばされた飛竜たちが遠く離れた場所からおそれを抱いて見守っていた。


 唯一、ユグラ様だけが、上昇するアシェルさんに近づいてくる。


「おや、ユグラの坊や」

『アシェル様、お久しぶりでございます』


 ユグラ様でさえ、子竜に見えるアシェルさんの巨体。


「エルネア様、ミストラル様……」

「アシェル様……」


 ユグラ様の背中では、ライラが驚愕に目を見開き、ルイセイネが顔を引きつらせていた。


 そういえば、ライラはアシェルさんを知らないんだよね。大きさは違うけど、容姿はニーミアにそっくりだから、何者なのかはなんとなく予想できているはずだけど。


「ええっと、なにをどう説明すれば良いのかな……」


 僕も顔を引きつらせるしかない。


「そうね。貴方たちは特別に側での鑑賞を認めましょう。上から見ていて、随分と活躍していたようだしね」


 顔見知りだったアシェルさんとユグラ様。その後方から、暴君も勇んで飛んできていた。


 うん。君は「負けるものか!」と意気込んでいるわけだね。


 王都が一望できるくらいまで上昇したアシェルさんは、そこで滞空する。ユグラ様と暴君は、巨体のアシェルさんの周りを旋回していた。


「ライラたちへの説明は後にして。それじゃあ、いきます!」


 僕は、アシェルさんの背中の上で一度気合いを入れると、白剣と霊樹の木刀を構えた。

 そしてもう一度、今度はアシェルさんの背中の上で竜剣舞を舞い始める。


 地上から離れてしまっては、竜脈を感じ取ることはできない。腐龍の邪悪な気配と竜気も、足もとのアシェルさんの圧倒的な存在感にかき消されてしまっている。


 集中しろ。


 自分自身に言い聞かせる。


 集中し、世界を感じるんだ。


 これまで、瞑想をすることによって竜脈を感じ、世界を感じ取ってきた。

 だけど、空には竜脈の流れはない。その代わりに、僕が呼び起こした竜気の嵐はまだ微かに残っていた。

 僕は竜気の嵐で世界を感じ取ることができる。ならば、それを通して、竜脈もまた感じ取れるはずだ。


 僕の深く沈んだ意識は嵐の渦に乗り、地表へと降り注ぐ。


 上空の巨大な竜を見上げる多くの人たちの気配を感じる。王城だけではなく、王都全体から。


 地表に降りた僕の意識は、更に地中へと沈む。そして、深く意識を潜らせた先に、この地を流れる竜脈を感じ取った。


 さぁ、ここからが本番だ。


 感じ取った竜脈を湧きあがらせる。竜剣舞で自然に湧かせるのではなく、僕の意志で、僕の任意で竜脈を湧かせる。そして、それと同時に、真下に感じる腐龍の邪悪で穢れた竜気を吸い上げていく。


 竜脈の力はあらしに乗り、激しい渦を巻き起こす。嵐の渦は王城の敷地を包み、王都を包み込む。そして、見渡す限りの世界へと拡散していく。


 一方、腐龍の竜気は、一旦霊樹の木刀に吸い上げられると、清浄な竜気へと変換されて嵐に溶け込んで行った。


『おおお、力が……』

『苦しみが消えていく……』

『腐龍へと堕ちた我らを救おうというのか……』


 窪みの底辺で、多頭の腐龍が頭上を見上げて涙しているように感じた。


 邪悪ではあっても、竜族として誇り高い死を望む多頭の腐龍。魔族に飼われ、この地に大きな被害をもたらした悪しき存在だけど、救える手段を持っているのなら救いたい。


 僕は、多頭の腐龍が少しでも苦しまないように、傷つけない竜剣舞を上空で舞って、死を導いた。


 一心不乱に舞い続け、徐々に周囲の竜脈を枯らしていく。そして腐龍の竜気を奪い、再生力を削る。荒れ狂うせいの竜気の嵐は、じゃの腐龍を浄化していく。


 僕は舞い続けた。すると、僕の起こした嵐にも乱れない、夜空のように澄んだ竜気の気配を感じた。

 ミストラルの竜気だ。僕の荒々しい竜気とは対照的に、静かにそれでも深く強く広がりを見せる、美しい竜気。


 なんとなく、ミストラルの竜気も操れるような気がした。


 ミストラルの竜気を呼び込む。


 近くでミストラルが少し驚いたような表情をした気がする。だけど、竜剣舞に集中している僕にはよくわからなかった。


 ミストラルの竜気が、荒々しい僕の竜気の嵐に溶け込む。そうすると、僕とミストラルの竜気が混ざり合い、雨粒のようなしずくになって世界に降り注いだ。


 不思議だった。荒々しく渦を巻く竜気の嵐は、上空だけでなく、地表をも掻き乱す。だけど、優しく澄んだ雫は嵐の影響を受けることなく、天から優しく降り注ぐ。


 そして、邪悪な竜気を吸い上げられ、周囲から湧き上がる竜脈に当てられ、澄んだ雫を全身に浴びた多頭の腐龍が、穢れを祓い、静かに地表へと六つの首を下ろした。


『ありがとう……』


 死を与えた僕に、多頭の腐龍はなぜかお礼を言い、全ての瞳を閉じる。


「おやすみなさい」


 舞いながら、僕は呟いた。


 僕の呟きが届いたのかはわからないけど、多頭の腐龍は満足そうに微笑んだように感じる。そして、いつか見たように、多頭の腐龍は死骸を残すことなく消え去っていった。


 現れた時とは逆で、静かに消えた多頭竜に捧げるように、僕はもう少しだけ舞い続けよう。


 この騒乱で命を落とした人も、きっと多くいるはずだ。


 巫女様や神官様ではない僕にできることは、亡くなった者全ての悲しみや苦しみを浄化する舞いを続けることのような気がした。


 嵐がとがを祓い、降りしきる雫が悲しみと苦しみを洗い流していく。


 僕はこの日、アシェルさんの背中の上で、日が暮れるまで舞い続けた。

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