腐龍の叫び

「エルネアは腐龍をお願い。わたしはゴルドバの相手をするわ」

「うん、わかった!」


 ミストラルが漆黒の片手棍を構え、僕も白剣と霊樹の木刀を構える。


「くくく。先程も儂を仕止められなかった貴様に何ができるというのだ?」


 身構え殺気立つ僕とミストラルとは対照的に、ゴルドバは余裕な態度でかたかたと骨を鳴らす。


 ゴルドバの言う通り。本体が魔族の国にあるというゴルドバをどう倒せば良いのか。正直、未だに僕は倒す糸口を掴めていない。

 だけど、ミストラルには何か確信があるようだね。

 僕には腐龍のことだけに集中するように言うと、ミストラルは躊躇いなくゴルドバに向かい疾駆した。


 ミストラルの力強い踏み出しに、足場の腐った鱗の飛沫ひまつが弾け、紫色の血が飛ぶ。そして、腐敗臭がしそうな紫の煙がミストラルの駆けた跡に立ち昇る。だけど、その全てはニーミアの加護が払い除け、僕とミストラルには届かない。


 一瞬でゴルドバに接近したミストラルは、先端が蒼白く輝きだした片手棍を振るう。


「無駄だ。幾ら叩き砕かれようが、儂は無限に復活をする!」


 と言ってるそばから、ゴルドバはミストラルに粉砕される。だけど、次の瞬間には腐龍の背中の別の場所に復活をしていて、ここでもミストラルの攻撃とゴルドバの復活という終わりのない戦いが始まった。


 はたから見れば、不毛な戦い。だけど、ミストラルが無駄なことをしているはずがない。彼女には考えと確信があって、ゴルドバを根気強く叩いているはずだ。


 ならば、僕も僕に与えられた役目を果たすまで!


 足場にしている腐龍の背中から視線を巡らし、六つの首の先にある六つの頭部を見据える。


 多頭の腐龍は、背中の僕たちを振り払おうと身じろぎをするけど、重鈍じゅうどんな動きでは強く揺れる足場にしか感じない。たまに足もとの鱗がぬるりと剥げ落ち、滑りそうになるけど、竜剣舞で鍛えた平衡感覚で瞬時に体勢を整えて、足場を移す。


 多頭の腐龍は、背中の僕たちが余程不愉快なのか、多重咆哮をあげて首を振り回し暴れる。

 口からは闇を手当たり次第に吐き、周囲を腐蝕させていく。

 幾つもの闇の塊が窪地から外に吐き出される。だけど、上空のライラたちが的確に反応して、竜術で撃墜していた。


 暴君の背中に騎乗するライラとルイセイネと目があった。


「ご武運を!」

「エルネア君、頑張って!」


 二人の応援が多重咆哮の合間に聞こえた。

 僕は二人に強く頷く。


 さて、どうやって多頭の腐龍を倒すべきなのか。

 首の根もとへと向かい白剣を振り下ろせば、きっと容易く斬り落とせる。この場で足もとに向かい白剣を滅多に振り下ろし、命を削ることもできる。


 だけど、と僕は腐龍の六つの頭に意識を向けた。


『苦しい』

『憎いっ』

『痛い!』

『なぜ我らがこんな仕打ちを』

『死ねぬことが悲しい』

『救いを……』


 多頭の悲痛な叫びが、竜心を伝い僕の心へと流れ込んでくる。


『我らの命を弄ぶ者たちよ、滅べ!」

『魂の解放を……』


 僕たちだけではなく、腐龍へと堕としたゴルドバをも憎悪する叫び。そして、竜として尊厳ある死を迎えられなかったことへの悲しみと、死を求める救済の心。

 頭が多い分、いっぺんに幾つもの腐龍の心が伝わってきて、複雑な心境になる。


 竜族にとって、腐龍へと堕ちることは不名誉なことなんだ。竜族は誇り高い死を求め、この世に未練を残すことを良しとしない。


 魔族に飼われ、邪悪だとしても、多頭竜もそれは同じらしい。死を弄ぶゴルドバ。そして、望んでも死ねない自身。敵意を向け攻撃してくる僕たちや地竜や飛竜すべてに憎悪を振りまき、暴れる多頭の腐龍。


 竜殺しの属性を持つ白剣を振るえば、多頭の腐龍の命を削るのは容易い。だけど、周囲で攻撃と復活を繰り返すミストラルとゴルドバの戦いが決着を見せないと、腐龍も延々と復活させられる可能性がある。


 僕にできること。


 腐龍を斬り刻み、命を削り続け、ミストラルがゴルドバを倒すのを待つこと?


 違う。


 ミストラルと共にゴルドバを攻撃して、奴を倒すことを優先する?


 違う。


 僕の役目は、腐龍を斬り刻み命を削ることで、更なる苦痛を与えることじゃない。そして、ミストラルは僕に腐龍の件を託した。ゴルドバの相手を一緒にしよう、とは一言も言われていないし、望まれていない。


 そして、アレスちゃんはなぜ、ここに来る前に霊樹の木刀を今更に僕に手渡したのか。


 なぜ、か。

 違うね。僕は答えを知っている。


 ミストラルが僕になにを期待しているのか。ユグラ様はなぜ、腐龍への直接攻撃という無謀な僕の考えに賛同してここまで連れてきてくれたのか。そして、アレスちゃんがなにを望み、霊樹の木刀を僕に渡したのか。


 僕は知っている。


 だから、今こうして腐龍の背中に降り立ち、周囲で激しい戦闘を繰り広げるミストラルとゴルドバをよそに、冷静に周囲を見渡している。


 覚悟と自信を持つために。


 でも、覚悟はできた。腐龍の悲痛な叫びを聞き、やるしかないんだと決意した。


 あとは自信。僕にできるのだろうか。だけど、僕がやらなきゃ誰がするんだ。


 僕には、僕にしかできないことがある。


 そう。幼木とはいえ霊樹を持ち、その精霊と融合した僕にしかできないこと。


 きっと僕ならできる。しなきゃいけない。やる前から臆するな!


 僕は、腐蝕の気配が充満する多頭の腐龍の背中で、ひとつ大きく深呼吸をする。幸い、ニーミアの加護のおかげで、新鮮とはいえないけど十分に澄んだ空気を取り込むことができた。

 そして深呼吸を終えると、ゆっくりと両手の剣を掲げる。


 今度こそ、二刀の竜剣舞を舞う。


 ゆっくと、丁寧に。


 白剣は宙を舞うように流れ、霊樹の木刀が軌跡を描く。


「な、なにをしている……?」


 ゴルドバは、突然軽やかに舞いだした僕を見て困惑気味に足を止めた。そこへ容赦なくミストラルの一撃が叩き込まれる。

 ミストラルはちらりと僕を見たあとに微かに笑みを見せ、復活したゴルドバを追って駆けた。


 僕にできること。僕の役目。それは、竜剣舞を舞うこと。


 舞いに合わせ、深く抉られた地表から徐々に竜脈の澄んだ力が湧き始める。そしてそれと同時に、足もとからは多頭の腐龍の濁った竜気が湧き始めた。


 ううん、違う。僕が吸い上げているんだ。


 アシェルさんの背中で、彼女の竜気を竜脈に見立てて力を吸い上げたことがある。それの応用。僕は足もとの腐龍から濁った竜気を有りったけ吸い上げていく。


 そして。


 霊樹の木刀で濁った竜気を浄化し、それを周囲へと拡散する。


 これもひとつの竜術なのかな。それも、霊樹を利用した。


 負の竜気を吸い上げて、霊樹の術を用いて浄化する。


 霊樹には、けがれをはらい、清浄へと変える力がある。それはスレイグスタ老の居る苔の広場だったり、霊樹の根もとへとおもむいたことのある僕たちなら、よく知っていること。


 竜の森の奥深く。スレイグスタ老に護られた聖域は、守護されているから清らかで神聖なわけじゃない。霊樹が穢れを浄化し、それをスレイグスタ老が護っているから神聖でいられるんだ。


 そして、僕の左手の木刀は、幼木とはいえ霊樹そのもの。ならば、その力を用いて腐龍の邪悪な竜気を浄化できるはず!


 考えはあった。でも、実際にできるのかと、自信がなかった。思いつきであり、試したことなんて一度もなかったし。でも、やるしかない。みんなから多頭の腐龍のことを託されたのは僕だ!

 ならば、自信を持って役目を果たそう。


 一心不乱に舞い始めた僕の周りで、竜気が乱舞する。地表から湧き上がる竜脈の力と一緒に多頭の腐龍の竜気も取り込み、浄化して拡散していく。


 最初は、水面の波紋のように広がっていた竜気。それが次第に渦を巻き始め、徐々に嵐のような激しい竜気の流れを生み出す。


 僕の意識は拡散していく竜気に乗り、王城全体へと広がる。


 別行動を取っている双子王女様とキャスター様の気配を感じた。なぜだろう、三人の気配が王城のずっと地下の方でする。ううん、今は邪念を振り払おう。迷宮とか色々考えたくないことは、今は考えない!


 広がる竜気と意識は、双子王女様たちだけでなく、王城の人々や死霊の軍勢をも捉える。

 多くの人たちは固まり、死霊に対抗していた。兵士たちが使用人や文官の人たちを守り、奮戦している気配を感じ取る。

 その一方で、王城内を彷徨う多くの死霊たちの気配も感じる。だけど、死霊は僕の拡散した嵐のような荒々しい竜気に当てられると、弱体化するか霧散しだした。


 どうも、二次効果があるらしい。生の強く宿った竜気の嵐は、王城内を跋扈ばっこする死霊の軍勢を弱体、消滅させていく。


 思わぬ効果に、竜剣舞を舞う僕にも気合が入る。

 多頭の腐龍の背中で、一心不乱に舞い続ける僕。


 竜気を吸い上げられ、衰弱していく多頭の腐龍。これなら、腐龍を苦しめることなく弱体化できる。そう思った直後。腐龍は竜脈を大量に吸い上げて、失った竜気を回復させた。


「そんな……!」


 絶句する僕に、ミストラルが言葉をかけてきた。


「エルネア、自分を信じなさい。貴方の選択肢は間違っていないわ!」


 ゴルドバを粉砕しながら優しく微笑みかけてくれたミストラルにもう一度自信をもらった僕は、これまで以上に必死に竜剣舞を舞い続けた。


 僕が吸い上げ、浄化し拡散する。多頭の腐龍は何度も竜脈から力を汲み上げ、補填ほてんする。


 傷を負わない僕と多頭竜の一進一退の攻防が続く。そんななか、ふと多頭の腐龍が吸い上げる竜脈の一部に違和感を覚えた。


 異物が混ざっている。


 それは、遁甲とんこうした魔獣を見つけ出したときのような違和感。静かな大海原のようでもあり、激しい濁流の大河でもあるような矛盾を覚える竜脈。だけど竜脈はどんな姿であれ、澄んだ清らかな気配を変えることはない。そこに一点、妙な違和感がある。


 なんだろう、と意識を竜脈へと向ける。身体は竜剣舞を舞いながら、意識は竜脈へ。泳ぐような感覚で竜脈の違和感の地点へと近づく。


 多頭の腐龍が一気に竜脈を汲み上げたことで、波だった荒い竜脈。その奥に、濁った気配を感じる。


 更に意識を集中させる。そうすると、それが邪悪な魔力の流れのように感じて、はっとなる。


 なぜ「魔力」と感じとれたのかは、今は置いておいて。邪悪な気配を慎重に辿たどる。すると、一方は遥か彼方に続いていて源流を辿れなかったけど、もう片方はすぐ側へと繋がっていた。


 これは……!


 竜脈の奥に向かって、紛れこんでいる邪悪な魔力を掴もうと手を伸ばす。強い竜脈の流れにおぼれそうになりながら、必死に手を伸ばす。だけど、僕の手は竜脈の異物を掴み取ることはできなかった。


 ならば、と意識を呼び戻す。


「ミストラル! 竜脈にゴルドバの魔力が紛れ込んでいるよっ。あれをどうにかできれば、きっとゴルドバをこの場から消せるはず!」


 竜脈のなかの邪悪な異物の一片は、復活を繰り返すゴルドバに繋がっていた。もう片方は、きっと本国の本体に繋がっていて、そこから魔力を供給して復活し続けているに違いない。

 ならば、竜脈の異物さえ取り除く、もしくは切断できれば、ゴルドバを倒せる!


 僕は確信を持って言い放つ。


「くくく、よく気づいた。流石は竜王か」


 ゴルドバが愉快そうに歯を鳴らして笑う。


「しかし、それは竜姫がとうに気づいていたこと。そして、大技で竜脈ごと儂の魔力を断とうと試み、失敗したのは先ほどだったか」


 ミスラトルとゴルドバが王城の西側で激しい戦闘を繰り広げていたときのことなのかな。ゴルドバを倒す手がかりを掴んだと思ったのに、ミストラルでも打破できなかっただなんて。


 でも、それでもミストラルは果敢にゴルドバを相手に奮戦している。ならば、僕はミストラルを信じる。彼女が竜脈の異物ごとゴルドバを倒すことを。


 そして僕は、腐龍を相手に舞い続けよう。竜気で巻き起こした嵐は、どうやら死霊の軍勢に有効なようだしね。


 舞い続け、一層荒れていく竜気の嵐。その気配を感じつつ、視線を巡らせる。


 上空では、飛竜たちが嵐の渦に巻き込まれているのはご愛嬌あいきょう。だよね?

 あとで言い訳をしようと思っていると、手を止めたミストラルの姿が視界の隅に移った。


 ミストラルは手を止め、頭上を見上げている。


 まさか、竜気の嵐に巻き込まれている竜たちを呆れて見ているわけじゃないよね?

 ちょっと不安になる。


 だけど、頭上を見上げてほうけているのは、ミストラルだけではなかった。ゴルドバさえ下顎を限界まで落とし、呆然ぼうぜんと頭上を見上げていた。


 なぜ?


 そう疑問に思う暇もなく。


「エルネア、退避よっ!」


 目にも留まらぬ速さで駆け寄ってきたミストラルに抱きかかえられ、多頭の腐龍の背中を離れる。

 ミストラルの全力の跳躍に視界が流れ、瞬く間に窪地の縁へと移る。だけどミストラルはそれでも足を止めず、多頭の腐龍とゴルドバがいる深く抉られた窪地から離れた。


 頭上でなにが起きていたのか。

 離れた場所から窪地の上を確認するけど、特に変わった変化は見られない。竜たちは嵐に巻き込まれているけど、渦の中心である頭上には居なかった。


 では、なにが?

 そう疑問を浮かべる僕に、ミストラルが指差した。


 遥か上空。雲よりももっと上。そこから、巨大な物体が降ってきていた。

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