守る者 攻める者

「そんな、まさか……」


 僕とミストラルが壁際で息を呑み、何事かとグレイヴ様とフィレルが駆け寄る。


 ゴルドバの骨の欠片は風に乗り、空に舞う。


 そして、僕たちの視線の先で、多頭竜が変貌し始めていた。


 ライラの指揮のもと、暴君やユグラ様、そして地竜と飛竜の一斉攻撃で、多頭竜は瀕死だった。六本の首のうち半分は消失し、残った半分も重傷を負い、黒い頭部は右半分が潰れていた。胴はうろこげ落ち、血に染まっている。そして四肢ししの半分も損傷し、深く大きなくぼみの底で息も絶え絶えに上を睨むばかりだった。


 憎々しげに輝く、黒い頭部の左の眼光だけが、多頭竜の生命を表していた。

 だけど、それが暗く沈んだ輝きに変わった瞬間。


 ぬるりと粘度のありそうな闇に多頭竜が覆われて、失っていた五つの首がよみがえる。そして、生物の魂を恐怖で縮み上がらせるような不気味な多重咆哮を響かせて、多頭竜は「多頭の腐龍」として復活した。


 鱗が全て剥げ落ち、肉がき出しになっている首。頭蓋骨が半分ほど露出した頭部。ぶくりと紫色に泡立つ腐った身体。全身から腐臭ふしゅうがしそうな湯気を立ち昇らせ、全てを腐らせる体液を撒き散らしながら、多頭の腐竜は不気味にその六つの首をもたげあげる。

 多頭に宿る瞳は全て、真っ赤に輝いていた。


「ぐっ……あれはなんだ……」


 多重咆哮の空気の振動に当てられたグレイヴ様が顔面蒼白になり、うずくまる。フィレルもがたがたと膝を震わせ、後退あとじさった。


「いけないっ。腐龍は存在自体が強く呪われているのよ! 並の人であれば、腐龍の姿を見ただけで魂が砕けてしまう。あなた達は巫女の結界内に避難して!」


 ミストラルの言葉に、体を引きずるようにしてグレイヴ様とフィレルがマドリーヌ様の結界内に逃げ込む。


「結界の力を最大に。でないと、腐龍の呪いに押し負けるわよ!」

「ですが、それなら王城のひとたちは……」


 マドリーヌ様も顔面蒼白になっていた。


「エルネア、竜気を拡散しなさい。わたしも張り巡らせるから」


 死を導く負の呪いには、生を司る竜気で対抗をするしかない。ミストラルの指示に、竜宝玉の力を最大で解放する。

 これまで以上に膨れ上がった竜気が、僕の意思を受けて王城を包み込むように広がっていく。


 胸の奥から、焼けるような熱く激しい鼓動が全身に伝わっていく。体内で荒れ狂う竜宝玉の力を限界まで引き出す。すると緑色に可視化した濃い竜気が僕の周りを乱舞し始め、大気が揺らめいた。


 僕の隣で、同じようにミストラルが竜気を解放した。

 僕とは違い、どこまでもんだ夜の空のような清らかさがミストラルを包み込んでいた。だけど、彼女の体内から湧き上がる静かでも力強い脈動は、隣にいる僕にも伝わってくるくらいに強力だ。


「でも、あれをどうやって倒すの? ゴルドバを倒さない限り、あれも無限に復活するんじゃない?」


 腐龍は本来であれば、竜族が死の間際に強い怨念おんねんを抱いたり、死にきれないほどの想いを残した場合に、正しい死を迎えることができずに堕ちてしまった姿だったはず。それなのに、今回はゴルドバの魔法で無理やりに腐龍へと堕とされた。


 ゴルドバの魔法が掛かっている以上、奴を先ずはどうにかしないと、無限に復活される可能性がある。


 そして何よりも、腐龍には竜族の攻撃が効きにくい。

 頼みの綱だった暴君やユグラ様の攻撃でさえ、今の腐龍には通用しない。


 ユグラ様が口元をまばゆく光らせる。直後には黄金色の光線が腐龍に直撃しているけど、表面を浅くえぐっただけで、その傷は直後には回復してしまう。


 暴君が烈火の炎を吐く。多頭の腐竜の全身が炎で包まれ、苦しそうな悲鳴をあげる。だけど、それだけ。炎は瞬く間に消えて、焼けた表皮がどろりとげ落ちると、元の腐った身体が復活した。


 このままだとらちがあかないどころか、腐龍が振りまく瘴気しょうきで全てのものが腐り果て、王城は人の立ち入れない場所になってしまう。


「先ずはゴルドバを倒そう!」


 僕とミストラルの視線の先。多頭の腐竜の背中に、復活したゴルドバが姿を現した。


「さあ、騒ぎ乱れ、絶望するがいい! これより周囲一帯を腐蝕の海へと変えてやる!!」


 両手を大きく掲げ、言い放つゴルドバ。そして腐龍の六つの頭から、同時に闇が吐き出された。


「回避ですわ!」


 空高く飛翔する暴君の背中から、ライラが指示を出す。すると竜たちは統率が取れた動きで、全力回避に動いた。

 多頭の腐龍から吐き出された闇は標的を失い、窪みに溢れる。すると、闇に触れた抉られた地面が紫の蒸気をあげて、瞬く間に腐った地表へと変貌した。


「厄介ね」

「うん。でも、やるしかないんだよね」


 僕とミストラルは強く頷きあう。


 どんなに困難でも、ゴルドバと多頭の腐龍を倒さなければ、ヨルテニトス王国の王都は滅んでしまう。

 僕は、じっと多頭の腐龍とその背に乗るゴルドバを凝視し、作戦を決めて動き出す。


 先ずは、マドリーヌ様の張った結界の方へと走る。寝室内は、法術「満月の泉」の効力が切れてしまったことで、死霊が復活し始めていた。新たに湧いた骸骨兵を斬り倒し、結界の縁へ。そして、声をかける。


「ニーミア」

「にゃあ」


 僕の呼び声に、寝息をたてるプリシアちゃんの懐から、ニーミアが困ったような顔を出した。


「お願いがあるんだ」


 僕に呼ばれ、ニーミアはてとてとと歩み寄ってくる。


 僕とニーミアが対面している間にも死霊は湧き続けるけど、ミストラルが駆逐していく。

 ミストラルは僕が何かをしようとしていると判断して、補佐してくれていた。

 そしてニーミアも、僕が何を考えているのかを読み取って、困った感じで近づいてきてくれた。


「子猫?」


 ニーミアの正体を知らないグレイヴ様だけが首を傾げて、子猫にしか見えないニーミアと向き合う僕をいぶかしそうに見ている。


「怖い?」

「にゃあ」


 ニーミアは律儀に猫のふりをして答える。だけど表情を見れば、ニーミアが怖がっていることはよくわかる。


 ニーミアはこの一年間、ちゃんと努力をしてきた。

 一生懸命にアシェルさんの竜術を覚えようと頑張り、何度も竜力の枯渇で寝込んでいた。だけど、やっぱりニーミアはまだ幼竜なんだ。年齢は百歳くらいだけど、古代種の竜族にとってはまだまだ子供。そんな子供に実戦を強要したり、怖がっていることを無理にやらせようとは思わない。


 それに、ニーミアは今でもちゃんと役目を負って頑張っている。

 プリシアちゃんの懐に潜り込んで怖がっているけど、マドリーヌ様とは別に強力な結界を周囲に張り巡らせていることを、竜気を感じ取れる僕やミストラルはちゃんと知っていた。


 湧き続ける死霊。漂う瘴気。腐龍の呪い。マドリーヌ様やグレイヴ様は、きっと法術の結界で完全に防御していると思っているかもしれない。だけど本当は、ニーミアの結界が外部からの敵意を完全に防いでいるんだ。


 怯えて隠れているけど、実は大活躍をしていたニーミア。だけど、もうちょっと力を借りたい。


 僕は去年、竜峰で腐龍に一度会ったことがある。竜人族のアネモネさんをしたう飛竜の成れの果ての、悲しい腐竜だった。

 あの時、僕はニーミアに守られて腐竜に近づくことができた。


 できれば、今回もその加護が欲しい。

 ゴルドバと腐龍に接近するためには、どうしても必要な加護なんだ。


 暴君やユグラ様の攻撃が有効でない現状、腐龍に攻撃を通す方法は限られている。


 ひとつは、いま以上の破壊力がある竜術を使用すること。だけど、これだと王城にさらなる被害が出てしまう。下手をすると、王城敷地の周囲に広がる王都にまで被害が広がるかもしれない。

 竜峰で腐龍と相対したとき。アシェルさんが腐龍を倒す場合、周辺一帯の山岳を全て灰に変えて、もうひとつ湖ができるくらいの威力が必要だ、なんて恐ろしいことを言っていたっけ。そんな威力は駄目です。

 ユグラ様も、王城と王都への被害を考えて、力加減を調整しているんだと思う。なにせユグラ様は、あの腐龍の王と戦った伝説の翼竜だからね。


 だけどそうすると。破壊力のある竜術を使えない現状で腐竜を倒す方法は、ひとつしか思い浮かばない。


 白剣による直接攻撃。


 竜殺しの属性は、きっと腐龍にも有効なはずだ。だけど、白剣で攻撃するためには、腐龍に接近しないといけない。接触する可能性もある。


 竜峰で腐龍に相対したときは触れることはできなかったけど、今のニーミアの力と僕の力があれば大丈夫だよね?


「にゃん」


 僕の思考を読み、前線に出なくても良いことを理解したニーミアが頷く。

 ニーミアの守護を過剰評価しているわけでも、自分の力を過大評価しているわけでもない。

 だけど、いま見た腐龍の瘴気、全てを腐らせてしまうように見える腐った身体。これらを、ニーミアの守護と僕の力を合わせれば、防げるという確信があった。


「にゃん」


 僕の考えに、ニーミアは「わかったにゃん」と言いそうな感じで頷いてくれた。そして僕の周りに、桁違いの濃い竜気がまとわり付く気配を感じる。


「ニーミア、わたしもお願いできるかしら?」

「にゃん」


 ミストラルは、僕が何をしようとしているのか、言葉は交わしていないけど、きっと気づいている。


「ゴルドバはわたしに任せて」

「うん。僕は腐龍に集中するよ」


 ミストラルもニーミアの守護に包まれて、二人でもう一度頷き合った。


「ありがとう。それじゃあ、引き続きプリシアちゃんたちを守ってね」

「にゃあ」


 ニーミアに微笑むと、僕はまた穴の空いた壁際へと移動する。そして、今度はユグラ様に意識を向けた。


「ユグラ伯、こちらに来て下さいませんか?」


 僕の言葉は竜気に乗り、ユグラ様へと届く。ユグラ様はすぐさま転進し、暴君が開けた穴を更に広げて、寝室へと突っ込んできた!


 あああ……

 貴方たちは、なんて激しいんだ!


『いや、レヴァリアの奴が楽しそうだったのでな』


 どこぞの老竜のような悪戯心ですね……


『して、我に何用だ。あの腐龍を滅ぼせというのなら、王都ごとになるができなくもない』

「いやいやいや、王都は破壊しちゃ駄目です! それに、ユグラ伯は僕たち人族を試しているんでしょう?」


 王城に乗り込む前。ユグラ様は意味深な言葉を残して雲の上へと去って行った。つまり、大なり小なりここで問題が起きることを、ユグラ様は最初からわかっていたんだ。

 でも敢えて干渉せずに、人族の問題は人族で解決してみろ、と試したんだと思う。


 かなりな大事おおごとになってしまっているけど、僕たちにはまだ、できることはある。ユグラ様に頼りきってしまう状況ではないはずだ。

 というか、こういう問題を人族が自力で解決するくらいの気概を見せなきゃ、ユグラ様は認めてくれないのかもしれない。


『良き心構えだ』

「できる限りのことはしてみようと思います」

『ならば、いま我に何を求める?』

「ええっとですね」


 僕はユグラ様の背中を見上げた。

 そこには、フィオリーナとリーム。それに三人の世話役の竜人族が乗っていた。


『エルネア、会いたかったよっ』

『そっちに行きたいけど、伯が怖いから動けないのぉ』


 多頭竜と戦っていたんだ。背中に乗っている者たちには動かないように、ユグラ様が言いつけていたんだろうね。

 普段ならすぐに飛びかかってきそうなのに、なるほどです。


 僕はフィオリーナとリームに微笑み、お付きの三人を見た。


「僕とミストラルはこの場を離れて、多頭の腐龍と戦おうと思うんです。ですが、そうするとここが手薄になるので、できれば三人にはここの護衛をお願いしたいんです」

『なるほど。フィオとリームも、ニーミアの結界内の方が安全か』

「そうですね」

『ふむ。良き考えだ』


 ユグラ様が首を巡らせて、背中の者たちを見る。お付きの三人は了解したとばかりに、すぐさまユグラ様の背中から寝室内へと移動してくれた。


「正直言って、手持ち無沙汰だったのだ」

「人族の要請がなければ、俺たちは動くわけにはいかないですからね」

「竜王よ、ここは任せてください!」


 寝室に入った三人は、嬉々ききとして死霊殲滅へと動き出す。それで手が空いたミストラルが、僕の側へとやって来た。


『うわんっ、会ったばかりなのにっ』

『後で遊んでねぇ』

「うん。落ち着いたらいっぱい遊ぼうね。ふたりはニーミアと一緒に、プリシアちゃんたちを守ってね」


 僕に擦り寄ろうとしたフィオリーナとリームは、ユグラ様に一瞥いちべつされて、慌ててマドリーヌ様たちがいる王様の寝台の方へと飛んで行った。


 子竜とはいえ、二体の竜が飛来してきて、マドリーヌ様とグレイヴ様の顔が引きつっていたのは気のせいです。


「僕も戦います!」


 ユグラ様が来たことで、フィレルが勇んでマドリーヌ様の結界を出ようとした。


『ならぬ!』


 だけど、ユグラ様の一喝で身体を硬直させる。


『エルネアに比べ、汝はまだ未熟。己の力量を見極められぬ者は、掲げた目標へはたどり着けぬぞ』


 普段、ユグラ様に騎乗しているとはいっても、フィレルは竜心を得て竜族と意思疎通をしだして、まだほんの僅かな日数しか経っていない。竜気もまだ概念を捉えた程度だ。

 ユグラ様の言うことはもっともなんだけど。


 フィレルは少し悔しそうに唇を噛み、視線を落とした。


「フィレル殿下。見て学ぶ、というのもすごく大切なものだと思うんです。竜人族の戦いは滅多に見られませんし、今後のかてになると思いますよ?」

「……はい。その通りですね。僕はまだまだなんです。それなら、今できることをきちんと積み重ねていくしかないんですね!」


 僕の言葉に、フィレルは湧き続ける死霊を殲滅するお付きの三人に視線を向ける。

 三人はユグラ様の世話係というだけでなく、竜人族のなかでもほまれ高い戦士の一族。その戦いぶりは、ミストラルの村の戦士にも勝るものだ。


「それじゃあ、ここはみんなに任せて。ユグラ伯、僕とミストラルを背中に乗せてください」

『良かろう』


 ユグラ様の許しを受け、背中に飛び乗る。


「がんばれがんばれ」


 ユグラ様の背中に移った僕の足もとに、アレスちゃんが顕現けんげんした。そして、背負っていた霊樹の木刀を僕に渡してくれる。


「ありがとうね」


 僕はお礼を言い、そしてアレスちゃんと融合する。

 さらに膨れ上がる力。脈動する竜気が周囲へと拡散していく。


 ユグラ様は背中の僕とミストラルを確認すると、優雅な羽ばたきで、半壊した寝室を後にした。


『それで、どうするのだ。作戦はあるのか?』

「はい。僕たちを腐龍の背中へと連れて行ってください」

『……まったく。竜気の嵐を起こしたり、どうも汝は奇想天外なことを思い付くのだな。さすがは、あのお方の弟子だ』


 ユグラ様はため息を吐きつつも、加速する。そして咆哮とともに光線を口から放ち、窪みの底で周囲を腐らせ続ける腐龍への道を開く。


「皆様、援護ですわ!」


 ユグラ様の背中に僕とミストラルが騎乗していて、腐龍へと一直線に向かう姿を見たライラが、気を利かせて竜たちに命令する。

 向かってくるユグラ様に首を向けようとした多頭の腐龍の注意を引いてくれて、僕たちは腐龍に接近した。


 そして、多頭の腐龍とすれ違いざまに、ユグラ様の背中から飛び降りる。

 僕とミストラルは、多頭の腐龍の背中へと降り立った。


「愚か者め。腐龍は全てを腐らせる。ここへと降り立った己の蛮勇を恨みながら、腐り死ぬがいい!」


 背中で悠然と待ち構えていたゴルドバが、勝ち誇ったようにかたかたと歯を鳴らして笑う。


 だけど、僕たちもそんなゴトルバに微笑みかけた。


「でも、全てを腐らせると言いながら、貴方は腐ってませんよ?」

「くくく、それは我が魔法で足もとに結界を張り、腐敗の侵食を防いでおるからだ!」

「はい。遠目からそうじゃないかと見えてました。だから、僕たちも真似てみました!」

「な、なにっ!?」


 頭蓋骨で表情のないゴルドバが、顔を引きつらせたような感じを受けながら、僕とミストラルは武器を構えた。

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