花咲く夕暮れ

 長時間舞い続け、精も根も尽きた僕は、アシェルさんの背中の上に崩れ落ちた。

 足もとの体毛が乱れちゃっているけど、許して欲しいな。


「エルネア、お疲れさま。あれを見て」


 崩れ落ち、寝そべった僕の傍にミストラルが微笑んでやってくる。そして、僕の上半身を起こして、それを見せてくれた。


 なんだろう、と首を傾げつつミストラルの視線を追う。そして、絶景に息を呑んだ。


 アシェルさんが滞空する場所から見下ろした大地が、一面色とりどりの花で埋め尽くされていた。晩夏、というかもう秋の入り口に一歩足を踏み入れたこの時季には見られないような、春先の色鮮やかな花々や夏の瑞々みずみずしく輝く花々が一堂に咲き乱れ、幻想的な世界になっていた。


 王都の樹木も雨上がりの後のように光り輝き、道路や広場にも花が咲き乱れ、その上で人々が歓喜に沸いて空を見上げていた。


「うわっ。なんでこうなっちゃったの?」


 一心不乱に竜剣舞を舞い続けていたので、地上の様子なんて全然気づかなかったよ。


 アシェルさんの背中の上から身を乗り出して眼下を見つめ、感嘆かんたんのため息を吐いていると、アシェルさんが教えてくれた。


「竜脈を浴びた草木が活性化したのでしょうね」

「そうなんだ。もしかして、やり過ぎました?」

「いいや。気にする必要はないでしょう」


 人よりも遥かに長い年月を生き、叡智えいちをたたえたアシェルさんにそう言われて、ほっと胸を撫で下ろす。


 それにしても、なんて幻想的なんだろう。


 が傾き、黄昏色たそがれいろに染まり始めた西の空。まだ高く澄んだ薄水色の東の空との色調の変化が空を染め、地上は万色に溢れた色鮮やかな世界。


 ずっと見ていたい気もしたけど、下方の王城があった場所からこちらを見上げる人影に気づいて、絶景を堪能している場合ではないことを思い出す。


 ええっと、なぜか王城の瓦礫が一掃されているのは気のせいですよね……?


其方そなたの起こした嵐で飛んで行ったわよ」


 いやいやん! そんな事実、聞きたくないにゃん!


 ふるふると頭を振り、瞳を閉じて現実逃避に走る。そんな僕の上半身を、ミストラルが優しく抱きしめてくれた。


「本当に、お疲れさま」


 ミストラルに体重を預けて、これからどうしようと思案を巡らせようとしたとき。


「ミストラル様、ずるいですわっ」

「ラ、ライラさんっ。危ないですよっ」


 近づいてきていたユグラ様の背中の上でライラが両手を挙げて抗議し、あろうことかこちらに向かって跳躍してきた!


 あああっ。いくらライラでも、距離がありすぎるよっ。


 案の定、落下点に足場がなかったライラは、悲鳴をあげて落ちる。


「ライラッ」


 僕とミストラルは慌てて起き上がり、下を覗き込む。


『ええいっ。貴様は学習せんのか!』


 ふうう。どうやら暴君が素早く下に回り込んだおかげで、ライラは地面に落ちずにすんだみたい。


「ご、ごめんなさいですわ」


 ライラは面目ないと頭を垂れて、反省していた。


 そういえば、ライラは竜心に目覚めていたんだったよね。落ち着いたら、いつ覚醒したのか質問してみよう。


 ライラと竜心のことを思ったとき。ふと疑問が湧いてきた。


「ねえ。ライラも竜心を手に入れたのに、なんでミストラルにはないの? 魔獣と意思疎通もできるのに」


 ちょっとした疑問だった。

 ミストラルは僕と出会った直後。竜の森で僕を追い掛け回していた大狼魔獣をらしめてくれた。そのとき、大狼魔獣と意思疎通を行っていたよね。


 その後、僕は旅立ちを迎えて、竜峰に入って竜人族の人たちと共に生活をしてきた。そして、竜心を持っている人が意外と居ることを知ったんだ。


 なのに、竜人族の最高の称号を持ち、圧倒的な竜力を持つミストラルが竜心を持っていないのは不思議じゃないかな?


 僕の疑問に、ミストラルは苦笑した。


「エルネア。変なところに気づかないの」

「えっ?」

「ふふふ。ミストラルは竜姫なのよ。竜姫は竜族も認める称号。そこに竜心を持っているなんて知られたら、竜族にお願いや相談事を持ちかけられて大変になるじゃないの」

「えっ……」


 アシェルさんの補足に、ミストラルを見ると、困った顔をしていた。


「それってつまり?」

「エルネア。しーっよ」


 ミストラルは人差し指を僕の唇に当て、微笑む。


「なな、なにをしているんですか、お二人ともっ」

「ず、ずるいですわっ」


 ユグラ様の背中の上でルイセイネが。暴君の背中の上でライラが叫ぶ姿に、二人で笑いあう。


「さあ、そろそろ降りるわよ」

「はい。お願いします」

「アシェル様、ありがとうございます」


 人のやりとりに、竜たちはやれやれ、とため息を吐きそうなくらいに肩を落とし、降下し始める。見れば、遠巻きに様子を伺っていた飛竜たちも、王城跡の敷地に降り始めていた。



 アシェルさんは、窪地を避けて着地する。

 僕とミストラルはもう一度お礼を言って降りようとしたけど、僕はどうやら力尽きているみたい。ひとりでは立ち上がることもできなかったので、ミストラルに肩を借りて、アシェルさんの手に捕まえてもらって、地上に降りた。


「疲れているだろうけど、其方たちにはまだやらねばならないことが有るのでしょう。さあ、行ってらっしゃい」


 アシェルさんの意地悪な笑みに見送られて、僕も覚悟を決めてミストラルと共に歩く。

 ユグラ様と暴君の背中から降りたルイセイネとライラも傍に来てくれて、僕たちは一緒に目的地へと向かった。


 崩壊した王城の瓦礫は無くなったけど、そこに居た人たちはどうやらアシェルさんの加護により無事だったみたい。

 その中、咲き乱れる花々の先に、一箇所だけ人工物が壊れずに残っていた。


 王様が寝ている天蓋付きの寝台。それだけが綺麗に残されていて、その周囲には大勢の人たちがたたずみ、こちらを見ていた。


 鎧を着込んだ人たちが多いのは、王様と王族の人たちを守ろうと、敷地の各場所から駆けつけたからだろうね。


 さぁ、ここからが正念場なような気がします。

 魔族と多頭竜を退治したのはいいけど、お城が無くなっちゃいました!

 どう言い訳すれば、許してくれるんだろう。


 そういえば、地竜の卵を奪還した謝礼金は、末代まで遊んで暮らせる額らしい。それで弁償できるのかな?

 ……うん。額が全く足らないだろうね!

 なにせ、王城のなかにあっただろう宝物庫まで、綺麗さっぱり無くなっているんです。


 あああ、どうしよう。借金地獄の始まりでしょうか!?


 頭を抱えながら歩く僕に、ライラが心配そうに寄り添ってきた。


「エルネア様、お加減が悪いのかしら。心配ですわ」


 言ってライラは、僕を抱きしめる。張りのあるお胸様に顔が埋まると、全てを忘れて現実逃避したくなっちゃうよね。

 さっきは感じなかった至福の感触に、意識が飛びそうになる。


「ライラさん、なにしてるんですかっ」

「ライラ、自重しなさい」

「はわわっ、そんなつもりじゃ」


 自分の行動に顔を真っ赤にしたライラは、慌てて僕をお胸様から引き離す。


 ああ、至福の感触が……


「エルネア、なんでわたしのときには鼻の下を伸ばさないのかしら?」

「エルネア君、あとで覚悟してくださいね!」

「うっ、違うんだ。誤解だよっ」


 慌てて弁明しようにも、頭のなかがほわほわとして思考が回らない。

 どうしよう。どうしましょう。本日一番の危機を、なぜか、いま感じています。


 どうすればこの危機を乗り越えられるんだ。そう思ったとき。救世主は前方から現れた。


「エルネア君、すごいですよっ!」


 駆け寄ってきたのはフィレルだった。

 衛兵や近衛騎士に守られた天蓋付きの寝台の方から、人の壁を割ってフィレルが走り寄る。そのまま抱きついてきそうな勢いだったけど、そこはルイセイネが止めてくれた。


「魔族を倒して、あの邪悪な多頭竜も退治するなんて、さすがはエルネア君ですね。それに……」


 フィレルは、僕たちの後方に目をやる。そこには、ユグラ様と暴君、それに多くの飛竜や地竜たちが子竜に見えてしまいそうなほど巨大なアシェルさんが居た。


「あれほどの巨体の竜を、僕は見たことがありません。その竜と親しげに接するエルネア君たちは、やっぱり凄いです!」


 興奮気味のフィレルを、ルイセイネが落ち着かせようとする。じゃないと、いまにも花の大地を駆け回りそうだよ。


「ええっと、確かに魔族と多頭竜は倒したんですけど……」


 このふたつの存在を倒すのに見合った被害規模なのだろうか、王城を失うということは。


 困った顔でみんなを見ると、やはりルイセイネとライラも困り顔だった。唯一ミストラルだけは、気にした様子もなく、僕に肩を貸してくれていた。


 ミストラルは、多頭の腐龍や魔族のゴルドバを倒すためにはどれくらいの破壊力が必要だったかを知っているから、逆にこの程度の損害で倒せたのなら万々歳でしょう、という考えなんだろうけど。


 僕は、ヨルテニトス王国のお偉いさんにどう説明し、どう納得してもらわなきゃいけないのかを考えただけで、意識が飛びそうですよ。


 フィレルは王子だというのに、自分の住むお城が消失したことについて、なにも思うところはないんだろうか。


 ううむ。この浮かれ具合からみて、現実に目が行っていないに違いない。


 困りました。


 魔族や多頭の腐龍を倒すことよりも困難な問題に直面し、絶体絶命の僕たち。そこへ追い討ちをかけるように、もう一度人の壁が割れて、奥からグレイヴ様が現れた。


 厳しい表情で、近衛騎士を大勢引き連れてこちらへと歩いてくる。


 あああ。逃げ出したい。グレイヴ様の瞳は、真っ直ぐに僕へと向けられていた。


「兄様」


 背後から来たグレイヴ様に気づいたフィレルは、浮かれていた態度を抑える。そして、僕の正面を譲り渡す。

 グレイヴ様は僕の正面までやってくると、じっと僕を見下ろした。


 少しだけ、傍のミストラルとライラの気が張るのを感じつつ、僕も真面目な表情でグレイヴ様を見上げる。


 本来ならば姿勢を正す場面だろうけど、身体に力が入らないのでは仕方がない。


 さぁ、いまからなにを言われるのか。なにをされるのか。緊張に僕の体も強張こわばった。


「エルネアよ」

「はい」


 グレイヴ様は僕の名前を呼び、また沈黙する。


 むむむ。なんだろう。間を延ばせば延ばすほど、僕たちは緊張していく。

 グレイヴ様の背後に控えた近衛騎士たちも、緊張に表情を引き締めて、ことの成り行きを見守ってる。


 しばし見つめ合う、僕とグレイヴ様。


 背後で、暴君が威嚇するように喉を鳴らした。僕たちに危害を加えるようならば、容赦しない。そんな気配が伝わってくる。


 少なくとも僕たちは、王城を消失させてしまった責任を感じている。だけど、竜族の暴君や、善意で協力してくれただけのアシェルさんは、何かあれば暴れることも辞さないという雰囲気をかもし出して、グレイヴ様たちを牽制する。


 グレイヴ様も、僕たちの背後の竜たちの気配を感じたのか、一瞬そちらへと視線を巡らせる。だけど直ぐに、また僕に戻す。そして、口を開いた。


「エルネアよ、ついて来い。陛下がお呼びだ」

「ええっ」


 予想外の言葉に、目が点になる僕たち。だけど、グレイヴ様はそんな僕たちに構うことなく、来た道を戻って天蓋付きの寝台の方へと戻っていく。

 僕もミストラルの肩を借りて、慌てて後を追う。

 寝台の周囲に集まっていた人たちが、僕たちに道を開ける。その人々の壁を抜けて、僕たちは天蓋付きの寝台前へとたどり着く。


「陛下。エルネアを連れてまいりました」


 グレイヴ様が、寝台の前で片膝を突き、深くこうべを垂れた。


「うむ。ご苦労だった、グレイヴよ」


 天蓋は開かれていた。その奥で、痩せた壮年の男性が、侍女じじょに上半身を支えられて起き上がり、しっかりとした眼差しで僕を見据えていた。


 これがほんの少し前まで危篤状態と言われていた人なのだろうか、と思わせるほど生命力に溢れた瞳には、人を従える威厳が宿り、それはアームアードの王様に似た気配だった。


 王様の傍には、未だに気を失っている王妃様が横になっていた。そしてなぜか、プリシアちゃんは王様の膝の上で静かに寝息を立てていた。


「お初に、お目にかかります。エルネア・イースと申します」


 僕も礼儀正しく名乗ろうとしたけど、身体にはやっぱり力が入らずに、とても不敬な格好で名乗ることになってしまう。


 ルイセイネは立ったまま深く頭を垂らし、ライラは深く平伏していた。見れば、神職の人たち以外、この場の全員が平伏していた。


 うっ。気まずいです。ミストラルに肩を借りて、王様の前で憔悴しょうすいしきった態度で立つ僕は、とても目立っていた。


 どうしよう、と焦っていると、王様が微笑んだ。


「楽な姿勢で構わぬよ。儂も見ての通り、誰かの手を借りねば、こうして起き上がることができぬ身だ」


 王様は、膝の上で寝ているプリシアちゃんの頭を撫でていた手を止めて、僕の方に向き直る。そして、深く頭を下げた。


「救国の英雄よ。ヨルテニトス王国の者を代表して、ここに深く感謝を申し上げる」

「ええええっっ! 英雄ってなんですか!?」


 予想もしなかった王様の言葉に、僕は頓狂とんきょうな悲鳴をあげた。

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