ヨルテニトスの地下迷宮
しまった。変な声を出したので、平伏していた人たちから痛い視線を向けられる。
「え、ええっと……僕なんかが英雄だなんて……お城を吹き飛ばしちゃいましたし」
正確には、アシェルさんの登場で崩壊した王城の瓦礫を僕が飛ばした、と表現すべきなんだろうけど。
国の中心であるお城を吹き飛ばした僕が英雄だなんて、さすがに間違いだと思う。
だけど、僕の心を知ってか知らずか、王様は言う。
「城と命。比べるべくもない。其方のおかげで大勢の者が守られたのは確か。物はまた造ればいい。しかし、命は失ったらそれで終わりなのだ。多くの命を守った其方は、やはり英雄だ」
言って王様は、もう一度僕に頭を下げた。
ぐぬぬ。王様に頭を下げられるのがこんなに気まずいことだとは知らなかったよ。
どうしよう、と肩を貸してくれているミストラルを見ると、彼女も困った表情で僕を見ていた。
ああ、なぜか誉め讃えられているはずのこの場から逃げ出したい。
ささっと用件を済ませて、急いで竜峰に帰りたい気持ちが一気に湧き上がってきた。
どうも僕は、根っからの庶民らしい。
勇者のリステアのように、みんなに認められるような立派な男になり、賞賛される人生を歩みたいと思った時期もありました。
でもどうやら、それは僕には似合わない道みたい。というか、僕の心が周りからの視線に耐えきれないらしい。
どうやってこの評価と視線から逃げ出そうか、と後ろ向きな思考をし始めると、回らなかったはずの考えが急に加速し始める。
そういえば、逃げ出そうにも逃げ出せませんでした。
お城を破壊しちゃったからね。
考えたくないけど、弁償額ってどれくらいになるのかな?
英雄と讃えてくれて、物よりも命の方が大事だよ、と言ってくれる王様だから、お城を壊した罪で投獄、なんてことにはならないと思うけど。
宝物庫ごと吹き飛ばしたのなら、国ひとつ分くらいの弁償額なのかな。なかには値段の付けられないような貴重な宝物もあったんじゃないだろうか。
貴族でも商人でもない、あまり裕福でない家庭に育った僕は、お金の稼ぎ方なんて知らない。一生かかっても弁済できないんじゃないかな……
そう思ったとき、天蓋付きの寝台の裏から、聞き覚えのある声があがった。
「おおう、なんか見晴らしの良い場所になったな」
「ここは王城の敷地かしら?」
「ここは元の場所かしら?」
今まで姿を見せていなかったキャスター様と、双子王女様だった。
どうやら、寝台の裏手側に地下へと通じる場所のひとつがあり、そこから三人が帰還したらしい。
全員の視線が、三人に向かう。三人は、綺麗さっぱり王城が無くなり、一面のお花畑になった風景を目を見開いて眺めながら、僕たちの方へとやって来た。
途中、僕たちの後方で静かに佇むアシェルさんを見て、キャスター様が驚いた表情をした。双子王女様はアシェルさんの姿からニーミアをきちんと連想したのか、興味深そうに視線を向けていた。
「みんな、無事であったか。おお、父上。意識が戻られたのですか!」
キャスター様が、平伏する人々と寝台の上で上半身を起こした王様を見て喜びの表情になる。だけど、僕とミストラルの視線は双子王女様に釘付けだった。
「エルネア君、見て見て。地下の迷宮で拾ったわ」
「エルネア君、見て見て。地下の迷宮で手に入れたわ」
そう言う双子王女様は、全身に色とりどりの豪華な宝石を身にまとっていた。ああ、双子王女様だけでなく、キャスター様も持て余すくらいの金銀財宝を抱えていた。
「あなた達、それはいったい……」
ミストラルの疑問には、キャスター様が答えてくれた。
「父上、戻って早々ではありますが、進言いたします。地下の迷宮へと通じる入り口を全て、兵士で封鎖していただきたい。どうも、地下の宝物庫も迷宮化の影響を受けて、中身が迷宮各所に散ってしまったようです。余裕があるのでしたら、部隊を編成して地下迷宮に潜り、宝物の回収と、未だに取り残されているかもしれない者たちの救出を」
おおお、なんということでしょう!
王城の宝物庫は、どうやら地下にあったらしい。そのおかげで、迷宮に散らばってしまったとはいえ、大切なお宝は失われずに済んだみたいだ。
「そうか。グレイヴよ、其方に指揮を任せる。直ちに行動に移し、少しでも多くの人命を救い、宝物を回収せよ」
「
片膝を突いて様子を伺っていたグレイヴ様はただちに動き出し、指示を飛ばし始める。
平伏していた人々も、陛下に許しを請うと、各々が与えられた役目に向かって動き出す。
「いやあ、楽しかった。まさか城の下にあんな迷宮が出来上がっているとは。こりゃあ全容が解明するまで楽しいだろうな」
とキャスター様が笑う。
でも、僕たちは笑えない。だって、迷宮化はプリシアちゃんとアレスちゃんの仕業だもの。やっぱりこの辺の責任も負わなきゃいけないだろうね。
英雄と言われるのは気がひけるけど、負った責任は全うしたいと思う。
でも、どうすることでこの責任を果たせば良いんだろう?
やっぱりそういう難しいことになると、頭が回らない。
「エルネア君、大丈夫?」
「エルネア君、何かあったの?」
双子王女様が僕の顔を覗き込んできた。
「ええっと、何から説明すれば良いのかな……」
双子王女様とキャスター様は途中から騒乱の中心を離れて、迷宮化した王城と地下を奔走していたから、その後のことは知らないはずだ。でも、説明しようにも思考が回らない。
「ふむ。いまは事後処理に注力すべきときだろうか。キャスターよ、其方もグレイヴの補佐に周り、事態の収拾に励め」
「いいえ、父上。俺はこの場で御身を守らせていただきます。危篤状態から回復したとはいえ、野原に父上を放ってはおけますまい」
「兄様、その役目は僕にさせてください」
王様の警護を申し出たキャスター様に、フィレルが申し出る。
キャスター様はじっとフィレルを見て、
「よし。フィレル。其方に警護は任せた。決して父上の御身に何事もないように、守り通せ」
「はい、畏まりました!」
危篤状態から回復したら、いつのまにか立派になった様子のフィレルの姿に、王様が驚き半分、嬉しさ半分でやりとりを見守っていた。
王族や王城に仕える人たちは動き出した。
あとは、僕たちだけだね。
王様は、英雄と言われて困惑する僕にしつこく言い張る様子はなく、残った僕たち一行を順番に見渡して、目を細める。
ちなみに、マドリーヌ様を筆頭とした聖職者は、負傷者の手当てに奔走しだしていた。ルイセイネが僕の傍に残っているのは、彼女が巫女という立場よりも僕の家族という立場を優先してくれたからだと思う。本来なら、優しさ満点のルイセイネも負傷者の手当てに真っ先に動いていそうだしね。
そして残った一行のなかで、ライラだけが未だに深く平伏していた。
双子王女様は、身につけていた宝石を関係者に手渡すと、王女らしい凛とした立ち振る舞いで僕の傍に立っている。
僕も平伏しなきゃいけないはずだったんだけど、身分制度なんて関係ない竜人族のミストラルが立っていて、その肩を借りているので立ったまま。ただし、目上の相手に敬意を払う態度をミストラルはとっているし、僕もできる範囲で王様に敬意を払っていた。
ルイセイネも終始立礼だけだったけど、これは彼女が巫女だから。聖職者は権力に屈しない。権力の影響を受けない、という立場から、一般の巫女様や神官様であれ、平伏はしない。
そんな僕たちのなかで唯一、深く平伏し続けるライラに王様の注意が向くのは自然な流れだった。
「彼女は?」
王様はライラに視線を向けて、質問してきた。
「はい。彼女はライラと言って……」
ゆるく、回転していなかった思考が、一瞬引き締まる感覚を覚える。
「エルネア殿の身内なのだろう。さあ、其方も儂に対して平伏などは必要ない。
ひとりだけ畏まったライラは、王族を前に緊張してしまっていると勘違いしたのかもしれない。王様はライラに優しく言葉をかける。
だけど、ライラはびくりと身体を震わせて、余計に深く、頭を地面に沈める。
「あの……その……」
ライラの困った声が、くぐもって聞こえた。
「陛下、彼女は僕の大切な家族なんです」
そう前置きをして。
僕はミストラルの手を借りて、ライラの傍に腰を下ろす。そして、平伏しているライラの手をとり、大丈夫だよ、と耳元で囁いて、ライラの上半身をゆっくりと起こしてあげた。
「……っ!」
王様が寝台の上で息を呑むのがはっきりとわかった。
おずおずと、僕に沿われて怯えた様子で顔を上げたライラ。ライラは不安に目を泳がせ、僕にしがみつく。
「オ、オルティナ……」
王様が絶句する。
ライラの目元や口元は王妃様に瓜二つで、オルティナ王女の幼少期しか知らないはずの王様でも、容易に連想できたのかも。
だけど、彼女はライラですよ、王様。
オルティナと呟かれ、びくりと身体を震わせるライラ。
彼女も王様の前に出る覚悟は当の前に決めていたはずだけど、だからといって、いざその時になって堂々と振る舞えるほど、心は太くない。
僕は不安そうに視線を泳がせ続け、王様を見ようとしないライラをそっと抱きしめる。ミストラルも反対側から優しく抱きしめて、ライラを落ち着かせようとする。
「陛下。畏れながら、聖職の者としてひとつ、お話し申し上げたき件がございます」
ルイセイネが一歩、前へ足を出す。
「陛下、アームアード王国の王女として、ひとつ進言したき件がございます」
「陛下、アームアード王国の王女として、ひとつ相談したき件がございます」
双子王女様がすずいっと進み出て、僕たちと王様の視線の間に立ち塞がった。
「ふむ……」
王様も、ライラの様子と僕たちの雰囲気を察し、思慮深げに頷くと、ライラのことについてはこの場での追求を諦めた。
僕たちとしても、この場で慌ただしく物事の解決を計るつもりはない。もっと落ち着いたあと、じっくりとライラのことは話し合いたい。
「エルネア」
一旦の落ち着きを見て取ったのか。後方で静かに様子を伺っていたアシェルさんが口を開いた。
ああ、けっして存在を忘れていたわけじゃないですよ。目の前のことで手一杯だっただけです。
「ふふふ。私はなにも責めていないでしょうう」
アシェルさんは軽く微笑んだつもりだったけど、急に人の言葉を話した巨竜に、周囲で
「竜が人の言葉を喋った……」
「そんな馬鹿な!」
「なんという竜だ?」
人々は口々に驚愕の声を漏らし、じっとアシェルさんを見上げる。
そこへ、なにを考えたのか、数人の男性がアシェルさんに近づこうとした。
だけど、ぎろりとアシェルさんにひと睨みされると、あっという間に泡を吹いて気絶してしまう。
……アシェルさん。人の男が嫌いだからといって、やり過ぎです。
アシェルさんに近づこうとしたのは、王城内で竜のお世話をしている者たちだったのかな。中庭でキャスター様の地竜に悪戦苦闘していた人たちと同じ制服を着ているみたいだし、間違いないはずだ。
きっと、アシェルさんとその側にいる暴君とユグラ様のお世話か何かをしようと、近づこうとしたに違いない。
だけど、アシェルさんが人を簡単に寄せ付けるような温厚な性格のはずがない。
知らない者は気安く近づけさせない。
なにより、アシェルさんは
気絶だけで済んで良かったね。としか、僕には言えません。
そのアシェルさんが、僕に何の用だろう?
アシェルさんは、万色のお花畑になった王城跡を忙しそうに行き来する人を見つめながら言う。
「ここは少し、人の男が多い。つい滅ぼしてしまいたくなる」
「いやいや、それは禁止でお願いしますよ!」
「其方の頼みだから我慢するが、長居はしたくないわね」
「じゃあ、どこかに移動します?」
「いいえ。私は先に爺さんのところに行ってるわ。其方はここが落ち着いたら、私の愛おしい子を連れて爺さんのところに来なさい。絶対ですよ? 来なかったらこの国を滅ぼそうかしらね」
「いやいやいや、それも禁止でお願いします! 必ず行きますので、ちゃんと待っていてください」
なんてとんでもないことを言うんですか!
おかげで、王様や周辺で働く人たちが顔を引きつらせて固まってしまっていますよ!
「あ、あれは竜族の冗談みたいなものですから。本気にしないでください」
僕の弁明で、王様が動きを取り戻す。だけど顔は引き
「其方は計り知れぬ竜と、事も無げに親しく話すのだな」
「見た目は大きくて迫力ありますけど、とても親切で優しいんですよ。彼女がいたから、今回の件も解決できたんだと思います」
アシェルさんが居なくても、解決はできたかもしれない。ただし、もっと時間がかかり、さらに被害が拡大していたことは間違いない。だから、アシェルさんには感謝です。
「そうか、偉大なる竜様。人族の国を救っていただき、感謝を申し上げる。衰弱の身ゆえ、寝台の上からの言葉をお許しください」
王様が頭を深く垂れる。それに合わせて、周囲で働いていた人たちが、アシェルさんに対して深く平伏した。
「エルネアと娘を護っただけ。人如きに頭を下げられても嬉しくもなんともない」
アシェルさんは竜としての迫力を醸し出しながらそう言うけど、長い尻尾が揺れてますよ?
と思考したら、ぎろりと睨まれた。
「感謝すると言うのなら、ここに運良く居合わせたエルネアに感謝することね。エルネアが居なければ、たとえユグラの坊やが居ても素通りしていたからね」
『ううむ。この歳で坊やと言われるのはむず痒い』
『おわおっ、おじいちゃんが坊やだなんて、お姉ちゃんのお母さんはすごいっ!』
ユグラ様が苦笑し、フィオリーナがきゃっきゃと跳ねて面白がる。それに釣られてリームも騒ぎ出し、やれやれとユグラ様と暴君がため息を吐いた。
それはともかく。
アシェルさんは、本当にこの場に長居する気はないようで、巨大な翼を広げると、優雅に数度羽ばたいた。
羽ばたきには不釣り合いな優しく柔らかな風が、王城跡の敷地に広がる。
色鮮やかな花びらが舞う。
その先で、アシェルさんはふわりと空へ舞い上がる。そして上空で一度旋回し、神々しい咆哮をあげたあとに、瞬く間に黄昏色の西の空に飛んで行った。
『ぐぬぬ。我も負けてはいられぬ』
どこに勝負所が有ったんでしょうか。暴君はアシェルさんが飛び去った西の空を悔しそうに見上げていた。
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